「今年、蝉、鳴かねぇな」
「まだ早ぇだろ、梅雨前だ」
「去年の今頃は鳴いてた」
「蝉の身にもなれよ、相手が出てきてなきゃ意味ねぇだろ」
「…ああ、求愛だもんな、あれ」
準備室の裏は背の低い木が密集している。
梢をすり抜ける太陽光にあてられて、窓硝子は高熱を帯びていた。
酷く蒸すので捲り上げた臑、何故か其処に口を付けている竜太。
汚いだろ、と言っても止めないからそのままにして置いた。舌は踝へと伸び、一周して再び膝へと登る。
俺はホモじゃないからな、と弘は言った。
「別にどうでもいいよ」
「お前がホモだから、悪い」
「何だよ、それ」
「…人が見るから」
「ん」
「中で、しような」
「うん」
1匹、2匹、蟻の行列。
気まぐれに買ったオレンジジュースに引き寄せられる蟻。
頬を打つ風も無く、雨がひとたび止めば恐ろしい程の熱気が地面から立ち上る。
「先生、あ、先生…!」
役割をとっかえひっかえするのはいつもの事。
なんでか、今日はやけに声が耳に残った。
蝉が鳴かないのが可笑しい位の季節外れの気温。
こんな中、汗まみれで抱きあって。
全くどうかしている。
オレンジジュースの缶に、群がる蟻。
1年経ち、結局俺達は七日間のうち幾日かを共有している。
「ほんと、別人みたいだな、お前。可愛い」
規則正しくコチコチと鳴る針は2時半を示していた。
「どっか行かねーか、これから」
首を肩に埋めたままで聞く。
耐える様な表情、唇を噛み締めたままで竜太が小さく頷く。
微弱な痛み、圧迫感、突き上げの僅かな誤差。その感触に耐える声も小刻みになる。
風が出て来たらしい。
晴れ間と陰りの暗転をせわしなく映していた擦り硝子が鳴った。
「そうか、台風くるんだっけか」
陰りに入って、熱が逃げ静かになる部屋。擦れ合う枝、葉擦れのざわめきが硝子越しに満ちる。
竜太が小さく呟いた。
「どっか、行こう」
「ああ」
蝉の声の空耳、その余韻。耳鳴がした。
窓を勢い良く上げると共に、熱風が入り込む。あるのは鮮やかすぎる程の光。
停滞する入道雲の下、けぶる様な灰汁色の千切れ雲は次々と滑って行く。
揺れる焦茶色の透明。
目に痛い程の逞しい緑の中、今にも干上がりそうな水たまりを踏みながら歩いた。