GS美神 極楽大作戦!! 「だあああぁぁぁぁっ!!!また遅刻じゃあああぁぁぁぁぁっ!!!」
ここは東京。 首都圏内のとある場所。
雲一つない晴天の下で、赤いバンダナを額に巻きつけた男子高校生が爆走していた。
「これ以上遅刻したら出席日数が足りんで留年になっちまうんじゃぁぁぁぁああああっ!!」
この情けない悲鳴をあげている男の名は横島忠夫。
何年も経たない前に、古から伝わる魔族の中でも大物中の大物・魔神アシュタロスを滅ぼした者達の一人である。
「くっそぉぉぉっ! 除霊した後にシロの散歩なんぞ行くんじゃなかったっ! 昨日の除霊が楽だったから体力は残せると思ったのにあいつ、昨日に限って何キロ走らせやがる!」
愚痴を吐き捨てつつ、規則なぞ知ったことかと言わんばかりにどたばたと廊下を走り抜けた。
教室の前に着くと、ぜいぜいと肺に空気を送り込んで呼吸を整える。
ガラガラガラッ
「ふぃぃぃっ……何とか間に合った……」
「横島さん、おはようございます」
「遅いわよ横島クン」
「おはよーさんですノー」
教室の扉と開けて溜息混じりに息を吐く横島に2人の男と1人の女が声を掛けた。
順にピエトロ・ド・ブラドー、愛子、タイガー寅吉の3名である。
「おう、おはようみんな」
「また遅刻? これ以上したら留年するわよ? それも青春だけどね」
「ははははは、昨日の仕事後にシロの奴が散歩をせがんできてな。 今回は楽な除霊だったからアイツ、余った体力全部散歩で使いやがったんだ」

───先生! 時間が余ったので散歩に行くでござる!
───だああああっ! 答える前から引っ張るなシロ!

「うわぁ、それはしんどいですね」
「よく体力が持ちますノー横島サン」
「幾つ県境を越えたかわかりゃしねぇ……あー、思い出しただけで疲れた」
そう言って横島は机に突っ伏す。
その身体からは『疲れたオーラ』が滲み出ていた。
「横島クン、もう授業始まるわよ?」
「疲れたから今日は寝るわ、お休み〜」
「もう……今日もじゃないの……」
愛子が言った相手は既に頭から教科書を被って眠っていた。
「全く横島クンったら……」
手を腰に当てて怒るが、相手は泥の様に眠っているので聞こえる事はなかった。
「まぁまぁ愛子さん。 横島さんは疲れているみたいですし」
「そージャノー。 ワッシも昨日はエミさんの仕事であんまり寝とらんのジャー」
フォローし合うピートとタイガーを見て愛子は肩を竦めた。
もっとも、同じく疲れていると言うタイガーはなんとか起きているならフォローになっていない気もするが。
「はぁ、親友を庇う二人の友情ってトコは青春なんだけどね……」





「横島クン、起きて。 授業終わったわよ?」
横島の体を軽くゆすって起こす。 すると横島の体がピクッと動いてゆっくり顔を上げた。
「ん……あ、愛子か。 くあ〜、やっと終わったぁ」
「起きてたの昼休みだけだったわね」
そう言ってクスクス笑う。 笑われて少しバツが悪そうに頬を掻いた。
辺りを見回すが既に人影は無く、
「そういうなよ愛子。 ところでピートとタイガーは?」
「ピート君なら先生に呼ばれてたから職員室に寄って帰るって言ってたわ。 タイガー君は横島クンが揺すっても起きないから先帰っちゃったわよ」
「友達甲斐の無い奴らめ……ならバイト行くかぁ」
椅子から立ち上がって体を伸ばす。
ずっと動かずに机で寝ていた身体の節々がギシギシと悲鳴を上げていた。
「美神さんトコ? いつも忙しいわねぇ」
「『現世御利益最優先』だからなぁ、あの人は」
少し前に雇用主である美神令子の言っていた言葉を思い出して苦笑した。
確かに守銭奴と誰もが認めるあの女性らしい言葉であった。
もっとも本人に聞かれたら命がいくつあっても足りはしないのだが。
「んじゃ行くわ。 またな愛子」
横島はあくびを噛み殺しながらガタッと席を立った。
───『大事な』友達との今日のじゃれあいはこれでおしまい。
次に会えるのは明日か、明後日か、ずっと先なのはわからないが。
「ええ、またね横島クン……」
寂しさを心の中に隠して笑顔で手を振った。
横島は愛子の声に後ろ手で応えて教室を後にした。

「……横島クン……」





美神除霊事務所。
そこは世界最高と名高い女性GS・美神令子が運営する事務所である。
ただし依頼料も世界最高であるともこの業界では認識されている。
そう、ただの噂ではなく事実として。
「ちわっーす! 美神さん、今日もええ乳して」
「来て早々セクハラ発言すんじゃないっ!!」
メキッという音と共に美神令子渾身の『打ち下ろしの右(チョッピングライト)』が左側頭部に直撃する。
横島は頭からダクダクと血を流して床に沈んだ。
「み、美神さん、そこまでやる必要は……」
「いーのよおキヌちゃん。 こういうのはちゃんと躾けないといつまでも付け上がるんだから」
六道女学院から帰ってきていたおキヌちゃんがフォローするも美神はそれを一蹴する。
「き、今日のパンティは薄い青げふぉっ!?」
血の海に沈んだ横島に無言の蹴りで追い討ちをかける。
おキヌはオロオロしているが、美神が怖いので横島には後でヒーリングを掛ける事にした。
「おキヌちゃん、今日の仕事は?」
横島にとどめと言わんばかりに蹴りを食らわせながら、まだ着替えていないおキヌに今日の予定を聞いた。
「ええっと、企業からの依頼が1、2、3件と、後は……あ、冥子さんのお母さんからの依頼が来てますよ」
「え、六道家から!?まさか冥子絡みじゃないでしょうね……」
六道家と聞いていい思い出がまるで無い事を思い出した美神は頭を抱えた。
「えっと、六道女学院関係みたいですよ」
「六女関係? 学院絡みねぇ……おキヌちゃん、学校で何かあった?」
「いえ、特に……あ、そうだ美神さん! もうすぐクラス対抗戦があるんですよ! 今回も私、対抗戦に出場するんです!」
「対抗戦? あー、あれね。 って事はこの前みたいに、対抗戦の特別審査員の要請みたいね」
「女子高!?女子高生と組んずほぐれず乳尻触りほーだいっすか!!?」
「お前は来るなぁぁぁぁっ!!」
煩悩による回復で血の池から蘇った横島をもう一度令子は肘鉄で沈めて2つ目の血の海を作った。
「あ、でも美神さん。 依頼書には横島さんも来て欲しいって書いてますよ?」
すると依頼書を持っていたおキヌが書いている部分を指差しながら言った。
「「は?」」
二人が同時に声を上げる。
以前事務所に要請があった時は、横島を連れて来いなんて書いてなかったからだ。
「……ホンマや……俺を指名するってコトは俺に冥子ちゃんをくれ」
「アンタ、あの子と結婚したいの?」
いい感じでテンションが上がりつつあった横島の耳に、妙に冷静な美神の一言が届く。
「……あああ、あの娘を俺のモンにしたいがプッツンされるのは嫌や……でもあんな可愛い子に手を出さんのは……いやいや、でもそれで今まで何回……」
こうして、ブツブツと横島は妄想無限ループに入っていった。
「あの馬鹿は放って置いて、行くわよおキヌちゃん! 上の二人を呼んできて」
「え、で、でも依頼には……」
美神には無限ループを止めるつもりは欠片も無いらしい。
おキヌちゃんはそんな美神と何処か虚ろな目をした横島を交互に見てウロウロしている。
「……あああっ! もう! ブツブツ言っとらんでさっさと来い!」
イライラしていた美神が頬を往復で張って正気に戻した。
「あぶあヴぁえ……みがみざぁんもいっじょにおでのよべにじま゙ずがらおごら」
「とっととこっちの世界に帰って来いこの馬鹿!」
やはり横島は正気に戻ってはいなかった。





「……? なんでイライラすんのよ私が……?」
企業から依頼を受けたビルに向けて車を飛ばしていた美神は小声でボソリと言葉を漏らした。
その言葉は風にかき消されて虚空に消えていった……







「いらっしゃい〜〜、待ってたわよ〜〜〜〜〜」
企業からの依頼を終えて六道家の門を越えた所で、現六道家当主である冥子の母が家のドアから顔を出した。
「へぇ、凄い豪邸ね」
「拙者の村の神社でもこんなに大きくは無かったでござるよ……」
そう言ったのは六道邸は初めてである美神除霊事務所の居候2人組。
一人は月の女神に祝福されし神狼の血を引く人狼・犬塚シロ。
もう一人はその昔『傾国の美女』と恐れられた金毛白面九尾の狐の転生体・タマモはキョロキョロと辺りを見渡していた。
「お久しぶりです、冥子さんのお母様」
「ご無沙汰してますです、義母様」
「お久しぶりですわおばさま」
顔見知りのおキヌ、横島、美神が順に挨拶する。
「あら〜〜〜〜? 横島クンが死にそうよ〜〜〜〜〜?」
六道女史の言ったとおり、美神の横で横島は血の海に沈んでいた。
「気にしないで下さい。 いつもの事ですわ」
「そうね〜〜〜〜。 じゃ、入っていらして〜〜〜〜〜」
「お邪魔しま〜す」
「邪魔するわね」
「お邪魔します……横島さん、大丈夫ですか?」
「先生、大丈夫でござるか?」
「何故や〜……ちょっとだけ夢を見ただけやないか〜」
横島は涙を流して呻いた。 流れた血と混じって血涙に見える。
何度やっても懲りてない男だった。





「今回の依頼はこの前と同じで〜、今度のクラス対抗戦の特別審査員をやって欲しいの〜〜〜〜」
いつもの様に間延びした声で、六道女史は今回美神達を呼んだ理由を話した。
和服姿でニコニコと微笑む六道女史の横にはその娘の、やっぱりニコニコとした冥子の姿があった。
大事なお友達が来てくれた事を素直に喜んでいるのだろう。
「やっぱり〜〜〜〜、一流のゴーストスイーパーが〜〜〜〜、色々教えてくれるのは〜〜〜、生徒達にとってもいい事だと思うから〜〜〜〜」
「まぁ………、正直言って冥子にまともなアドバイスができるとは思えないけどね………」
そういって令子は紅茶を一口飲みながら横目で冥子を見る。
その目つきは少々、とは言えない程に冷たいジト目であった。
「え〜〜〜ん、令子ちゃん、ひどい〜〜〜」
「はっはっは、よしよし冥子ちゃん。 お兄ちゃんと一緒にあっちで」
「己はセクハラやめんかいっ!!」
悲しさを表情に出す冥子に対して『紳士的に』荒い息を吐く横島の後頭部に、ホットな紅茶入りの美神の口づけ付きティーカップが直撃する。
ゴガシャン!!
バシャッ!!
「わちゃちゃちゃあちあちゃちゃちゃ!!!?」
「あっ、あっ、よ、ヨコシマくぅ〜ん!?だいじょうぶ〜?」
「せ、先生! 大丈夫でござるか!?」
「あ〜ん〜た〜は〜あんっっっだけプッツンされといてその恐怖を覚えとらんのかな?」
心配してオロオロする冥子や焦るシロを遮って、満面の笑顔を浮かべた美神は右手で荒々しく横島の首元を掴んで締め上げる。
実際には普通の女性では到底扱えないであろう357マグナムを左手で横島の眉間に押し当てている所に美神の感情が現れているのだが。
「あはははは……」
おキヌは美神をなだめようとする気持ちと冥子のプッツン回避を計算する理性に挟まれて、冷や汗と共に乾いた笑いしか出す事が出来なかった。
まぁ動こうとしない理由には、自分では気が付かない裏に隠れたもう一つの感情があるのかもしれないが。
「あらあら〜〜〜、火傷しちゃいけないわね〜〜〜〜。 冥子〜〜〜、向こうの部屋でヒーリングしてあげなさい〜〜〜〜」
「わ、わかりました〜〜〜、お母様〜〜〜〜」
相変わらず笑顔の六道女史の言葉に従って、冥子は横島を連れていこうとした。
「あ、あの! ヒーリングでしたら私も!」
「拙者も出来るでござる!」
そこにおキヌとシロが声を掛けた。
「まぁ〜〜〜、二人ともお客様だから気にしないでね〜〜〜〜。 それに〜〜〜、横島君の事だから〜〜〜〜」
お邪魔しに来て迷惑を掛けてるからこそ2人に任せて欲しいと思ったが、ここまで言われたら仕方が無いとソファーに座った。
「で、おばさま。 今回はなんでまた横島クンを?」
「あ〜〜〜、それはね〜〜〜〜」
美神と六道女史は依頼の確認を始めた。 依頼を受けてここに来ているのだから当然の流れである。
「それにしても、お二人とも間延びした話し方でござるな?」
細かい事はわからないシロは、おキヌに話しかけた。
「………………」
「おキヌ殿?」
おキヌの反応が無いのを不思議に思ったシロがもう一度問いかける。
「……へっ? あ、何、シロちゃん?」
シロの不思議そうな視線に気が付いたおキヌが振り向いた。
「いや、あの六道と言われる方の二人とも、ひどく言葉を伸ばして話すでござろう? そういう一族なんでござるか?」
「たぶんそうなんじゃないかな?」
「ふぅん……おキヌ殿、さっきはどうしたんでござるか?」
一つ疑問を解決したシロが、さっきのおキヌの様子の理由を聞いた。
「え? ああ、美神さん達が横島さんを呼んだ理由を話してたから、そっちを聞いてたの。 ごめんね?」
「なるほど、そうでござったか。 さすが先生でござる! 先生は美神殿に劣らぬ超一流の『ごぉすとすい〜ぱ〜』でござるからな!」
依頼として呼ばれた事を横島が認められたからとシロは我が事の様に喜んだ。
「タマモもそう思うでござろう?」
喜色満面のシロが振り向いて、右隣に座るタマモに問いかける。
しかし二口程度しか減っていないティーカップをそのままに、タマモの姿が忽然と消えていた。
「? タマモは何処に行ったんでござろう?」
「あれ、そういえば……?」
二人とも気が付いていなかった。
「タマモちゃんならさっき〜〜〜〜、部屋を出て行ったわよ〜〜〜〜」
タマモの行動に気が付いていた六道女史が2人に声を掛けた。
さすがに日本GS会の重鎮『六道家』の党首として生きてきた女傑と言えるのかもしれない。
まぁ、見た目はともかく話し方からすれば評価も変わるかもしれないが。





「横島くん、だいじょうぶ〜?」
「大丈夫っス。 あ〜、熱かった」
ここは応接室に隣接している書斎。
古から長き時もの間、日本の呪術・退魔の歴史に名を残してきた六道家とあって、古今東西の古い書物が書斎に所狭しと本棚に置かれている。
六道家の保管庫に行けば、これ以上に大量の資料があるのだろう。
別宅や別荘などにある資料も合わせれば小さな、いやそれなりに大きな歴史・呪術図書館ができるのかもしれない。
古書の香りに包まれた静かなこの書斎で、横島は冥子にタオルで体を拭いてもらっていた。
「熱くない〜?」
「大丈夫っすよ、ありがとう冥子ちゃん」
頭を掻きながら冥子に礼を言う。
女の子に体を拭かせたのが照れ臭かったのだろう。
「よかった〜!」
そう言って冥子は笑った。
この少女の満面の笑みは見ている方まで嬉しくさせる。
「ショウトラちゃん、出ておいで〜」
冥子はヒーリングが出来る式神のショウトラを呼び出した。
上着を脱ごうとして、ふと本棚が目に入った。
「それにしても凄い本の山だ〜。 さすが六道家って感じだよなぁ……」
そう言って横島は部屋の中を見渡した。
あんまり学校の授業を聞かない横島ですら聞いた事のある本もあった。
まあ本物か複写したものなのかは不明だが。
「そ〜〜お〜〜〜? わたし全部読んだんだよ〜」
「うそっ!?マジでこれ全部!?」
横島は普段の冥子の姿とは掛け離れた言葉に本気で驚いた。
「あ〜〜、よこしまくんもひどい〜〜」
横島の言葉にしょんぼりとする冥子。
すぐにでも目に涙を浮かばせそうな気配を漂わせている。
「ああああああ! ごめんなさい! スンマセン! 冥子さんなら読んでると当然思っておりました!」
「ぐすん……ほんと〜〜〜〜?」
「ほんとのほんと、冥子ちゃんは頑張り屋さんだから俺と違って頭いいもんね!」
慌てて冥子のフォローをする。
ここで失敗したら、影から見ている式神の皆様のお仕置きが待っていると考えたら冷や汗が止まらない。
「えへへ〜〜〜〜♪」
引き攣った笑顔を浮かべている横島に褒められて機嫌を直した。
どうやら式神祭は回避されたようだ。
カチャッ
ドアノブが動いてドアが開いた。
開いたドアの隙間からヒョコっとタマモが顔を見せた。
「あれ? さっきの応接室じゃないわね。 間違えたのかしら?」
「タマモじゃねーか、どうしたんだ? 入って来いよ」
「……わかったわよ」
ブツブツ言いながらタマモは中に入った。
いつもよりちょっと不満げな顔をしている。
「へぇ、書斎じゃない。 色々あるわねぇ」
部屋を眺めていたが、ふと棚に置いてあった本を無造作に取り出す。
見た所中世あたりに書かれた日本の書物らしく、大分色褪せていた。
タマモは本を開いて中を確認し始めた。
それを見た横島は感心して、
「へぇ、タマモ、古文とか読めんのか?」
と尋ねた。 読めるなら学校のテスト勉強で手伝ってもらおうと思ったのだ。
何せ『傾国の美女』と昔から恐れられていたのだ。 確かに読めてもおかしくはない。
そんな計算を巡らせる横島をちらりと見てこう言った。
「読める訳ないじゃない」
その言葉に横島はズッこけた。
タマモはパタンと本を閉じ、
「前世の私ならいざ知らず、現世に転生して何年も経ってないのよ? ただでさえ今の言葉すらあんまり理解してないのに分かるほうがおかしいでしょうが」
と言った。 しかし読めないとはいえ、読もうとする姿が様になっているのはさすが『傾国の美女』と言えた。
成長すれば誰もが立ち止まって見つめる、知的で妖艶さを漂わせながらも猛毒を併せ持つ危険な女になると思わせる。
しかし横島ならばその危険な華の毒すら取り込んで蜜を吸うだろう。
「まぁ、そーいやそーだよなぁ………っかく…って……とおも……」
後の方はブツブツと小声になった横島だった。
恐らく『せっかく手伝ってもらおうと思ってたのに』と言っていたのだろう。
「あれ? 火傷?」
タマモが首もとの赤い部分を見て声を上げる。
「ああ、さっき美神さんに紅茶ぶっかけられてな」
「どーせまたセクハラしようとしたんでしょ? 懲りないわねぇヨコシマも」
「るせぇ! セクハラは男の浪漫だっ! 誰にも邪魔はさせん!!」
女性読者を敵に回すのは何回目になるのかと聞きたくなる横島のセリフに溜息を付く。
「ならアンタの煩悩でそれも治しなさいよ………ヒーリング、してあげようか?」
珍しいタマモからの提案を横島は受ける事にした。
「ああ、頼むよタマモ。 冥子ちゃんだけにさせるのはちっと悪い気がしててな」
そう言って、脱ぎかけてた上着を脱いだ。
横島は美神の所でアルバイトをする前は自他共に認める貧弱な体をしていた。
だが、巨大な荷物を持って目的地まで往復したり悪霊やら何やらから逃げたりGSになって戦う様になったり妙神山で修行したりと、己の希望とは裏腹に波瀾万丈な生活を(否応無く)送っており、美神の元で働くのは想像以上に横島の身体に鍛え上げていた。
それはボディービルダーの様に見た目の筋肉もあるがそれ以上に余り気が付かない筋肉。
動き回り、衝撃を柔軟に受け止めて軽減し、一瞬に全ての力を使い、そして全身全霊の力を持続して使い続ける、生き残る為に得た横島の『力』だった。
見た目は『筋肉が脈動している』ような筋肉の塊ではないが、当然柔軟でしなやかな筋肉によって厚みのついた身体は一回りほど大きくなっている。
少なくとも今年の夏に海へ行った場合、自分の貧弱差に泣く事は案外少ないだろう。
寧ろ真剣な顔をしていれば、海辺の女性達はまだ少し子供っぽさが残る顔立ちに母性を、全身から漂うその雰囲気に引き込まれ、そしてその限りない優しさに『女』を刺激され、普段の横島と正反対の評価を付けることだろう。
但し以前と変わらず自己評価が低いならば、当然以前と変わらず涙を流す事はやはり多いだろうが。
ショウトラは椅子に上ってそのまま火傷の痕を舐め始めた。
ヒーリングがかかっているからか、心地好い感覚が横島の体を包む。
しかし冥子とタマモは、自分が思っていた横島のイメージとは違う『男』を見せつけられてその身体から目を離す事が出来なかった。
「よ、よ、よこしまくぅ〜〜〜〜〜ん???」
冥子の慌てた、しかし何処か陶然とした声が静かな書斎に響き渡る。
恐らく自分が声を上げた事に気が付いていないだろう。
「……ヨコシマ……」
タマモも目を離せなかった。
しかし一歩傍によると、その見つめる背中にそっと手を置いた。
「タマモ?」
目を閉じて座っていた横島が声を上げる。
だがショウトラのヒーリングする心地好さに目を開こうとはしなかった。
「………………」
チュッ
「た、たたたたタマモ!?」
「た、タマモちゃん〜〜〜〜!?」
ペチャッ……ペチャッ……
「!!??!?!???!?」
横島は言葉も出てこないくらい混乱している。
冥子は声も出さず立ち尽くしていた。
それもそのはず、タマモが横島の火傷跡にキスし、そのまま舐め始めたのである。
「………横島、気持ちいい?」
いったん舌を動かすのを止め、上目遣いに横島に聞いた。
「お、おう。 ありがとなタマモ」
横島はひどく焦った。
普段のタマモから考えてこんな事をしてくれるとは思っていなかったのだ。
クスッとタマモは笑い、横島に見せ付ける様にして再び舐め始めた。
こういうのを小悪魔の笑みというのだろう。
「な、な、なぁタマモ。 ヒーリングのやり方はそれしかないのか?」
「……はぁっ……私は狐だから……ん……このやり方が一番やりやすくて良く効くのよ……んふ……雑菌も取るから、結局一番治りが早いの」
タマモが舐める様子は子犬の無邪気さではなく、見た目からは到底想像出来ない淫靡さを漂わせている。
幼いと言えど流石は傾国の美女、といったところか。
「おおおおおっ!!俺はロリコンじゃねぇぇぇぇぇっ!!!」
自分を見失いかけた横島が書斎の机の角に頭を連打する。
一定年齢以下にはさすがに手を出してはいけないという理性があるのは横島の美点、なのかもしれない。
そんな様子を見ていたタマモは後ろでクスッと笑った。
「……ちょっとは意識してくれるみたいね。 部屋から抜け出して正解だったわ」
そうボソッと呟いた。
そこでハッと正気に戻った冥子が、角で頭をぶつけている横島にとんでもない事を言い出した。
「ず、す〜る〜い〜〜〜! 私もやる〜〜〜〜!!」
「はぁっ!?」
額からダクダク血を流している横島もこれは聞き逃せずに振り向いた。
というか冥子自身にはヒーリング能力が無い。
にも関わらずそのまま実行されて誰かに見られたら本当に血の雨が降るのは確実だった。
当然横島が被害者なのだが。
「ちょっ、ちょっとま」
「ん〜〜〜〜っ、え〜〜〜〜い!」
止める間もなく冥子に正面から抱きつかれた。
机に当たらないように抱きとめる。
ペロペロペロッ
「うわわわわっ!!?」
冥子がアイスキャンディを舐める様に火傷の後を舐めだす。
その様子はタマモと違い、子犬がじゃれつくような感じだった。
何とかやめさせようと思ったのだが、抱きついてきた冥子を無理やり引き剥がしてプッツンさせるわけにもいかず、かといって横島の言葉を聞いてくれるとは思えない横島は、舐め続ける冥子に対する恥ずかしさやらくすぐったさにますますパニックを起こした。
タマモも慌てている横島の背後からそっと抱きついて冥子の様に舐めだした。
しかし小ぶりながらも成長している胸を押し付けるようにして背中にぴったりと張り付いている所が冥子と違う所である。
(こっ、これはタマモの胸!?ちょっと固い芯があってそれほど大きくはないけど、これはこれでいいかも………)
タマモが再び舐めだしたのに気が付いたのか、冥子も少し離していた体をぐいっと寄せた。
その押し付けられた体から柔らかくも重みのある胸を感じ取った横島は、
(め、冥子ちゃんまで!?なんちゅうかメチャメチャ柔らかいし、思った以上にでかい乳だ……今までこれに気付かんかったとは!!横島忠夫一生の不覚!!)
見つかれば撲殺確定の状況を煩悩増大する事で解決しようとしていた。
人はそれを現実逃避とも言うが。

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