■中華三昧
…私が葉様を好きだったのは、たったひとりの男の人だったからなのかしら。
たまおが恋心で蓮の姿を照らすと、影のように、もれなくその考えがついてくる。
強く想えば想うほどその影は濃くなる。
ふたりでいる時、話したり何なりしていればその間だけは見なくてすむが、
一瞬でも途切れると、影は沈黙とともに訪れた。
たまおはそれが嫌だった。
しかし、その影をどうにかしなければいけないとは思えない。
影は変えようがない。
影を気にしないほど、蓮に気持ちを入れこんでしまうしかない。
そうする方法をたまおは知っていた。
だが最後まで実行に至れずにいた。
「なんか最近中華ばっかだな」
葉が食卓に向かって言った。
確かにそのとおりだった。今日で十日間は中華だけが昼食に並んだ。
そして続いていることがもうひとつ。
「それに、お前もめずらしく毎日来てるな」
葉が食卓を挟んで向かいにいる蓮に言った。
それも確かにめずらしい。ここ十日は必ず昼食に顔を出す。
その隣にはホロホロとピリカもいて毎日来ているが、
彼らは宿がわりに『炎』に入りびたっている、という迷惑な理由がある。
しかし蓮は違う。宿もある。金もある。
では何故いるかというと、葉のセリフを並べて考えればすぐわかる。
葉に話題をふられたたまおも蓮も、ただ動揺するだけで何も答えなかった。
しかし、一瞬互いに目を合わせた。
と、その時、葉の悲鳴と茶碗がかち合う音がした。
アンナが葉の頬をつねっていたのだ。
毎日中華なのはアンナにとって都合がいい。
何しろ、自分と葉との間に少しでも邪魔がいなくなる。
アンナの指にだんだん力がこもる。
不意に肉のちぎれるような音がしたが気のせいだろう。
アンナの指についている血のようなものはエビのチリソースに違いない。
葉が畳をのたうちまわっているが、きっと料理がうまくてほっぺが落ちたのだろう。
そういえば頬肉が畳の上にある。
そんな日常を、ホロホロは哀れんで見ていた。
ホロホロも昨日、同じようなことを口にして、
ピリカに何かがつぶれるほど強く蹴り上げられたのだった。
ピリカにとっては興味本位で、蓮たちにささやか支援をしたまでだ。
葉が畳に赤線でもじゃもじゃを描いたところで昼食会は締められた。
「それじゃ、あたしたちは出かけるわ。『当分』帰ってこないから」
そう言って一同は病院へ向かった。
葉は外科、ホロホロは性病科だ。
アンナの言葉通り、当分は帰ってこられないだろう。
もしかしたら、帰らぬなんとやらになるかもしれない。
ということで当然ふたりきりだ。
ふたりは膳を挟んでしばらく黙っていた。
蓮もたまおも恋路に積極的ではないので必然にこうなる。
たまおはうつむいて、ときおり蓮を見ては視線をそらして赤くなる。
蓮は腕を組んであぐらをかき平生のごとくふるまっているが、頭の中はたまおとなんら変わりない。
部屋をすみずみまで見渡して、たまおは思い出したように立ち上がり、食器を流し場に運んだ。
蓮も自分の膳を持ってそれについていった。
流し場で隣あって、たまおはどきりとした。
実はこのシチュエーションが、事の始まりだったからだ。
七日前、つまり中華が出始めてから三日後に、
今と同じようにふたりきりになり、蓮がたまおにこう言ったのである。
「オレに気を遣わなくてもいい」
蓮は、連日中華が出てくるのは自分のためだと、社交辞令のようにとっていた。
彼はそういうことが嫌いなのだ。続けてこうも言った。
「オレは、好きでもないことに力を入れるほど愚かなことはないと思っている。
それは他人も然りだ。気を遣うぐらいなら、もう中華はつくるな」
たまおはその語調の強さに肩をびくつかせた。
だが、心の中では否定する。
違う。自分がこうするのは顔色をうかがうためじゃない。
その誤解の解きたさと、自分の本当の想いが、
あまりにも強く働いて、怒ったふうに口から漏れた。
「…嫌いじゃないです」
否定と、告白の両方をいちどきにしたのだった。
蓮はびっくりしたようにたまおを見た。
たまおも言ってしまったことに驚きながらも蓮を見た。
ふたりとも赤らんでいた。
次の日にたまおは、また中華をこしらえた。
食後は、またふたりきりになった。
流し場に向かったたまおの後ろから、蓮はこう言った。
「…オレもだ」
次の日も中華だった。
またふたりになった。
ふたりはくちづけた。
それから蓮はどういうタイミングでからだを解けばいいのかわからず、
勢いで、たまおのからだを撫でた。
「ぁっ……」
たまおは唇を離して、蓮を見た。
「あ、あの……」
先走りすぎたか、と蓮は自分の脆さに後悔した。
だが、たまおの動揺はそれではない。
「で、できれば、その、部屋……で…」
たまおはうつむいて、絞るように言った。
そして上目に蓮をちらっと見上げた。
耳から頬にかけて、すでに真っ赤だ。
そのしぐさが蓮をさらに脆くさせる。
蓮は、今この場で押し倒したいのを堪え、わかった、と言った。
それからふたりで二階へ行き、今度は布団の上で抱きあった。
蓮はたまおのからだの表面をすみずみまで、塗るように愛撫した。
全くそういう経験がないたまおは、訳がわからない感覚に意識を絡めとられながら濡れていった。
だが、そこから先に行くには大きな壁があったのである。
表面までならよかったのが、内部に関わると痛がるのだ。
成熟しきるどころか、成熟の過程に入ったばかりのたまおにとって、
勝手がわからない蓮に指を入れられるだけでも激しい痛みがある。
しかも、ほとんど埋まりすらしない。
あまり苦痛を訴えるので、蓮はあきらめるほかなかった。
とりあえず、今日は。
「……ごめんなさい」
衣服を整えて、たまおは余韻去らぬ状態で、言った。
一応、たまおだけは達したのだが、
蓮は一方的に触っただけで、矛盾した不満が溜まるのみだった。
「あの……」
たまおはおどおどしている。
蓮が後ろを向いているからだ。
怒ってるのかしら、とたまおは思ったのだ。
そうではない。
ただ蓮は、あの申し訳なさそうに照れる顔を見てしまって、
その表情を苦悶に変えてでも不満を吐き出したい気持ちに駆られるのを恐れていたからだった。
興奮とは、裸を見て起こるのではなく、
そこから喚起される喘ぎや感触によって初めて顔を出すものなのだ、
と意味不明な哲学でむりやり欲を圧して、蓮は、悪かった、と背中を向けたまま服を着た。
悪かった、は翌日も言うことになった。
翌々日も言った。
そうして七日言い続けた。
今日も言われちゃうのかな、とたまおは皿に水を流した。
ちなみにエビチリは献立になかった。
蓮も同じことを考えていた。
今日も半端に終わるのか。
しかしそれは、悩み、というほどのレベルではない。
この一週間でたまおは、いろんな意味でだいぶ慣れ、ほぐれてきている。
むしろ、今日はもしや、という期待と不安とで半々だ。
だが、たまおにとっては悩みだった。
実は、痛いとうめくのが、最近誇張されてきている。
痛みが初めてよりはかなりましになったと自覚はしている。
全く平気というわけでもないが、これ以上の緩和はさほど望めそうにない。
あとは本人の問題だった。
蓮をすんでで拒もうとする原因は痛みではなかった。
正確に言うと痛みだけではない。葉だ。
幼少から今まで数年間、少しずつ募らせていった想いが、
三日でできたそれに拭いさられてしまうのは、妙なうしろめたさがあった。
それが影になって現れるのだ。
そしてたまおを悩ませる。
「…おい、どうかしたか」
急に呼ばれたので、というより話に受け身でなかったので、
たまおは手の中で皿をはねらかした。
影を一瞬忘れた。
「どこか悪いのか?」
「い、いえ…何でもないです……」
「まさか、昨日ので……」
「そそそ、そんなことないです!」
「……そうか」
みずから言っておきながら、どこか欲がある発言に気づき、両者真っ赤になる。
それきり黙ってしまった。
しかし、蓮の目はたまおのみをとらえていた。
たまおもそれに気づいた。顔の熱はまだ冷めていない。
赤ら顔のまま目が合ったが、たまおはそらすことができなかった。
いや、出しっぱなしの水道を止めるなりして紛らわせることもできる。
裏に押しこめた期待があるから見つめるのだ。
蓮もそうだった。ふたりの周りにある種の空気がまといはじめた。
互いの視線が、期待を抽出しあい、それが空気に混じりこんでいるようだった。
そういう雰囲気では、ある行動が許され、また、それを誘引する。
蓮はたまおに顔を近づけていった。たまおは目を閉じた。
水音ばかりが響いた。
初めてから数えて今日で七回目。もう慣れてくる時期だ。
男は攻めの欲に沿って、女は受けの欲に流れはじめる。
ふたりも少なからずそうなっていた。
暗黙の了解も、霧のように重く湿ってからだの内にしまわれた。
だが、それが了解までで、実行に至らないのが悩みでもあった。
今では、悩みすら暗黙の了解になっている。
台所から二階部屋まで、たまおは横抱きで運ばれた。
移動中、キスがやむことはなかった。部屋についても止まらなかった。
「ん………」
ふたりは抱きあい、再び、くちづけあって布団へ崩れ落ちた。
布団はあらかじめ敷いてあった。なければ畳の上だっただろう。
それを見越してたまおが敷いたのだが。蓮が上に覆いかぶさるようになった。
たまおは両腕を肩の横に折り曲げて、てのひらを上に向け軽く握っている。
脱がす行為をうながしているようにも見える。事実そうだった。
一週間、痛みこそ伴わないが、快楽はあった。何度達したか知らない。
はじめは胸だけでも達してしまい、痛みから慣れてきた三日目からは、
下も触られて、より強く達した。
たまおは、知識として頭にあっても、それに従って手を動かしてみたりはしなかった。
不安が止めていたのだ。蓮から、されるまでは。
覚えてしまったら、もうしばらくは止められない。そういうふうにからだはできている。
蓮はたまおのシャツをまくりあげた。
「あ…………」
たまおがからだをぴくつかせる。蓮はまくる途中で手を止めた。
いきなり肌があらわれたからだ。昨日までは下着がそこにあった。
そのまま、たまおの顔を見る。
たまおは一瞬だけ上目で見返してから、背けた。
蓮の下腹がうずく。からだが、ひやりとする。
何か冷たいものが、実際に血に流れこんだようだった。
蓮は、たまおのあごに手をかけ、こちらを向かせて、キスをした。
それから上着を全部脱がせた。たまおの胸は、年相応か、あるいは少しませているのかもしれない。
だが、大きくはない。たまおはそれで悩んだ。
今まではそんなことはなかった。原因はやはり蓮だ。
あれを知るとどうしても、そういうことが気になりはじめる。
しかも悪いことに、蓮の姉と比べてしまったのだ。
潤は一度だけ『炎』をたずねた。それにはたまおが応じた。
つい二日前のことだったが、何の用で来たのかよく覚えていない。
それほど潤のからだの線をなぞるように見ていた。
そして、自分の線がまるでまっすぐに思えたのだ。
以降、悩みはまさに胸中にある。しかも、昼食前だった。
蓮に裸を見られて、急にあやまりたくなった。
それでも、少しずつ快楽の糸が舌に絡まり、ついに言えずにいた。
そして今日まで言えなかった。情けなさはどんどん募る。
しかし――たまおは知らなかった。
小さいなりに、ある種の需要があるということを。
姉が大きいせいなのか何なのか、蓮にとってそれは特需だったのだ。
ならば供給しなくてはならない。
けれどたまおは気づかない。
だから蓮が自分で満たす。
そして、たまおはまた言えない。
「あぅっ………」
たまおはシャツをすっかり抜きとられて、脇腹を撫でられた。
一瞬だけ目を閉じて、蓮を、またあの上目で見た。
蓮は思った。これがいけない、と。
だがそこは、ぐっと堪え――られずに、たまおの胸の先にしゃぶりついた。
「ひぁっ……!?」
いきなりのことに、たまおは、ひときわ高い声を上げた。
彼女は自分の持つ凶器の恐ろしさを、知らないのだ。「ちょっ……と、蓮…さん、ふぁ…あぁっ!」
たまおは目をつぶり、からだをよじりながら蓮の腕をつかんだ。
その腕はたまおのもう片方の胸を撫でまわしている。
蓮はかまわずにたまおの胸を舐め、撫で続けた。
「んっ…! あ、やぁ……ぃ…っ!」
やがて喘ぎとは別に、音が聞こえてきた。
たまおのズボンの衣擦れだった。
蓮の腕をつかんでいた手が、そこへとひっぱられる。
胸元から口を離し、蓮はたまおを見た。
たまおがまたあの上目をしている。
蓮はすぐに視線を外した。
今のは危ない、と冷静になりながら、急いでたまおのズボンに手をかけた。
ふるえる手で、期待した。今日こそは。
期待するのも無理はない。何度おあずけをくらったことか。
それにたまおの態度はいつもより積極な気がする。
そうに違いない。
それしかない。
拒んでもやめてやらん。
いや止まれるか。
実は裏で求めているのだ。
そういった、訳のわからない論法を頭の中に並べまくる。
それもそうだが、それ以上に自分がいつもと違う、
というより暴走しているのに気づきすらしなかった。
「ふ…ぁ………」
ズボンを引きずりおろすと、やはり下着はなく、
濡れそぼったところがあらわれた。
それがさらに論法をおかしくする。
トンガリも二割り増しになった。できるだけやわらかく、湿った丘に指を這わせる。
「はぅ……っ」
水音と喘ぎが起こった。
たまおは、なおも蓮の右腕をつかんでいる。
「あっ……!」
蓮は左腕で体を支え、再び、ぴんと上を向いた、小さな胸の先を舐めた。
下の手も、だんだん強く滑らせていく。
「や…ああぁぁ……っ!」
上下両方まさぐられ、朦朧としていく意識の中、
たまおは、蓮の頭を自分の胸へ押しつけた。
「あ…ん、も……あぁああっ!」
両手を促し求めるために使って、声を上げ続けた。
蓮のトンガリが硬さを増し、たまおに刺さりそうだ。
そしてもう一方のそれも――
「あっ…………」
布越しに、たまおの内腿に当たった。
ふたりとも、びくりと顔を見あわせた。
そうしてしばらく見つめあった。
たまおがうつむいて、悩むように、例の上目で蓮を見た。
冷たい欲が熱い血に混じる。
その温度差が蓮の頭をぐらつかせる。
息が詰まる。
耳が熱い。
目のふちがふるえる。
蓮は汗だくの上着を脱ぎ捨て、ズボンに手をかけた。
今日はいけるかもしれない。
今日はいけるかもしれない。
今日は…
蓮の耳の奥で、早鐘のように欲がうめきを上げる。
ついに全部脱いでしまった。
たまおはそれきり目をそらし、けれどちらちら蓮の憤る部分を見ている。
影も、ちらつく。
影から痛がるふりをしなければならない、と言われた気がした。
蓮が腰を近づける。たまおは蓮を見てうなずいた。目は、あの目だ。
蓮の耳の早鐘と、胸の鼓動が重なりあう。
「ぅっ………」
早鐘がさらに速まり、つながった音になった。
充分に濡れていたので、ことなく先はもぐりこめた。
しかし全く平気なわけではない。
たまおは痛みを訴えた。嘘で上乗せして。
「い…たい……! 蓮さん、痛い…っ!」
そう言われて蓮は止ま――らなかった。
聞こえていなかったし、聞いても止まらなかっただろう。
たまおに本当の激痛が襲った。
「……ああぁっ!!」
異物がある点に至ったのだ。
ようやく蓮も動きを止めた。だが。
「すまない、もう…抑えられん」
「…え? あっ!!」
痛みが暴れ回る。
狭いところを押しひろげられる。からだが固まった。
そうしても痛みは収まらず、続く。
光が照って、いちだんと影が濃くなる。
さらに照ると、薄まった。
そして、完全に消えた。
「ぅぁ……はぁ………っ!」
けれども影が消えたのはほんの少しで、また出てきた。
けれど何かが違った。何だろうか。
「……すまない」
全てくわえこませ、蓮は眉をひそめた。
「ぃ、え……私こそ……っ……いいですから、好きにしても…」
たまおは、また上目で見つめた。
純粋で、無垢な気持ちで。
だからそれがいけないんだ。
蓮はせっかく引き締めた顔が、緩みそうになるのに耐えた。
「ふ……ぁ……痛っ!」
少し動かしてみるも、やはり痛みをともなう。
こればかりは耐えねば、と本当にゆっくりと擦りつけ続けた。
たまおは痛みでぎゅうぎゅう締めつける。蓮は必死で抑える。
ゆっくりと、少しずつ。
「ん……ぁっ、ん………」
おかげで成果が出たのか、甘い声が混じり、痛みを薄めていった。
だがこれもまた、消えはしない。
たまおも耐え、しばらくして、ほぼ快楽で締めつけた。
蓮が動きを速めていく。
「…くっ…あ……ん…やぁっ……ぃっ…!」
動きの緩急で問いかける。
それに相手が応える。
そうして互いに激しくなっていく。
痛みは快楽に圧された。たまおも腰を揺らした。
すると、あっというまに快楽がなだれ、ふたりとも限界を目で示した。
たまおが、蓮の背中に爪を立てた。
「んっ……ぅ、あああぁぁ…!!」
目の奥が白む。
たまおは感じた。影から自由になった、と。
蓮がくちづけてきた。
それから夜になって、葉たちが帰ってきた。
黄泉からではなく病院からだ。
ホロホロは首をつりそうな顔をしている。
葉はどこぞの無免許医のような頬をしている。
居間にいるたまおたちに何も言わず、部屋に入っていった。
念のためくりかえすが、病院から帰ったのだ。
アンナとピリカは、居間をのぞいてにやにやしあと、続いて部屋に戻っていった。
「まったく……」
蓮は腕を組みながらも赤面している。
作戦にうまく乗せられたのも事実だが。
それにしても、やっと声を出した気がする。
あれから気まずくて、何も言わずにここにいたのだ。
葉たちが来なければ、黙ったまま夜を明けかねない。
たまおも、たった今できた空気を借りた。
「…いいじゃないですか」
そう、およそたまおらしくないことを言って、蓮と向かいあう。
さらに、こう続けた。
「これから……ずっと、ここにいてくれますよね?」
そして蓮を上目で見た。
蓮に選択肢はない。
その夜以降、葉、アンナ、ピリカの顔は、ホロホロの死相に似はじめることになる。
毎日三食、中華三昧になったからである。