キョウエン

 

現実なんてそんなものさ

世の中はいつ何がおきても少しも不思議じゃないし
ちっとも理不尽でもない

どんなに偉い人だって何でもないことで死んじゃうし
どんなに努力を重ねたってふとした事で無にかえる

逆に何もしなくても生まれついての幸運で
一生を幸せに終える奴だっている

バカみたいだろ?
そんな事にいちいち本気でつき合うなんてさ

だから結局どうだっていいんだよ

紺に澄んだ夜空の上に月が出ていた。月は丸い輪郭をはっきりと映している。
リゼルグそれを眺めながら、月は恒星じゃなくて
やっぱり太陽を受けて光ってるんだな、と思うと、少しだけ気が紛れた。
リゼルグは気が昂っていた。
この民宿の中、今まさに怒りの根元、ハオがいるのだ。
否応なしに気は逸る。そういうときリゼルグは頭の中でハオを虐げて昂りを抑える。
目を抉り鼻を割き、耳を穿って髪を削ぎ、口を広げて歯を砕く。
リゼルグは自然と奥歯を噛み締めていた。
やっぱり動物は牙で止めを刺すんだな、
と思うとさっき紛れたはずの気が、また集まって像を結んだ。
…抑え切れそうにないな。
無理もなかった。明日はハオとの共同戦線、
ハオの力を計り知り、あわよくば彼を出し抜けるかもと期待が高まる。
…こんな事なら早く寝てればよかったな。
月明かりを受けて仄かに照り返す廊下を歩きながら、リゼルグは後悔した。
…あ。
古びた板の軋みとともに、向かいから歩いてくる人影を認めて歩く速度を少し緩めた。
あちらもリゼルグに気付いたようで、ちらっと見てから目を伏せた。
…彼女は確か…花組の……
マチルダ・マティス。名前を思い出して、リゼルグは眉間に皺を寄せた。
無論、角を立てぬようにと心の中で。
マッチは殺されたハオ組の中で一番内蔵の損傷が激しく、優先して蘇生させられた。
彼女はリゼルグと逆の目的で宿の中を歩いていた。
彼女とすれ違うまでの間、リゼルグの中で黒く淀んだものが渾々と湧きだした。
…何で、ハオ組を生き返らすんだろう。巫力を費やしてまで。
リゼルグは、葉から話を聞いたとき、その場では一応納得したつもりだった。
だが、実際にマッチを見て、また不満が漏れだしたのだ。
…ハオは僕の両親を殺した奴だ。彼女はその仲間だぞ。
そんな奴をメイデン様の手を煩わせてまで、生かしておくのは何故なんだ?
刻々と募る不満と怒り。それらは、マッチとすれ違う瞬間、リゼルグの中の何かを捨てさせた。
…だったら……。

「きゃぁっ…!」
リゼルグはマッチの肩を掴み、最寄りの空き間に押し込んで、
そのまま柱に叩き付け、呻くマッチを横目で見やり彼女の浴衣の帯を抜き、
暦でも掛けていたろう打たれた釘に、両手を縛って引っかけた。
その間、マッチは全く動くことができなかった。
リゼルグが強引とかそういうことではない。動きに、全く無駄がなかったのだ。
磔にされ終わってからマッチはようやく我に返り、
帯を取られて開いている胸元を、体を捩って戻し、
不安定な精神のまま、今の状況から抜け出すことを考えた。
慣れるものではないが、こういう事は子供の頃によく遭った。
くくり付けられている釘は高い位置にあり、足はちょうど指の付け根で支えられ、
立っているというよりは吊るされている方が正しい。
少し跳べば外れるかもしれない。が、いつやったのか、帯は捻ってあるようで、たわむことはなかった。
しかし仮に抜けたとしても逃げ切れるわけがない。
いつかの夜にまみえたときとは比ぶべくもなくリゼルグは強くなっている。
声を上げれば誰か来るだろうか。それにここで何か事を起こせば物音に気付くはずだ。
「無駄だよ」
リゼルグの声で思考が途切れた。
マッチは彼とすれ違ったときの、ものすごい飢えから生まれた殺気を思い出した。
リゼルグが部屋の明かりを点けた。二人の姿が照らされる。
「この部屋の周りを真空にしたから、音は伝わらない。今の僕は空気が媒介だ。ハオと同じくね」
マッチはそのことにももちろん絶望したが、リゼルグが、ハオ、と言ったときの、
怒りを抑えているという表現がまさに合う表情に、背筋が凍った。
昔にもこんな目に遭ったといって、ここまで徹底して拘束されたことはなかった。
今までは力に頼って、逃げることはできた。
でもいつかはこうなるだろうと、心の隅では思っていたが、大丈夫だとごまかしていた。
溶けきっていく蝋燭を見ているようだった。そして、ついに燃え尽きた。
「まあ、なんにせよ僕を拒むようなら」
リゼルグが襖を閉めてマッチの方を見る。
「仲間の二人を殺すよ」
それはマッチの頭に銃を突きつけたのと同じことだった。
「狂ってる…」
マッチはうまく回らない舌で言った。
「狂ってるのは君らだよ」
『狂ってんのはお前らだろうが』
リゼルグの言葉にペヨーテが重なる。マッチは鳥肌が立った。
リゼルグはさっきの怒りを抑えた表現がある境界を越えてできたような、冷たい目をしている。
それも、ハオとリゼルグの冷たさは異なる。
ハオは、霊視のせいで他人と相容れず、半ば自暴自棄だが、それでも人の愛に飢えている。
対してリゼルグは、同情など全くなく、もとよりマッチからのそれなど望んでいない。
逆に、他人に怒りを遷すことに飢えている。マッチがすれ違いざまに感じた飢えはそれだった。
殺す、という言葉がこれほどリアリティを帯びたことはなかった。
リゼルグが近付いて、マッチは身震いした。
ハオに与し力を得ることで平和ボケして曖昧になっていた生死が、
飢えの炎に照らされて、その陰線が明確に切り詰められた。
それにしては現実感がなかった。外から何も聞こえてこないからだろうか。それだけではない。
皮の下に氷の粒が潜り込んだように鳥肌が全身を隙間なく覆い、現実感を薄くしているのだ。
腿の付け根から下の感覚がなく、まるで棒か何かで支えられているようだった。
餌を与えられて飼い慣らされた家畜のように、死に追い込まれても、
逃げることすらできずにただ怯えてうずくまっている奴らは死んだ方がいい。
マッチはそう思っていた。
バカでグズで醜くて救いようのない、そういう自覚もない、
単に死にたくないから生きているような人間だ。
しかし、今の状況で動けないでいる自分もそういう人種なんだ、と気付いた。
棒切れの足から、血が茹だっているような震えが伝わってくる。
人は自分を棚に上げないと生きていけない。
全てが自分の思い通りになると思うな、と自分の意見が否定されるとそんなふうに言うことだ。
全身の鳥肌は、そういうことを無意識にしていた。
それに気付かされ、マッチのプライドにヒビが入った。
まだ磔にされてから数分と経っていない。マッチはさらに恐怖した。
彼女の顔を見て、リゼルグは微かに笑った。
人は変化を嫌うが、自分が故意に他者を変えるのは愉しいからだ。
リゼルグの手がマッチの浴衣の胸元にかかる。
体を捩って隠していた肌が、ゆっくりゆっくりと開かれる。
マッチの顔も、つれて赤みを帯びてゆく。物音がしないのでよけいに意識してしまう。
やがて完全に開かれると、リゼルグは浴衣が元に戻らないように裾の部分を後ろで結んだ。
性器は何とか下着で隠れている。
でもそんなものは結局剥がされてしまうんだと、観念の臍を固めれば少しは楽になるだろうに、
拒むのは傷つき始めたプライドか、何とも頼りない布切れに羞恥がすがる。
リゼルグはそんなマッチを下目に懸けて、キスをした。
「んんっ…」
狭い口内で逃げようとする舌に深くねっとり絡みつき、
歯の裏から口蓋にかけてくすぐられ、油断している舌の裏側にぬるりと回り込む。
「ふっ…んっ……んん…」
屈辱だった。
だが快楽を感じて頭の奥がとろけていき、屈辱はそのままに、
鳥肌を取り去り、刺激に過敏な躰にさせられた。舌が離れる。
そしてリゼルグの手は程良く膨らんだ乳房に伸びる。
ゆっくりと伸びた指先がめり込み、下から掬うように撫で回される。
「……っ」
勃ち始めた乳首を人差し指と中指の付け根で軽くくすぐる程度に挟み、
指先でつつくようにして、てのひらで揉み上げた。
「…っ…ぁ……ぁん……」
マッチは触られていくうちに下腹が疼きだし、とろりと密が滲み出てくるのを感じた。
リゼルグはおよそマッチが感じるところをわざとよけて愛撫し、そこを掘って欲を露出させていく。
「…ぁ…はぁ…っ……んんっ……」
マッチは声を抑えるが、鼻からは焦れったそうな息が漏る。
そのさまを見てリゼルグは口の端を歪めた。
決まって、変化するところを見て笑うのだ。
欲は強い刺激で満たされれば、それこそ甘美は大きいが、ずっと長くは続かない。
逆に少なすぎるとストレスが溜まる。その均衡が取れることなどない。
「……ぁぁ、ぁ…ん…」
マッチは、焦れったい息を漏らし続けている。
永遠に続く快感は存在しないのだ。あったとすれば、それは煩悩ではなく、本能だ。
「ぁん…っ……ゃ…」
愛撫に躰を捩らせて、マッチは疼きを必死に耐える。
性欲は生きるため必然的に起こるよう本能として躰に刻まれ、逆らうことはできない。
柱に背中を押しつけて、両手のこぶしを硬くする。
感情は溜め込んでいるとすべからく不快で、例えば殴ったり、寝たり泣いたり殺したり、
肉体にコンバートして吐き出すことこそ快感である。
感情、つまり欲を受け入れ同化することで怒りや寂しさから逃げることができる。
リゼルグが今していることはそれだ。
同化を拒むことは病巣を放っておくのと同じで、苦痛が顕著になる。
「…っ……く…」
乳房に指が浅く広く埋まるたび、足の小指が細かく跳ねる。
マッチはそれを振り払おうと、ぎゅっと絞った力を込めた。
捌け口を探し出そうと神経中を這い回る
甘美の素を抑えておくのに一杯で、リゼルグの突然の強い刺激に驚いた。

「…あんっ……!」
疼きを掘り起こされ、乳首をピン、と弾かれただけで、出口を求めていたものが、
一気にそこからなだれ込み、高くやらしい声を上げ、ガクンと膝の力が抜けた。
腕の帯が、伸びきって軋む。何かが崩れ始める音に聞こえた。
強い力を持ったとしても、疼く欲にはこんなに弱い―――
『ハオはシャーマンの中で最強なだけさ』
また、あのときの言葉が呼び起こされた。重なるように、リゼルグの声が響く。
「感じたの? こんなふうに無理矢理されて」
露骨な嘲りに、マッチはくっ、と顔を背けた。
リゼルグはさもおかしそうに笑いを含んで言った。
「だったら、ここも濡れてるのかな?」
リゼルグが屈んで、手が下着に伸びる。
さっきから何かを始めるときと同じに、非常にゆっくりとした動作だった。
手がかかるまでの間、マッチの目の下が恥に圧されていくかのように
強張ばって赤く染まり、目が細くなっていく。
リゼルグはそういうところを見るために、わざとゆっくり動作を起こす。
ついに指が下着にかけられ、マッチは少し躰を捩るが、それも空しく脱がされた。
ねばっこい糸が引く。マッチの顔がさらに紅潮した。
リゼルグはその恥の糸を見て、何も言わずマッチを蔑んだ目で見上げ、すぐに視線を外した。
マッチには、それがよけいに辛かった。
何か少しでも羞恥を紛らわそうと表情を変えようとしたその時、目を逸らされたのだ。
リゼルグは恥を曖昧にさせなかった。痛々しいごまかしを無効果した。そして口を開く。
「きれいだね。でも汚れてる。一体何回ハオを咥え込んだんだい?」
マッチは何も言わなかった。来賓のために取り替えられたばかりの蛍光灯が、秘所の影を剥がしている。
「躰を求められて自分は必要にされていると思い込んで、バカみたいに突かれたんだろう」
君はハオにとって必要ではない。いれば便利というだけだ。そう言われたのと同じだった。
違う、と喉まで出かかったが、マッチは言い返せなかった。ハオ様のことも知らないくせに、と言いたかった。
あのときのことが言葉を止めたのだ。
『わかるさ。もちろんあいつだって私たちの事はよくわかってくれている』
そう思っていた。だから今までついてきた。
『何せハオは他人の心が読めるのだからな』
そう、思わされていただけだった。
『あいつは我々さえどうだっていい存在にしかすぎないという事がな』
自分は必要だと思い込んでいただけだった。
『私にはわかる』
それは偽りだと気付いてしまった。
崩れてきているマッチの姿に、リゼルグは笑いを殺して秘所を愛撫し始めた。
太腿の内側から人差し指で撫で進み、陰唇の周りをなぞり、
時折強く押したと思うとまた弱め、今度は割れ目にもっていく。
「は…んぁ……あ、あっ……!」
乳房と同じくじわじわと蝕むような愛撫に、くぐもり声を響かせる。
帯の絡んだ釘もギシギシと乾いた音で軋めく。
「ぁ…ぁんっ……ぃあぁっ…!」
指が入って掻き回されると、足の小指が反り返った。
「ん、んんっ…ぁああ……!!」
さらに、今度は舌が入り、割れ目の中を、わざと部屋中響きわたる音で啜り込む。
「はぁっ…! ぃい……ん、ああぁっ!」
溢れ続ける愛液が、腿を伝って畳に垂れる。
潜り込む指も二本三本と増えて、陰核を突かれ達しそうになったとき、不意に指が抜かれて愛撫が止んだ。
「え……」
マッチは思わず口惜しそうな声を出してしまう。
そして自分が犠牲にならなければマリたちが殺されるという理由を言い訳に、
抵抗する素振りを見せ本心では愛撫を求めていたことに気付いた。
「やっぱり気持ちいいんじゃないか。そうなんだろう?」
リゼルグはすっと立ち上がった。マッチは無言で俯いた。
「答えられないのかい? なら、もういい」
リゼルグはそう言ってマッチに背を向ける。マッチの頭から血の気が引いた。
「待って!」
去ろうとするリゼルグを、縛られているのも構わず目一杯身を乗り出し、まさに必死で呼び止めた。
意外にすんなりと、リゼルグは足を止めて振り向いた。
「嘘だよ」
わざと言わせたというふうに見下した視線にマッチはムッとしたが、安心したのに変わりはなかった。
リゼルグは、その、一瞬の揺らぎを衝いて言い放った。
「そんなに自分が大切?」
とりわけ大きな声でもなく、むしろ穏やかな言い方だったが、マッチは体を震わせた。
自分の体裁を気にしていたことが頭を過ったからだ。
他人が何かされて起こる感情―悲哀、痛切、爽快、憤怒、喜悦、同情、不得心―
それはただ、自分に当てはめているだけなのだ。
自分の体裁
自分の体裁
自分の体裁
自分の体裁
自分の体裁
自分の体裁、
マッチは分かって今まで隠していたものを晒され、恥にまみれた。
リゼルグが再び近付いても、マッチはもう物怖じしなかった。
誇示と恥とは裏返しだからだ。
希望というのは絶望に向かうとき強く現れるもので、リゼルグはそれを踏みにじった。
崩れてしまったマッチを眺めて、リゼルグは愛撫を再開し、諭すように言った。
もう、こうするしかないのだ、と。

「答えるんだ。気持ちいいかい?」
…っ…はい…ぁっ……!
「どこが?」
…あたしの…っ、あそこ、です…。
「もっとしてほしい?」
…はい……っ…。
「じゃあ、どうされたいのか、言ってごらん」
…いれて、ください…………。

ハハハ、とリゼルグが笑った。マッチの目は虚ろに恍惚を示している。
質問に答えている声が他人のものに聞こえた。
自分を抑え、守り、誇示してきた『自分』がいなくなって発せられたそれは、
泣き声や叫び声、そして吠えるような喘ぎ声に似ていた。
今のリゼルグと同じく、何かを捨てるというのはそういうことだった。
リゼルグが自分の浴衣から、変化を糧に熱り立ったモノを取り出し、
マッチの秘裂にあてがって、突き上げるようにして潜らせた。
あああ、と躰を反らせてマッチが嬌声を上げる。リゼルグは余韻に浸らせる間もなく、腰を動かした。
「あぁ…んっ、あ、あぁ、ぁん、ぃっ…!……ああぁっ…!」
マッチは激しく突かれおもむくままに喘ぎながら、
自分の体から、何かが抜けていくのを感じた。

『私は、誰より彼を愛しているからね』
ハオ様しかいないと、ずっと信じてた。
『だから☆憎いのかも知れないね』
そのよりどころも崩された。
違う、初めからそんなものなんてなかった。
『さよならみんな』
さよなら、あたし。
『くたばれシャーマンファイト』
生きる理由もなかったんだ。


―――あたしも、もう、どうでもいい。


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