■キャッチホン
- けたたましい鈴の音が、民宿『炎』の元受付から鳴った。
乾燥し、閑散とした秋の空気に連なって響き、一定の律動で止み、
そして一刹那の間だけ出来た静寂を再び掻き乱す。
そんな喧静な旋律が四度ほど繰り返されると、
居間で垂れ流していたテレビを見ていたあたしは、音の正体を漸く理解した。
…そうだ。電話を引いたんだったわ……。
今から一週間程前、別の言い方をすればS.F.最終予選から三日後、
葉と蓮のあの激しい戦いの後、まん太が「今後こんなことがあったら危険だから」
と言うので仕方なしに不通だった電話回線を(まん太の金で)繋いだのだった。
…めんどくさいわね。
こういうとき、普段は葉が電話に出るけれど、
あいにく今は修行後のシャワーを浴びていて居なかった。電話は未だ鳴り響いている。
仕方なく、手元のリモコンでテレビの電源を切り、重い腰を上げて部屋を出た。
- 「はい、麻倉です」
古びて年季の入った黒電話の受話器を取り、耳に持っていく。
止んだ呼び出し音から矢継ぎ早に聞こえてきたのは、たまおの声だった。
『あ、アンナ様ですか?』
「なに?」
『すみません、あの…』
この電話の内容は大体分かってた。
たまおから掛かってくるときは決まってコレ。
『…今日の献立だと、買い物の予算が少し足りなくて……』
「で、増やして欲しいわけね」
『は、はい…』
それきりたまおの声が消えて、代わりに店内であろう、人の話し声やカートを転がす音が聞こえてきた。
…電話口だと許してもらえると思ってんのかしら、まったく……
電話が使えるようになってからというもの、この内容ばかりが掛かってくるようになった。
普通ならもちろん答えは「駄目」だけど、それで帰りが遅くなられても困る。
なのでつい許してしまう。それがたまおに味を占めさせた理由でもあるのだけれど。
「…………」
ここからHEIYUまではかなり遠い。腹具合と相談しながら考える。
…仕方ないわ。今日はいいか。
断れば空腹のまますっかり待たされると判断して、なしくずしに許可しようと口を開いた。
その時―――
- 「……きゃっ!」
石鹸の香りがしたかと思うと、あたしは強い力で後ろから抱き締められていた。
風呂から上がった葉が、音もなく、近くに来ていたのに、不覚にも気が付かなかった。
いつもより高い葉の体温が、服越しに伝わってくる。
『? どうかしましたか?』
「…いえ、なんでもないわ。ちょっと待ってて頂戴」
きつく抱き締められているから、後ろに居る葉の表情を窺い知ることが出来ない。
どうせいつもみたくユルい顔してるんでしょうけど。
受話器のマイクを手で押さえ、葉に小声で注意した。
「…おバカ、何やってんのよ……!」
返事は返ってこない。そのかわり、あたしを捕らえている腕の力が、痛いほど強くなる。
……こうなったらもう駄目ね……
己の欲情のままに行動するとき葉は、何を言っても返事をしない。
腕を解かせることを諦めて、それなら早く電話を切ろうと、また受話器を耳にやる。
「…予算だったわね。いくら足りないの?」
『は、はい。ええと…』
また店内の騒がしさが聞こえてくる。後ろには葉が抱き付いている。
…早くしてよね……
腰の辺りには硬いものが当たっている。
このまま長引くと葉から何をされるか分からなかった。
最近は月の物の関係で、ここ一週間は床を共にしていなかった。
あたしは内心焦りながらたまおの返事を待った。
- でも、その危惧は…
「あぁっ……!」
予想以上に早く現実となった。
葉はワンピースの脇から手を入れて、あたしの胸を弄ってきた。
『え? 今何か言いました?』
「…っ、何でも、ないわ」
つい上げてしまった声を聞かれたのに焦りながら、
また漏れそうになる声を抑えて、あくまで冷静に返した。
そんなことはお構いなしに、葉は首筋に舌をなぞらせてきた。
ざらりとした感触に、背筋に鳥肌が立った。
「……っ、ぁ…」
葉を注意しようにも、電話先にはたまおがいる。
そのたまおはまだ予算の計算をしているようだった。
…こんなときに限って…
焦りと苛立ちが、次第に募ってくる。
なのに、あたしの体は次第に火照っていく。それは葉の温もりのせいだけではなかった。
更に葉は残った左手で下着を下ろして、あたしの中に指を入れてきた。
「…ぁぁ…! …んっ!!」
その時、向こうからたまおの声が聞こえてきた。
『…ええと、800円ほど足りません……』
そんな値段、いつもなら有無を言わさず駄目出しするけれど、今はそんな場合ではなかった。
「分かったわ、いいわよ……っ」
『あ、ありがとうございます』
中に入れられている葉の指が二本、三本と増えていく。
小刻みに震える内股が、自分の体液で濡れていくのが分かる。
でも、向こうにいるたまおはそんなことを知る由もない。
口を手で押さえて、必死にいつもの声を出そうと努めた。
- 「っ…! あとは? それだけ…?」
『はい。…あの、お風邪ですか? いつもと声が…』
こんなときだけ耳聡いたまおに、苛立ちが増大する。
「なんでも、ないわ。…っ、もう、切るわよ…」
『本当に平気ですか? お薬、買ってきましょうか?』
「…いいから、切るわよっ…」
…お願い、早くして…もう……!
『は、はい。では…』
「………ああああぁっ!!」
受話器のマイクからぶつりと音がしたのと、葉がクリトリスを摘んできたのと、
あたしが達したのは、ほとんど同時だった。
箍が外れたように今まで溜めていた喘ぎが溢れ出た。
もしかしたら聞かれたかもしれないと、あたしの心臓の鼓動が速くなる。
震える手で受話器を戻すと、漸く抱擁が解けた。
- 絶頂の快感で砕けそうになる踵を返し、葉を睨もうとした。
けれど、葉のいつもと違う真剣な顔に、その気持ちは掻き消された。
「ごめん、アンナ」
葉は、ぽーっとしているあたしを、今度は正面から抱き締めた。
「愛してる」
耳に息がかかって、同時に葉の声が鼓膜を伝って、頭の中を揺さぶる。
…ずるい。
そんなこと言われたら、何も言えなくなっちゃうじゃない。
あたしは、葉の腰に腕を回して、抱き返した。
…今日のところは許してやるか。
と、そう思っているとおなかの辺りに硬いものが当たった。
顔を上げて葉を見ると、さっきとは打って変わっていつものユルい顔に戻っていた。
「…で、もう我慢できないから、いれていい?」
…………!!
軽快な音を立てて、葉は受付の向こうへと吹き飛んだ。
その後、帰ってきたたまおが再び薬を買いに行ったのは、言うまでもない。