アンチの言い分
「俺がアンチになった理由、か」
つまらない話だぞ、と前置きし、アンチはポツリ、ポツリと語りだした。
「あいつは…信者はさ、昔は、そりゃあ可愛かった」
「可愛くてさ、やっぱりもててたみたいだよ。なのにアイツはさ、ずっと俺にべったりで」
「よく一緒に遊んだし、デートのまねごともしたし……つか、恋人同士がするようなイベントは大概こなした様な気もするな、アイツがどう思ってたかは、もう解らないけど」
「今でも覚えてるよ、あいつの笑い顔も、泣き顔も、困ってる顔も怒ってる顔も、そんなときの仕草も……アイツさ、本気で怒ってる時は耳が動くんだったっけな…ほら、こんな風に」
言いながら、アンチは自分の片耳を前後に弾いた。
「アイツと居た時間だって、幼稚園の頃からだからな…誰よりも長かったと思うし、あの頃はアイツのことを誰より理解してると思ってたさ」
「まぁ、思いっきり間違ってたんだけどな。……結局、全部。俺の勝手な思い込みだった」
アンチは苦笑しながら、未だ半分にもなっていないタバコを揉み消す。
「あー。あの日が境だったんだな。今になって思うと」
そう呟きながら床に置いたバッグを拾い上げ、少々年季の入っているだろうノートパソコンを取り出し、手慣れた動きで電源を入れる。
「ちょっと待ってくれな、これ今じゃ旧い型だからさ、起動に結構時間が掛かるんだ」
アンチも僕も、まだなにも映っていない画面にただ無言で見入っていた。
耳慣れた起動音と同時に、パッと画面が明るくなった。と同時に、アンチの舌打ちが聞こえた気がした。
「全ての元凶は、これさ」
アンチがそう言ってキーの上で指を滑らせると、画面が一度ブラックアウトし、そして"それ"をその隅々まで広く映し出した。
『KANNO統合スレPart743』
それは二年ほど前に一世を風靡した18禁美少女ゲームのタイトルを冠し、且つ今の信者とアンチの戦地でもあるスレッドだった。
「俺はさ、ずっとアイツと一緒の時間を過ごしてきたから、俺が居ない時間、アイツが何やってるかももちろん解ってた」
「所謂…エロゲーっつーパソコンソフトを、俺が寝た後こっそりやってるのも知ってたし、それが別の友人から借りてきた物だって事も知ってた」
「俺は、別にそのことについて何も言わなかった。第一、気にしてさえなかった……あの日まではな」
昔語りにつれ遠くを泳がせていた視線を一度画面に戻し、それからアンチは僕の方へ向き直ってまた、少し笑った。
「ほんと驚いたよ。朝起きたらさ、アイツが目を真っ赤に……泣きはらしてさ、パソコンデスクに座ってんの」
「それから一日。冗談でも誇張でもなく、24時間。アイツはそのままの姿勢を崩さなかったんだ」
「今となってはホント滑稽だけどさ、あの時俺は滅茶苦茶驚いて、119番までしたんだぜ?」
あー馬鹿みてぇ、アンチは小さく呟き、天井を見上げた。
「それから……四日ほど後だったかな、アイツとマトモに話が出来たのは」
「あの日から四日間くらいは、それこそ飯喰うかー、とか風呂入るかー、って聞いてる俺に、パソコンの画面から目を離さずに『あー』とか『うー』で返事するだけで」
「もちろん返事だけだったから、四日後にしっかり倒れたんだけどな、ホント馬鹿な奴だよ」
アンチは先ほどからの軽い笑みを顔に張り付かせたまま、今度はゆっくり俯いた。
「それで、少し落ち着いた頃に何があったか聞いたんだ、したらアイツ、何も話してくれない」
「それどころか、俺に対しても態度が滅茶苦茶よそよそしくなってるんだ、ホント、露骨に。キスとかセックスどころか、俺と会話するのも顔を合わせるのも避けて」
「それでも俺は、まぁ、アイツのこと好きなのは変わらなかったからさ、そのまま変わらずに暮らしてたんだけどさ。あぁ、二人分の生活費稼ぐためにバイトは増やしたっけか」
「それでもさ、やっぱり相手されないのも、触れて貰えないのも……多分俺は辛かったんだろな、と思うよ、あの頃は平気だと自分に言い聞かせてたけどな」
「で、アイツのネット履歴とかを見て、ネット越しにでも話しようと思ったのな。我ながら女々しい考えだったけどさ」
アンチはいつの間にか顔を上げ、画面をこちらに向けていた。
「それで見つかったのが、このスレ。当時は……たしか、まだ100スレも逝ってなかったんじゃないかな」
それで……『KANNO』が憎くてアンチになったのかい?そこで初めて口を挟んだ僕に、アンチは一瞬呆けたような顔をして、そしてまたいつものように軽く笑った。
「『KANNO』は嫌いじゃないさ。そこで知った後、俺も徹夜でプレイして、すげぇ楽しかったのを覚えてる」
「それで初めはさ、アイツと同じ世界を共有して、あいつとネット越しにでも話せて。それだけで幸せだった」
「……じゃないな」
少々芝居じみた言い回しとともにまた俯いて、少し頭を振った。
「幸せだと思いこみたかったんだと思うよ。でもやっぱり解っちまうんだな。アイツが、他の『KANNO』信者を人として見てないって事に気付いちまった」
「アイツはSSを書いてて、他の奴らからの受けはよかったし、第一誰もアイツが何を考えてるかなんて気にしてないみたいだった」
「誰よりもアイツのこと解ってるつもり……ある意味では、確かに俺はアイツのことを解ってたんだろうな。だから解りたくないような事まで」
「アイツにとっては、他の信者はただの情報源だった。その場では、もちろん俺も」
「もうこの話はおしまいだ。もう、解ったろ? なんで俺がアンチになったか」
−どうせ愛されていないなら、
相手にさえされていないなら、
憎まれた方がずっと良い −か。
僕がそう言うと、彼女は僕の胸に頭をぶつけ、肩をふるわせながら、呟いた。
「陳腐だけど、な」