「またあとで」

戻る
 我輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたか頓と見当がつかぬ。
 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー鳴いていた事だけは
 記憶している。
 ……どこかで聞いた事のある話だという野暮なツッコミはさておいて。
 とにもかくにも、私は今非常に空腹であった。
 もう三日……後二時間ほど経てば四日、水しか飲んでいない。
 元々水自体普段はあまり口にする事は無いのだが、ここ最近は妙に
 喉が渇きを訴えてくる。
 もしかしたら、病気にでもかかっているのかもしれない。
 空腹、栄養失調、病気。
 衰弱するのも無理はない。
 ……視界が黒ずんできた。
 手足にも力が入らない。
 これは死の予兆なのだろうか。
 そういえば、同朋に『不吉の象徴』という不名誉な汚名を
 着せられた者達がいたような憶えがある。
 しかし、私は彼等とは違う。
 私を被う毛氈の着物は、淡雪のような、精錬とした白色なのだから……。
?「わーっ、猫だー!」
 声が聞こえる。
 おそらく、ヒトの声だ。
?「うわーっ、真っ白! きれーい」
?「あれ? なんかフラフラしてる」
?「だいじょーぶ?」
 大丈夫では……なさそうだ。
 その思考を最後に、私の意識はホワイトアウトした。


 我輩は猫である。名を頂いた。
『アスタルエゴ』
 ……中々個性的だと思う。
 意味は解らないが。
娘「アスタルエゴー! ゴハンだよー!」
 ゴハン。
 あの奇妙な味のドロドロした食料か。
 個人的には生きのいい蛇やモグラの弾力豊かな肉を堪能
 したい所なのだが。
 ちなみに、私はネズミはあまり好きではない。
 グルメなのだ。
 だから、『きゃっとふーど』などと呼ばれるあの珍妙な代物は
 あまり好きではなかった。
娘「どうーしたのアスタルエゴー? ゴハンだよー!」
 とはいえ、せっかくの好意。
 まして、自分は彼等から命を救ってもらった身。
 贅沢は言うまい。
アスタルエゴ「ニア」
 野性の本能が日に日に削られていくのは気がかりであったが、
 この暮らしは悪くはなかった。
 暖かさが、あった。

 そして、私は世間的に言う所の『飼いネコ』としての余生を
 送る事となった。

 ここの飼い主は中々に放任主義だ。
 私がどこをどううろつこうが、いついなくなろうがお咎めはなかった。
 私の習性を尊重してくれているのだろう。
 ただ、夜になればきちんと帰宅する。
 そして、呼ばれたら必ず足を運び、膝の上に乗る。
 命の恩人、且つ現在の主人である彼等に対する、私なりの恩義だった。
 もう一つ付け加えるなら。
 私はこの家庭が好きになっていた、という事だ。
 力が全て、弱肉強食の世界で生きてきた私には、眩しすぎるくらいの
 空間だった。
娘「アスタルエゴー!」
 娘の呼ぶ声が聞こえる。
 私は勿論、それに答えるべく四肢を稼動させた。

 それからいくつもの季節が過ぎ、『三丁目の白狼』などという
 通り名が近所に知れ渡った頃の……とある日。
 夏の、暑い日だったと記憶している。
?「ようし、では家族結成の祝杯をあげよう!」
一同「かんぱーい」
 無人だったはずの屋敷から、ヒトの賑やかな声が聞こえてきた。
 意外だった。
 この屋敷は何度か外から眺めた程度だったが、あまりそういった
 喧騒が似合う場所ではなかったと記憶していたからだ。
 ちんちりん。
 何か金属がぶつかり合ったような音。
 それが何を意味するのか、私には知る由もない。
 だが、何か牧歌的でありながら騒擾的な……そういう特殊な響きを
 含んだ音に聞こえた。
 アスタルエゴ「グァ」
 その所為だろうか、この日から私は進んでここに足を運ぶようになっていた。


ACT.1【青葉の場合】

 高屋敷青葉。
 高屋敷一家の長女であると同時に、高屋敷家で最も強い生物。
青葉「……#」
 この日彼女は、脊索動物門哺乳網霊長目ヒト科において生物学的に雌と
 分類される生物の内成熟期を越えた者が平均して月に一度ある個所に
 周期的に出血するという現象によって朝から不機嫌の極みだった。
 こういう日は、誰もが関わり合いになるまいと進んで彼女との
 接触を回避する。
 しかし、事情を知らない者はそうはいかない。
 例えば、その苦しさを知らない輩。
寛「はっはっはっ! 今日も実に健やかな朝であるがご機嫌は
  いかがかな青葉君!」
青葉「……」
寛「おやおや? 何やら顔色が優れぬようだが気分でも悪いのかね?
  そうかそうか、ならば私の一発芸でも見てカンラカンラと
  笑うが良いぞ! 笑顔は健康の何よりの証だからなぁっ!」
青葉「……」
 寛は縁側から庭に降りると、青葉の正面に立った。
寛「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、一生懸命やったのに!」
 中途半端に古い上たいして浸透力もなかったギャグだった。
 夏なのに、寒風。
春花「ひゅ〜るり〜、ひゅ〜るり〜らら〜」
 春花の鼻歌が聞こえた。
青葉「……消えなさい」
寛「ぐぶぁっ」
 寛は死んだ。
アスタルエゴ「ニア」
青葉「……?」
 その死体の背後から、白いネコが歩いてきた。
 遥か昔ヨーロッパで「魔女」と称されていた、動物界脊椎動物哺乳類
 食肉目ネコ科ネコ属イエネコ類に分類される生物、ネコ。
 高屋敷家長男によく『魔女』と形容される青葉とは、何か通じる
 所があるのかもしれない。
 そう思ったのだろう、ネコは青葉の目をジーっと覗いていた。
青葉「……不快ね」
青葉「私に決闘を挑んでいるのかしら」
 青葉は特にネコ嫌いという訳でもない。
 が、今日は血の気こそ少ないもののこの上なく不機嫌だった。
青葉「消えなさい」
アスタルエゴ「グェ」
 ネコは青葉の言を無視した。
 そして、縁側のすぐ下で丸くなった。
青葉「厚顔無比な生物だこと」
青葉「……燃やしてしまおうかしら」
カラス「クアアッ!?」
 屋根から顛末を覗いていた鳥が悲鳴を上げる。
青葉「冗談よ」
青葉「あなた、中々見所あるわね」
アスタルエゴ「ギァ」
 思いの外、この日の高屋敷家は穏やかな時を送った。


ACT.2【準の場合】

 高屋敷準。
 高屋敷一家の次女であると同時に、高屋敷家で最も寡黙な生物。
準「……」
アスタルエゴ「ニア」
 とはいえ彼女は情が薄い訳では決してない。
 だから、ついついネコに構ってしまうのも、彼女にとっては
 珍しい事でもなかった。
準「何か食べる?」
アスタルエゴ「ナア」
準「待ってて」
 一分後、冷蔵庫の中のチーズとソーセージを持ってきた。
アスタルエゴ「グルル」
 喉を鳴らしてそれを食べるネコを、準はボーっと眺めていた。
準「……」
 ネコは一般的に情の薄い動物と言われている。
 しかし、実際の所はそうではない。
 彼等は他の愛玩動物よりも野生の誇りが色濃く残っているのだ。
 素直に甘える事は、それが許さない。
準「……似てるのかも」
 その言葉に主語はなかった。
司「準ー! ちょっといいかー?」
準「……呼んでる」
準「じゃ、ね」
アスタルエゴ「ナオ」
 この日の高屋敷家はいつも通りだった。


ACT.3【春花の場合】

春花「がるる……」
アスタルエゴ「グルル……」
 高屋敷春花。
 高屋敷一家の三女であると同時に、高屋敷家で最も活発な生物。
 ついでに、高屋敷家で最も野生に近い生物だった。
春花「ぎにゃにゃっ!」
アスタルエゴ「グルルァ!」
 ドスンバタン!
司「だー! 静かにしろ!」
末莉「春花おねーさん、完全に野生化してますけど……」
春花「ぐりゃりゃっ!」
アスタルエゴ「ゴルルァ!」
 ドスバタガタン!
司「空腹で死にそうな時に餌を加えたあいつが通りかかったらしい」
末莉「それは……なんと言ったらいいのやら」
 ズーン! ドスーン!
青葉「うるさいわねっ! 静かに……」
アスタルエゴ「ギァァッ!」
 バリッ!
青葉「……」
 青葉のスカートがネコの爪によって裂けてしまった。
司「……」
末莉「……」
春花「……」
アスタルエゴ「……」
 ごごごごごごごごごごごごごごご!(←空気の重みが増した音)
青葉「……焼殺死体は臭いが凄いらしいけど、大丈夫よ。
   臭いごとチリにしてあげるわ」
司「さー避難避難」
末莉「ああっ、また居間がメチャクチャに……」
青葉「†εΨΘν‡ψγζ←呪詛の言葉)……」
春花「ぎにゃー!?」
アスタルエゴ「ニアアーッ!?」
寛「おお、みんなして何を……」
青葉「地獄の三丁目まで消し飛ぶがいいわ!!!」
 青葉はイオナズンを唱えた。
 ……この日の高屋敷家の損害。
 重傷一名、軽傷一名、居間半壊……軽傷一匹。


ACT.4【末莉の場合】

 高屋敷末莉。
 高屋敷一家の四女であると同時に、高屋敷家で最も無放備な生物。
 今日は学校もない為居間でお昼寝中。
末利「おにーさん……うふふ」
 幸せそうなニヤけ顔だ。
 何かいい夢でも見ているのだろう。
末莉「ん……」
 寝返りを打つ。
 ガタン。
 寝る前に身体のすぐ横に置いていた、飲みかけの牛乳の入った
 コップが倒れる。
 そして、その中身が末利の身体に……。
アスタルエゴ「ニア」
 そこに現れた、一匹のネコ。
 そのネコは空腹だった。
アスタルエゴ「ギェ」
 とことこと家に上がりこんで、末利の傍にやってくる。
 そして。
 ペロッ。
末利「んあっ……」
 末利の身体に付着したミルクを舐め始めた。
 足の指をペロッ。
末利「んっ……」
 ふくらはぎをペロッ。
末利「ふっ……」
 そして、最も白く色付いた太ももを滑らかな舌使いで丹念に舐める。
 ペチャペチャッ……。
末利「う……ああっ……」
 居間に響き渡る、淫靡な音。
 末利の顔はいつしか上気していた。
 ピチャッ……ピチャッ……。
 太ももの裏側に舌が回る。
末利「はぁ……っ……」
 無意識だろうか、それとも何かしらの意図があるのか……末利の
 両足が、徐々に広がっていった。
アスタルエゴ「グァ」
 ネコがそのスペースへ身体を滑りこませる。
 その眼前に、赤い布に囲まれた白い布があった。
アスタルエゴ「ニア」
 ネコはそれに興味を持った。
 赤い布……スカートの中に首を突っ込む。
 白い布……パンツは、僅かに湿り気を帯びていた。
 ペロッ。
末利「あうん」
 末利の声が大きくなる。
 それまで伸ばしていた両足が膝から折れる。
 なんというか……エロい格好だった。
 ペチャッ……クチュッ……。
 ミルクによって口内が湿っているネコの舌なめずりの音。
 妖艶な響きだ。
末利「はっ……はっ……はっ……」
 耳まで真っ赤になった末利は息遣いが荒くなっていた。
アスタルエゴ「ンア……」
 そして、ネコの白く濁った舌が末利のまだ誰も触れた事のない
 あの場所へと……。


寛「昼飯はまだかあああああーーーーーっ!?」
アスタルエゴ「グァ!?」
アスタルエゴ「ニアーッ!」
 ネコは寛の奇声に驚きものの木さんしょの木。
 一目散に縁側から庭へと逃げていった。
末利「うあ……?」
 末莉起床。
寛「む、どうした末利。顔が完熟トマトのように真っ赤だそ」
末利「え、え? い、いや、ななななんでも」
寛「さてはお主……エロい夢でも見とったな?」
末利「そそそんな! めめめっそうも!」
寛「いいからいいからパパに言ってみなさい。ちゃーんと利に適った
  アドヴァイスをしてやるから」
 何故か息を荒げる寛。
末利「お、おとーさん……?」
寛「さあさあ! さああっ!!」
司「この親姦ペド親父があああっ!!」
 ゴガアアッ!!
寛「うおんっ!?」
司「これまでも変態変態しい行動をとってはいたが、ここまで堕ちる
  とはな。今日という今日は然るべき場所へと送還してやろう」
寛「ま、待て息子よ、お前はなにか勘違いしとるぞ。私は単に末莉に
  健全な性教育をだな……」
司「ちなみに今の俺はなにやらよく解らん所から発せられている
  何やらよく解らん怒りによって目覚めた超サイヤ司だそうだ」
超サイヤ司「中途半端は絶対に許さん。その原因たる貴様を殺す」
 ごごごごごごごごごごごごごごご!(←空気の重みが増した音)
寛「ちょ、ちょっと待てい! それはつまり私があのシャイな豚畜生
  達の豚息子のような行為をしたとでもいうのかあ!?」
超サイヤ司「豚息子……?」
超サイヤ司「それは良○の事か」
超サイヤ司「○太の事かあああああああああああああああっ!!!!!」
寛「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
 ドスバキボカボクギシャビシゲスドカグシャベリグチャズチャ!!
司「胸糞わりい名前を思い出させやがって」
寛「……」
 寛は死んだ。
末莉「き、着替えなきゃ……」
末莉「……(確認)」
末莉「うああ」
 この日の高屋敷家の損害。
 重体一名……パンツ一枚。

ACT.Ex.【伊佐坂氏の場合】

 逃げてきたネコの上……垣根ごしに、にゅっと手が出現した。
 そして、
 グッ!
 親指をつき立てた。
 しかし、
 チッチッチッ。
 人差し指を左右に振って、
 グイッグイッ。
 握った人差し指と中指の間に親指の先端を突き出して、
 チッ!
 惜しい、と言わんばかりに指を鳴らした。
アスタルエゴ「ニア?」
 ネコにはそれの意味する所は解らなかった。


ACT.5【真純の場合】

真純「あらぁ、ネコ」
真純「かわいい〜」
真純「何か食べる?」
アスタルエゴ「ニウ」
真純「はーい、ちょっと待っててねー」
 高屋敷真純。
 高屋敷一家の母であると同時に、高屋敷家で最も平和な生物。
真純「今日は平和ねー」
 この日の高屋敷家は特に何事もなかった。

ACT.6【寛の場合】

寛「……」
 入院中。


ACT.7【司の場合】

司「んー、っと」
 この日の天気はいつにも増して晴れ渡っていた。
 太陽の位置がいつまで経っても真上にあるような……そんな感覚。
 まるで、いつまでもこの時間を保存しておきたいかのような……。
アスタルエゴ「ニア」
司「お、アスタルエゴ」
司「今日はどうした? 散歩か?」
アスタルエゴ「グァ」
司「そうか」
司「にしても、相変わらず変な鳴き声だな」
アスタルエゴ「ゲォ」
司「ははは、それはそうだな」
 俺は縁側から降りて庭にしゃがみこんだ。
 目線の高さを彼に近付ける為だ。
アスタルエゴ「アウ」
司「ん? 何だ?」
 アスタルエゴの様子がいつもと違っていた。
 声にも表情にも寂しそうな色が混じっている。
アスタルエゴ「……グェ」
司「え!? そ、そうなのか!?」
アスタルエゴ「……ナア」
司「そ、そうか……残念だな、せっかく……」
アスタルエゴ「ウア」
司「何言ってんだよ、それはこっちのセリフだ」
司「ちょっと待ってろよ、今皆を……」
アスタルエゴ「ゲァ」
司「む……けど………そっか、そうだな」
アスタルエゴ「……ニア」
司「了解した」
司「じゃあ、元気でな……」
アスタルエゴ「ニャオウ!」
 アスタルエゴは元気よく去っていった。
 彼には帰る場所がある。
 そして、その場所が彼にとって、かけがえのない所なんだ。
司「またな」
 その言葉は風に乗って、彼に届くだろうか。
 そんな事を考えながら、俺は友の後姿をいつまでも見送っていた。


314 名前:ぐったり家族計画10 投稿日:02/02/02 21:38 ID:NVD+QK2X
娘「ええーっ、引っ越しちゃうのー!?」
娘「やだやだ、やだーっ!」
 その日、娘は一日中泣いていた。
 それは私にとって非常に遺憾な事だったので、慰めてやろうと
 彼女の頬をペロペロと舐める。
娘「アスタルエゴ……?」
娘「ありがと……慰めてくれてるんだ」
 娘は少しだけ笑顔を見せてくれた。
娘「あのね」
娘「私達、これから遠くに行かなきゃいけないの」
娘「出発、一週間後だって」
娘「だから、今のうちに仲の良かった子達とさよならしなさい、だって」
 私はヒトの言葉は解らない。
 だが、この娘の言葉は何故か解る。
娘「嫌だけど……凄く嫌だけど、しょうがないよね」
娘「寂しいけど……アスタルエゴも一緒だし」
 ああ、一緒だ。
 そう決めた、とうの昔に。
娘「だから、アスタルエゴも仲の良かった子達とお別れしなきゃ」
 仲の良かった……。
 そうだな。
 私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、あの街のあの屋敷だった。

司「ちょっと待ってろよ、今皆を……」
アスタルエゴ「ゲァ」
 いえ。仰々しい別れは性に合わないので。
司「む……けど………そっか、そうだな」
アスタルエゴ「……ニア」
 皆さんには、楽しかった、ありがとうとお伝えください。
司「了解した」
司「じゃあ、元気でな……」
アスタルエゴ「ニャオウ!」
 私は、俗に言う“ネコらしい”声で高らかに答えてみせた。
 それが、彼に対するせめてもの礼だった。
 楽しい時間をありがとう、そう言うメッセージを込めて……。
 踵を返し、歩く。
 この街ももう歩く事はないのだな、と思うと、見る景色全てが
 いとおしく思えた。
 もう見れない。
 もう遭えない。
 寂しいけれど、それが現実と言うものなのだろう。
 仕方のない事だ……。
              ―――またな―――
 ……!
 そんな言葉が耳に触れた。
 振りかえる。
 もう、あの屋敷はほとんど見えない。
 しかし、その言葉は確かに聞こえた。
 なら、返事を。
 心をこめて、はっきりと。
アスタルエゴ「―――」
戻る