お達者で
――この日は、少しだけ特別な日だった
青葉「あなた、早く仕度なさいな」
司「ん、もうちょっと」
――本格的な夏の日差しが少しずつ色褪せ始めた、そんなとある一日
司「うし、完了」
青葉「さ、行きましょうか」
司「ああ」
――二人を引き合わせた、あの場所
司「あれ、持ったか?」
青葉「ええ」
そして……時は戻る。
路地裏の夕暮れ。
陰鬱さと生臭さが常に付きまとうこの場所も、この時間だけは
暖かさに満ちた茜色の光に彩られる。
ビルの窓、ポリバケツの蓋、空のビールビン。
全てオレンジ色の衣に包まれていた。
そんないつもの夕暮れに、私は目を奪われていた。
感傷に浸っていた。
すべてはこの場所が始まりだった。
だからかもしれない。
終わりにもこの場所を選んだのは。
残された時間は、あと僅か。
いつもより緩やかに、穏やかに、視界を閉ざす。
その分の労力が、これから脳裏に射影する景色を
少しでも色濃くする事を祈って。
――追想
・堕落と墜落
私の名はクロード。
数多の友と戦友、そして仇敵に囲まれながら、私は成長を続けた。
そして、最も高い位置に昇り詰める事が出来た。
仲間。
例え王となった今でも、皆をそう呼ぶ事に何の躊躇いもない。
彼等とは、喜悦も悲哀も苦辛も享楽もすべて共にしてきた。
故に、立場は変わっても想いまで変わる事はない。
しかし、事態は一変した。
突然出没した中年の人間によって、傷を負わされたのだ。
傷はこの身だけではない。
仲間との絆にも、大きな歪を生んだ。
そしてそれは、最後の転機でもあった。
敗走を余儀なくされた私は、手負いのまま上空を彷徨っていた。
墜落、していた。
ここまでなのか。
そう思った。
そして、着陸したその場所で、私は彼等と出会った。
司「おい、手当て、いるか?」
昔ほどではないとはいえ、人の言語を理解するのは中々難しい。
が、その青年の言葉はすぐに理解できた。
理由は判らない。
司「必要なら、してやれるぞ」
人の子は我等をあまり歓迎しない。
だから、彼の申し出は意外だった。
そして、ありがたかった。
その後、私は囚われの身となった。
・魔女と使い魔
私の名は鳥。
数多の友と戦友を失い、私は堕落した。
そして、最も低い位置に留まる事を余儀なくされた。
青葉「中々似合うわね」
首輪をはめられた。
人間でいう所の『奴隷』なのだろう、今の私は。
青葉「勝手に私から離れない事。了承したなら
右の羽だけはばたかせなさい」
了承、せざるを得なかった。
彼女の魔眼に逆らう術は、今の所皆無だ。
バサバサッ。
青葉「よろしい」
それは、一種の盟約だった。
ここにいる事の意味。
そんなものがあるのかどうかは解らないが、私はこの場所で
残された時間を過ごす事となった。
私の主は、昼頃になると公園へと出向く。
何をしているのだろうか。
何か妖怪じみたオーラを発する紙を製造しているようだが、
その意図とする所までは理解できなかった。
客「お、俺の顔はこんな平行四辺形じみた形はしていない!」
客「俺だって、顔の面積の五分の四が唇で埋め尽くされてねえっての!」
客×2「書き直しを要求するっ!!」
青葉「うるさい黙れ」
青葉「私の美的センスにケチをつけるのなら、まずその下劣極まりない
現実を整形外科なり富士の樹海なりで矯正してくる事ね」
客×2「……うえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!」
青葉「今日もまたつまらぬものを書いてしまったわ」
……少し気の毒だったが、それもまた彼等に与えられた
試練なのだろう。
今の、私のように。
・住人と住鳥
この家の事情はかなりややこしいようだ。
家族という形態を取ってはいるが、本当の家族ではないらしい。
我々にとってはそれほど珍しい事ではないのだが、人間社会の中では
随分特殊な事のようだ。
その所為なのか、やたらと争い事が勃発する。
その度に東奔西走する住民たち。
見ていて、飽きない。
司「いい加減にしやがれこの変態性低気圧!」
寛「ふっほん、まだまだ甘いわっ!」
バタンガタン!
末利「ああっ、また晩御飯がメチャクチャに……」
真純「困ったわねぇ」
司「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」
寛「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
……本当に、飽きない。
少しずつだが、ここが私にとって悪くない住処になっている。
住民は皆、私に優しく接してくれた。
真純殿はよく食糧を供給してくれるし、準殿は周りに誰もいない時
だけだが優しい笑みをくれた。
春花殿と末利殿は庭でよく遊んでくれた。
春花「とってこーい」
ギュルルルルルルルッ!
パリーン!
末利「……あっ」
春花「失敗」
末利「鳥さんも一緒に窓ガラスに飛びこみましたが……」
春花「……んー」
春花「末莉、回収係」
末利「な、なぜに私がーっ!?」
そして、特に親身にしてくれたのが、司殿。
彼は実に好青年だし、なにより私を捕虜としてでなく友として
扱ってくれた。
心が通じ合っているような気がした。
司「今日もいろいろきつかったよ」
彼は私に人と会話すように語りかけてくる。
私もまた、彼には同属と触れ合うように接した。
司「じゃ、また明日な」
屋根の上から降りていく司殿の姿は、日に日に小さくなっている
ように見えた。
疲労と気苦労が溜まっているのだろう。
何とかしてやりたい。
力になりたい。
だが、今の私はあまりにも無力だった。
ここにいる事の意味。
それが、少しずつ見えてきたような気がした。
・最後の飛翔
――崩壊
青葉殿がおかしくなった。
これまで、たまに部屋で一人苦しんでいる事があった。
その時の目は決まって憎悪と嫌悪感に支配されていた。
今は、常時その目だ。
それが引き鉄となったのかどうかは解らないが、準殿が去り、
真純殿が去り、そして今日寛殿が去った。
寛殿にはいろいろ思う所はあるが、やはりいなくなると一末の寂しさを
覚えてやまない。
なにより、最近のここの空気は……あまりにつらいものだった。
私は、この場所が好きになっていた。
ここの住民が、空気が、暖かさが好きだった。
それがなくなったのは残念であるし、何の力にもなれなかった事が
非常に無念だった。
青葉殿はすでに私を縛り付けておく気はないようだ。
当の私も、長時間飛翔できるほどの体力は残っていなかった。
傷も、完全には癒えていない。
もう残り少ない私の寿命は、この傷を全快させるほどの余力は
なかったようだ。
時間がない。
せめて、何か。
私の余生を彩り豊かにしてくれた彼等に、何か出来る事は
ないだろうか。
司「……」
司殿が玩具で遊んでいる。
銀色の光を帯びたそれは、私達が『宝物』と称する光物に
他ならなかった。
……あれを私が持ち出したらどうだろう?
司殿は怒るだろう。
そして、私を探すだろう。
その過程で青葉殿や末莉殿に助力を願うかもしれない。
そうすれば……何でもいい、皆で力を合わせれば……少しは
元の空気に戻るかもしれない。
暖かく優しかった、あの頃のように。
私は、実行した。
これでもう、私はここに戻ってくる事はあるまい。
次に着陸した所が私の墓場となるだろう。
それでも構わない。
これで少しでも、彼等を取り巻く苦難に風穴を開けられるのなら。
そして、最後にもう一度、この雄大な空を舞う事が出来たのだから……。
・鳥の唄
路地裏の夜明け。
陰鬱さと生臭さが常に付きまとうこの場所も、この時間だけは
生命力に満ちた白い光に彩られる。
ゴミ袋、窓ガラスの欠片、黒い羽。
全て白の衣に包まれていた。
そんな特別な日の出に、私は目を開けた。
鑑賞は終わった。
朝露が身体に付着していた。
羽の重量が増してしまっているが、気にする事はない。
もう、この羽を広げる事はないのだから。
残された時間は、もうなかった。
いつもより緩やかに、穏やかに、意識を閉ざす。
幾ばくかの余生を投げ打ってやってのけた事が、これから彼等の
行く先に射影する景色を少しでも色濃くする事を祈って。
祈って――
・墓参り
高屋敷家跡は綺麗に整備されていて、昔の面影は見受けられなかった。
それでも、この場所が特別だという事が変わる筈もなく。
司「……」
青葉「……」
俺と青葉は暫くの間、無言でその敷地を外から眺めていた。
司「さ、行こうか」
俺は青葉の手を引く。
彼女は黙ったままそれに従いついてきた。
――鳥の一周忌
埋葬した場所には地面しかない。
墓標も、餞の花も。
寂しい思いをさせたのかもしれない。
そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
司「随分ほったらかしにしちまったな……」
俺は友の眠る場所にあらかじめ用意しておいた花をそっと置いた。
そして、静かに手を合わせる。
司「青葉、あれ」
青葉「ええ」
青葉は鞄から――これもあらかじめ用意しておいた物――を取り出す。
銀色に塗装した、竹とんぼ。
と言っても、むかし青葉が祖父から貰った物じゃない。
あれは火事の時燃えてしまったから。
俺が街に出た時、探して買ってきたやつに色をつけた、
そういう品だった。
司「お前が最後に持ってたのとは違うけど……これで我慢してくれな」
青葉「……」
青葉は無言のままそれを花束の隣に置いた。
一緒になって一年近く経つが、今の青葉が何を想っているのかは、
正直完璧には解らない。
だから、ちょっと意地悪な事を聞いてみた。
司「一年前は泣かなかったよな? 青葉は」
青葉「……ええ」
司「今はどうだ?」
青葉「……」
あの時は泣く事の意味すら理解していなかった。
けど、家族の暖かさを知り、人と繋がる事の喜びを知り、
絆の意味を二人で紡ぎ。
そうして育んだ今の青葉の心は、あの頃より情に溢れているはずだ。
青葉「泣きはしないわ、今も」
司「……そっか」
・墓参り
青葉「けれど、少し思い出した事が」
司「ん?」
青葉は腰を上げ……空を見た。
まだ僅かに陽が残る空は、薄い青を名残惜しげに彩っている。
もうすぐ、夕暮れだ。
青葉「あの子はね、この時間になると無償に外に出たがっていたわ」
司「……」
青葉「私は、あの子を苦しめていたのでしょうね」
好奇心だったのかもしれない。
或いは、閉じ込めた心の隙間を黒く塗り潰したかったのかもしれない。
ともあれ、青葉は何らかの意図を持って鳥を飼った。
その事は、野生のカラスであった鳥にとって、もしかしたら
迫害だったのかもしれない。
だけど。
司「そんな事ないよ」
司「あいつは、お前が好きだったから」
これは紛れもない事実だった。
鳥は俺に気を許してくれていた。
だから、解る。
青葉の肩に乗るあいつは、いい顔をしてた。
青葉「……」
微笑。
懸念した自嘲は含まれていなかった。
青葉「憧れ、だったの」
司「憧れ?」
青葉「翼を広げて自由に飛びまわる、その姿が」
司「……」
さっきの謎は思いの外早く解けた。
陽が、沈む。
青から茜色へ鮮やかに彩りを変えていく空を、
俺と青葉はじっと見つめていた。
・唄が届いた日
司「さ、そろそろ……ん?」
帰ろうか、と言おうとした瞬間……誰か、青葉以外の
誰かの視線を背中に感じた。
振り向いてみる。
準「……あ」
そこには、懐かしい顔があった。
司「準……準か?」
青葉「え?」
青葉も振り向く。
準「……ん」
一度だけ俺の見舞いに来て以来……約一年ぶりの再会だった。
準「ご無沙汰」
青葉「本当に」
司「今までどこにいたんだ? 末莉が随分探したんだぞ」
準「末莉なら……」
準は身体を少し横にずらした。
そこに現れたのは……高屋敷家の末っ子。
末莉「あ、あはは……」
愛想笑いの達人こと高屋敷末利だった。
司「なんだ、一緒だったのか」
末利「はっ。今日たまたまこの近くで発見したので」
準「捕虜にされた」
青葉「……」
青葉は声を出さずに笑った。
末莉「春花おねーさんも後から来る予定なんですよ」
司「……そっか」
以前の崩壊の責任。
それが春花一人にあるとは、春花自身以外は誰も思っていない筈だ。
だけど、本人にしてみればやはり簡単に吹っ切れないとこが
あるのだろう。
けど、時間は人を癒してくれる。
春花も、一年という時間の中で様々な事を思い、悩み、苦しんで、
そして……癒された。
きっとそうなんだ。
末利「これであとは、おとーさんとおかーさんが見付……」
寛「おおっ! 子供達が全員集合しとるぞ母さんや!」
真純「あらぁ」
末利「ああーっ! おとーさんおかーさん!」
司「……マジかよ」
これまで末利が苦心惨憺してもなお叶わなかった『真・家族計画』。
それがこの日だけで、もういつでも発動できる段階に飛躍した。
準「……凄い偶然」
末利「本当ですねー!」
偶然?
いや、多分違う。
きっと……見たかったんだろう。
寛「こうして同じ日同じ時間にここに集まったのはやはり我々家族の絆が確固たる何よりの証拠だなっ! 良き哉良き哉」
真純「本当すごいわねぇ」
だから、俺達をここに集めたんだ。
あの時崩壊してしまったものを、もう一度作り直させる為に。
そうだろ……?
春花「みんなー!」
末莉「あ、春花おね―さん!」
寛「おおっ春花まで来たかっ! これでついに全員集合だな!」
『これが、私の望みです故』
そんな声が聞こえたような気がした。
・「お達者で」
真純「あら……? 青葉ちゃん、ちょっとお腹……」
青葉「……ええ」
真純「あらやっぱり! 先越されちゃったわねー」
寛「なんとっ! まさか息子に遅れを取るとは……一生の不覚っ!」
準「……(何故か赤面)」」
春花「触っていいか?」
青葉「……まだ動かないわ」
末利「?」
寛「これはじーーーーーっくり話を聞かなくてはいかんな。そうと
決まれば真・家族計画の狼煙を上げるべく、さあ! 新たなる
我が家へ行こうではないか!」
青葉「……これから?」
真純「迷惑……かな?」
青葉「……」
青葉は俺の方を見やった。
全て俺に委ねる、って事だろう。
司「どうせダメっつっても来るんだろ強引に」
寛「さすがは我が愚息! 実はすでに荷物も送ってあるのだ」
真純「……断りの電話を入れるよう言ったんだけど……」
司「いいよ。この人外魔境とまた同じ屋根の下で暮らすのはちょっと
アレだけどな」
末利「真・家族計画の発足ですね!」
寛「そうだ! さあではいざ行かん!」
春花「おーっ!」
寛を先頭に皆歩き出した。
それが俺たちの、家族計画第二章の幕開けの合図となった。
俺は集団に背を向けたまま、鳥の眠るその場所を右手でそっと撫でた。
そして、
司「……ありがと、な」
別れでも追悼でもなく。
感謝の言葉を置き土産にして、俺は家族の元へ向かって歩き出した。
カラス「クア」
遠くの空からカラスの鳴き声が聞こえてきた。
その声が何を意味するのか、俺には解らない。
けど。
司「おう!」
空へ向けてありったけの笑顔で……そう返事をした。