「茜色の絆」

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 我が名はグラシアス。
 数々の栄光と一握りの挫折を糧に、現在を行き抜き未来を目指す。
 同胞からは『真紅の流星』などと言う二つ名で呼ばれ尊敬もされたし、
 宿敵からは『Murder of Madder』と呼ばれ畏怖されていたりもした。
 生粋の狩猟者、と言えばいいだろうか。
 その私が今、一つの大いなる危機に遭遇している。
 今回の敵は思ったよりも手強かった。
 特にあの想像を超えた威力の巨大な鎌は脅威だった。
 結果、多大な疲労を残してしまった。
 この状態で襲われたら、おそらく殺されるだろう。
 気力と体力の両方が著しく低下した今では、本来の30%の力すら
 出せまい。
 だが、不安や恐怖心はない。
 これまで私は、数え切れないほどの死線を潜り抜けてきた。
 必要なら命をも削り取って、その時々を生き残る為のチップと
 してきた。
 今回も、その中の一つに過ぎない。
 ならば、起こすべき行動は一つ。
 未来を……紡ぐ。


春花「ツカサツカサー」
 とある秋の昼下がり。
 慎ましやかに吹く清涼な風が、額に落ちた髪を優しく撫でる。
司「どうした」
 庭で遊んでいた春花が喜び勇んだ顔で寄って来た。
春花「バッタ捕まえた」
司「お、トノサマバッタか」
 濃茶色と白色の斑模様の羽を持った、実に高尚な雰囲気を持った
 バッタ。
 なかなかの大物だ。
春花「かっこいー」
司「そうだな」
春花「♪」
 春花はご機嫌な様子で右手に持ったトノサマバッタを眺めた。
 ……何かその眼に鑑賞とは別の、本能に密接した感情の色が
 伺えたのは気のせいなのだろうか。
司「ちゅん子や」
春花「なに?」
司「そいつはイナゴとは違って食べられないぞ」
春花「そーなの?」
司「……」
司「逃がしてやれ」
春花「んー……あっ!」
 一瞬気を緩めたのか、力の抜けた春花の手からトノサマバッタは
 俊敏な動きで抜け出した。
 そして、そのまま何処かへ飛び立っていった。
 見事な飛躍。
春花「残念」
司「これでよかったんだ」
 双方の為にも。
司「遊ぶのはいいが、服を汚さないようにな」
春花「あい」
 のほほんとした返事。
 平和、なんだなと実感した。


グラシアス「む」
 遠方に見知った顔を発見。
 あれは……レイ?
 河原区域一帯を牛耳る『草原の王』が何故このような所に?
レイ「はぁっ……はぁっ」
 レイは何かから逃げているようだった。
 必死な様子がありありと伺える。
 前の邂逅の際に見せた憎たらしいほどの余裕は見る影もない。
 声を掛けるのを躊躇うほどに。
グラシアス「……」
 レイが逃げてきたと思われる方向を見る。
 あそこに何があるというのか。
 あの百戦錬磨が我を忘れて逃げるほどの、何かが?
 因果なものだ。
 これほど疲労し切っているというのに、戦闘を生業としてきた私の
 好奇心はこのような出来事にはどうしても背を向けることが出来ない。
 本能、と言ってもいいかもしれない。
グラシアス「これもまた、未来への路、か」
 今まで、自分の本能に従って生きてきた。
 そして、生き残ってきた。
 ならば、今回もそれに従うまで。
 私は決意を胸に、その何かへと照準を合わせた。


真純「買い物行ってくるから、留守番お願いねー」
司「了解」
 高屋敷家の食卓事情はそれほど潤しくはない。
 アホみたいに食べる輩が約二名ほどいる所為だろう。
 それでも、毎晩量も味もある一定のレベルをキープし続けるの
 だから、大したものだと思う。
 さて、メシまで何をして時間を潰すか……。
春花「ツカサストップ!」
司「んあ?」
春花「動かないで!」
司「な、なん……」
 春花の目は驚くほど真剣だった。
 どうしたってんだ?
 俺の身に何か重大な事でも起こっているのか?
春花「そのままそのまま……」
 依然として神妙な面持ち。
 いつもの鷹揚とした春花ではない。
春花「……」
 無言でにじり寄ってくる。
 そして……。
春花「くるくる」
 俺の頭に向けて右手の指をくるくる回し始めた。
司「おい」
春花「動くダメ」
春花「くるくる」
 ……バカにされてるのだろうか?
 新手の煽り?
 しかし、春花がそんな事をするとは思えん。
 寛にまたなにか妙な行動を仕込まれたか。
春花「くるくるー」
司「……いつまでやってるんだ?」
春花「もう少し」
司「はぁ……」
 もういいや。
 意図は解らんが気の済むまでやらせとこう。


五分後。

春花「くるく……る〜〜〜〜〜」
 ドサッ!
 春花が突然倒れた。
司「ど、どうした!?」
 慌てて駆け寄ったその時。
 頭から何かが落ちてきた。
司「……蜻蛉?」
 赤とんぼがくるくる目を回していた。
春花「くるくるぅ〜」
 春花もくるくる目を回していた。
司「蜻蛉の目を回してたら自分の目も回ったか」
 しかし、何故赤とんぼが俺の頭に止まるんだ……。
 俺の頭は竹ってか?
 中身がないってか?
春花「う〜ん……」
春花「う〜、気持ちわる〜」
春花「あれ? ツカサなんで落ち込んでるの?」
司「いや、別に……」
春花「あ、トンボは?」
 俺は黙って畳の上で目を回している赤とんぼを指差した。
春花「おー!」
 子供のようにはしゃぐ。
 しかし、トノサマバッタや赤とんぼを見てはしゃぐってのは
 男の場合がほとんどじゃないのか?
 ……ま、関係ないか。
 春花だし。
春花「ツカサ、これ」
 春花は赤とんぼを大事そうに両手で拾って、俺に見せる。
春花「食う」
司「食うのか!?」
 中華人民共和国人は、犬だけじゃ飽き足らず蜻蛉まで食すと言うのか!?
 やはり世界一の国土面積と人口、四千年の歴史を誇る国というのはあまりにも奥が深い……。
春花「あ、違った」
春花「飼う、だった」
春花「ツカサ、飼う」
司「そ、そうか。飼う、か」
司「……飼う?」
 司を食う、で飼う。
 なにか意味深なものを感じたのはどうしてだろうか。
 ……この背中に流れる冷たいものは、冷や汗?


春花「ツカサ?」
司「……」
司「春花」
春花「ほいほい」
司「念の為言っとくが、俺は煮ても焼いても茹でても蒸しても勿論
  生でも食えんぞ?」
春花「何言ってるの? そんなの当たり前だよ」
司「そ、そうだよな! 何言ってんだろうな俺! ははははは!」
春花「ははは」
司「は、ははは!」
春花「ははは」
司「……」
春花「……」
春花「残念」
司「何ですとっ!?」
春花「冗談」
 嘘だ……。
 さっきの目は明らかに残念がってた間違いなく。
 今度の家族会議の時に自室のドアに鍵をつけるよう懇願しなければ。
 ……何故男の俺がこんな事で恐怖しなきゃいけないんだろうか。
春花「ねー、飼っていい?」
司「……」
 この蜻蛉に興味がいっている内は、俺は食われないで済むだろう。
 その前に、『食う』ってのはどっちを差すのか?
 そもそも女が男を……の場合『食う』と言う表現を使うのだろうか?
司「……」
司「同居人がいいと言うなら」
 どちらにせよ、保身が優先だ。
春花「いえっさー!」
春花「マツリー!」
 春花は末莉を探しに行った。
司「疲れた……」
  非常に後を引く疲れだ。
末莉「わー! トンボさんですねー!」
 末莉が見つかったようだ。
 ま、どうせ末莉の事だ。
末莉『え、飼うのですか?』
末莉『いいですよー。あ、どうせなら観察日記などつけてみては
   どうでしょう?』
 などと言うに違いない。


末莉「え、飼うのですか?」
末莉「いいですよー。あ、折角ですから観察日記などつけてみては
   どうでしょう?」
 くあっ、惜しい。
 まだまだ修行が足らないという事か。
 ……何の修行だっつうの。
春花「ツカサ!」
司「ぎょっ!?」
 何時の間に接近してきたのか、春花の声がいきなり近くになった。
春花「トンボって、何を食べるの?」
司「んー、小さい虫とかじゃないのか? 蚊とか」
春花「カ?」
司「夕方ぐらいに河原の辺りを飛びまわってるちーっちゃな羽虫が
  いるだろ? ああいうのを食べると思うが」
春花「なるほど」
春花「マツリ、捕まえに行こ!」
末莉「え。あ。あーーーっ!?」
 末莉は春花に引きずられて行った。
春花「あ、ツカサ。その子預かっといて!」
司「へ?」
 春花の指差した方を見ると、まだ目を回した状態の赤とんぼが
 仰向けに横たわっていた。
末莉「春花おねー、ぶっ! さん、手を、きゃん! 離し、
   ひあっ!? ……」
司「……」
司「どうしろって言うんだ」
 とは言うものの、これをこのまま放置してたら……。
青葉『昆虫の死骸……?』
青葉『……不潔……極めて不潔……』
青葉『焼却』
 ボッ!
 ま、こうなるだろうな。
 青葉ならメラぐらいはデフォで使えるだろうし。
司「部屋に持ってくか」
 こいつだってそんな最期は望んではいまい。
 どのような人生を……この場合虫生か、を送っているにしろ、理不尽
 な死だけは避けたいと思うのが人情……この場合虫情か、だろうからな。
 俺は畳の上で目を回している憐れな赤とんぼをなるたけ丁寧に拾うと、
 重い足取りで自室へと向かった。


気分が悪い。
 頭がグラグラする。
 立つ事はおろか動く事すらままならぬこの状況、何たる屈辱か。
 確かに疲労はあった。
 それもありありと。
 傷もある。
 決して良好な状態ではなかった。
 しかし、このような事態は正直想像すらしなかった。
 この『真紅の流星』たる私が、よもや囚われの身となろうとは……。
グラシアス「何という愚かさよ」
 私とて捕まった時の覚悟を持っていない訳ではない。
 自分一人の判断ミスや力不足で仲間に……大事な仲間に迷惑を
 かけるなど、不本意の極みだ。
 だが、如何せんこの状態では自決すらままならぬ。
 さらに、敵は圧倒的だ。
 この者にかかれば、私などほんの数秒としないうちに蟻の餌と
 なるだろう。
 認めざるを得ない現実と己の過信に、どうしようもない絶望と
 自責の念が入り乱れて陰鬱な気分になる。
 だが、私とて戦士の端くれ。
 狩猟者としての誇りは保てそうにないが、一個の兵士としてならば、
 まだやる事がある。
 戦って、死ぬ。
 それが、残り少ないであろう私の生命が訴える最後の矜持だった。


司「こんなとこか」
 部屋にあったダンボール箱にビニールを被せて、簡易虫かごの
 出来あがり。
 これなら逃げも出来ないし、暗闇で不安になる事もあるまい。
司「テレビでも見るか」
 この時間だとドラマの再放送などをやってるはずだ。
 夜にはドラマなんて見ないんだが、再放送のドラマは何故か見入って
 しまうケースが多い。
 何故なのかは未だに解らない。
 まあ、深く考えもしないしな、こんな事。
 ガラッ。
司「ん?」
 誰か帰ってきたようだ。
 春花や末莉なら大声でただいまというだろうし、真純なら普通の声で
 ただいまと言う。
 準は今日は遅くなるって言ってたし……。
 あ、寛は論外な。
 これ常識、メモるように。
 ……。
 で、となると。
 司「青葉か……」
 あれと二人っきり?
 司「やだなあ」
 ここで発表する、二人っきりになりたくない高屋敷家住民度ランキング。
 同率五位で、春花と準。
 四位は末莉。
 三位は真純。
 二位が後ろをおーーーーーーーーーーーーーーーーっきく引き離して寛。
 そして、その寛すら凌駕する、栄えある一位が……。
一位「何を一人でボーっとしているの?」
司「ぐぁっ!?」
 何時の間にやら青葉が目の前にいた。
 肩には鳥が少々疲れた様子で止まっている。
青葉「その若さで痴呆症? 出来れば近所をうろついたりはしないで
   欲しいわね。変な噂が立つから」
司「変な噂ならすでにいくらでも立ってるだろ」
青葉「つーん」
 こいつは……。
青葉「ま、いいわ。私は今非常に機嫌がよろしいので特別に近所を
   うろつく事を許可します」
司「別にうろつく用事はないけど……機嫌がいいだと?」
 珍しい事もあるもんだ。
青葉「今日はたくさん仕事をしたわ」
 そういう事か・……。


 こいつにとっては気分のいい事だろうが、世の中にとっては
 迷惑極まりないな。
 被害に遭われた方の御冥福を祈らずには入られない心境だ。
青葉「その両手を合わせて目を瞑るポーズにはどういった意図が
   あるのかしら?」
司「儲かってよかったな、という意図だ」
青葉「そう。でも分け前はないわよ」
司「別に期待などしてないけどな」
 バサバサッ。
 いきなり鳥が青葉から離れて……俺の肩に止まった。
 青葉は一瞬片方の眉を吊り上げたが、
青葉「夜には戻りなさい」
カラス「クオック」
司「了解、だそうだ」
青葉「結構」
 そう言うと心持ち軽やかに見えなくもない足取りで居間へと
 入って行った。
司「……」
 取り残される一人と一匹。
司「散歩にでも行くか?」
 家の主である青葉がいるのなら留守番の必要もあるまい。
 ちょうど許可も貰った事だし。
カラス「クア」
 鳥は軽やかに肯定の意を唱えた。

少女「お母さん! おんぶして〜!」
母「だめよ。ちゃんと自分で歩きなさい」
少年「甘えんぼ〜」
少女「う〜」
少女「あ、カラスだ〜」
少年「わ! 肩に乗っけてる! すげ〜!」
母「これ! 指差さないの!」
 子供達の母親らしき人がこっちに向かって軽く会釈した。
司「……」
 こういう典型的な家族像を目の当たりにすると、ふと思う事がある。
『家族とは、なんだろう』
『兄とは、なんだろう』
 いや、意味を知らないと言う訳じゃない。
 ただ……俺はそれらを正しく経験していない。
 家族と呼ばれる人たちはいた。
 兄と呼ばれる奴も、いる事はいた。
 でもそれは、どう好意的に解釈しても、正しい在り方ではなかった
 と思う。
 特に、兄。
 あんなの、反面教師にすらなりはしない。
 奴が俺にやってきた事は、普通の兄なら思いつきもしない事
 なのだから。
 その行為を禁忌とした所で、それが兄の証明とはならない。
 ただの常識人だ。


カラス「クエ?(意訳:いかがなされました?)」
司「あ、いや何でもないんだ」
司「少し昔を思い出してナイーブになっただけだ」
カラス「クエア、カカ(意訳:何か思う所があるのなら、
    一人で悩まない事です)」
カラス「カア、クカカ(意訳:よろしければ、私にでも)」
司「……いや、大丈夫だ。心遣いありがとうな」
 彼にも、家に来る以前には家族がいたのかもしれない。
 それをわざわざ思い出させるのは悪い気がする。
司「ん……」
 気がつけば家から随分離れている所にまで来ていた。
 そろそろ戻ろうか。
 そう思った時。
?「もしかして……沢村?」
 不意に声が掛かる。
 だが、それが自分に向けられたものだと理解するには
 若干の時間を要した。
 理由は二つ。
 声が最近の自分の知り合いのものではなかった事。
 そして、『沢村』が自分を指す事への、違和感。
?「おおっ、やっぱ沢村じゃん! うわ、久しぶり!」
司「……」
司「ああ、山田か」
 学生時代の友人。
 友達が多い方では決してなかった俺だが、一応そう呼べるぐらいの
 奴は数人いる。
 こいつはその一人だった。
山田「おいおい、久しぶりってのに感動がない奴だな」
司「俺は元々こんなだ」
山田「そうだったな」
 そう言って山田は何が面白いのかけたたましく笑った。
 特に腹は立たない。
 ただ、同時に旧友と再会した事への嬉々とした感情も、全くと
 言っていいほどなかった。
山田「今何してるん? 大学は行かなかったよな?」
司「ああ。フリーターだ」
山田「そっかー。お前学生の頃もバイト三昧だったもんなー」
司「ああ」
 軽い苦痛。
 いつの間にやら影の薄くなってしまった他人バリアーが、働き所と
 ばかりに燦然と輝き出す。
司「……じゃ、俺は用事あるから」
 多分この時の俺は、表情がなかったと思う。


昔の友人。
 今はそれが、少し疎ましい存在になってしまったのだろうか。
 過去の自分を思い出してしまうから?
 それとも、自分では気付かない内に以前より閉鎖的な人間に
 なってしまったのか?
山田「あ、ちょっと待てって」
 呼び止められた。
 仕方なく立ち止まる。
山田「さっきから気になってたんだけどさ、そのカラス……
   何? ペット?」
司「友だ」
山田「……はぁ?」
 訝しげな声と顔。
 無理もない。
 俺だって、準が再開した日にあいつがカラスを肩に乗っけてたら
 同じようなリアクションを取っただろう。
山田「お前……もしかして変な宗教にでも」
司「バカな」
山田「だ、だよなあ! ははは! あ、じゃあ俺これから飲み会
   あるから! またなー!」
 山田はそう一気に捲くし立てると足早に俺から離れていった。
カラス「クア(意訳:司殿)」
司「……なんだ?」
カラス「クオック……(意訳:恥をかかせてしまい申し訳ない……)」
司「恥なんてかいたとは思ってない」
司「だから、気にする事もない」
 ちゃんと笑えたかどうかは解らないが、笑顔でそう答えておいた。
 無理はしてない。
 本心だ。
カラス「クエ……(意訳:しかし……)」
司「あいつは昔友達だった」
司「でも、今では……向こうがどう思ってるかは知らないが、俺に
  とっては取りたてて大事な存在じゃない」
 少なくとも、今後俺が先に向こうを発見しても話し掛ける事は
 ないだろう。
司「別に仲がよかったって訳でもなかったしな」
カラス「クアア?(意訳:友人であったのにですか?)」
司「仲がよくなくても話ぐらいはするし、友達と呼ぶ事もある」
司「心は開いてなくても一緒に住んで、血も繋がってないのに家族と
  呼ぶのと同じ事だ」
 人間関係の機微。
 一人で生きて行く為にはこれを理解する必要があった。
 もしかしたら、俺が学校で学んだ一番大きなものはこれだったのかも
 しれない。
カラス「クア……クォ(意訳:それは……寂しい事です)」
司「そうかもしれないな」
 それでも、自分に嘘はつけない。
 他人をいい気分にさせるために偽りの自分を演じるような余裕は、
 今はない。
司「帰るか」
カラス「クオ(意訳:はい)」
 空に赤みが差してきた頃合を見て、俺たちは家に帰った。


司「あ……」
 高屋敷家が見えたちょうどその時、春花が玄関に入ろうとしてるの
 を見掛けた。
 何やらホクホク顔だ。
司「……」
司「イヤナヨカン」
 悪寒がした。
末莉「あ、お、おに、おにー、おにーさん」
 後ろからヨロヨロになった末莉の声がした。
司「俺は鬼か」
末莉「そ、その、ような、事は!」
司「まず息を整えろ」
末莉「はひ〜」
 深呼吸。
 ……終わり。
末莉「ふいー。疲れました〜」
司「で、首尾はどうだった」
末莉「それが……私はずっと気絶してまして」
司「そ、そうなのか?」
末莉「気がついた時にはもう捕獲完了で、春花おね―さんが走って
   帰ろうというので……」
司「そうか……」
 あいつは一つの事に夢中になると周りが見えなくなるとこあるからな。
司「ま、とにかく中に入ろう」
末莉「そうですね」
カラス「クエッ」

 そして、玄関を開けて中に入る。
 刹那。
 ブオ……………ン。
 何か妙な音。
司「なんだ?」
 ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
司「な、なんだーーーーーー!?」
 それがおびただしい量の羽音だとわかったのは、廊下に空間をすべて
 埋め尽くすほどのヤブ蚊が姿を現したときだった。
 何千……いや、何万かもしれない。
 それほどの数のヤブ蚊が群れをなして、こっちに向かってくる。
 その様相は、まさしく地獄絵図。
末莉「ひあ〜〜〜〜〜〜!?」
司「て、撤退ーーーーーっ!!」
 さっき閉めた玄関をまた開けて、外へと逃げる。
 ヤブ蚊たちは容赦なく追って来た。
 末莉だけを。
末莉「なーーーーーぜーーーーーーにーーーーーーっ!?」
 俺とは逆方向へ逃げた末莉へ向けて、黒い大群がものすごい音
 と共に迫っていく。
 次第に羽音も末莉の悲鳴も小さくなっていった。
司「憐れな……」
 あいつ汗っかきでも酒飲みでもないのに。
 身体に乳酸が多く含まれてるのだろうか?


春花「あ、ツカサ」
 玄関から春花が出てきた。
 手には例の赤とんぼを持っている。
春花「失敗したよ」
司「どうしたらこういう状況になるんだ?」
春花「餌いっぱい捕った」
春花「それをこの子に食べさせようと思って家に帰ってきたけど、
   ツカサがいなくて困ったよ。だから急いで探した」
司「それは悪い事したな」
春花「探してる途中、滑って転んだ」
司「なるほどな」
 で、餌を入れた入れ物の中身をぶちまけた、と。
春花「この子に悪い事した」
 そう言って春花は赤とんぼを俺に向けて差し出す。
 すると、肩の辺りから何か荒い息使いが聞こえてきた。
司「……」
司「鳥」
カラス「クア」
司「これは春花の友達だから、捕食禁止」
カラス「クアア……」
 とてもがっかりした。
春花「ところでツカサ、マツリ知らない?」
司「お前が投じた追尾機能内臓小型爆弾に追われて、只今避難中だ」
春花「おろ。じゃあ探さねば」
司「夕食前には探し出してきてな」
春花「はいなー!」
 春花は弾丸のようなスピードで走っていった。
 あいつ、足はえーなー。
カラス「クウウ……」
 鳥はまだ残念そうにしていた。


TELLLLLLLLLLLLL!
 家に入った途端、電話が鳴った。
司「はいもしもし」
劉『やあ』
司「店長ですか。何の用ですか大体想像はつきますが」
劉『その通り』
劉『では式の日取りはこちらで決めとくから』
司「決めるな!」
劉『ふむ。ならパンフレットを送るから君が』
司「決めないっての! まだ諦めてなかったんですか?」
劉『楓はまだまだ君に夢中さっ』
司「そう洗脳したあんたの責任でしょうが」
司「俺にその気はないですからね」
劉『まーその事は保留にしとくとして』
司「電話ってのは人の話を聞かない相手に対しては即座に
  コミュニケーションを遮断できる、という利点があるのですが」
劉『ヘルプお願い』
司「最初っからそう言えばいいんですよ」
劉『じゃあ了承し』
司「ません」
劉『……』
劉『最近逞しくなったね』
司「そりゃあもう家でも職場でも変態の相手をしてますから」
劉『父上殿は御健在?』
司「健全な方向ではないですが生命力には溢れてます迷惑なのに」
劉『大変だねっ』
司「あ ん た が 言 う な」
劉『頼むよ。本当に人手不足なんだ』
 はぁ……。
 ま、いいか暇だし。
司「はいはい行けばいいんでしょ。承りました」
劉『じゃあ今すぐ来てね』

司「青葉」
青葉「……」
司「……おねーさん」
青葉「よろしい」
 そう言って毒々しいデザインのナイフをしまう。
 殺す気かとつっこむ元気も湧かなかった。
司「急なバイトが入ったから今日はメシ抜きでいいって真純さんに
  言っといてくれ」
青葉「……一つ聞いていいかしら」
司「なんだ?」
青葉「あなたはあのような醜業に赴き、語るもおぞましい醜行で
   ただれた妖怪のような醜女の醜怪な虚栄心と自尊心を
   くすぐるという醜態以外の何者でもない状況にどうして
   進んで出向くのかしら?」
司「誰が好き好んでやっとるか!」
青葉「断らないのなら同じ事よ」
司「いろいろあるの! 受けないとやたらガタイのいいオカマから
  ドスの利いた声で脅されたり言われのない暴力を受けたりバイ
  なのかホモなのか解らん奴に腰とか太ももとか撫でられたり
  するんだ! 屈辱なんだよ!」
青葉「ま、私には仰天するほど無関係なのだけれど」
司「なら聞くなよ……」
 仕事に行く前に全エネルギーを損失してしまった。
 この家は摩擦損失係数が極端に高すぎる。
司「……行ってきます」
カラス「クア」
 肩から下りた鳥は優しく見送ってくれた。



ウェルカム「ツカサちゃ〜ん! 待ってたわよ〜ン!」
司「……」
司「じゃ早速着替えてきます」
ウェルカム「いやあああン! 無視しないでよオ!」
ウェルカム「でもそのクールな態度が私の心を捕えては・な・さ・な・い」
司「やかましい!」
 安住の地はないのか。
 エデンは滅びてしまったのか。
ウェルカム「じゃあ今日はお願いね」
司「……はい」
 取り敢えずは、頷くしかなかった。

 仕事終了。
ウェルカム「ツカサちゃん、ちょっといい?」
 帰り支度をしてる途中、ウェルカムに呼び止められた。
司「何ですか?」
ウェルカム「ん〜ちょっとねー、今日の勤務態度についてなんだけど」
司「……」
ウェルカム「はっきり言って、プロ失格ね」
 ウェルカムはCMで聞いた事のあるような口調でそう言った。
司「やはりそうでしたか」
 自覚はあった。
 山田某と会って他人バリアーが復活したからかもしれない。
 来る前に青葉に毒を食らったからかもしれない。
 もしくは、余計な事を考えていたからかもしれない。
 いずれにせよ、接客業を行う人間の持つべきものではなかった。
司「申し訳ありません。今日の分の給料はなしでいいです」
ウェルカム「そう言う訳にはいかないわよ。無理に来てもらったのは
      こっちなんだから」
ウェルカム「ブラザーの顔を潰す事にもなるし、ね」
劉「いやー、気にする事はないさ」
司「だから何故そう当たり前のようにいちいち俺の周りに現れるんですか
  あんたは」
劉「ウーさんの顔を見に来たんだよ。御無沙汰だったからね」
司「……」
 そう言われると、こっちは黙るしかなかった。
劉「じゃあ僕は外で待ってるから、こってりと絞られてきなよ」
司「帰れ!」
 劉さんはクルクル回りながら外に出ていった。


ウェルカム「じゃあ続き、いいかしら?」
司「あ、はい」
ウェルカム「解ってると思うけど、私たちはプロよ。如何なる理由が
      あれ、仕事中に気を抜くのは厳禁。まして、お客様に
      対して不快感を露わにするのは愚の骨頂。でしょ?」
司「仰る通りです」
 やはり見る人が見れば解るか。
 態度に出したつもりはなかったんだけど。
ウェルカム「ツカサちゃんならいちいちクドクド言わなくても解る
      だろうから、これ以上は言わない。けど、同じミスはなしね」
 やめてくれ。
 俺なら、とか言われるほど、俺は何事も上手くは出来ない。
司「……正直、向いてないと思うんです」
ウェルカム「……」
司「人付き合い、苦手ですし」
司「ですから、もう……」
ウェルカム「そうね。向いてないとは思うわ」
 だったら……。
ウェルカム「でも、来てもらう。あなたの為にも、無論私たちの為にも」
司「けど、また同じミスしますよ。俺は」
 俺は、下手糞だ。
 生きる事が下手糞な人間なんだ、きっと。
ウェルカム「大丈夫よ、そんなに難しくないでしょ? この仕事」
司「しかし」
ウェルカム「この仕事はね、心を込める事が何よりも大事。誠心誠意を
      尽くして、お客様に満足してもらう。でも、それは日常で
      誰もがやってる事なの」
 そう……だろうか?
 俺は誰かに対して、そう言う態度をとっているだろうか?
 ……とっちゃいない。
ウェルカム「大事なものには誰でもそういう心で接するわ。あなたにも
      あるでしょう?」
 司「……あり、ます」
 ある。
 大事なものなら、ある。
 そんなに多くはないけど、確実に。
ウェルカム「だから、出来ないなんて事はないのよ。後は効率と
      要領の問題」
ウェルカム「おべんちゃらでもいい。まずは相手を立てる。そうすれば
      こちらの要求も通り易くなる。どう? 悪い効率じゃない
      と思うけど」
司「さっきと言ってる事が違うような気がするんですが」
ウェルカム「心を込めておべんちゃらを言うのよ」
司「……」
 ずるいような、そうでもないような。
 ただ、それぐらいは出来るかな。
 今までだって、懸命にと言えば懸命にはやってきた。
 苦手だから、無意識に集中して、言われた事を肩肘張って……。
 今度からは、それを意識してやる。
 うん、難しい事はない。
 司はLV.アップした!
 どっかでファンファーレがなったような気がした。
ウェルカム「あらあ、今日で一番いい顔」
ウェルカム「食べちゃいたあああイ!」
 台無しだった。


劉「結構絞られたみたいだね」
司「そうでもないですけど」
 何故か劉さんと徒歩で帰る。
 この人なら鉄砲玉でも貫けないようなボディを持った車とか自家用
 ヘリとか持ってそうなもんだが。
劉「で、何を悩んでるんだい?」
司「ぶっ!」
司「……何故それを?」
劉「顔色とか、微妙な息使いとか、腰回りの充実度とか」
司「最後のは全くもって関係ない」
劉「で?」
 この人には一生かなわない気がする。
劉「……ふむふむ。家族の一員としての兄、ね」
司「劉さんは血の繋がった妹がいるから、正真証明の兄ですよね」
 俺の周りでは一番、精度の高い解答を知っているはずだ。
劉「楓の私に対する批評は、ただ一つ」
司「ふむ」
劉「ホモ」
司「……」
劉「モーホー」
司「言い方を変えても意味ないっ!」
 この人に期待した俺が悪いのか?
 やっぱり俺の頭は空っぽなのか?
劉「まあ私の事についてはともかく」
劉「家族にとって、血縁と言うものはさほど重要ではないんだよ」
司「でも、家族って普通は血が繋がってるものじゃないですか」
劉「その中心となる父と母は?」
司「……」
劉「人は何故家族を作るって思う?」
司「は?」
 いきなり……でもないか。
劉「私たちは絆を強化するために家族という形態を取る。一種の
  強迫観念みたいなものだ。けど、ごく普通の家庭を築く人たちは、
  絆そのものを求めて家族を作るんだ」
司「そのもの……ですか」
劉「君にとって絆というものが何を意味するのか。それが解れば、
  きっと家族とか兄とかそういうのにいちいち振り回されなくなる
  んじゃないかな」
 絆……。
司「ちょっと……解りませんね」
劉「慌てる事はないさ」
劉「いや、なんだったら本当の家族を作ろうか? 今すぐ」
司「……結構です」
劉「ほら、後は君が判を押すだけなんだよ?」
 そう言って劉さんは婚姻届(99%記名済み)を何処からかは
 解らないが取り出した。
司「……」
 ボッ!
劉「おおっ!?」
 婚姻届は瞬時にして燃え散った。
劉「い、何時の間にそんな芸当を覚えたんだい?」
司「ついさっきLV.アップした時です」
劉「うーむ……東洋の秘術恐るべし」
司「転職すれば劉さんも使えるようになりますよ」
劉「……」
 本気で迷っていた。
 この人といいウェルカムといい、決して気の合う人種ではない。
 でも、学ぶべき事は多い。
 だからかもしれない。
 本質は違えど、こうやって苦痛のない会話が出来るのは。


劉さんと別れてしばし歩く。
 すっかり暗くなった外の景色に、もう幾度となく見てきた純和風の
 家が見えた。
司「……ん?」
 屋根に何か止まっている。
 鳥(←鳥類の総称。卵生・温血の脊椎動物で、羽毛におおわれ
 翼をもつ)か?
 なら、鳥(←青葉に飼われている、不幸極まりないカラス)に
 違いない。
 何しろ、最近家には鳥以外の鳥類は近付きすらしなくなった。
 原因は推して知るべし。
 鳥がこっちに気付いた。
 何か咥えてる。
司「……」
カラス「……」
 バサッ!
 鳥はものすごくバツの悪そうな顔をして夜の空に溶け込んで行った。
司「……本能には逆らえなかったか」
 仕方あるまい。
 彼にとって、食事は決して安全を約束された事じゃない。
 死活問題なんだ。
 彼は生態系に従った食物連鎖の一つの鎖を忠実に繋いだに過ぎない。
司「自然って厳しいよな」
 あるいは、世間よりも。

司「ただいま……」
春花「ツカサー!」
 予想通り春花が駆け寄ってきた。
春花「私のトンボ、どっか行っちゃったよー!」
司「逃げたんだろ」
 前進的方便。
春花「むー」
司「仕方ない事だ。諦めろ」
春花「食龍(シクロン)……」
司「そんな名前付けられたら誰だって逃げる」
 ※蜻蛉=ドラゴンフライ(英語)です。
春花「うー」
司「唸ってないでさっさと中に入るぞ」
春花「わかった」
 取り敢えず体裁は整ったか。
 本当の事を言うと、鳥が春花の犠牲になりかねんからな。


で、居間。
司「何だ? この有様は」
 台所から何やら怪しげな声がブツブツと聞こえてくる。
 青葉はいない。
 準もいない。
 末莉はもはや末莉かどうかもわからなかった。
末莉「あああああ、か、かゆゆゆゆ」
末莉「うああっ、こっちもかゆゆゆゆ」
末莉「かっ、かゆあああああああああああああああっ!?」
司「落ち着け」
 ぺシッ。
 軽く頭を叩いてやる。
末莉「お゛に゛ー さ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛」
司「こりゃまた随分刺されたな」
 表面積が八倍ぐらいになっていた。
末莉「かゆいけど掻いても掻いても収まらず……」
司「あー掻くな掻くな。痒い個所が増えるぞ」
 早速兄としての仕事。
 上等だ。
 死ぬほど懸命にやってやるさ。
司「まずは冷たいタオルで冷やして……」
 冷蔵庫でタオルを冷やして、末莉の患部に当てる。
末莉「ひあっ!」
司「冷たいか?」
末莉「ひえひえですー」
司「じゃあしばらく冷やしてろ。全身な。後は……痒み止めの薬とか
  持ってるか?」
末莉「あ、はい。部屋の机の上から三番目の引出しの中に」
司「よし」


末莉の部屋に到着。
 つーか、よく考えたら薬持ってるんなら塗っとけって話だよな。
 ま、あまりの痒さに錯乱してたからな。
司「末莉の机、っと」
 言われた通り上から三番目の引出しを開けると、赤いキャップの
 虫刺され用軟膏があった。
 それを取る。
司「……」
 突発的好奇心。
 いや、ある意味義務か。
司「悪く思うな思えば負けよ」
 俺はよくわからん言葉を発しながら、一番上の長細い引出しを開けた。
司「……」
 テストの答案、鋏、糊、壊れたシャーペンなどがあった。
司「つまらん」
 続いて一番下のでっかい引出し。
司「うおっ!?」
 たくさんの量の本。
 あと、数枚のCDROM。
司「……」
司「見てはいけぬ物を見てしまった」
 閉める。
 解っちゃいるが、あらためて自覚する妹の悪趣味。
 もっと気の利いた隠し場所はないのか。
司「さて」
 残るは上から二番目の、小さい引出し。
 開ける。
司「……ナニコレ?」
 何やら多量の長細い布が綺麗に畳まれている。
 一枚手にとって見た。
司「七生報国……?」
 中央にそのような文字が書かれていたが意味は解らなかった。
 他にも、忠君愛国、滅私奉公、忠肝義胆、刻苦勉励、精励恪勤などと
 いった言葉が書かれている布があったが、やっぱり意味は解らなかった。

少々時間が掛かったがつっこまれはしなかった。
司「ほれ、自分で塗れ」
末莉「はい〜」
 これで末莉の方はオッケーか。
 次は台所。


真純「あら司くん」
 台所にいたのは真純だった。
 思ったより普通……。
真純「知ってる? ワカサギって食べてもべつに若返りはしないん
   だって。だったらそんな紛らわしい名前付けるなってのよ、ねえ?」
 でもなかった。
 どうせ買い物の途中に三十円セールのある店にでも行ってしまったん
 だろう。
末莉「帰ってきてからずっとその調子なんですよー……」
春花「私やマツリがゴハン作ろうにもマスミがそこをどかないから作れん」
司「はぁ……」
真純「そうだ。どうせならこの世から三っていう数字をなくしちゃえば
   いいのよ。そうすれば私はまだ十歳。うふ、美少女」
司「真純さん」
真純の肩をがしっと掴む。
ウェルカム『心を込めておべんちゃらを言うのよ』
 了解。
司「実は今日ホストの仕事だったんだが、最近の若い女たちの
  肌の荒れ具合は実に深刻みたいだ」
真純「え?」
司「二十代前半? バカ言っちゃいけませんよ奥さん。ウチにはあなた
  より若干早く生まれながらも、その数倍は、いやいや数十倍は
  美しい肌を持った女性がいる」
真純「まあ」
司「いやさ、肌だけじゃない。全体的に見たその造形美はあなたがたが
  何処をどういじろうと全く勝負にもなりはしない」
真純「あらあら、まあまあ」
司「真純さん、あんたの美しさは近代医学の粋を結集した最新技術をも
  遥かに凌駕している」
真純「あらやだもう司くんったらそおんな」
司「あんたは整形美人界のやっかみと妬みを一手に引き受ける、
  ナチュラリー美人だ!」
真純「さあ夕食よ!」
 真純がようやく稼動した。
 これでいい。
 心は込めた、一応。
末莉「おにーさんって、すごいんですね」
春花「すごいすごい」
司「……」
 誉められても嬉しくないのは何故だろう。
寛「ただいま帰ったぞおおおっ!」
司「来たか」
末莉「あ、おとーさんです」
司「さて、今日という今日は息の根を止めてやるか」
末莉「な、なぜにっ!?」
 まずは、出来る事をやる。
 正解かどうかとか、そう言うのは抜きにして、その時々の自分の理想を
 精一杯、懇切に主張する。
 それが、偶像を持たない俺に出来る、たった一つの手がかりなんだから。
 家族を、絆を探すための。


 我が名はグラシアス。
 数々の栄光と幾ばくかの挫折を糧に、現在を行き抜き未来を
 目指してきた。
 だが、どうやら私の命はここまでのようだ。
 天敵に見つかった。
 睨まれた。
 もう、逃れる事は叶うまい。
 私には、仲間がいた。
 家族、といった方がいいかもしれない。
 彼らとは、共に飛び、共に食し、共に笑った。
 出きるなら最後まで共にその時を刻みたかったが、それは仕方のない事。
 彼らには心の底から感謝したい。
 戦闘を生業とし、戦うのみが存在意義だった私に絆というものを
 教えてくれた。
 絆。
 それは暖かいもの。
 心地よいもの。
 かけがえのないもの。
 信頼し、信頼される事の喜び。
 懸想する者と繋がる事の喜び。
 愛し、愛される事の喜び。
 胸を張って言える。
 よき生だった、と。
 ただ、せめて。
 せめてもう一度、この自分の身体と同じ色をしたあの美しい空を見たい。
 茜色が広がる、自分の仲間が自由に飛びまわる、あの空を。
 例え叶わぬ願いだとしても、どうかこれだけは。
 これだけは……。
司「夕食前には探し出してきてな」
春花「はいなー!」
 私を掴む巨大な生物が動き出す。
 速度はそれほどでもないが、不安定な事この上ない。
春花「む」
 突然停止する。
 どうしたというのか。
春花「おお、仲間いっぱい」
春花「見て見てー」
 不意に私の身体が持ち上げられる。
 視界が急速に動く。
 そして、止まる。
 そこに映ったものは。
グラシアス「ああ……」
 胸が詰まる。
 茜色の空。
 そして、それに溶けこむように優雅に舞うたくさんの同士。
 仲間たち。
 家族。
 グラシアス「……」
 もう言葉はなかった。
 ただ、この風景を胸に刻み付ける事だけを考えた。
 結局、戦う事は出来なかった。
 最後の矜持も、今はもうない。
 だが。
 絆だけは、しっかりとこの目に、胸に焼き付ける事が出来た。
 幸せな、夕暮れだった。
 ありがとう。
 言葉にならないその声は茜色の絆となって夕焼けの赤い空を
 結んでいった。
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