「あの人のいる日々」

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 秋も終わりの11月。学校から帰ってきた私は、うきうきした気持ちで玄関のドアを開ける。
 カチャッ。
 玄関には、姉さんとあの人の靴が並んでいた……。
(鳴海さんが来てる!)
 落ち着いたふりをして、私は帰宅の挨拶を元気良く叫んだ。
「ただいま〜っ!」

 制服を脱いで私服に着替ることさえも、もどかしかった。
 私は姉さんの部屋へ急ぐ。
 紅茶の入ったポット、食器、そしてケーキの入った箱をお盆に載せて、私は階段を上った。
(あ、そうだ)
 階段の中ごろから、私はことさら音を立てる。
 ドンドンドンドンッ……。
 さらに念の為、姉さんの部屋の前で声を上げた。
「お・に・い・ち・ゃ・ん、お・ね・え・ち・ゃ・んっ。た・だ・い・ま〜っ!」
(だって、2人が……なにしてるかわかんないんだもん……)
 それから、私はドアを開けたのだけれど……。
 ガチャッ。

「うわっ……」
(またチューしてるよこの人たちはっ?!)
 開いた口が塞がらないとはこのこと……小さなテーブルを挟んで、受験勉強してるはずの2人。
 なのに、なのに、テーブル越しにキスしてる。
 どうしてくれよう……と思った。

「え、え、なに、茜っ?」
「うおっ、茜ちゃん!!……お、お帰り」
 姉さんと鳴海さんが慌てて顔を離す。
「ふーん……姉さん、鳴海さん……。受験勉強してる割にはずいぶん楽しそうですね?」
「あうあう……」姉さんがおろおろして、鳴海さんを見る。
「でも、保健体育は、文学部や経済学部の受験には関係ありませんよ〜?」
「か、勘弁してくれ、茜ちゃん……」
「はわ、わ……」
 鳴海さんと姉さんがうろたえる。……もう一言。
「姉さんの女体の神秘も〜、入試に出ないと思いますよ〜?」
「にょ、女体の神秘……」呆然とする鳴海さん。
「……あ、茜、いい加減にしなさい。怒るわよっ」姉さんが頬を染めて声を荒げる。
「わ、姉さん逆切れ……」
 私は慌てて話を変えた。
「ねえねえ、少し休んでお茶にしよ?お兄ちゃん、お姉ちゃん」
 役に立っているのかどうか怪しい参考書類をどかし、私は、紅茶を入れたポットとカップをちゃぶ台の
 ような小さなテーブルの上に置いた。
「やれやれ……かなわないよ、茜ちゃんには……。休もうか、遙?」鳴海さんが苦笑いする。
「うん、そうだね……」
「えへへ……さっきのこともう言わないからね。お兄ちゃん、お姉ちゃん」

 私が、決まっていた実業団入りを変えて白陵大に進むことにしたことは、かなり周囲に迷惑をかけた。
 周りの人、お父さん、お母さんに「お姉ちゃんと一緒に大学に行きたいんだ」って言って、無理やり進路
 を変更したから。みんな、その言い分には納得してくれた……。

「ケーキを買ってきたんだ、お姉ちゃんのために……鳴海さんには、おまけでですけど」
 鳴海さん〜のところを敢えて冷淡に言いながら、私はケーキの箱を開けた。
 姉さんは鳴海さんの耳元へ寄って、小声で話しかける。
「ねえねえ、孝之君……」
 鳴海さんへの内緒話のつもりらしいけれど、本当にそう思ってるところが姉さんらしい。
「茜はね、本当は孝之君がいるからケーキを買ってきたんだよ。うふふっ……」
「ほらそこっ、何を言ってるの」
 私の顔はとたんに赤くなり、皿に載せようとしていたケーキが横に倒れた。
 笑顔のお姉ちゃんが、みんなの分の紅茶を入れた。「はい、孝之君……はい、茜」
 カチャ……カチャ……。
 そして、テーブルを囲んでのお茶会が始まった。

「茜、今日は練習早く終わったの?」
「え……う、うんっ。たまには早く帰ってきて、進学に備えないと」
 鳴海さんが紅茶を一口飲み、言った。
「近頃、帰りが割と早いよな。茜ちゃん」
「もう3年生は引退だからそんなに練習しなくてもいいんだ。しばらく、暇なんだよ」
 朝練は続けているけど……夕方の練習をさぼっていることは否めない事実。
 練習を強制される立場からは外れたが、自主的に練習を本来はすべきはずなんだ……。
 鳴海さんがつぶやく。
「そうだよなあ、進学決まってるしなあ……」
「そうだよ、孝之くん。茜はすごいんだから」姉さんが私を誉めた。
 鳴海さんが、ポリポリと頭をかく。
「茜ちゃんが、俺たちの先輩になるんだもんな、遙?嬉しいような、悲しいような……」
 鳴海さんと姉さんは、姉さんの健康状態と受験準備の都合上、受験は再来年。
 私より1年遅れ、つまり私の後輩になる予定。
「えへへ……。鳴海さんと姉さんよりしっかりものの妹だから、仕方ないですよね?」
 本当は、同じ年に入学できればいいのに……。

「でも、遙と2人でゆっくり行くよ。なあ、遙?」
「うん、そうだね……。頑張ろうね」
 2人の言葉に、私の心が……ちくっと痛んだ。
「はいはいっ。姉さんごちそうさまっ」威勢良く、私は姉さんをちゃかす。
「もうー、茜ー……やめてよ〜……」姉さんは何度こういうことを言われても、顔を赤くして照れる。
 妹から見ても、かわいい女の子だって思う。
 そんな2人を見ながら、心とは裏腹に、私は愛想笑いをつくる。
「私は、嫌な子かもしれない」……そんな思いが頭をよぎった。

「ね、孝之君。さっき言ってた受験参考書、見に行こう?」
 私と鳴海さんは既にケーキを食べ終わっているのに、まだ嬉しそうにケーキを食べている姉さんが言った。
「うん……行ってみるか」
「え、何?本屋さんに行くの?」
「うん、私が持ってた参考書ちょっと古いみたいなんだ。孝之君も、参考書ほとんど買いなおしてるから」
「あ……そうだね」
 過ぎた3年間に関連する話題がでると、私は未だに言葉がつまってしまう。
 もう、悲しいことも辛いこともないはずなのに……。

「じゃあ私、片付けておくから。姉さんと鳴海さんは、本屋さんに行っていいよ」
「あ。ありがとう、茜。……出かけるのにこの服でおかしくないかな、孝之君?」
「ん……?全然おかしくないぞ」
「そう……じゃこれで出かけちゃおう。行ってくるね」
「それじゃ、行って来るよ。茜ちゃん」
「あ、いってらっしゃ〜い」
 パタンとドアが閉まった。
「はぁ……」
 テーブルに肘を載せ、私は頬杖をついた。

 姉さんの部屋を見回す。
 3年間とてもきれいで、ずっと家具もおもちゃも本も増えることも減ることもなかった部屋。
 火の入ってない暖炉のように、きれいで寂しい場所だった。
 今は違う……。きれい好きの部屋の主のおかげで整頓されているけれど、いろんなものが増え始めて
 いて、そしてなによりも暖かい感じがする。

 一人になった部屋で、私はお茶会の後片付けを始めた。
 お盆にお皿とカップを載せ、ちゃぶ台を布巾で拭く。
 ついでに少しだけちゃぶ台のまわりを片付ける。
 参考書やノートをきちんと積み上げて、それから、ちょっとだけ落ちてるゴミを拾いお盆に置いた。
「さてと、もういいかな」
 そして、最後に少し乱れた並びの座布団を整えようと、床から持ち上げた。

 すると、落ちていたあるものを、私は見つけた。
「あ……」座布団の下には未使用のコンドームが落ちている。
(やっぱり……してるんだ)
 2人のことを不潔なんて思わない、嫌いとも思わない。2人とも大好きだから……。
 ただ……悲しかった。
 鳴海さんにとって、私はただの「恋人の妹」なんだということを思い知らされた気がして。

 それを捨てようしてごみ箱をみると、きれいな紙袋が1つ。
 その口はきちんと折り目正しく畳んであった。
(中を見ちゃいけない。姉さんと鳴海さんに悪いから……)
 私はそう思い、袋の口を開き、中に拾ったものを捨てると、元通りにゴミ箱に戻した。
(たぶん、中には……)
 ……悔しかった、姉さんが羨ましかった。

 そうして……つい、私は姉さんのベッドにもぐりこんでしまった。
 布団の中は、お姉ちゃんのいい匂いがして……かすかに、お姉ちゃん以外の人の匂いが……した。
(鳴海さんと姉さんは、ここで……)
 そう思うと、私の手はいけないところへと伸びていた……。
「鳴海さん……」
 …………。
 …………。
「……茜ちゃん、まだ寝てるな」
 いつのまにか、私は眠ってしまっていて、2人は既に帰ってきてた。
「うん、もうご飯なのに……よっぽど疲れていたんだね」
「でも、水泳の練習そんなにしなくていいんだろ、茜ちゃんは?」
「今でも、朝の練習はちゃんと出てるんだよ。それに勉強も、今まで部活でできなかったし、
 クラスのみんなも勉強してるんだからって。茜、一生懸命勉強してるんだ」

「あっ、だめだよ孝之君。女の子の寝顔、じっと見ちゃ……」
「しーっ、茜ちゃんが起きちゃうだろ……小さな声で話せって」
「そ、そっか……。でも、だめだよう……」
 鳴海さんが、私の顔を覗きこんでいるようだ。
 目を開けるタイミングを逃してしまったような気がして、私は寝たふりを続けた。
 私の胸は何故かときめく……。

「やっぱり、遙と茜ちゃんてよく似てるよな」
「そうかなあ?」
「目のあたりとか……寝顔なんかそっくりだ」
「へへ……かわいいでしょ?」姉さんの自慢そうな声。
「そうだな、美人だよ。茜ちゃんは」
「じゃあ、私も美人だね。茜と似てるんだから」
「……ふっ」
「たかゆきく〜ん……」

「茜ちゃんも好きなやつとか、いるんだろうな」
「え……どうして……?」
「だって、高3だろ。俺と遙が付き合いだしたのも、高3だぞ?」
「うん……。そうだね」
「だろう?……茜ちゃんに惚れられる男は、幸せだよな」
「なんで?」
「だって、遙と同じくらい、いい子だから」
「うん、茜はいい子だよ……」

「あの……あのね、孝之君……」
「ん?」
「茜は……孝之君のこと、好きなんだよ……」
(姉さん、何を……?!)私は、布団の中でぎゅっと両手を握り締めた。
「うん、それはわかってる……。遙が入院してたとき、よくわかってる……」
「え……?!」
(鳴海さん?!)
「姉さんの恋人って認めてくれて、お兄ちゃんって呼んでくれて……。
 俺のことを心配してくれて、家族みたいに扱ってくれたんだから……」
「う、うん……」
(ちがいますっ……そんなんじゃないんです、鳴海さん)
 寝ているふりをしている私の目から、つい涙が零れ落ちていた。
「う、う〜ん……」寝返りを打つふりをして、急いで私は鳴海さんから顔をそむけた。
「あっ……。た、孝之くん、そろそろご飯だから下に行こう?」
 唐突に姉さんがそう言った。

「おい。今、茜ちゃん泣いてたぞ。悪い夢でも見てるんじゃないのか?」
「ね、早く……」
「でも……起こさなくていいのか?」
「泣き顔見てたって言ったら茜嫌がるよ、女の子なんだから……。行こう?」
「そ、そうか……」
「そうだよ、ね……。茜のご飯はとっておいてあげれば大丈夫。だから寝かせておいてあげよ?」
「うん、わかった……」
 ようやく、2人は部屋を出て行くことにしたようだった。

 部屋の電気が消えて……姉さんが、ぽつりと言った。
「ごめんね……茜……」姉さんの声は、泣き声まじりだった。
 パタン。
 そして、静かにドアが閉まった。

「うくっ……うぅっ……ひっく……」
(このままじゃベッドから出られない、泣き止まなくちゃ……)
 そう思っても……私は、流れ出る涙を止めることができなかった。
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