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あやかしびと幕間「帰郷を目指して」

日本を発ってから、いろんな事があった。
すずは潜水艦が狭いと愚痴をこぼし、トーニャはそんなすずをからかった。
それは以前と変わる事のない、それでいて切り取られたような、日常。
愛しいものが、そのときは残酷に感じたものだ。俺は、切り取られることの無い日常の中にいたのだから。
自分はまたかけがえのないものを失ったのだと、そう実感してしまう。
すずはそうじゃないのか?トーニャはそうじゃないのか?
そんな問いかけが苛立ちに変わるのに、そう長い時間かからなかった。
普段どおりでいる二人に憎悪さえ感じるようになってしまった。
だが。今考えると、それは全く違っていたのだ。

すべてが偶然、とは言い難い。
「陰気くさい顔ばっかしてないで、たまには気分転換してきなさい」
すずの言葉に、仕方なしにあてがわれた部屋以外をうろうろすることにした。
しかし、潜水艦である。見た目とは大きさとは裏腹に、人間の行ける範囲など、たかが知れている。
水圧に耐える分厚い板金、浮沈を制御するバラストタンク、それに各種武器庫。
加えてこの船は本来、チェルノボグのような部隊を乗せる為の艦だ。当然詰め所のような部屋をはじめ似たような構造の部屋が多くなる。
そんな事に気付いたのもぐるりと艦を一周しかかった頃だった。だから。
それに気付いたのだけは、まぁ偶然と言っても差し支えないとおもう。
トーニャが艦長室に入っていくところだった。
「トーニャ?」
失敗だったかもしれない、と思ったのも声をかけた後だった。彼女の表情が、歪んだように見えたから。
それも刹那。繕われた。
「双七君?」
「何…してるの?」
正直に言おう。自分はこのとき、邪推をしていた。艦長室には…当然艦長しかいない。
ウラジミールさんと昔馴染み―ということはトーニャと昔馴染みの可能性もある―――俺はそんなありえないことを考えていたのだ。
だから、次の言葉を聴いた時。俺は。
「ああ、……兄の話を…聞こうと思って」
自己嫌悪で、死にたくなった。


少々気まずい間。それでも。
「あのさ……俺も、一緒に聞いて…いいかな?」
こう聞けたのは、このとき既に自分の心が変わり始めていた兆候だったのかもしれない。
「ええ、当然じゃないですか」
トーニャはうってかわっての笑顔で頷いた。
艦長の部屋へと入る。
「…トーニャくん、また来たか。……ん?今日は彼も一緒に?」
俺には、余りよい感情を持ってなかった。と後に彼は語ってくれた。俺たちが艦を降りるときだ。
曰く「娘を取られたみたいだ……と言うのは冗談だがね。………必死になってる彼女らを察してやれってことだな。そんな鈍感な所がな嫌いだった。ん?今?…少しはましになったかな?」
などと言っていたが。…正直、正論なだけに返す言葉もございません。
「でも…いいのか?」
「構いません。彼には……聞いて貰いたいと思ってましたから」
それから、彼はウラジミールさんのことを語りだした。
手紙の話。
艦長さんとウラジミールさんのロシア海軍時代の話。
ウラジミールさんが語った、イヴェンスキ研究所に引き取られてきた話。
彼が好きだった、アニメやゲームの話。
「私にはさっぱりだったがね」
それはそうだろう。そう頷いた矢先。
「でも、彼がなんでそういうものを好きだったかはわかっているつもりだ」
「え?」
ちょっと信じられないことを聞いたので、思わず訊き返してしまった。
「信じられない、かね?」
こういうとき、顔にでるのは心底イヤだと思う。しかしそれは、俺だけに向けられたものではなかった。
「あんなもの好きなのに理由なんて…」
「あるんだよ。彼はね、確かに『モエ』とかいうのも好きだったが…それ以上にヒーローものが好きだった」
あぁ…なるほど。だから。
「……」
「彼は、弱者はヒーローが助けてくれる、そんな漫画や何やらが好きだ、と言っていたよ。信じる者は救われるべきだ、とも。……あいつはさ、……いい意味で…純粋な奴、だったんだな。大真面目にそんなコト実行するんだからよ」
トーニャのことを、妹の無事を純粋に信じるトーニャのことを、守ろうと思ったのか。

アントニーナ・アントーノヴナ・ニキーチナは、ウラジミール・ガヴリーロヴィッチ・シューキンのことを何も知らなかった。それは、ここへ来て、一層残酷だった。
「…馬鹿…馬鹿……ッ!!…死んじゃったら……死んじゃったら何にもなんないじゃないっ!!悲劇のヒーローなんて気取りすぎよぉっ!……」
トーニャは号泣した。涙。彼女の涙を見るのは、兄と妹が――ウラジミールとサーシャが亡くなったとき以来だった。
彼女は………俺以上に溜め込んでいたのだ。当然だ。俺は今までの生活を失っただけだ。しかし彼女は――――それだけでは決してない。
俺は自分が情けなかった。自分が悔しかった。……そして――彼女を見てられなかった。
「あれ、ひっく……こん、なっ、ぐす…はず……じゃ、なかっ…ひっく…たんだ…け――――――」
なら、することは一つ。抱きしめてた。ぎゅっと。
「ごめん」
謝った。許してくれていた彼女に。何を?それは勿論。
「なん、ひっく…でっ、そうっ、しち…ひっく、くんが、……あやま…るん、ひっく…ですか?」
彼女のことを気遣うことがなかった自分を。自分のことしか考えられず、彼女の事を考えられなかった自分を。
「それでも、ごめん」
俺は思った。取り戻してやれないか、と。彼女の大事な物を。
そうして考えたとき。
「ああ、簡単じゃないか」
それは当然、頭には有った事。けど。
「…?」
彼女に、ここでそれを言うのが一番だと思ったのだ。
「俺達の神沢市(ふるさと)へ…いつか、帰ろう、な?」
トーニャは。
俺の胸に顔をうずめるようにして、泣いた。
再び俺が、立ち上がれるようになった、そんな日。


大変なのはそれからだった。
トーニャはこう言った。
「終わらせておきたいことが、あります」
トーニャの言葉は――そしてその内容は――半ば予想できたことではあるが、俺は一も二も無く頷いた。
すずは、
「ま、これで借りが出来るわねっ!狸娘ッ!」
などと言っていたが…照れ隠し混じりの冗談だと信じたい。
そんなこんなで。
俺たちは、ドイツの某都市に潜伏した。
トーニャのやりたい事――もとい、俺たちが成そうした事をやり遂げるには、その方がいいと思ったから。
ウラジミールさんには悪いと思ったが、ここは、譲るわけにはいかない。俺もトーニャもすずも、そういう道を選んだのだ。
日本に帰るのには、時間が必要。なぜなら、警戒を解いてもらう必要があるから。
それならば―――他の事に時間を費やそう。
そう。
イヴェンスキ研究所を潰す。曰く、
「国の機関であるあの研究所を簡単に潰すわけにもいかないでしょう。―――サーシャや兄のような人を生み出さないためにも…あの研究所は潰すべきです」
彼女は決して『自分のように』とは言わなかった。トーニャにそのことを言うと
「馬鹿。双七君がいて、すずさんがいて…自分は今こんなに楽しいですよ?不幸であることなんて一つもないです」
泣きそうになった。
「双七君、また泣くの〜?」
「……ぐす……っ!泣いてなんかいません!」
笑う(偽)姉妹。最近さらにコンビネーションに磨きがかかってきた気がする。負けっぱなしだ、俺。



「――七くん、双七くん?」
我に返る。
スヴェルドロフスク州。イヴェンスキ研究所。
それが、今俺たちが向かう先だ。
ここにたどり着くまで二年。本当に長かった。最近銃の扱いにもなれ、彼らの声もよく聞こえるようになった。正直、銃の扱いになれる自分はどうかと思ったが…選んだ道だ。甘んじて受け入れよう。
それより……かぶっている、帽子(なんていうのかはよくしらない)が気になる。
「どうしたんですか?」
いい言い訳だ。
「いや、その……突入する時…さ、帽子かぶらないでいいかな?」
気になるのは、まったく持ってその通り。自分の髪の毛に少しだけ感謝――――間違っても、過去のトーニャの泣き顔を思い出してましたーとか、いえない。
「えー、ふかふかであったかくて気持ちーのに」
すずは、この帽子がお気に入りのようだ。
「別にいいですけど…寒いですよ、ロシア……!あぁ温まりたいからウォッカが欲しいですかそうですかそれではですね」
「嬉々としてウォッカを勧めないでください…」
こんな会話も、今後のための大事な活力剤。明々後日、ようやく帰郷への第一歩――イヴェンスキ研究所へと、俺たちは向かう。
入念な下準備。見取り図、潜入経路、脱出経路、奪取すべき物、破壊すべき物。
全ては、整った。後は運を天に任せ―――八咫鴉―――いや駄目だ。自分で切り拓こう。
明日は飛行機。いよいよロシア入りだ。
「じゃあ、そろそろ電気消すよー」
すずの声。
「飛行機乗るの初めてだからって、田舎から出てきた人にならないで下さいね、お二人とも」
トーニャの声。
守り守られ―――そして、共にある声。
俺たちは三人で、神沢に帰る。
そうして、俺は目を閉じた。
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