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クリスマスイブ前夜

 ガラガラッ…
 私は引き戸を開けると、ゴム草履をツッカケてベランダへと出た。
 12月23日深夜。雪こそ降ってはいないものの、冬真っ直中の風は冷たく頬を切る。
 もちろん風邪をひく訳にはいかないから、普段着の上から厚い綿の入ったどてらを着込んで私は外の冷気に備えた。
 問題なのは、そのどてらが私に全く似合わないものだということか。だけど別にどてらに責任がある訳じゃない。むしろ似合わない原因は私のほうにあった。
 頭の後ろでしっかりと結わえられた…仕事の邪魔になるのが嫌だからだけど…金色の髪と白い肌は、とても純和風の服装が似合うはずもなかった。まあ、それはフランス人の母方の祖父の遺伝であって、仕方のないことだし私自身それを疎ましいと思ってるわけじゃない。
 私の名前は花鳥玲愛。今年駅前に新設された巨大ショッピングセンター「ブリックモール」のに店を構える喫茶店「キュリオ」のチーフを務めている。
 いまは仕事を終えて帰ってきて、あくまで「いつも通りの日課」として夜風にあたりにベランダに出たところ。
 チン…
 隣のベランダから、仕切りのボード越しにオイルライターの蓋が弾かれる音が聞こえてきた。そしてそのまま煙草に「彼」が火を点ける気配が伝わってくる。
 私達二人の距離は、たぶん50cmも離れてはいない。「非常の際にはここを破って隣へ脱出できます」と書かれた、たかがそんな程度の仕切りが二人を分かってはいたけれど。
 「偶然ね」
 私は隣人に声をかけた。彼がベランダに出てきてたのは物音でわかってはいたけど、彼が出てきた時間に「偶然」私もベランダに出たくなったのだから、まあ、嘘ではないと思う。
 「そだな」
 彼は…隣人にして同じブリックモールでのライバル店「ファミーユ」の店長の高村仁は、そのあたりには突っ込むことなく返事を返してきた。
 「いよいよ明日ね…」
 私の言葉の一つ一つが、白い霧になって夜空に吸い込まれていく。明日は12月24日。クリスマス=イヴ。私や彼の店のようなケーキがメインの喫茶店にとって、一年で一番忙しい一日。
 「ああ。…花鳥も今夜は早く寝ておいたほうがいいぞ」
 彼は当たり前のようにそう答えた。
 「………」
 私の沈黙を、仁はどう受け止めたのだろう?
 「…おい?」
 訝しげな彼の声が聞こえてくる。

 「…『花鳥』って、いったい誰の事かしらねぇ〜!ファミーユの店長〜!」
 私は声に目一杯険を含ませた。実は彼の店には私の義理の妹の花鳥由飛がいる。それが紛らわしいからと名前で呼び合うようにと約束したのが、ほんの一時間前のキュリオ店内でのこと。
 まあ、本当に「紛らわしいから」という理由以外のなにものでもないはずだから、どうでもいい事には違いないんだけど、さ。
 「…悪かった、玲愛」 
 仁は大人しく負けを認めた。以前とは違ってここから言い争いにならないのが、少し寂しいような気もする。
 「まっ、いいでしょ。許してあげる」
 ちょっと茶化して言ってみたけど、今の私は相当に意地悪な顔をしているに違いない。
 私達は帰りもずっと一緒だった。もちろんその間中喋り通してたし、名前でも呼び合い続けた。でも…互いの顔が見えるから話せないこと、互いの顔が見えないから話せることというのも確かにある。
 「…ねぇ…仁…」
 夜の闇に流れていく紫煙が鼻孔をくすぐる。煙草の匂いは正直好きじゃない。でもこの匂いが隣にあるのも、すでに今の私の日常の一つだった。
 「ん…?」
 煙を吐ききったタイミングで彼は答えた。
 「『あの人』のことだけど…」
 そこからは言葉が出なかった。私の視界では遠くを電車の明かりが時を刻むかのように右から左へと流れていく。
 仁は私の言う「あの人」が姉の由飛を指していることを知っている。なぜ私が「由飛」とも「姉さん」とも呼べないかということも…。もちろん私と由飛がそんな関係となるにはいろいろあったんだけど、一番の原因は、私自身。
 仁は…続きを促すようなことはしなかった。ただ黙って紫煙をくゆらす。
 「………なんでもない」
 私は今更何を訊くつもりだったのだろう?いや、逆に訊きたいことがありすぎたのか…。
 仁は由飛に魅かれてる。それは事実。だってさっき店内でそれを尋ねたときに彼は否定をしなかった。
 それは仕方のないこと。だって由飛は私なんかと違って他人を魅きつける魅力にあふれてたから。…昔っから!
 だから…私は、逃げてきた。逃げるしか、なかった!憎むこともできずに、ただそんな義姉が羨ましくって妬ましくて、そしてそんな自分が大っ嫌いだったから!

 なのにこいつは…隣のベランダでのんきに煙草なんかふかしてるこの馬鹿は、私に逃げることを許さないのだ!
 眼下に点在する小さな灯り達が他人顔でクリスマスイヴの前夜を祝っている。遠い…それらは私からは酷く遠い…。
 「玲愛…寒くないか?」
 仁が声をかけてきた。たぶん、知らずに時間が経っていたのだろう。
 言いたかった。そう思うなら抱きしめてよ!って。由飛じゃなくて私を!って。
 …言えるわけがない。
 「寒いに決まってるじゃないのよ!」
 急くようにそれだけ投げつける。
 「なら、寝ろ。明日は倒れるわけにはいかないんだから」
 相変わらずの落ち着いた口調が、妙に小憎たらしくて…愛しい。以前私が風邪で倒れて看病してくれた時と変わらぬ物言い…。
 「…寝るわよ。おやすみっっ!」
 言い捨てて私は踵を返した。そして部屋に帰ろうとして…何故だか数瞬だけ躊躇う。
 「…ああ。また明日な。おやすみ」
 その言葉を聞いて初めて私の足は仕事を始めた。


 照明を消してベッドに潜り込む。…何も考えないようにと思えば思うほど、不安が胸の中に染み渡っていくようだった。
 明日、すべてが決まる。私と、由飛とそして仁の関係が明日変わってしまう。
 それは、逃げられない戦い。そして多分…ううん絶対、私の負け戦。
 それでも…。
 「仁ぃ…眠れないよ…」
 私は頭から布団をかぶりながら、漏れ聞こえないようにそれだけ呟いた…。
■戻る■  「私は頭から布団をかぶりながら、漏れ聞こえないようにそれだけ呟いた…。 」
 男はダンボールの脇にしゃがんだまま、手に取ったノートを読んでいる。
 「仁っ!なにサボってんのよ!男手はあんたしかいない……って、ああ〜!」
 金髪の女性…高村玲愛(予定)は、大声で叫ぶと仁の持っているノートを取り上げた。
 「あんたっ!なに勝手に人の日記読んでるのよっ!」
 彼女は怒りと恥ずかしさで身を震わせながら、涙目で抗議した。
 「あ…いや、えっと…」
 仁は必死で言い訳を考えた。そして…諦めた。
 「……読んだわよね?」
 彼女の背中から、黒いオーラのようなものが立ち上る。少なくとも仁にはそう見えた。
 「………うん」
 げしっ!
 仁の顔面に、玲愛の靴底がめり込んだ。
 「さっさと荷物持ってくるっ!早くっっ!」
 今日は郊外に新規に立てた喫茶ファミーユ本店への引越しの日。仁と玲愛が手を取り合って必死で頑張って築き上げた夢の、その第一歩となる記念すべき日。
 玲愛は手に持った古ぼけたノートに視線を落とした。
 「…まだ捨ててなかったんだっけ、これ」
  でももういらない。私達はこれから一緒に新しいページを書き込んでいくんだから…。