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あやかしびと アナザーサイド「比良賀渉」

車内に鈍い打撃音が木霊する。
肉を打つ、という音ではない。何かを「捩じ込む」ような、そんな音。
円転自在にして球転自在。
それが、九鬼耀鋼という男の戦闘の論理(ロジック)である。
(九鬼の旦那が車外に上がってもう五分)
バックミラーを見る。車内にはターゲット――少女が一人。後方にはバイクに乗っている男子生徒が一人。そして。
彼にブン投げられた男子生徒―――武部涼一である。曰く、「九鬼耀鋼唯一の弟子」
二人とも車上で何かを喋っているようだが…あまりよくは聞こえない。まぁ、そんなことはどうでもいい。
比良賀渉は考える。
(足場を崩すべきか?)
九鬼耀鋼にはそれが大した障害にならない、と判断してのことだったが、一応隊長には許可を取った方がいいだろう。
「車…揺さぶった方がいいですかねえ?」
比良賀の言葉に助手席に乗っていた薫が首を横にふった。
「……いや、武部涼一の能力を考えると、それをきっかけに車を止めにかかるかも知れん。彼の能力がどれほどのものかはわからないが、そういう可能性もある。今ならまだ九鬼さんに任せておいたほうがいいだろう」
「そうですかい」
言いながら、バックミラーを再度伺う。依然こちらに併走しているバイク。不可解だった。
彼も当然人妖だろう。先ほどの武部涼一を投げたのが彼の能力であることは明白だ。そこはいい。しかし。
(神沢市から「出られる」ってのはどういうこった?)
比良賀は首を捻った。彼の本来の権限――公安の権限を使えば容易いが、一般市民が、それも学生がおいそれと出られるような所ではないはずだ。
(考えるな)
自分に言い聞かせる。敵は、いる。いるはずが無い、と自分が駄々をこねても、現実が変わるわけでもないのだから。
途端、一段と鋭い打撃音が響いた。車の屋根をブチ抜かれると思ったほどの衝撃が、二人を襲う。
「…………っっっっ!!!!!」
「……が……っっ!!!?」

とっさに後方を確認。すると
(やったか…!?)
車から転げ落ちそうになっていた武部涼一を、バイクの男子生徒が受け止めようとしている所だった。
このチャンスを逃す比良賀ではない。
体勢を何とか立て直し、スピードを落とさないよう走行する。このあたりの技術は他の人間に負ける気はしない。
すぐに九鬼耀鋼が窓から入ってきた。だが、様子がおかしい。
「…がっ…はぁ……」
「どうしたんですかい?」
「いやなに…ぐ…馬鹿弟子も腕をあげやがって嬉しい限りってことさ」
どうやらダメージを多少負っているらしい。彼にとっては珍しい話だ。
それでも九鬼耀鋼は仕事を完遂する。
バイクがバックミラーの中で小さくなってゆく。当然だが、人間大の物体を受け止めて慣性を殺しきれるわけもないだろう。
「このままドミニオンまでこの娘を連れ帰れれば任務完了だ。…いやなに、追ってくるにはまだ時間がある。なら、迎え撃つまでに時間があるだろうさ」
九鬼耀鋼の予想が久方ぶりに外れたのはこの360秒後だった。

「!」
今日は、面白い日だ。そう直感的に比良賀は思った。九鬼耀鋼のこんな表情を見るのは初めてではないか。バックミラーに見える、九鬼の表情には一見の価値がある。驚愕?焦燥?それとも―――他の何かか。そんなことに気を取られたのが間違いだった。彼は運転中であったのだ。
「比良賀!!気をつけ―――」
そもそも。
「え―――――」
彼は。
「ん――――?」
何に対して。
「――――――――ど阿呆が」
そのような表情をしたのか。

「そんな、バカな――――?」
この一瞬、比良賀渉は珍しく混乱していた。予測不可能の事態。とはいえ。誰がそのようなこと予想できるだろう。
「白い何か」が降ってきた。それは人のカタチにも見えて―――いや、紛れもなく人だ。
文字通り、掛け値なしに。何もない中空から?―――そんな、神沢防壁を越えてくるなどと…?
“彼女”はそのまま大きく刀を振りかぶって――――
(刀!!!?)
「はあああぁぁぁぁッッッッ!!!!!!」
ハンドルが切られる寸前。
「一乃谷流、――――鋼獅子ッッッ!!!!」
彼女の刀が易々とボンネットに食い込んだ。
ハンドル操作が効かない。キキキキキィという金属同士が悲鳴をあげる音。左右に揺れる車。―――それでも折れることのない肉厚の刀。彼女の肩越しに見える刀はなおボンネットを食い破り…
「比良賀ッッ!!」
薫が叫ぶ。彼女も事態の急転には混乱しながら、それでも現状を把握していた。
「車はもう使えんッ、降りるぞっ!」
手段はどうあれ、追いつかれた。事実を認識する。逃避から自分を無理矢理引き戻し、応える。
「へいッッ!」
九鬼耀鋼は…心配するまでも無かったが、それよりも件の少女が気にかかった。彼女を連れて帰らなければ今回の任務は失敗なのだ。自分の本来の任務にも支障が出る。
結論から言うと、比良賀の心配は杞憂だった。半分は。つまり、件の少女は九鬼耀鋼が小脇に抱えて車から飛び降りる所だったから。ただし。心配が必要ないはずのもう半分。
(九鬼の旦那が、嗤ってる?)
自分の元弟子と戦って?それともあの女子生徒の手際を見て?あるいは―――両方だろうか。
心配――というのとは少し質は異なるが、これは。
(悪い兆候かもしんねぇっすな)
比良賀はそう思いながら、運転席の扉を開けた。
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