はじめてのおつかい・ラキオス編

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 先日の「ユート様と遊びたい事件」から数日後のこと。
 第二詰め所の住人たちとの間に、予想以上の隔意が存在していることを思い知らされ
た悠人は、さっそくレスティーナ王女に掛け合って、第二詰め所の空き部屋を「臨時隊
長室」に改装する許可を得た。これまでは第一詰め所に自室があることもあって、当然
のようにそこだけで起居を済ませていたが、これからは第二詰め所においても、日替わ
りで隊員たちと寝食を共にすることで、不要な垣根を取り払おうと考えたのである。
 本当なら、詰め所そのものを統合するのが融和の観点からは理想的なのだが、王城の
警備上、兵力の分散配置は不可避なために、悠人の方が身体を二つに割った次第。
 無論、このようなスピリット本意の処置は前代未聞であった。ゆえにその「奇行」を
「エトランジェの妖精趣味の萌芽」と揶揄する向きもあったが、上申した方もされた方
も、それを意に介することはなかった。
「そういうわけでぇ、ユート様が私たちの館にぃ、住むことになりましたぁ」
 第二詰め所での夕食後。デザートのヨフアルとお茶を楽しんでいた面々を前に、給仕
長を務める『大樹』のハリオンが、いつもの間延びした口調で報告するや否や、年若い
スピリットたちが俄然色めき立った。
「はいはいはーい、ユート様の部屋は、ネリーたちの部屋の隣にけってーい!」
 立ち上がり、手をブン回して手前勝手な部屋割りを叫んでいるのは、『静寂』のネリ
ー。「持って生まれてくる神剣を間違えた」とも、「神剣に間違えられた」とも言われ
る第二詰め所随一の元気少女である。
「ちょ、ちょっとネリーさん、そ、それは困りますっ! ネリーさんの隣の部屋は、私
の部屋じゃないですか……」
 ネリーの世迷い言を真に受けた『失望』のへリオンが慌てて立ち上がった途端、ネリ
ーの振り回した拳がきれいに鼻柱に入った。
「むぎゅーーーーーっ!?」
 目から火花を飛ばしつつへリオンは卒倒するが、撃墜数1を稼いだネリーも含めて気
に留めるものはいなかった。

「住むって言っても、こっちに移住する訳じゃないんでしょ? だったら、客間に寝泊
まりしてもらえば事足りると思うんだけど」
 挙手と同時に指名を待たず『赤光』のヒミカが疑問を呈した。今この詰め所の唯一と
もいえる空き部屋は、半ば物置と化していることを思い出したからだ。
「それはねぇ、ユート様がご自分は『お客様』じゃないから、客室は使えないっておっ
しゃったからなのよぉ」
「……ま、ユート様がそうなさりたいのなら、しょうがないわね。幸い空き部屋はある
ことだし」
 ヒミカはそれ以上異議を唱えることなく引き下がった。もとより、スピリットの分際
でエトランジェの意向に逆らうつもりもないのだが。
「……じゃ、あの部屋片づけなきゃなんないわけ? あぁ面倒…」
「もう、ニムったら二言目には面倒面倒って…」
 この話の帰結点を理解したニムこと『曙光』のニムントールが、食卓に突っ伏して見
せる。それを見咎めた『月光』のファーレーンがたしなめるような視線を送るが、ニム
は素知らぬふりを決め込んだ。
「はんたいはんたーい! ユート様のお部屋は、ネリーたちの部屋の隣がいいのっ!」
 話の雲行きが怪しいと察したネリーが、食卓に身を乗り出して異議を申し立てた。
「シアーも、そう思うよねっ!?」
「もぐもぐ……ほえ?」
 それまで一生懸命お肉と格闘していた『孤独』のシアーだが、突然呼ばれてきょとん
と小首を傾げた。口の周りをソースで汚したその表情から察するに、話を聞いていたと
は思われない。ネリーは片眉をつり上げて、シアーに詰め寄った。
「だ・か・ら! シアーもネリーの言うことに賛成でしょ?」
「えと……うん、シアーは、ネリーに賛成ですぅ〜」
 ネリーの迫力に圧倒されたのか、シアーはこっくりと頷いて見せた。姉さえよければ
それでいい、非の打ち所のないお姉ちゃん子である。
「……ところで、何のお話ですか〜?」
「ほら、シアーもそう言ってることだし、そうしようよっ!」
 妹の素朴な疑問などお構いなしに、ネリーは自分の主張をごり押ししようとする。

「そうは言ってもぉ、困りましたねぇ、ネリーとシアーの隣の部屋はぁ、へリオンの部
屋ですしぃ……あらぁ? そういえば、へリオンはどこにぃ?」
 へリオンの席に彼女がいないのを認め、ハリオンはきょろきょろと辺りを見回した。
彼女の席からは、床に大の字になっているへリオンは見えない。
「ん? さっきまで居なかったっけ?」
 ヒミカが今気づいたように見回すと、食卓の下からにょっきりと手が生えた。
「あらあら?」
 病的に震えるそれが、がしっと食卓の表面を捕らえると、その影から黒いツインテー
ルがサルベージされたではないか。
「あらぁ、へリオン。そんなところで寝てたらぁ、風邪引いちゃいますよぉ〜」
「ち、違いますっ。ふぇぇぇぇ……ひ、ひどいですよ〜、ネリーさん……」
 目尻に涙を湛え、鼻梁を手で庇いつつ立ち上がるへリオン。
 全く身に覚えのないネリーは、目をぱちくり瞬かせて、へリオンを眺め回した。
「あれ? へリオンいたの?」
「いたの、じゃないですよ、もう……とにかく、私の部屋は勘弁してくださいよ」
「えー? じゃあ、へリオンがユート様と一緒の部屋に住むってのはどう? うん、こ
れなら完璧じゃん、ネリーってあったまいいーっ!」
 一瞬不満げな顔をしたが、ネリーは突然閃いたアイデアに自画自賛を添えた。
「私の部屋にユート様を……? そ、そそそそそ、それは、こ、困りますよぅっ!! 
だ、だって、そんな、ユート様と一緒になんて、その……あわわわわ」
 一呼吸間を置いてネリーの戯言の意味するところを理解したへリオンは、耳まで真っ
赤にして狼狽えた。
「どうして? その方がユート様といっぱい遊べるじゃない」
「そ、それはそうかも知れませんけど、だったら、ネリーさんの部屋にユート様をお泊
めすればいいじゃないですかっ!」
「それはだめだよ、だって、ネリーは女の子だもん」
「わ、私だって女の子ですっ!」
 こうなってしまえば、誰かが止めない限りどこまでも脱線していくのが常である。
「もう、おやめなさい、二人とも。話が一向に進まないじゃないですか!」
 いつものようにファーレーンが仲裁に入った。ニヤニヤ見ているだけのヒミカ、おろ
おろするばかりのハリオンでは、使い物にならないのである。

「はぁーい」
「す、すみません……」
 一人は不承不承、もう一人は恥じ入りながら着席する。
「ハリオン、続けてください」
「え、ええ。そうですねぇ、やはりユート様のお部屋はぁ、あの空き部屋にしましょう
かぁ。それではぁ、明日の訓練が終わったらぁ、みんなでお掃除しましょうねぇ」
「ちぇーっ」
 ハリオンの裁定に舌を鳴らしたのはネリーだけだった。
「……わかりました」
 まるで覇気のない返事は、それまで気配がまったく感じられなかった『消沈』のナナ
ルゥのものだ。声だけでなく、全体から彼女の「自我」の存在を認めることは難しいの
だが、未だにハィロゥが黒く染まってないところを見ると、神剣に飲まれているわけで
はないようである。
「……話は、これだけですか?」
 ナナルゥ同様にいるのかいないのか分からない『熱病』のセリアが素っ気なく問いた
だす。彼女もナナルゥのように生気の薄い受け答えをする方だが、セリアの場合は、他
人との必要以上の関わりを謝絶する意志が滲み出ていた。
「ええ、これだけですぅ。他に何もなければぁ、お開きにしましょう」
 ハリオンが一同を見渡して告げると、幾人かのスピリットは席を立った。
「……それでは、私たちはパトロールに行ってきます」と、セリア。その後に無言でフ
ァーレーンも続く。
「それじゃぁ、ニムは片づけをお願いねぇ〜。私はぁ、お風呂に行ってきますからぁ」
「……はぁ、面倒」
 今度は一言目にぼやいてから、ニムは汚れ物を集め出す。そのあまりの多さに閉口し
て、視界の端に移った赤い髪の持ち主を目ざとく呼び止めた。
「ねえ、ナナ。手伝ってくれない? どうせ後は寝るだけなんでしょ?」
「……はい、わかりました」
 食堂から今しも退室しようとしていたナナルゥは、言われるままに踵を返した。ある
意味もっとも「スピリットらしい」従順な彼女を便利使いする向きは割と多い。そのこ
とを特に疑問に思うような者もいなかった。
 なにしろ、それはこのファンタズマゴリアでの「常識」だったのだから。

「シアー、お風呂行こうよ」
 自分の意見を退けられて腐っているかと思いきや、ネリーは何事もなかったかのよう
に笑顔だった。頭の中は、もう風呂場でシアーと何して遊ぶかというアイデアで埋め尽
くされている。
「う、うん。ちょっと待っててね…」
 シアーは、最後に残った肉の一切れを小さな口に放り込むと、もぐもぐもぐもぐ……
と丁寧に噛み砕く。すっかり冷えて美味しくないんだから、そんなの残せばいいのに…
…と、いつも一人だけ食事が遅い妹を、ネリーは焦れったそうに見守っていた。
「もう、早くしなよー……?」
 ふと、その目がテーブルの上に残されていた焦げ茶色の物体を捕らえた。今晩のデザ
ートのヨフアルである。もう焼きたてというにはほど遠いが、冷えたヨフアルもそれは
それで味わいがあるのだ。
 ネリーは、何の気なしにシアーの肩越しにそれを取り上げ、欠片をこぼしながらぺろ
りと平らげてしまった。
「うん、でもやっぱり焼き立ての方が美味しいよね……」
 汚れた指を服の裾で拭いながら一人合点に頷くと、ちょうど下げた目線が、振り返っ
たシアーの目とぶつかった。
 自分と全く同じ、深い藍色の瞳が、じんわりと潤み始めるではないか。
「し……シアーのヨフアル〜」
「え?」
「せっかく取っておいたのに〜、ネリーが食べた〜っ!」
 何の気なしの行動を責められて、ネリーは動揺してしまう。
「そ、そんなの知らないもん。だいたい、シアーがいつも食べるのが遅いのがいけない
んだよっ!」
「ふぇ〜〜んっ、ネリーがシアーの食べた〜っ!」
 ネリーの抗弁など馬耳東風、シアーは泣きながら姉の横暴を糾弾した。
「あんたたち邪魔よっ! ほら、あっち行った行った!」
 通りすがりのニムまで、あからさまに邪険にしてくる。ただでさえ面倒ごとが嫌いな
ニムにして見れば、後かたづけ以上のことはたくさんなのだ。

「そんなこと言ったって、ネリーのせいじゃないもんっ!」
「……っていうか、あんた学習能力あるの? 何回同じことすれば気が済むわけ? 前
もあんたがシアーのおやつを取ったの取らないのって…」
「うぐっ…」
 一度口を開けば、ニムは容赦というものを知らない。ぐうの音も出ないネリーは、仕
方なくシアーの腕を引っ張り、この場を退散しようとする。
 しかし、シアーは微動だにしない。椅子に根を生やしたかのごとく、頑張ってくる。
「シアーのヨフアル、返して〜っ!」
「もう、食べちゃったものはしょうがないでしょ!」
 すっかり駄々っ子のシアーは、聞き入れようとしない。さらに後ろからはご機嫌麗し
いニムにせっつかれと、俄にネリーの進退は窮まったかに見えた。
 丁度そのとき。風呂にいったはずのハリオンが、ひょっこり入り口から顔を覗かせ、
きょろきょろと辺りを見回した。
「あ、いたいたぁ。ネリー、シアー、ちょっといいかしらぁ〜?」
「え? あ、ちょっと待ってねっ!」
 ネリーの苦り切った表情がからりと晴れ上がったのは言うまでもない。シアーとニム
を置き去りにして、電光石火の足捌きでハリオンの元へ逃げ込んだ。
「はわわ……そ、そんなに急いでこなくてもいいのにぃ」
 いきなり間合いに飛び込まれてハリオンは目を白黒させる。どうも脱衣後に直行して
きたようで、裸身に巻いただけのタオルがはだけて落ちるが、ネリーはお構いなしに食
いついた。その剣幕と、泣きじゃくるシアーに気づいて、ハリオンは問いただした。
「ところでぇ、シアーはどうして泣いてるのぉ?」
「ううん、いいからいいから。それより、今日出たヨフアルって、余ってない!?」
「ヨフアル〜? えーとぉ、出したので全部だけど、どうかしたのぉ?」
 あごに人差し指を当て、小首を傾げるハリオンに、ネリーの瞳からは急速に希望の光
が失われていった。
「いいよ、もう…」
「そぉ? あ、そうそう。あなた達にぃ、頼みたいことがあるんだけどぉ、いい?」
 ネリーは、力無く頷いて先を促した。

「明日ね、ユート様のお部屋を整えるでしょぉ? でもぉ、いろいろ足りないものが
あるからぁ、おつかいに行って欲しいんだけどぉ」
「……おつかい?」
 その一言が、再びネリーの瞳に輝きを灯した。
「ええ。悪いんだけどぉ、お願いできないかしらぁ?」
「ってことは、市場に行ってもいいんだよね?」
「ええ。ちょっと量が多いんだけどぉ…」
「うん、いくいく! もうネリーたちにバッチリ任せといてよっ!」
 必要以上に意気込むネリーだが、ハリオンは満足げに目を細めた。
「それじゃ、詳しいことは明日ねぇ。もう遅いからぁ、明日に備えてちゃんと寝るんで
すよぉ?」
「は〜いっ!」
 元気のいい返事をするネリーの頭を撫でて、ハリオンはようやくタオルをまとうと、
風呂場へ戻っていった。ネリーは、小さくガッツポーズを決め、飛んでシアーの元へ舞
い戻る。
「ねえねえ、シアー! ネリーたち明日おつかいにいくことになったんだよっ」
「……ぐすっ……お、おつかい?」
 ひとしきり泣いて発散できたのか、シアーはもうぐずる程度まで治まっていた。
「うん、だからね、ごにょごにょ……」
「…………えっ、本当っ!?」
 辺り(と言っても、ニムとナナしかいないが)を憚ってネリーがシアーに耳打ちする
と、見る見るうちにシアーの泣き顔が晴れ上がっていく。
「へへー、ネリーにまっかせなさーいっ!」
 どんっ、とささやかな胸を叩いてみせる姉を見上げるシアーの瞳に宿る色は、全幅の
信頼を意味していた。
「うんっ、了解ですぅ〜!」
「じゃ、お風呂いこっ! もう終わっちゃうよ〜」
「あ、待ってよネリーっ!」
 いつもの快活さを取り戻した双子は、ウィングハィロゥを展開して矢のように部屋を
飛び出して行った。

「……何あれ?」
「……さぁ」
 すっかり置き去りにされたニムが訝しげに呟くと、ナナは律儀に答えて、皿集めを再
開した。

「……と言う訳なの。カオリのお兄さんって、おかしなことを考える人ね」
 今日悠人が上申してきた内容がよほど印象深かったのか、レスティーナはそのことを
佳織に報告した。兄の近況に飢えていた佳織は、一字一句聞き漏らすまいと全身を耳に
して聞き入っていた。
「おかしくは、ないと思います。だって、みんなお兄ちゃんのために戦ってくれてる、
大事な仲間なんですから。だから、それはお兄ちゃんにとっては当然のことなんです」
 言葉を選んで、佳織は自分の思いをレスティーナに伝えた。言葉の端々から滲み出る
兄への思慕の念は、レスティーナの心根にちくりと突き刺さった。
「そう。それが、あなた達の流儀なのね…」
「流儀……とは違うと思います。お兄ちゃんは、そう言う人ですから」
「……」
 その後、レスティーナが佳織の部屋を辞すと、夜風に流されて甘く香ばしい匂いが漂
ってきた。
「……いい匂い」
 レスティーナは、ふと回廊の外に目を向けた。すっかり夜のとばりが降りた王城の中
庭を、星明かりと、各所に点在するエーテルの常夜灯だけで子細に見渡すのは人の身と
して困難であったが、レスティーナには匂いの元の、おおよその検討はついていた。
「……また食べたくなってきちゃったな。明日は久しぶりに時間が取れそうだし…」
 もう一度、その希薄な香ばしい匂いを胸一杯吸い込んで、レスティーナは足取りも軽
く自室へと戻っていった。


「ふ、ふにゃあああああっ!? むぎゅっ!!」
 何やら素敵な怪音が上がったと同時に、どんがらがっしゃーんと豪快な崩壊音が第二
詰め所中に轟き渡った。鼻歌交じりに廊下を掃き清めていたヒミカは、すわっ、敵襲か
!?と血相を変え、手にしたほうきを永遠神剣よろしく構えて現場に急行する。

 そこは、一階の奥向きで半ば物置として使われていた空き部屋だった。今日より悠人
を迎え入れるべく「リフォーム」と言う名の突貫工事の最中だったはずだが、今や開け
放たれた戸口からは盛大に粉塵が吐き出され、部屋の中の惨状を十二分に想像させた。
「……」
 ヒミカは手で口元を覆い、躊躇うことなく部屋に踏み込んだ。
 薄暗い室内に充満する埃と黴の匂いに眉をしかめながらも見渡すと、部屋の中にあっ
たと思われる一切合切の家具荒物の類が、瓦礫の山へと変わり果てていた。
 ふと違和感を覚え足元を見やると、瓦礫の隙間から白い手がはみ出していた。ぴくり
とも動かないそれは、武運拙き犠牲者のものであろう。
 ヒミカは爪先でその手を突っつき、何も反応がないのを確認すると沈痛な面持ちで瞑
目した。
「……さすがにこれは生きてないわね。戦場に斃れるならまだしも、部屋掃除の最中に
果てるなんて、故人もさぞかし無念だったことでしょう…」

 と。
 突然、手が動きだし、ヒミカの足首をがっしりと掴んできたではないか。
「うわあっ!? 離してよ、こら、迷わず成仏しなさいヘリオンっ!」
「わ、私は生きてますよぅ、ヒミカさぁんっ! え、縁起でもないこと言わないでくだ
さいっ!」
 瓦礫の下から半ベソの抗議が上がる。ヒミカは「冗談だってば」と肩をすくめて、瓦
礫の山を発掘にかかった。
 ほどなくして、埃まみれ生傷だらけの黒いツインテールが出土した。
「あ、あうう……要らないものを選別しようとしてその辺をいじったら、山が崩れて来
まして……その、助けてくれて、ありがとうございます」
 涙目をこすりこすり、バツが悪そうに頭を下げるヘリオンのつむじを、ヒミカはニヤ
ニヤ笑いながらなで回した。
「そうよね、貴女がユート様にその胸の奥に秘めた想いを告げるまでは、何があっても
マナの霧になるわけにはいかないものね」
「なっ……な、なんですかそれはっ! 他人の胸の奥を勝手に捏造しないでください
っ!」
 さっきまで泣いたカラスが猛抗議。顔を真っ赤にして詰め寄るヘリオンをいなすかの
ように、ヒミカはガラリと話題を変えた。
「ところでネリーとシアーとニムはどこにいるか知らない? 仕事は山ほどあるってい
うのに、さっきからあの子達の影も形もないんだけど…」
「へ? ああ、お二人ならハリオンさんに頼まれて、町へ買い物に行ったみたいですけ
ど。ニムントールさんは、私も見てません」
 と、小首を傾げるヘリオンの前で、ヒミカは思わずこめかみを抑えて見せた。
「うーん……」
「あの、それがどうかしたんですか?」
「あの双子、確か今まで一度も買い物担当したこと無いはずなんだけど。ま、何が起こ
ってもハリオンの責任だし、わたしゃ知ーらないっと」
「は、はぁ…」
 ヘリオンは曖昧に相づちを打った。第二詰め所において、ナナルゥと双璧をなす「使
い走り」の達人である彼女には、たかが買い物程度のことで大袈裟な、としか思えなか
ったのも無理はない。
「じゃ、後かたづけ大変だろうけど、しっかり頑張ってね。あ、これ差し入れ」
 ヘリオンの肩越しに部屋の中を改めて見回していたヒミカは、持参していたほうきを
ヘリオンに押しつける。
「え? あ、どうも……」
 思わず受け取ったほうきを不思議そうに眺めていたヘリオンは、はっと気がついて自
分の背後を振り返った。気のせいか、崩落事故直後より室内のエントロピーはさらに増
大したように見える。その見事なまでのカオスっぷりは、どこから手を着けて良いのか
の見当すらつかない。文字通り「目を覆いたくなるような惨状」であった。
「あ、あの、これどうしたらいいんで……」
 しょうか、と助けを求めて向き直った先で、ドアが軋みを上げて閉まった。
「どうしたの、ネリー? さっきから変な顔してるけど」
 穏やかな陽光の下、殷賑を極めるラキオス城下町の往来を物珍しげに見回していたシ
アーだったが、同行する姉の異変に気づいて、心配そうに顔を覗き込んだ。
 下からの視線に気づいたネリーは、ぎょっと飛び退いて頬をふくらませた。
「へ、変な顔ゆうなっ! ちょ、ちょっと気分が悪いだけだよっ」
「それは大変だよっ! 早くお城に戻ってお医者さんに診てもらわないと〜」
 真に受けたシアーは、今にもウイングハイロゥを広げそうな勢いでネリーの手を取る
が、ネリーはブンブン腕を振り回して、それを払いのけた。
「お、お城はだめっ! ほら、もう大丈夫、元気になったからっ! ね?」
「……そお? ならいいけど、無理しちゃだめだよぉ?」
「う、うん! じゃ、時間もないしお店に行こっか」
「りょーかいですー」
 元気いっぱいに敬礼して、シアーは人混みの中に飛び込んでいった。引っ込み思案に
見られがちだが、彼女も年相応には好奇心が旺盛なのである。
 そんな妹の後ろ姿を見やりながら、ネリーはこらえていた溜息を一気についた。
 ハリオンに大見得を切った手前、今更のこのこと城に戻るなんて負け戦も同然だ。

(どうしよう……買い物のメモを無くしたなんて、格好悪くて言えないよう……)

風雲急を告げるラキオスの城下町。(違うだろ)
幼く可憐なブルースピリットの双子の運命やいかに?

「それじゃぁ、買う物とぉお店はここに書いてあるからぁ。町の中はぁ、危ないから気
をつけてねぇ〜」
「わかってるわかってる」
「うー、町にこわい人とかいたら、やだなぁ〜」
「だいじょうぶだいじょうぶ、ネリーがいる限りそんなやつらやっつけちゃうから。じ
ゃ、行ってきまーす」
 何も考えてなさそうに手を振るハリオンの見送りを受け、不安げなシアーの手を握り
お城を出たのが半時ほど前のこと。
 今では、その明暗はすっかり逆転していた。

「うわー、人とお店いっぱいです〜」
 純度の高いマナ結晶のように蒼い瞳をキラキラさせて快哉を上げるシアー。戦時下に
ありながら、まるで別天地としか思えないほど活気に満ちたラキオス城下を物珍しげに
眺め回しているその浮かれ姿は、まさしく田舎出身のお上りさんである。
「うー、うー、あの店とあの店で何か買うのは間違いないんだけど…」
 黒く染まったハイロゥのようにどんよりどよどよと塞ぎ込むネリー。ハリオンから預
かり、そしてうっかり落としてしまったリストを懸命に思い出そうと唸ってはみるもの
の、出がけには町に行ける嬉しさで頭がいっぱいだったおかげで、ろくに内容を確認し
なかったのが命取りとなっていた。
 そんなスピリットの姉妹を気に留めるような暇人は、ここにはいない。物を作り、売
り、買い、運び、と、みなそれぞれの生業に没頭して、日常に紛れ込んだ非日常に気づ
く余裕などなかった。
「あ、あれなんだろう?」
 シアーの足取りは羽のように軽く、ネリーのそれは鉛のように重い。対照的な二人の
足運びの違いが、いつの間にか双子の距離を大きく引き離してしまった。
「あー、もういいや! お店に行ってから考えよう……って、あれ?」
 我に返ったネリーは、傍らにおかっぱ頭の妹がいないことに初めて気がついた。
 慌てて前方の人波に目を配るが、どこにも見慣れた後ろ姿は見あたらない。大方珍し
いものでも見つけて、ふらふらと釣られて行ったのだろう。
「もーしょうがないな、神剣の気配で……」
 腰に手をやり、その手が空を切った。

「……そうだ、町に行くから、『静寂』は置いてきたんだっけ」
 神剣は町の人に余計な恐怖を与えてしまうから、そうするように言われていた。
 あるはずのないものがそこにない不安。途端に、ネリーの心の中が小波立つ。
「シアーに何かあったら…」
 そう思うと、心臓が握りつぶされたように苦しくなる。ネリーはウイングハイロゥを
広げようと気を高めた。ハリオンに止められていることもすっかり忘れて。
 と、その視界の端に、何やら青い色がひらめいて消えた。青と言えば、無論自分たち
ブルースピリットのシンボルカラーに違いない。
「し、シアーっ!?」
 ネリーは心急くままに、青色がよぎった辻へと駆けだしていった。
「し、シアーっ、どこっ!?」
 雑踏の彼方、辻の片隅で黒いマントをまとった旅姿の青年が、動物を使って大道芸を
披露していた。シアーは見物客に紛れ、無邪気にそれに魅入っている。
 ネリーは安堵の溜息をつき、そしてキッと眉をつり上げてからシアーに近づいた。
「あ、ネリー、見て見て、これかわいいよぉ?」
「あのねぇシアー。ネリーたちは、お使いに来てるんだよ? これは大事なお仕事なん
だから、遊んでる場合じゃないの」
 姉からの予想外に厳しい返事に、シアーの顔がみるみるしょぼくれる。
「で、でも〜、あれ、かわいいんだもん。ね、ちょっとだけ?」
 青年の演奏に合わせて宙返りを繰り返す小動物をちらちらと見やりながら、シアーは
食い下がろうとする。その哀願するときの妹の顔にネリーはとても弱いのだが、無意識
に「いいよ」と開きかける口を、きゅっと結んだ。
「だ……ダメったらダメなの! ほら、さっさとお店に行くよ」
「う〜、ネリーのいじわるぅ〜」
 シアーは、今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにするが、ネリーはわざと素知ら
ぬ顔で歩き出した。自慢の長く蒼い後ろ髪を引かれながら。
(うー、かわいかったなー、ネリーだって見たいよう〜)
 でも、今はそれどころではない。無事に買い物を済ませ、そしてその後シアーのため
に…
「……あれ? そう言えば、なんの買い物するんだっけ?」
 あれこれ考えすぎて、当初の目的を一瞬見失ったのか往来の真ん中で首をひねる。
 と、その手首がいきなり掴まれ、抗う間もなくぐいっと引っ張られた。
「え? あわわわわっ!?」
 バランスを崩してたたらを踏むが、柔らかい何かに抱き留められる。
「し、シアー?」
 相手のあるかないか微妙な胸から顔を上げてその名を呼ぶと、シアーはいつにない厳
しい表情を崩さずに、ネリーの背後をキッと睨め付けている。
「?」つられて肩越しに振り返った刹那、その鼻先を一陣の突風が横合いからしたたか
に殴りつけた。
「わっ!?」
「死にてえんか糞ガキっ!! 気ぃつけえやっ!!」
 目の前を怒濤の勢いで通り過ぎていく黒い影。すなわち幌を掛けて何やら荷物を山と
積んだ荷馬車の御者台から、ゴロツキ然とした風体の男が胴間声でどやしつけてきた。
「……」
 あわや往来で人身事故! という騒然とした空気が辺りを包む。
 神剣を佩いていたなら、この程度の「事故」など未然に察知できるのに、今はそれが
できなかった。人々の注視が集まる中、驚きと恐怖のあまり真っ青になって声もないネ
リーのつむじを、シアーの小さな手が優しく撫でた。
「し、シアー…」
 ネリーは、震える声で妹の名を呼んだ。
 いつも頼りないと思っていた妹が、こんなに頼もしく見えたのは初めてではないか。
 そう言えば。初陣の頃は泣いてばかりいたシアーが、最近はほとんど泣き言を言わな
くなっていたような気がする。
「こ……」
 優しげな笑みを浮かべたシアーが、ネリーを見下ろして口を開いた。
「……こ?」
「こわかったよぅ〜」
「へ?」
 それまで気丈にネリーを抱き留めていたシアーの緊張の糸がぷっつりと切れた。ネリ
ーの身体を伝ってずるずるとその場にへたり込み、今度は呆けたように姉を見上げる。
「し、シアー?」
「ううっ、ひっく! ネリーが、ネリーがぁ〜」
 今頃やってきた恐怖にしゃくり上げる妹を、ネリーは口をぱくぱくさせ、何とも言い
難い複雑な表情で見下ろした。
「もう……シアーったら、しょうがないな〜。ほら、立ちなよ」
 すっかりお姉ちゃんの威厳を取り戻して、ネリーはシアーを励ました。

「お嬢ちゃん達、怪我はないかい?」
 二人の近くにいた太めの中年女性が、人の良さそうな声を掛けてきた。
「あ、いえ……平気です」
 シアーを立たせながら、ネリーが行儀よく答える。
 エプロンの上から腰に両手を当てた女性は、「ならよかった」と頷いてから荷馬車が
去った方角を睨み付けた。
「まったく、最近ダーツィを占領してからっていうもの、ひっきりなしにああやって乱
暴な荷馬車がすっ飛んでくるんだよ。軍の輸送隊って話らしいけどね、事故が起こって
からじゃ遅いから、今度役人見かけたら、文句言ってやらなきゃ。あんたたちも、道の
真ん中は危ないから、端っこを歩きなよ」
「はい、ありがとうございます。お騒がせして、済みませんでした」
 と、折り目正しく頭を下げたネリーの斜めから、どよめきがあがった。
「おい、こいつらスピリットじゃないのか……」
「……!」
 その声が触媒となって、場の雰囲気が一気に硬く、冷たくなる。
「ね、ネリー……」
 それを敏感に感じ取ったシアーが、恐る恐るネリーの背中に隠れた。
 ネリーは、頭を上げたものの目を伏せて唇を噛んだ。そしてシアーが不安げに触れて
くる手を、きゅっと握りしめた。
「それでは、これで……」
 会釈をしてその場を離れようとすると、二人の背中を先ほどの女性の声が追い討ちを
かけてきた。
 もうその声には、温かみも気遣いも残ってはいなかった。
「バカだね、城から出なきゃいいんだよ、この疫病神ども」
 ネリーは、シアーの手を引いて振り返ることなくその場を逃げ去った。


「ネリーとシアーを買い出しに行かせた……って、ハリオン、どうしてそれを先に私に
報告しないの!?」
 第二詰め所のハリオンの部屋に、紙切れを持ったエスペリアが血相を変えて怒鳴り込
んできた。戦闘服の繕いをしていた部屋の主は、それに動じた風も見せず、いつものの
ほほんとした雰囲気を崩さないまま迎え入れた。
「あらぁ、外出許可願いはちゃんと出してありますよぉ? それとも、届いてませんで
したかぁ?」
 あからさまに人を食った物言いにしか聞こえないが、ハリオンはこれが普通である。
エスペリアは、声のトーンが1オクターブ上擦りそうになるのを、咳払い一つで抑えた
が、それでも滲み出る不機嫌さを完全には隠しきれなかった。
「……ええ、ちゃんと届いたわよ、つい今さっきね! ニムントールが他の報告書と一
緒に混ぜてたから危うく見落とすところだったわ! 予定日時を見たら、今から一時間
も前になってるからびっくりしたわよっ! これは明らかに隊規違反だし、だいたいま
だあの二人には情操教育が済んでないんだから、人間のいる場所に行かせ……けほっ」
 一息にまくし立てようとしたものの、エスペリアは息が続かなくなって咳き込んだ。
それを見て、ハリオンは縫い物を放り出し、脇机から水差しを取り上げグラスに注ぐ。
「はい、どぉぞ。あんまりぃ、慌てないでくださいなぁ」
「んんっ……あ、ありが……」
 喉を押さえて顔をしかめていたエスペリアは、ハリオンの差し出す涼しげなグラスを
ひったくるようにして、一息にあおった。こくこくと水を飲み下すエスペリアの白い喉
元を、ハリオンは笑みを絶やさずに見守っていた。
「……ふぅ……で、どこまで話したかしら?」
 グラスをハリオンに返しながら、エスペリアはすっとぼけたことを言う。
「はい、えぇとぉ……ニムがぁ、報告書を持って行ったぁ、の辺でしたかぁ?」
 ハリオンは、真面目な顔でとぼけ返した。
「ニム、ニム……? いえ、そこはもっと前だったはず……」
 と、はたと何かに気づいたように、エスペリアは口をつぐんでハリオンを凝視した。
「?」
「ねえ、ハリオン……あなた、書類をニムに渡したのは、いつ?」
「そうですねぇ、今朝でしたけどぉ、それがどうかしましたかぁ?」
 それを聞いた瞬間、エスペリアは顔を両手で覆いたくなる衝動に駆られ、かろうじて
それをこらえた。あのものぐさ太郎のニムントールが、緊急事態ならともかく、今朝受
け取った雑務をたった数時間かそこらで果たすはずはない。それはラキオススピリット
隊の関係者なら、誰もが知ってる事実である。
 問題は、ハリオンが届けをなぜ、よりにもよってニムに預けたか、それに尽きた。
 エスペリアは、無意識に手にしていた書類をぎゅっと握りつぶした。
「……ハリオン、あなた、わざとやったわね?」
「はい? なんのことですかぁ?」
 私は潔白ですよぉ? とばかりにハリオンは小首を傾げてみせた。形式上、ハリオン
には直接の責任はなく、これ以上の追求は職分を越える。
 エスペリアは、理不尽から来る苛立ちを覚えつつも敗北を悟って深く溜息をついた。
「第二詰め所について、あなたにはあなたの考えがあるのでしょうけど……万が一、そ
んなことはあって欲しくないけどネリーとシアーに何かあったら、監督責任を問われる
のは覚悟しておいてね」
「大丈夫ですよぉ、ネリーもシアーも、いい子ですからぁ」
 エスペリアの疑念は、その台詞と笑顔で確信に変わった。呆れて言葉も出ないので、
代わりにせいぜい面当てをひっかけることにした。
「それと。以後、書類の提出だけは、ナナルゥに担当させるように。いいわね!」
 まるで捨て台詞のように口頭での戒告を垂れて、エスペリアは部屋を後にした。この
後、ニムントールの捜索を開始するであろう事は想像に難くない。
「はぁい、以後気をつけますぅ」
 既にいなくなった上役に対し、ハリオンは、彼女なりに真摯な反省の辞を返して繕い
物を再開した。

「ね、ネリー、どこまで行くのぉ?」
 シアーの不安げな声を聞いて、ネリーは初めて歩みを止めた。そして辺りをきょろき
ょろ見回し、人目をはばかって建物の陰に飛び込むと、冷や汗を拭って大きく一息つい
た。
「……ふぅ、ここまでくれば大丈夫」
 先ほどの野次馬が尾行していたのを巻いた、とでも言いたげにネリーは安堵してみせ
る。人間がスピリットに冷たい仕打ちをするのは今に始まったことではない。要はそれ
を回避できなかった自分たちの不手際が不味かったに過ぎない。シアーもそのことは
心得ているから、敢えて振り返ろうとはしなかった。
「ここまで……って、ここ、どこぉ?」
「どこって、そりゃ……」
 右見て、左見て、もう一度右を見て。
「……あはは、細かいことは気にしない気にしない」
「全然細かくないよ、大事なことだよぅ」
 シアーは、ますます心細げにぼやいた。
 ラキオスの城下町は、かつて人間同士が戦争していたころの名残で、街路が複雑に入
り組んだ半迷路状になっている。羽根を持つブルースピリットの二人なら、その気にな
ればいくらでも「ずる」が出来るのだが、さきほどの騒ぎのせいもあって、人目を引く
ような行動はできるだけ避けたかった。
「……はぁ、しょうがないか。シアー、ハイロゥを使うよ」
「え……でも」
「このまんまだと、お使いどころか城に帰れるかも判らないし。緊急避難ってことで、
エスペリア様も許してくれるよ、うん」
「うーん、いいのかなー」
 何か間違えていると言いたげなシアーのじと目をモノともせずに、ネリーはまず頭に
ハイロゥを展開した。
「あら、あなたたち迷子なの?」
「えっ!?」
 あらぬ方から声を掛けられ、二人はウイングの力を借りずに10cmは飛び上がった。
 声のした方向は建物の合間の陰になっていて、そこの暗がりから、ぬっと人影が浮き
上がった。進み出てきた人影は、光を浴びて若い女性の正体を現した。ネリーたちより
頭一つ以上高く、白い貫頭衣のような衣装をまとっていて、髪の毛を両側でお団子に結
っている。まったくの軽装だが、その身軽さはどことなく不自然だった。
「へー、あなたたちスピリット? こんなところで会うなんて珍しいわね」
「あっ!?」
 女性の目が興味深げに、ネリーの頭の上を眺めていた。
 咄嗟のことで、ネリーはハイロゥを消す暇がなかったのだ。

「あっ、えーと、その、こ、これはっ、ちが……」
 女性から後ずさりながら、ネリーは弁解の言葉を探したものの、髪の毛や瞳の色なら
ともかく、ハイロゥはさすがに言い逃れできそうもない。
 万事休す。また騒ぎを起こされ、衆目の中心に引き立てられ、冷たい視線を浴びせら
れ、自分たちの存在に起因する居たたまれない気持ちを味わわねばならないのか。
 風は凪いでいたが、ネリーの背筋をおぞましく一撫でしていった錯覚を覚えた。
 いっそ強引に振り切ろうかな、と観念した矢先に、シアーが思いも寄らないことを口
走った。
「こ、これは……えーと、そう、そうです! お皿かぶってスピリットごっこして遊ん
でたら、その、取れなくなったんですぅ〜」
「へ?」
 すっかり動転したシアーは、証拠隠滅とばかりにネリーのハイロゥならぬ、「輝き浮
かぶお皿」を掻き消そうと手をバタバタさせ始めた。それは実体化する前の状態にある
ハイロゥをすり抜けて、ネリーの頭を直接しばくことになる。
「ちょ、ちょっとシアーっ!?」
「お皿よお皿、飛んでいけ〜っ!」
「イタタタタっ、い、痛いってばっ!」
「わっ!? ご、ごめん、ネリーっ!」
 姉の悲鳴に驚いて、シアーは咄嗟に手を引っ込めた。ネリーが頭を抱えて逃げ出す間
に、ハイロゥはようやく消えて無くなった。
「あ、お皿がやっと取れたよぉ、よかったね、ネリー」
「……うー、まだ言うか」
 そんなドタバタの一部始終を見届けていたお団子頭の女性は、しばし呆気に取られた
あと、当然のようにぷっと吹き出した。
「あははははっ、そ、そこまでビックリしなくても、いいのにっ、あははは」
 よほど姉妹の周章ぶりがツボに入ったのか、女性は身体をくの字に折り曲げて大笑い
する。ひとしきり笑って目尻の涙を拭うと、双子が同じようにぽかーんと口を開けて自
分を見守っていることに気づき、ようやく真顔になった。
「……コホン。ごめんね、あなたたちがあまりにも可愛らしくて、つい」

 つい、で爆笑された方はいい迷惑だが、そんな人の気も知らずに、女性はなおも言い
募る。
「じゃあ、こうしましょう。あなたたちはスピリットじゃなくて、お皿を頭にのっけて
遊んでいて取れなくて困っていた、単なる迷子の姉妹。それでいいでしょ?」
 そっちの方がもっと嫌だ、とネリーは思ったが口には出さなかった。
「はい、それでいいですぅ」
「……右に同じ」
 シアーはなぜか得意げにささやかな胸を反らした。一方のネリーは、爆笑の後遺症で
顔面の締まりが怪しい女性に、ふて腐れた眼差しを向ける。
(なんか、調子の狂う人だな…)
 憮然としたまま、ネリーは屈託なさげな笑顔の女性をそう値踏みした。普通の人間な
ら、ネリーたちを見て露骨に嫌がるものだが、この人はむしろ平然としている。
 露骨に怪しい。何か裏があるに違いない。関わり合いにならない方が良さそうだ。
「それじゃ、そういうことで……」と切り出した声に、女性が被せてきた。
「ところで、あなたたち……名前は、シアーちゃんにネリーちゃんでいいのよね?」
「はいっ、シアーは、シアーって言いますぅ。シアー・ブルースピリットが本名なんで
すけどぉ、長いからシアー、でいいですよ〜。ネリーは、シアーの、双子のお姉ちゃん
ですぅ」
「あちゃー……し、シアー…」
 ネリーは舌打ちした。せっかく打った猿芝居を、シアーは自己紹介で吹き飛ばした。
パン屋が「べーカー」で鍛冶屋が「スミス」なくらい、ブルースピリットは「ブルース
ピリット」。なんとも明快極まりない、よろしき名字だ。
「はい?」
「……いや、もういい」

 もっとも、女性はそんな「失言」など気にした風もなく、
「シアーにネリー……ね。うん、とても可愛い名前だね。あ、私のことはレムリアって
呼んでちょうだい」
「はい、レムリアさんっ」
「それで、どこから来たの……って、これは聞かない約束になるわね。じゃあ、こんな
ところで何してたの?」
「えっと、ユート様のためのおつかいに来たんですけどぉ、町に出るの初めてだからぁ
迷子になっちゃったんです〜」
「そうだったの……って、ユート様?」
「はい、ユート様はぁ、シアーたちのご主人様なんですよー、とっても強くてかっこよ
くて、優しいんです〜」
「へえ。じゃあシアーちゃん、その人のこと好き?」
「もちろん、大好きですぅ」
 などと姉の与り知らぬところで、ひとの妹と勝手に交流を深めていた。もう、自分た
ちがスピリットであるかどうかは、すっかり埒外に押しやられていた。
 そんなレムリアを見るネリーの蒼い瞳は、ますます猜疑の色で曇っていく。ネリーの
知る限り、このような例外的な態度で接してきた人間は、大好きなユート様くらいだ。
そして、ユート様はネリーの身内で、レムリアなる人物は見ず知らずの他人である。
 それにしても……ネリーはシアーを横目で盗み見た。レムリアに対するシアーの無防
備っぷりはどうしたものか? ネリーは唐突にシアーの耳を引っ張り、レムリアからひ
っぺがした。
「い、いたいよぉ〜」
「いいから、こっちに来る!」
「ん? なになに?」と物欲しそうに寄ってくるレムリアを噛みつきそうな目で牽制し
つつ、ネリーはひそひそと小声で耳打ちした。
「ねえ、ちょっとシアー、よく平気で人間なんかと仲良くできるわね」

「え? どうして?」
 シアーは、心外だと言わんばかりに目をぱちくりと瞬いた。ネリーは、凄みを加えよ
うと表情を「厳しく」したつもりになったが、端からは口を尖らせたようにしか見えな
かった。
「だって、普通人間はネリーたちを見て逃げ出すもんだよ? でもこの人、物陰から突
然湧いて出てきたし、ネリーたちのことスピリットだと知っても平気だし、髪型は奇妙
だし、ええと、ええと、とにかくなんか変だと思わないの?」
「変かなぁ? そうかなぁ?」
「そうだよ、変に決まってるじゃない。きっとこの人、ネリーたちを捕まえて、見せ物
とかにしちゃうつもりなんだよ!」
 察しの悪い妹に、ネリーは鼻息も荒く教え諭す。半分は言いがかりで、半分は創作だ
が、ことさら悪し様に言うことで、シアーの警戒心を煽ろうという可愛らしい魂胆だ。
 ところで、「シアーの警戒心」といえば。かつてバーンライト攻略戦の折、サモドア
近郊の交戦区域での威力偵察中に、所属不明のスピリット部隊と遭遇した時のこと。
 まだ初陣を踏んで間もないシアーは、出会い頭に
「あ、人がいる。こんにちはー」
 と、素で挨拶してのけたことがある。
「あれはシアーのシアーたる所以よね」と、そのとき分隊長だったヒミカに後でさんざ
ん笑われて、姉としては当人以上に恥ずかしい思いをしたのを今も鮮明に覚えていた。
「考えすぎだよ、ネリー。レムリアさんは、そんな悪い人じゃないよぉ」
 シアーのその反論を聞いたとき、軽い立ちくらみを覚えたネリーは、そんな過去の心
象風景を垣間見た気がした。
「……どうしてそう思うの?」
 力無く問い返す姉に、シアーは自信たっぷりに即答した。
「だって、レムリアさん、ユート様と似てるんだもん」
 経緯は違えど、姉妹の導き出した帰結点は一緒だったようだ。

「ねー、もうそろそろいいでしょー? お姉さん退屈だよー」
 蚊帳の外に放置されていたレムリアが、ついに痺れを切らせて乱入してきた。
角突き合わせて密談中の姉妹の間を割って身体をねじ込んだ。
「うわっ!?」
「へへー、お姉さん今日はちょっと暇なんだ。ネリーちゃんシアーちゃん、一緒に遊ぼ
う」
 独り決めに宣言すると、レムリアは有無を言わせず、双子を拉致していった。

「あ、あの、ネリーたち、おつかいが…」
「そんなのあとあと。お姉さんがおいしいものごちそうしてあげるから」



 風変わりな町娘、レムリアに引きずられるままに、幼いスピリットの姉妹は昼下がり
の街路を練り歩いていた。機嫌も上々なレムリアが先に立ち、困惑気味のネリーと喜色
満面のシアーの手をそれぞれの手で繋いで先導する様子は、微笑ましくもあり、どこか
滑稽でもあった。
「たいちょー、前方に敵の砦を発見しましたぁ〜。たくさんの木串で武装していて、あ
などれません〜」
「ふふふ、臆するでない。我がラキオス買い食い部隊の底力、見せてやれ。全軍突撃い
ーっ!」
「お〜っ!」
「おーっ! ……もうヤケだ」
 一行は時折目についた店に飛び込んでは、そこでなにがしかの菓子や料理を見繕い、
レムリアの軍資金で買い漁っていた。今も香ばしい匂いと煙を振りまいている、怪しか
らん串焼きの屋台を見つけ、攻撃命令を下したところである。
「おじさま、私たちの可愛さに免じて3本おまけしてっ!」
「たはー、そう来るかい! まぁ、三人ともオレ好みの別嬪さんだし、ほれ今日は特別
だっ!」
 屋台の司令官はひとたまりもなく白旗を掲げ、焼きたての肉汁したたる串を六本ばか
り恭しく献上した。レムリアはお礼と共に三本分の代金を払い、戦利品を分配する。
「うん、焼き加減はまあまあね。もうちょっと味が濃い方がいいけど」
 食べ歩きながら、レムリアは生意気な論評を加えた。
「でも、おいしいです〜」
 シアーも、口の周りが脂でべっとり汚れてるのも気にせずむしゃぶりつく。
「ネリー、これ前から食べたかったんだ〜」
 骨までしゃぶる勢いで串をきれいにしたネリーも、すっかりご満悦のようす。最初は
いろいろ渋っていたのに、胃の腑が充実して来るにつれて「おつかい」のことなどすっ
かり忘れてこの状況を楽しんでいた。
 路地裏より出てきてからの時間は、殆ど買い食いに費やされていた。こうやって食べ
歩くのがストレス解消だ、とレムリアは言い、どこの店が美味しいか、姉妹は何が好き
かなど、食べ物の話に花を咲かせていた。スピリットにしろ人間にしろ、年頃の少女の
興味が向かう先は不思議と一致しているようである。

「それにしても、シアーちゃんって食べるのゆっくりなのね」
 早々に串二本平らげたレムリアが、ようやく二本目に取りかかったシアーを横目で見
た。シアーは、小さな口で少しずつ噛み裂いては、ゆっくり味わうように咀嚼する。
「シアーは昔からそうなんです。この子トロいから、みんなが食器の片づけ始めても一
人でもぐもぐやってるんですよ、ホント世話が掛かるんだから」
 ネリーの妹をからかう口調と眼差しには、どこか自慢げな気配があった。
「うー、シアー、トロくないもん。お料理、ゆっくり味わってるだけだもん」
 シアーは口を尖らせる。
「多すぎたの? なんなら、お姉さんが片づけようか?」
 と、手を差し出しかけるのをネリーが遮った。
「ああ、大丈夫です、シアーは食べるのは遅いけど絶対に残しませんから」
 確かに食べる速さは遅いが、シアーが料理を残したことは殆どない。緊急時に強制的
に皿を下げられてしまうことは何度かあったが。
「へえ、シアーちゃん出されたモノはちゃんと全部食べるんだ。エラいな〜」
 その話を聞いたレムリアは、どこかここではない遠くを見つめてうっとりと呟いた。
そして何やら名案を思いついたらしく、ぱんと両手を打ち鳴らす。
「それじゃ、今度お姉さんが料理を作ったら、是非シアーちゃんに食べてもらわなきゃ
ねっ。楽しみだわー」
「はい、楽しみです〜っ」
 打てば響くように追従するシアー。だが、このときネリーの背筋をうぞぞぞぞ、とい
うおぞましい感覚が走り抜けた。その直感するところが正しければ……
(レムリアさん、多分料理下手だ……)
 強いて言えば、根拠はレムリアの笑顔が微妙に不自然だから、である。
 と、レムリアがふと足を止めた。よからぬ事を考えていたネリーは心を見透かされた
気がしてぎくりと立ち止まるが、レムリアはすっとシアーのそばに近づいていく。
「口の周り、汚れてるわよ。女の子なんだから、きれいにしなきゃ」
「ほえ?」
 レムリアは懐からハンカチを取り出して、ようやく食べ終えたシアーの口元を優しく
拭う。
「んむっ……」
 くすぐったそうに身じろぎするシアーと、その口の始末をするレムリア。それを傍目
で見ていたネリーは、なんだか面白くない気分がこみ上げてくるのを感じた。
「はい、きれいになった。……ほら、ネリ……」
 と、レムリアが標的を変えようとした矢先に、ネリーは自分の服の袖で乱暴に口周り
を拭う。差し出されたハンカチが、しばし宙に浮いていた。
「……さて」
 気を取り直してハンカチをしまいながら、レムリアが切り出した。
「そろそろ本日のメインイベントと行きましょうか」
「メインイベント?」
「イベント〜?」
 期せずして唱和する双子に向かい、レムリアは得意満面の面持ちでもったいをつける
ように指を振って見せた。
「そう。これまでの買い食いはあくまで前哨戦に過ぎないのよ。それも全て、どんじり
に控えた真打ちのための地均し、下準備と言ったところかな」
 一本気なところのあるネリーは、こういう回りくどい物言いが苦手である。地団駄を
踏むように先を急かした。
「前置きはいいから、早く教えてくださいよー」
「もう、せっかちね、ネリーちゃんは。それはね、甘くて香ばしい、焼き立てのヨ・フ
・ア・ルよ」
「よ、ヨフアルっ!?」
 双子ならではのハーモニーで驚きの声があがり、その反響の大きさにレムリアは満足
げに頷いた。
「そ。私の行きつけの屋台があってね、そこの焼き立てのヨフアルがものすごく美味し
いの。本当は誰にも教えないんだけど、特別に連れてってあげる」
 レムリアはウインクしながら、小声で大事そうに囁く。それを聞いて、シアーは飢え
た野犬のように瞳を輝かせた。
「わー、ネリー、ヨフアルだって! やっと食べられるねっ!」
「う、うん……」
 ネリーの返事は歯切れ悪く沈んだ。その単語は、ネリーが忘れていた別件をまざまざ
と思い出させてしまったのだ。
「……どうしたの、ネリーちゃん」
 あからさまに落胆したネリーに気づいて、レムリアが声を掛ける。
「ネリー?」
 シアーも、心細げな眼差しをよこしてきた。二人に見つめられて、ネリーは訳もなく
顔を赤らめた。
「……お、おつかいのこと、忘れてた」
 ふて腐れたように目を反らすと、レムリアは何を思ったかわざとらしく笑い立てた。
「あっはっは、もう、そんな細かいことは気にしない気にしない、今日はせっかく二人
に出会えて楽しい日なんだから、そんな暗い顔してないで、大いに飲んで食べたまえ」
「たまえ〜」
 ネリーは思わず天を仰いだ。シアーはすっかりレムリアに懐いてしまっている。大い
なる永遠神剣『再生』よ、ネリーには味方はいないのでしょうか?
 何かが、気に障る。その障りをはねのけたい衝動がわき上がった。
「……はぁ? あのさ、飲んで食べて場合じゃないでしょ、シアー。おつかいはいった
いどうするのっ!?」
 ネリーは意図的にレムリアを無視して、シアーをなじる。スピリットは人間には反抗
できない。それ以前に、人の気も知らないでゴキゲンな妹がちょっと憎かった。
「おつかい……?」
 シアーは、目に微かな怯えの色を浮かべて、聞き返した。
「でも、シアーはわからないもん……」
 言い訳された。それが、ネリーの苛立ちをさらに駆り立てた。

「ちょ、ちょっと二人ともよしなよ……」
 雲行きが怪しくなってきたのを感じ、レムリアが間に入ろうとする。
 しかし、ネリーの暗い情念は止まらなかった。本当は「ネリーが」、シアーにヨフア
ルをごちそうするはずだったのに、何でこの人は余計なことをするのだろうか?
「わからないはずないじゃん! おつかいを済ませて早く帰らないと、エスペリア様に
怒られちゃうんだからっ。もしそうなったら、シアーのせいだからねっ!」
 言い終えて、そのあまりの語気の鋭さに自分でも驚いた。はっとしてシアーの方を見
やると、果たしてシアーは冷や水を浴びせられたように目を見開いて凍り付いていた。
「で、でもぉ……し、シアー、何すればいいか、知らないんだもん。ネリーが任せてっ
ていうから……ひっく」
「う……」
 ネリーは、図星を指され血の気を失って後ずさった。
 シアーに落ち度はない。おつかいの殆どはネリーが請け負っていたのだから。
 またやってしまった……後悔の念が羽虫の固まりのように騒ぎ立てる。もとはと言え
ば自分のミスが原因なのに、それを無実のシアーに八つ当たりしてしまった。それより
も、またシアーを泣かせてしまったことに、ネリーは愕然としていた。
 今日の「おつかい」だって、シアーのヨフアルを横取りした埋め合わせも兼ねてのこ
となのに、昨日の今日でまたシアーを泣かせてしまうなんて……
 心の中に湧いた羽虫の群れが、迂闊なネリーを責め立てるように飛び回る。その一匹
一匹が、あの不機嫌そうなニムの顔になり口々に囃し立てた。
「あんた学習能力あるの? 何回同じ事をすれば気が済むわけ?」

「……くっ!」
「あっ、ネリーちゃんっ!?」
 レムリアが呼び止めるのも聞かず、ネリーは踵を返して雑踏に飛び込んだ。
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