「Age Of Inferno」

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 子供の頃、世界は黄金色に輝いていた。
 善は正しく、悪は糾され、純粋に白と黒とに分かたれた世界は、いつだって最後に勝つ
のは正義だった。
 あの輝きはどこに行ったのだろうかと、周囲を照らす光を探す。
 燃えていた。
 ”インフェルノ”が燃えていた。
 万魔殿を嘯くその邸宅が、地獄を名乗るその組織が、自らの炎に焼かれて燃え落ちよう
としていた。
 ごうごうと、天すら焦がそうと燃え盛る地獄の炎。
 世界を照らすのはその炎だ。赤暗い、血のような炎だ。
 かつて、世界は黄金の時代(ゴールド・エイジ)と呼ばれていた。
 今は、そう。炎獄の時代(エイジ・オブ・インフェルノ)だ。

 逃げ道はもはやどこにも残っていなかった。
 無数ある秘密の抜け道は、真っ先に爆破した。燃焼剤入りのタールが吐き出す炎は、邸
宅中をくまなく覆い、すべてを焼き尽くそうと舌を伸ばす。よしんば生きて出られたとし
ても、外には十重二十重に構成員たちがひしめいている。今この瞬間、神の息吹がすべて
を二つに引き裂きでもしない限り、死は確定的であった。
「こういう終わり方も、いいさ」
 まるで映画のラストシーンだと、”ツヴァイ”と呼ばれた少年は自嘲した。足元には、
かつて彼のボスであった男の死体が転がっている。南米において、国家すら上回る力を持
っていた男も、脳天に撃ちこまれた鉛弾の前では、普通の男と何ら変わることは無かった。
 邸宅内で生きているのは彼一人だ。他は死んだか殺すかした。
 ”インフェルノ”。地獄を名乗るその組織も、もはやがらんどうの器に過ぎない。絢爛
と飾り立て、世界の端々からかき集めた力も、富も、何の役にも立たない空ろな殻に成り
果てていた。全てを燃やす炎ですら、明日にはもう灰に消えているだろう。
 すべて、たった一人の少年が行った事だった。
 少年の名は”ファントム”。かつて、平凡な旅行者でしかなかった少年は、過去を奪われ、
未来を閉ざされ、一つの殺人兵器に作り変えられた。その、たった一人の裏切り者が、
全米を裏から支配した組織を消滅させたのだ。
 まるっきり、映画だ。スクリーンの向こうに観客がいるなら、ポップコーンを片手にハ
ンカチの用意でもしてるだろうか。
「俺にふさわしい終わり方だ」
 ”ファントム”の物語は、今まさに終わろうとしていた。
 地獄(インフェルノ)は滅び、地獄の悪霊もまた自らの炎に焼かれて復讐の旅を終える。
アンチ・ヒーローには相応しい終わり方だ。
「だが、ハッピーエンドではないね」
 声がした。
 瓦解する邸内であっても良く通る、明瞭な声だった。明確な使命感と限り無い慈愛、
それに少しのユーモアを振りまいたような声だ。政治家にでもなれば瞬く間に大統領に
なれるだろう。
「物語は、いつだってハッピーエンドにならなくてはいけない。ボクはそう思っている。
そのために決して諦めない。全力を尽くして、生きて帰る。ボクを待つ全ての人々と、そ
してボク自身のために」

 馬鹿な、と思わず声が漏れた。
 燃え盛る地獄の邸内。そこに、ずっと昔に死んだはずの人間がいた。
 あの”終末の日”(ドゥームズデイ)にその身を投じ、死を持って正義を示したその男。
 大統領が政治の為でない涙を流し、その肩を書記長が叩いて慰める。あの奇跡のような
葬儀を、世界中の人間が見た。
 ”彼”は死に、そして黄金だった世界は終わった。
「……スーパー・オフビート」
 炎よりもなお赤いコスチュームに身を包んだその男は、かつてと同じように颯爽とそこ
にいた。
「そう、お馴染み調子外れ(オフビート)のヒーローさ。ところで、ここはどこで今は何
時なのかな? 道に迷った上に時計を無くしてしまってね。とりあえず、ホワイトハウス
ではないようだけれど」
 ごうごうと燃え盛る炎の中、二人の男が立っていた。
 一人は殺し屋。ツヴァイと呼ばれ、ファントムと呼ばれ、この世界の誰よりも人を殺す
ことに長けた人類。
 一人はヒーロー。オフビートと名乗り、英雄と呼ばれ、この世界の誰よりも人を救った
人類。
 まるで対照的な二人だった。
「俺に、待つ人なんていない。全てを失った。俺は亡霊(ファントム)だ」
「復讐の念だけで生きる地獄の亡霊、か。悲しい話だ。それでは、どうやってもハッピー
エンドにはならない」
「時代が違うんだ。白と黒だけでは割り切れない。それよりも、もう疲れたんだ。休ませ
てくれ」
 どっか、とツヴァイはソファに腰を下ろす。少し前までマグワイヤが座っていた場所だ
。気付けのつもりだろうか、琥珀色した酒瓶が、クリスタルのグラスとともに置いてあった。
「死んでも大切だった人には会えないぞ」
「分かっている。俺は地獄がお似合いだ。彼女たちの所には行けないさ。呑むかい?」
 なみなみとグラスにバーボンを注ぐ。宝石のように済んだ色の液体に、赤黒い炎が反射
してきらきらと輝いていた。

「この組織が崩壊することで、裏社会は再び戦国時代に戻るだろう。多くの罪も無い人々
が巻き込まれる」
「分かっている」
「原因を作ったのはキミだ。ファントム」
「知ったことじゃない」
「だが、キミには責任がある」
「だから、責任をとって死ぬ」
「違う。それは臆病者のやることだ。キミには力がある。勇気もある。心の中に、かけが
えの無い良心がある。ファントム、いや、レイジ・アズマ。キミは責任を果たさなくては
いけない。力あるものとして。弱者を守るものとして」
 生のままのバーボンに、真摯な瞳の赤い仮面が浮かび上がる。
 どこまでもまっすぐで、決して折れない、曲がらない。正義を、自らの良心をどこまで
も信じるその瞳が、ツヴァイと呼ばれた少年を射抜いていた。
「だったら! だったらどうしろと言うんだ! 周りを見ろ。屋敷は爆弾と火災で崩壊寸
前。逃げ道はすべて塞がれ、見渡す限り炎の海だ! しかもその外には一千人近いマフィ
アどもがてぐすね引いて待っている。責任を取れ? だったら俺を生かして帰してみせろ。
今すぐここから飛び出して、マフィアどもをなぎ倒せ! この炎を全部吹き消して、瓦
礫の山から俺を引きずり出してみろ! さあ、やれ! 今すぐだ!!」
 ぱぁん、ぱぁん、ぱぁん
 電光石火の早撃ちだった。手放したグラスが絨毯に落ちるよりも早く、手の中に出現し
たデザート・イーグルは三発の弾丸を吐き出していた。開放された50AE弾はそのまま直進し、
壁に弾痕を穿って止まった。
「あ……れ?」
 気づくと、そこに居るのは彼一人になっていた。
「なんだったんだ。今のは」
 スーパー・オフビート。
 子供の時に読んだ事のある、コミックヒーローだった。かつて、黄金世代(ゴールドエ
イジ)と呼ばれた時代に、コミック界を代表した人気作のヒーローだ。こんな所に現れる
はずがない。実在すらしない。当たり前だ。
「幻覚か。俺もヤキが回ったな」
 そう呟いた時、遠くから地鳴りのような音がした。とうとう、屋敷の崩壊が始まったらしい。

 音を立てながらモルタルの壁に亀裂が入る。熱変性と自重に耐え切れずに柱は砕け、増
した荷重に屋敷全体が潰れ始める。始まってしまえば、終末まではあっという間だった。
 最奥部のこの部屋にも、崩壊は足早にやって来る。なによりもまず、壁が砕けた。丁度、
デザート・イーグルを撃ち込んだ弾痕を中心にして亀裂が広がる。
 真っ暗なその亀裂から、ひゅうと冷たい風が吹き込んだ。
「風?」
 見る間に壁が崩れ落ちる。だが、見えたのは炎吹き上げる地獄の光景ではなかった。黒々
とした、それこそ地の底にまで続くかのような抜け道が、そこに口を開けていた。
 冗談みたいな話だ。”ファントム”ですら知りえない秘密の抜け道がまさかこんな所に
あろうとは。ご都合主義にも程がある。スクリーンの向こうの観客は、怒号を上げてポッ
プコーンを投げつけているだろう。
「責任を、果たすんだ」
 炎の音にまぎれて、そんな声が聞こえた気がした。
 一つ、わかった事があった。
 これが、”ファントム”という物語のラストシーンでは無いらしい。
 闇に向かって駆け出した玲二の視線は、どこまでも真っ直ぐだった。

 噂がある。
 ある、ヒーローの噂だ。
 なんでもそいつは、東洋人のガキで誰にも知られていないカンフーの達人らしい。
 なんでもそいつは、千ヤード向こうの針穴を拳銃で打ち抜けるほどの凄腕らしい。
 なんでもそいつは、魔法の言葉を唱えると、身長2mのマッチョマンになって、銃弾を
はじき、ビルすらひとっ飛びにするらしい。
 なんでもそいつは……。
 馬鹿げた噂だ。みんな面白がって尾ひれをつけて広めていく。本気にする人間なんて一
人もいない。
 でも、そいつは実在した。
 車上荒らしをしていた奴の話だ。いつも通り仕事をしていると、突然東洋人のガキが現
れた。そいつは、荒事で鳴らした一人をあっという間に地面に叩き伏せ、逃げた相棒の足
を馬鹿でかい拳銃で吹き飛ばした。そして、サムライ・ソードみたいな鋭い目でにらみつ
けるとこう言った。
「さっさと失せろクズども。俺は今から仕事がある。邪魔したら殺す」
 身長2mの大男には変身しなかったらしい。

 ともかく、その直後にとあるマフィアグループが壊滅の憂き目にあった。幹部連中は全
員墓場か病院か牢獄に送られた。多分絶対一生娑婆には帰ってこない。あくどく集めた金
やらなんやらは全部消え、代わりに匿名の寄付金が様々な援助団体や基金に送られた。皆
言っている。奴の仕事というのはそれだろうと。
 皆が彼を”奴”って呼ぶのに飽きたころ、警察はこんな発表をした
「昨今頻発している連続襲撃事件を同一犯と断定。以後、容疑者を『No.102860』と呼称する」
 まったく、センスの無いネーミングだ。おかげで皆が適当に”奴”の事を呼び始めた。
 都市の暗殺者「クライム・アサシン」、ガンとカンフーを使う誰かさん(Who)「Gun・Who」、
彼が変身する魔法の言葉(多分ウソだ)「ザシャム」、他にも「マフィア・バスター」
とか「ガンナー・エンジェル」とか「ブラッディ・ジョー」とか色々だ。悪人どもに
天罰を! ってんで「パニッシャー」って呼んだ奴は、あの会社に呼び出されて馬鹿みた
いな金を請求されたらしい。
 なんか、少し前に噂になった暗殺者にちなんで「ファントム」って呼んでる奴もいる。
正式名称は「ファントム・オブ・インフェルノ」。地獄からの怨霊が、悪人どもを焼き尽
くすんだ。
 気の早いどっかの会社はコミック化を進めているらしい。訴訟合戦にならなきゃいいけど。
 ともかく、今日も奴は戦っている。
 ビルの間のゴミ溜めや下水溝の下、それよりもっと汚いところで。
 なんのためかは分からないけど、悪をぶっ飛ばす戦いを続けている。
 って、カメラマンのピーターと新聞記者のクラークが言ってた。

 噂がある。
 ある組織の噂だ。
 なんでもその組織は、とんでもない凄腕の殺し屋を雇っているらしい。
 なんでもその組織は、全米中の裏組織という裏組織を影から操っているらしい。
 なんでもその組織は、大統領直属の超法規的なスパイ組織で、秘密を知った人間はエー
ジェントが持つ洗脳装置で記憶を消されるらしい。
 なんでもその組織は……。
 馬鹿げた噂だ。みんな面白がって尾ひれをつけて広めていく。本気にする人間なんて一
人もいない。
 だが、その組織は実在した。
 例の”インフェルノ”が崩壊してすぐの事だ。抑えの効かなくなった馬鹿が戦争を始めた。
 抗争ではなく、戦争だ。当然、大規模なハジき合いになった。巻き込まれた堅気も何十
人と死んだ。暴力が暴力を生み、戦争は泥沼化すると、誰もが思った。
 それが、たった二日で終結した。
 手を出した馬鹿は、事務所に仕掛けられた爆弾で消し飛んだ。追随した連中も漏れなく
死ぬか殺すかされた。
 仕掛けられた方には、奴らのシマの権利書と、一枚のメッセージカードが残された。
”インフェルノ”
 カードにはそれだけ書かれていた。
 奴らが、帰ってきたらしい。
 一度地獄に落ちて、前よりもさらに巧妙に、前よりもさらに凶悪に。
 まさに悪魔の化身となって、奴らは帰ってきたらしい。
 奴らは監視している。
 ビルの間のゴミ溜めや下水溝の下、それよりもはるかに汚いところであろうとも。
 何のためかは分からないが、裏組織の全てを監視している。
 その裏には、まさか大統領が本当にいるんだろうか?

 噂を流した。
 現実の事件に引っ掛けた、他愛も無い噂だ。
 噂は瞬く間に広まった。ついた尾ひれは元の噂を覆い隠し、さらに大きな噂に変えた。
 噂に合わせて、いくつかの事件を起こした。
 噂は、全米を震撼させるほど、広まった。
 タブロイド誌は噂の真相をまことしやかに語り。
 犯罪者は噂に汲々としていた。
 噂のヒーローが表紙を飾るコミックも創刊された。
 ”エイジ・オブ・インフェルノ"
 そうタイトルされたシリーズは好評を博し、第四期シリーズまでの発刊がもう決定した
らしい。
 何気なく捲ったページに目が止まった。
 奇妙なくらいに自分に似た東洋人が、コミック片手にほくそえんでいる。本を持った左
手には、花束まで抱えている。
 タイトルは”エイジ・オブ・インフェルノ”。描かれているのは主人公のレイジだ。
 ふと、どちらが現実だったかと、吾妻玲二は考えた。考えて、やめた。意味が無い。
 平凡な日常の住人の筈だった自分が、いつの間にやら地獄(インフェルノ)の亡霊にな
っていたのだ。あの炎の中、死んだはずのスーパーヒーローに出会った後、それからの時
間が全てコミックの中の出来事であっても、別におかしくはない。
 そんなことより、今日は墓参りだ。
 スーパーヒーローの死を悼んで建てられた碑には、毎年何千何万人もの彼のファンが追
悼にやってくる。それでも、イベントの無い平日の昼はまばらに人がいるだけだった。
 左腕に花束を抱えて、玲二は追悼の碑へと歩を進めていった。記念碑には、先客がいる
ようだった。

 今年も、その碑の前に追悼に日向燦はいた。
 彼女にはもう一つの名があった。フレア。日本を拠点とするオフビートチームの一員と
しての彼女。しかし今日は、普段の白いコスチュームではない。着慣れない黒のワンピー
スは少し違和感があった。
「これが、フレアのお父さんなんですね」
 わざとらしいくらいに爽やかな笑みを浮かべる石像を見上げ、ローズデバイスは呟いた。
「お父さん、なのかな。彼は、母さんの恋人だけど、私は会ったことも無いっていうのに」
 普段と違う少し頼りない仕草で燦は呟く。
 燐自身とスーパー・オフビートとの接点は無い。ただ、彼女の遺伝子設計上の母(ジー
ニアス・マザー)であり、育ての母でもある女性が、彼と恋人であったというだけだ。
 それだけのことで、娘だと言い張るなど、燦にはできそうもなかった。毎年一回だけ、
イベントの無い日を狙ってフレアがここに墓参りに来るのも、そうした理由からだ。ただ、
ひっそりと、母の愛した人の冥福を祈れればよかった。

「それでも彼は喜んでくれますよ。ハッピーエンドが好きな男ですから」
 気づくと、背後に男がいた。背が高い、鋭い目をした東洋人だった。左手には花束を抱
えている。
「あなたは?」
「失礼。昔、彼に命を救われた者です。貴方たちも彼の追悼に?」
「はい。……あの、日本から来られたのですか? 日本語がお上手ですが」
「いえ。残念ながらニューヨーク在住ですよ。日本にはもう、何年も行っていません。実
は何年かぶりに日本語を聞いてね。つい懐かしくなって声をかけてしまいました」
 遠いものを見るように、男は言う。
「日本に戻ったりはしないんですか?」
「まだ仕事が残っているのでね。すべて落ち着いたら、戻りたいですね。いつの日か」
 暫し瞑目し、左手の花束を碑に供える。右手は一度も使わなかった。
「それでは、お先に」
 残された花束が風に吹かれてゆらゆらと揺れる。それだけが、男がそこにいた証拠だっ
た。幾度かの修羅場を潜り抜けてきたはずの二人にすら、気配を感じさせずに、男は現れ
、そして消えていった。
「……”ファントム”」
 ふと、フレアはそんな言葉を呟いていた。

      ”Age Of Inferno”のセールスは好調を博した事を受け、今期株主総会にて
                     第四期シリーズ終了後の続刊が決定された。
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