ヴェドゴニアSS

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ギーラッハの繰り出す絶え間ない攻撃に俺は劣勢を強いられていた。
やつの攻撃は素早く、それでいて全てが必殺の威力を秘めている。
一撃でも食らえば、負ける。
「ぬうんっ!」
強烈な殺気の渦を乗せて、ギーラッハの剣が袈裟懸けに振り下ろされる。
身を捩ることでかろうじてそれを避ける。しかし、
「でえいっ!」
やつは圧倒的な膂力に物を言わせて、剣の軌道を途中で変えてきた。
飛びすさった俺を追撃するかのように、やつの剣が追いかけてくる。
避けたのでは間に合わない。
俺はやつの剣に意識を集中する。
ほんの少し、軌道を変えるだけでいい。
周りの景色がコマ送りになる。
やつの剣が何かに叩かれたようにして跳ね上がる。
身をかがめた俺の頭の上をかすめるようにしてやつの剣が通り過ぎる。
「そんな、馬鹿な。」
今だ。
やつが狼狽えている一瞬の隙に、懐に飛び込む。
「己は認めんぞ、貴様ごとき下賤の民に…」
俺の全体重を乗せたナイフが、やつの胸に深々と突き刺さる。
「リァ・・ノーン・・様。」
目には見えない炎に、体の内から焼かれてやつの体が灰になる。


「…惣太。」
不意に呼ばれて振り向くと、ドアのところにモーラが立っていた。
「モーラ。その怪我は?」
腹部を押さえた手の下から血があふれている。
「大丈夫。それより、リァノーンは?」
「この先の部屋にいる。それより、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないなんて言ってられないわよ。急がないと、あなたは…」
そこまで言って俺の顔を見たモーラの目が驚愕に見開かれる。
「そんな、間に、合わなかった?」
モーラの言葉に促されるように、口元に手をやる。
先程までよりも、明らかに長くなっている犬歯。
磨き上げられた床に映った俺の顔は、明らかに白く、目は赤く光っていた。
そして、もう既に痕も残っていない首筋の噛み傷。
「嘘よ。まだ、まだ間に合うはず。」
そう言うと、俺の腕を振り払うようにしてモーラは駆けだしていた。
「モーラっ!」


俺が部屋に入ったときには、もう既にモーラはリァノーンの胸に杭を突き立てようとしていた。
「モーラっ!」
「止めないでっ!」
モーラの目からは、涙があふれていた。
「こいつを殺せば、あなたは人間に戻れる。まだ、間に合うのよっ!」
そんなことはない。
俺の体がもう既に完全な吸血鬼になってしまったことは。
俺以上にモーラがよく分かっている。
「もういい、もういいんだよ。」
モーラの手から、杭を取り上げる。
「もういいんだ。」
ゆっくりと、モーラの体を抱きしめる。
「ごめんなさい。私のせいで。」
俺の腕の中で、モーラが体を震わせている。
モーラが何を言いたいのかは分かっていた。
確かにモーラ達と会っていなければ、俺の吸血鬼かがこれほど早く進むことはなかっただろう。
しかし逆に、モーラ達と会っていなければ俺は殺されていただろう。
俺の中にいた、もう1人の俺に。
伝えたかった。
君が気に病む必要なんか無いのだと。
しかし、どう言えばいい。
今俺の腕の中で泣くモーラは、まるで見た目通りの幼い女の子のようで。
俺には、かける言葉を見つけることは出来なかった。
「モーラ。」
そんなモーラに俺が出来たのは、ただ抱きしめることだけだった。


どれくらいの時間、そうしていたのだろう。
不意に、何かが空気を切り裂く音が聞こえ。
次の瞬間、リァノーンの体が目には見えない炎に焼かれていた。
「そいつから離れろ!モーラっ。」
振り向くと、ドアのところにボウガンを構えたフリッツが立っていた。
「フリッツ。無事だったのか。」
「ああ、なんとかな。でも、テメエはそうはいかなかったみたいだな。」
フリッツの手に握られたボウガンの狙いは、俺の心臓に定められている。
「フリッツ、話を聞いて。彼は…」
「吸血鬼だ!」
モーラの言葉を遮って、フリッツが叫ぶ。
「お前をそんな体にした、吸血鬼の仲間なんだ。」
「でも…。」
「目を覚ませモーラ。そいつはもう、化け物になっちまったんだよ。」
ボウガンの引き金に駆けられたフリッツの指に、力が込められる。
「なら、私も殺しなさい。」
モーラがいきなり、フリッツの構えるボウガンの射線上に割り込んだ。
「な。」
「化け物なのは、私も同じよ。」
「モーラ…。」
部屋に重い沈黙が流れた。
3人とも微動だにしなかった。
いや、出来なかった。
いつまでも続くと思えた沈黙を破ったのは、一発の銃声だった。


それと同時に、フリッツの体が崩れ落ちる。
「フリッツ!」
あわてて駆け寄ろうとしたモーラの足下に、続けざまに銃弾が撃ち込まれる。
「動かないで、お嬢ちゃん。」
床に倒れたフリッツの後ろから1人の女性が現れる。
「よくもリァノーンを殺してくれたわね。おかげで、私のこれまでの研究が台無しだわ。」
白衣を着た女性は、忌々しげに足下に転がるフリッツを睨み付けた。
「でも、まあいいわ。リァノーンの研究対象としての価値は、もう既にほとんど無くなっていたから。」
そう言うと、まるで値踏みするようにおれとモーラの方を見る。
「ロードヴァンパイアの資質を受け継いだヴァンパイアに、半人半妖のダンピィル。実に興味深いわ。研究対象としても、申し分ない。」
「悪いが、そいつはあの世でやってくれや。」
女の胸に、銀の矢が突き刺さる。
いつの間にか起きあがっていたフリッツの放った矢は、確実女の息の根を止めていた。
「お兄ちゃん。」
倒れそうになるフリッツを、モーラが抱きかかえる。
「すまないな、モーラ。どうやら、約束は果たせそうにない。」
消え入りそうな声で、フリッツがモーラに言う。
「おにぃ・・ちゃん。」
モーラの目から、涙が流れ落ちた。
「いっつも、泣かせてばっかりだな。俺は、だめな兄貴だったな。」
まるで、眠るようにして、フリッツの目が閉じられる。
それきり、二度と開くことはなかった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。」
徐々に体温を失っていくフリッツの胸に顔を埋めて、モーラは泣き続けた。


俺は、どうすればいいのだろう。
炎に包まれていく燦月製薬の本社を見ながら俺は考えていた。
もし俺が完全に吸血鬼になったら、俺を殺してくれ。
かつて、俺はモーラにそう言った。
そのときは、本気でそう思っていた。
でも今は。
背中に負ったモーラの重さを感じながら考える。
「惣太。」
モーラが目を覚ました。
「もう、大丈夫だから。下ろして。」
背中から降りたモーラが、改めて俺の顔を見る。
色素の失せた肌と目、長くのびた犬歯。
今の俺は、間違いなく吸血鬼の顔をしている。
「やっぱり君は、俺のことも恨むのかい。」
「…」
「フリッツの言ったとおり今の俺は、吸血鬼だ。君の人生を滅茶苦茶にした、あいつらと同じだ。」
「…」
「前に言ったよな。俺が吸血鬼になったら、君の手で滅ぼしてくれって。」
「…」
「今は、まだこうしていられるけど。いつあいつ等のようになるかは分からない。」
「…」
「だから、そうなる前に君の手で・・」
「あなた、言ってくれたわよね。人を愛せるのは人だけだって。だから、自分は今も人でいるつもりだって。」
それまで、ずっと黙ったままだったモーラが、俺の言葉を遮って突然話し始めた。
「あなたの言葉は嘘だったの。それとも、もう既に心まで吸血鬼になってしまったの?」
「俺が、憎くないのか?」
「だって、あなたは人間なんでしょう。」
モーラが、優しく俺を抱きしめる。
「私が、そして、あなたの愛した。人間。」
涙が、あふれてきた。
それは、俺が人間でいることの証明。
俺と彼女が、化け物でないことの証のようだった。

一ヶ月後
「本当に、これでよかったの?」
日本を発つ飛行機の中で、モーラが何度目かになるかも分からない問いを繰り返してきた。
「確かに、元の生活には戻れなかったかもしれないけど。あなたには、ほかの選択肢だってあったのよ。」
「確かに、馬鹿な選択に見えるかもしれない。でも、俺にとってはこれがベストな選択なんだ。」
強がりなのは、分かっていた。
俺がなくした物の大きさは、俺自身が誰より分かっていたから。
「それに、君1人じゃあハンターを続けるにも限度があるだろう。」
そう言った瞬間、モーラの顔に影が落ちる。
「ごめん。」
「いいの、あなたが謝る必要はないわ。」
モーラの手の上に、自分の手を重ねる。
「今は、あなたがいてくれるから。」
それは、俺も同じだ。
失った物の重さに潰されないでいられるのは、モーラがいてくれるからだ。
君がいてくれる限り、俺は人間でいられる。
心まで、化け物にならずにいられる。
「いつか、さ。いつか、俺たちの倒す相手がいなくなったら。そのときは、どこかの山でも買って、二人で暮らそう。」
モーラの手を、きつく握りしめる。
「二人だけで、静かに。俺は狩りをして、モーラは革細工か何かをしてさ。それで、たまに町に卸しに行って、必要な物を買って。ひっそりと、二人だけで暮らそう。」
モーラが、手を握り返してくる。
「悪く、無いだろう。」
「ええ、素敵ね。とても。」
そう答えた後で、少し小さな声で続ける。
「まるで、人間のよう。」
「そうじゃないだろう。僕らは、人間なんだから。」
「そう。そうだったわね。」
触れてしまえば、消えてしまうような。
はかない笑みではあったが、それでもモーラは笑ってくれた。
いつか、モーラのことを心から笑わせてあげれるように。
そのために、俺は生きていこう。
時間なら、いくらでもあるのだから。

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