風薫る 忍ぶ波音 海鳴りて

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2月22日(火)
  鹿児島県 山中
    PM10:30


【薫‘s view】

「……神咲一灯流……真威・楓陣刃っ!」
≪ズシャアアアアアッ!≫
 渾身の力を篭めた一振りが、虚空の闇に漂う淀んだもやを切り裂く。
「アア……オアアアオオオオオ…………アアア……」
 薄気味悪い声を散布させながら……自縛霊はようやくその姿を消した。
 辺りに普段通りの静寂が訪れる。
「ふぅ……」
 うちは一人、一仕事終えた感慨をため息一つで満喫していた。
 これで今日の仕事はお終い。
 更に言えば、これからしばらく休暇を貰っているので
 今月の仕事納めでもある。
 休みの間の予定はまだ立ててないが……そうだな、海鳴にでも
 顔を出そうか。
 さざなみ寮の皆と久し振りに会いたいし、那美の友達で
 小太刀二刀・御神流師範代でもある高町くん、だったか。
 彼と仕合う約束もしていた事だし。
 うち自身、ここ最近生身の人間、それも実力が近い相手と手合わせる
 機会が少なかった事もあり、密かに楽しみにしている事でもあった。
 以前見た彼の姿が脳内に投影される。
 強い意思の篭った、凛とした目。そして隙のない佇まい。
 優しさや穏やかさを含んだ空気をまといつつあれだけ強者の雰囲気を
 出せる者はそうそういない。まして、彼はまだ若い。うちよりも、だ。
 初めて会った時、嫉妬にも似た感情と同時に安堵感も芽生えたと
 記憶している。
 那美の傍に彼のような人がいる。それはうちにとって……とても
 歓迎すべき事だから。
≪……………………ッ≫
「……?」
 ほんの僅か。
 空気が振動したような気がして、思わず周りを確認した。
 ……何もない。
「気のせい……か」
 もう霊の気配はないし、人や獣のいる様子も伺えない。
 多分疲れているのだろう。ずっと働きずくめだったから……。
「……ふぅ」
 細い息を吐きつつ、携帯を取り出す。
 ふもとで待機中の県警の方に報告して、それから家へ帰る。
 いつもの通りだ。
 うちは報告と家への連絡を終えて携帯をしまうと、山を下りようと
 踵を返した。
 その刹那だった。
≪――――――――――!!≫
「……なっ!?」
 あまりに急速過ぎる、荒んだ気配の到来。
 それは……さきほど霊を斬った十六夜の刀身から現れた!
「くっ……!」
 その気配は手から腕、腕から肩、そして全身へと瞬時にして伝わり。
 うちは、意識を失った……。

2月26日(土)
  海鳴市藤見町 高町家
    PM1:35 


 大学が春休みに入って二週間ほど経った訳だが……。
「おししょー、暇そうですねー」
 などと下校したレンからツッコまれる通り、俺は暇を
 持て余していた。
 美由希は現在登校中。よってやる事がないのだ。
 しかしまあ、こういう生活も……悪くない。
 強くなる事に対しての渇望がなくなった訳ではないのだが、
 少なくとも過度な焦りは持たなくなった。
『無理さえしなければ、私が責任を持ってあなたの膝を
 治してあげますから』
 フィリス先生の言葉を思い出す。
 俺は……その言葉を信じる事にした。
 だから、こうして家の縁側で一人茶をすすりながらボーっと
 している時間にも、一応ちゃんとした意味があるんだ。
 無理をしない事。それが俺の今出来る一番の療養なのだから。
≪チャララララーラ ララーラーララ……≫
 などと思っていると、突然携帯が鳴った。
 まあ携帯は普通突然鳴るものなんだが。
 相手は……神咲さんか。
 そういえば最近忍から連絡がないな。ちょっと前までは
 毎日の様に意味もなくかけてこられたものだが。
 ……まあいい。
 俺は通話のボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「もしもし」
「あ……恭也さんですか?」
「ええ。どうしました? うちのなのはが何かしでかしたとか……」
「いいえー。実は今日……と言うかもうすぐ、姉の薫が
 こっちに来るのですが……」
 薫……神咲薫さん。
 神咲さんの姉で、神咲一灯流の師範代。
 以前海鳴に見えた時一度会っている。とても大人びた女性だった。
 強い意思の篭った、凛とした目。そして隙のない佇まい。
 優しさや穏やかさを含んだ空気をまといつつあれだけ強者の
 雰囲気を出せる者はそうそういない……と思う。
「それで、もしよければ……一緒に御迎えに……などと思いまして」
 断る理由はないな。
「はい、わかりました。駅でいいんですよね? 何時頃行けば
 いいでしょうか……?」
「二時頃には着くとの事ですので……」
「二時ですか……ああ、ならもう今から行きますね。神咲さんは
 今どちらに?」
「えっと、もう駅に……」
「あ、そうですか。では今からそちらに向かいますんで」
「ありがとうございます……では、後ほど」
≪ピッ≫
 携帯を切る。
 
 さて、早速仕度しないとな。
 あ、その前に……。
「レンー、いるかー?」
「何ですー?」
 レンは居間にいた。
「美由希が帰ってきたら、俺はちょっと用事で出るから帰るまでは
 一人で鍛錬しておくように、と伝えておいてくれ」
「あ、わっかりましたー。何か急用でも?」
「……ちょっとな」
 適当に答えて、俺は仕度を整えるとやや慌しげに家を出、
 駅へと向かった。


【PM2:05】
 
 駅で神咲さんと落ち合って、二人して駅の外で薫さんを待つ。
「きゅうん」
「ああ、悪い。お前もいたんだな」
 二人と一匹、に訂正。
 久遠はよほど薫さんに早く会いたいのか、神咲さんの腕の中で
 いそいそとしている。
「私は……実家で正月に会ってますから久し振りという訳でも
 ないですが……」
「俺は去年の春以来ですね……」
「薫ちゃん、恭也さんと会うの楽しみにしてるみたいなんですよー」
「それは……光栄です」
 そして、俺も同じだった。
 今の俺がどれほどの強さになったのか。
 彼女なら、多分それを教えてくれるだろう。
「あ……電車、着いたみたいです」
 神咲さんの言う通り、駅からたくさんの人が出てきた。
 駅前に止まっていたタクシーが忙しなくロータリーを回り、
 それぞれ目的の場所へと運んでいく。
 その流れに乗らない人たちは、こっちへと歩を進める。
 その中に薫さんもいるだろう。
「うーん……来ないですねー」
「見つかりませんね」
「くぅーん」
 だが、中々彼女は現れない。
 はて……どうしたのか。
「……」
 ん……?
 誰かの視線を背後に感じて、俺はその方を見た。
「あ、薫ちゃーん!」
 と、ちょうどその時神咲さんが薫さんを発見したらしく、
 控えめな大声でその名を呼んだ。
 ……まあいいか。
 俺は視線の事は気にしない事にして、再び駅の方を向いた。
 そこには……………………え?
「かお……………………る、ちゃん……?」
「く、くぅぅん?」
 久遠も狼狽気味だ。
 というのも……。
「……やっぱり、わかる……かな?」
 そこに現れたのは、確かに薫さんだ。間違いなく。
 けど……以前会った彼女より……。
「ど、どうしちゃったの……!?」
「くぅん……」
 明らかに、若返っていた。

2月26日(土)
  海鳴市桜台 さざなみ寮
    PM3:20 


「……」
 薫さんを出迎えたさざなみ寮の人たちは皆一同に
 鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしていた。
 それは……そうだろう。
 大人びた雰囲気こそさして変化はないが……外見は明らかに
 幼くなっている。
 おそらく……俺や神咲さんと同じくらいの年齢だ。
「ななな、何でまたそんなんなっちまったんだ……?」
 その中でも比較的パニック耐性のある真雪さんが、おそらく
 薫さんを除いたこの場にいる全員の気持ちを代弁してそう尋ねた。
「……実は、情けなか話なんですが……呪い、を受けまして……」
 それから、薫さんは事の経緯を説明してくれた。
 顛末はこうだ。
 鹿児島の山中に現れたという自縛霊を払おうと、薫さんは
 いつもの様に霊剣十六夜を携えその場へ向かった。
 そして、綺麗に払ってのけた……筈だった。
 しかし、その霊というのがただの自縛霊ではなくて。
「……よりにもよって、若さを欲して自殺した女性の怨念が
 宿った『祟り』だったらしくて……」
 で、その若くなりたいという呪いが……祟りを斬った事で
 薫さんに振りかかったらしい。
 意趣返し、というやつだ。
「……で、ずっとそのままなの……?」
 神咲さんが心配そうに尋ねる。
「いや、強い呪いだからうち自身ではどうしようもないけど、
 然るべき場所で然るべき人に解呪の儀式を行ってもらえば
 元には戻る……筈」
「はず……ですか」
「……」
 愛さんとここの管理人の槙原さんも心配そうだ。
「そんなに心配せんでもよかですよ。別に死ぬ訳でもなかですし」
 優しく微笑む薫さん。
 強い女性。それは外見が幼くなってしまった今も……全く
 変わらない。
「で……その解呪っていうのはいつやってもらえるの?」
「ああ。それならもう一昨日の内に」
『……はい?』
 一同声を合わせて聞き返す。
「な、なら何で元に戻ってない……の?」
 そして、その声を代表して神咲さんが不可解そうに尋ねた。
「解呪は弱い呪いならすぐに効果が現れるけど、今回のような
 強いものだとある程度時間を置かないといけん。だから、
 どちらにせよしばらくは……」
「このまま……?」
 コクン、と薫さんが首を縦に振る。
「まあ、長くても一ヶ月までには効果が現れるらしいけど……」
「一ヶ月ですか……なら、その間はこっちに? たしか休暇中
 なんですよね?」
「ええと……もしお邪魔でなければ……」
 薫さんは少し不安そうに……愛さんと槙原さんを見る。
 こういう表情は、以前の薫さんには見えなかった部分だ。
「邪魔な訳ないだろ? しばらくここでのんびりすればいいよ」
「そうですよー」
「……おおきに、です」
 薫さんは安堵感に包まれたのか、少し泣きそうな顔で……笑った。
 やっぱり、不安なんだろう。或いは仕事でのミスに対して
 プライドを傷付けているのかもしれない。
 とにかく、弱っている彼女が表面に出ていた。
「……」
 ……? 真雪さんが肩を震わせている。
 どうしたのだろう……まさか今の会話に感動して……?
「……っ」
「真雪……さん?」
 訝しげに思ったのか、薫さんは真雪さんに声をかける。
「…………ぷっ!」
「…………にゃは!」
 と、同時に二人……真雪さんと陣内さんが吹き出した。
「だーっはっはっは! 駄目だ、もーう耐えられねーっ!
 うわーっ懐かしー! あの小言大魔人だった頃の神咲だーっ!」
「薫、おこちゃまなのだ。これじゃこーすけにも
 相手にされないのだー!」
「……!」
 ……薫さん、顔を真っ赤にして二人を睨んでる。
「か、薫、落ちつけ、こいつらを相手にしても……」
「なあなあ。体型もあの頃に戻ったんだよな? どれどれ、
 おねーさんに揉ませてみい」
「な、何を……!」
「どれどれ」
≪ふにっ≫
「……っ!?」
 真雪さんを相手している隙に……薫さんは背後から陣内さんに
 胸を揉まれていた。
「……78のB」
「ありゃ、やっぱそんなもんか」
「な、な、な……」
 みるみるうちに、薫さんの顔が鬼の形相に変貌していく……。
「きょ、恭也さん! 避難、避難してください!」
「は、はい」
 身の危険を感じた事もあり、俺は神咲さんのその言葉に従い
 居間から出た。
「なんばすっとねーーーっ!!!」
「うわー大魔人がキれたぞー!」
「逃げるのだー!」
「待たんねーーー!!!」

 その後……さざなみ寮は修羅場と化したのは言うまでもない。

「……掃除、きつそうだなー……」
「あの……手伝います」
「……悪いね」
 槙原さんは力なく微笑んだ。

【PM5:30】

「……申し訳ない……」
 ひとしきり暴れて我に帰った薫さんは、手伝いを終え庭で
 くつろいでた俺に神妙な面持ちで謝ってきた。
「いえ、気にしないでください」
 何か他に気の利いた事を言えればいいのだが……そういうのは
 正直苦手な分野だ。
「その……さっきの事だけじゃなくて……」
「?」
「前に約束してたの、覚えてるかな?」
「……今度はちゃんとした仕合いをやろう、ってやつですよね?」
「うん……。うちも楽しみにしてたんだけど、この形では
 ちょっと君を相手に戦り合うのは無理みたいで……」
 それは……そうだろうな。
「いえ、そっちも気にしなくていいですよ。仕方ない事ですし」
「はぁ……本当に情けなか」
 いろいろと落ち込む。
「でも……」
「?」
「なんというか、中々出来ない経験じゃないですか。
 若返るなんて。この際ですから、過去に出来なかった事とか、
 いろいろと楽しんでみてはどうですか?」
「たの……しむ?」
 不思議な物を見るような目で、薫さんは尋ねてきた。
「身勝手な言い分かもしれませんが……あの頃にやっておけば
 よかったとか、もうあの時みたいには出来ないとか、
 そう言うのは誰だって持ってる想いだと思うんです。
 せっかくの機会ですし、そういうのをやってみてはどうかな、と」
「……」
 薫さんは眉間に皺を寄せる。
 う……やはり不謹慎な物言いだったか?
「……そう……だね。うん、その通りだ」
 ほっ……。
「今のうちにはもう出来そうになくて、この姿の時のうちが
 やってなかった事……うーん……」
 どうやら眉間に皺を寄せるのは思案する時の癖だったようだ。
 薫さんはしばらく考えて……。
「……それじゃ」
 何かを思い付いたらしく、難しい顔を少し緩めて、
「明日、うちと……デートしてくれん?」
 とんでもない提案を出してきた。
≪ガチャン!≫
 背後から金属が砕ける音。
 後ろを見ると、そこには……。
「……」
 上に何も置いてないお盆を両手に持った神咲さんが
 劇画調の顔で凍っていた。


 同時刻。

≪ゴトッ≫
 さざなみ寮の塀の外に、双眼鏡が一つ転がっていた……。


(続く)

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