KとSのあいだ

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8月15日(水)
  稲神山渓流地帯上流
    PM10:20


 困った事になった。
 すっかり恒例となった美由希との山ごもり合宿。今年は夏にも
 実行する事になった。
 そんな訳で今俺と美由希は稲神の山中にいる訳だが……その合宿の
 主役とも言うべき我が妹、美由希がいない。
 30分ほど前についとどこかへ行ったっきりだ。トイレにしても
 遅すぎる。
 あいつの事だ、辛くて逃げ出すなんて事はあるまい。
 となると、遭難?
 ……初めて来た訳でもないのにそれはないか……いや、美由紀なら
 有り得る話だ。
 仕方のない奴だな。探しに行くか。
 そう思った刹那だった。
「いやあああああああああ!!」
「美由希!?」
 美由希の、明らかに悲鳴の色を帯びた声が山中に響き渡った。
 方向は……あっちか!
 俺は美由希の声のした場所へ向かって地面を思い切り蹴り付けた。
 気配が二つ……一つは美由希の物、もう一つは……殺気!
「美由希! どこだ!」
「恭ちゃん!?」
 声は近い。どこだ!? どこにいる!?
 大小様々な木々の隙間を駆け抜け、気配と声を頼りに探す……いた!
「美由希! 何があった!?」
 美由希は肩のあたりを押さえてうずくまっていた。
 手に持つ小太刀は折れ、服にはいくつか鮮血の染みが出来ている。
 襲撃された……? 美由希が?
 美由希にこれほど傷を負わす事は余程の相手でない限り出来まい。
 奇襲だとしても。
 相手は……。
「くっくっく……」
 人間だ。茶色の長髪をセンターで分けた、タレ目の男。
 卑しい笑みを浮かべながら、俺の方に目を向ける。
「恭ちゃん……」
 俺はうずくまる美由希とその男の間に身を留める。
「……美由希に何をした」
「おお、怖っ」
 軽い口調で男は返してくる。
「美由希に何をした」
「なんだよ、そんなに怒んなよ。俺善良な一般市民なんだぜ。
 ビビッちまうよ」
「気をつけて! そいつ、裏の人間だと思う!」
 その気配は察していた。
 軽薄そうな外見に似つかわない、澱んだ殺気。
 目もどこか虚ろに見える。こいつは……。
「ったくよー、せっかくこれからお楽しみって時によ……興醒めだっての」
 男の殺気が鋭利になった。
 来る!
「死ねよ」
 ビッ!
「……っ!」
 肩の少し下あたりに新たな傷が一つ。
 ほとんどモーションのない斬撃。完全にかわせなかった。
「恭ちゃん!」
 やはり……強い!
「何避けてんだよ」
「くっ!」
≪ギイイイン!≫
「受けんなよ。ウザイなお前」
≪ギイン!≫≪ギン!≫≪ギン!≫≪ギン!≫≪ギン!≫≪ギン!≫
 早い……それに一撃一撃が異常に重い。
 防御一辺倒にも拘らず一つ、また一つ傷が増える……。
「あーウゼエ!」
≪ギイイイイイン!!≫
「……!」
 流れるようなモーションで力を溜めた一撃。
 俺は為す術もなく身体ごと持って行かれた。
「つ……」
 腕が痺れる。
 強いなんてもんじゃない……格が違う。
「オラ、もういいだろ? 早く死ねって」
「……」
 視線をバラつかせて隙を探る。
 正面からじゃ何もできない。それぐらい差がある相手だ。
 …………駄目だ、どこにもない。
「じゃ、これで終わりな。もう動くなよ」
 男は無造作に剣を振りかぶった。
 こんな怠慢じみた動作なのに、全く隙がない。
「……シッ!」
 剣がものすごい速度で振り下ろされる!
 同時に。
 どくん!
 『神速』のスイッチが入った。
 男の動きがスローモーションに……。
「!?」
 その刹那、俺の右膝が断末魔の悲鳴を上げた。
 今までの痛みとは訳が違う。神経が壊れたかのような……。
「らああああ!」
 神速が解けていってるのか、男の斬撃が次第に通常の早さに戻る。
 まずい!
「あああああっ!」
 強引に身を捻って振り下ろしを避けた。
 が、起き上がれない!
「……何だよ、今の動き」
 避けられたのがよほど癇に障ったのか、神速に興味を抱いたのか。
 男の動きと殺気が止まった。
 ……油断!
「やあっ!」
 激痛に顔をしかめつつ、右手に仕込んだ鋼糸を男の目へ向けて放る!
「ウゼエっ!」
 咄嗟に左手で庇った。反射速度も並じゃない。
 だが、これで勝機が見えた。左手に鋼糸が絡まっている今が
 最大のチャンス!
「おあああああああああ!!」
 男の左手を切断する勢いで鋼糸を引いた。
「クソがあああ!」
 右手に持つ剣で鋼糸を切断しようとした男の隙をついて
 踏みこもうとしたその時。
≪ズキン!≫
「!?」
 膝の痛みが我慢の限度を超えた。
「……っ!」
 思わずその場に倒れ込む。
「……何だぁ? ピンチだと思ったのになあ。まあいいや」
 男がゆっくりと接近してくる……が、立ち上がる事すら出来ない。
 まずい……!
 そう思ったその刹那だった。
「それじゃ、死ねな」
 投げやりにそういって剣を振りかぶった男の顔面に。
「やあああっ!」
 美由希が折れた小太刀を放っていた。
 ザシュッ!
「ぐがああああああっ!!」
 男の声はその一辺に響き渡った……

12月23日(日)
  海鳴市藤見町 高町家
    AM6:45 


「……」
 夢を見た。
 忘れもしない、今年の夏休みでの出来事。
 得体の知れない男に美由希が襲われて、駆けつけた俺も圧倒された。
 最終的には目の付近に怪我を負ったあの男が逃げ出す格好になったが、
 こっちの被害も少なくはなかった。
 美由希は11箇所の切り傷。肩の怪我は4針縫う怪我だった。
 そして、俺は……あの日以来神速が使えなくなっていた。
 フィリス先生によると、膝自体は悪化してはいないらしい。
 だが、誰もいない道場で試しに神速を使ってみたところ、あの時と
 たような激痛が走った。
 それ意外の動きには全く影響がないだけに、どうにも不可解な現象だ。
「恭也、起きてるー?」
 そんな俺の悩みなどどこ吹く風、フィアッセの軽やかな声が滑らかに
 飛びこんできた。
「ああ」
 俺はそれだけ答えて、布団から身を離した。
 そんなこんなで、今一ついい滑り出しではない今日が始まる……。


   【AM7:30】


 この日、高町家の朝は普段より心持ち騒がしかった。
 もともと何かと騒がしい我が家ではあるが、今日は少し意味合いが違う。
 と、言うのも……。
「恭也ー♪」
 ご機嫌指数255(最大値)のかーさんが背中から抱きついて来た。
「楽しみねー、明日の夜。プレゼントもたーんと用意してるからねー♪」
 明日は世間でいう所のクリスマスイブらしい。
 我が家も多分に漏れず明日の夜はパーティーらしきものを開くとの事だ。
「翠屋はどうするんだ、店主」
「もっちろん全部片してから駆けつけるわよー。けどもしかしたら
 遅くなっちゃうかも」
「……繁盛するのは良い事だ」
「あはは、まあねー」
 などと幸せそうな顔で言いつつ、かーさんは俺から離れて行った。
 洋風喫茶店にとってクリスマスは当然かき入れ時。まして翠屋は
 やたらと評判がいいようで、テイクアウトも含めた客の数は
 毎年半端じゃない。
 しかも年々増えていたりするので、ここ数年は臨時ヘルプとして
 俺や美由希は勿論、レンや晶、挙句はなのはまでこき使われている。
 その教訓から今年は大々的に臨時バイトの募集を行った結果、
 身内のヘルプは必要なくなったとの事。
「かーさんとしては子供たちのせっかくのお楽しみを犠牲にするのは
 心苦しいのよ」
 ……という事らしい。
「おいレン、その飾りセンス悪いぞ」
「なんやてー! おさるのクセに人間様の美的センスに
 ケチつけるんかー!?」
「うるせー! 亀は亀らしく両手両足引っ込めて回転してろい!」
「あーーー!?」
「やるかー!?」
 レンと晶はいつもの通り小競り合いを交えつつクリスマスツリーの
 飾り付けを。
「くーちゃん、じっとしててね」
「……くぅぅん」
 なのはは久遠を使ってデジカメの調整を。
「それじゃいってきまーす」
「いい子にしててねー」
 かーさんとフィアッセは翠屋へお勤めに。
 それぞれがそれぞれに明日のクリスマスに向けて下準備をしている。
「恭ちゃーん……」
 そんな中、美由希が手持ち無沙汰にしていた
「私たちはどうしよっか」
「ふむ……」
 美由希は一応稽古の仕度をしていたようで、その格好に
 なってはいた……が、どうにも浮ついた雰囲気は否めない。
 この空気で修練、というのも……いささか緊張感に欠ける気が
 するし……。
「……今日は夜だけでいいだろう。皆を手伝おう」
「うん!」
 美由希は嬉しそうだ。
 さ、俺も何か手伝わないとな……。

   【PM10:15】


「ぜっ……ぜっ」
 美由希の鍛錬を終えた俺は、八束神社の近くの森で一人身体を虐めていた。
「はあっ!」
 仮想の敵を相手に刀を振るう。
 最近……あの夏の日以来、何故かはわからないが身体が……細胞が
 訴えていた。
 『もっと強くなれ』と。
「シッ!」
 虚空めがけて鋼糸を放る。
 今俺の目の前にいるイメージされた相手は……あの男。
 美由希を襲った敵。そして……。
「恭也……?」
「!?」
 いろいろ考えていた所為で、俺はその人の接近に気付けずにいた。
 声の主は……。
「美沙斗……さん?」
 御神美沙斗。とーさんの妹で、美由希の実母。
 そして、俺以外で唯一の御神流の伝承者。
 ……驚いた。
「そうか、ここは君の訓練場だったか」
「はあ……それより、何故こんな場所にあなたが……?」
 今は仕事で海外にいるという電話が美由希にあったばかりな筈だが……。
「優先すべき仕事が入って……急遽帰国したんだ」
「そうなんですか。という事は、今は仕事中?」
「まあ、そうかな」
 美沙斗さんと俺は神社まで歩き、階段に腰掛けた。
「何か……悩みでもあるのかい……?」
 意外な一言が美沙斗さんから発せられて、俺はしばし返答に迷った。
「え……?」
「さっきの鍛錬を見てちょっとね……何かを払拭しようとしている様に
 感じたから」
 見る人が見ればわかる、か。
 確かに悩みはある。
「よかったら話してみてはどうかな……桃子さんの様にはいかないかも
 しれないが、一応人生の先輩ではあるし、力になれるかもしれない……」
「……はい」
 多分、相談するとしたらこの人しかいない。
 だからこの申し出はありがたかった。
「神速が……使えなくなったんです」
「え……?」
 俺はその過程をかいつまんで話した。
「……膝に過度な負担がかかってるという事か」
「おそらくそうだと思います。怪我そのものが悪化してる訳じゃない
 そうですから」
「……」
 美沙斗さんは熟考に入ったらしく、沈黙のまま顔をしかめた。
 神速が使えない。
 それ自体は指導者としての俺にとってはさしたる問題じゃない。
 既に美由希は神速を使えるし、実践訓練で神速を使う事はほとんど
 ないから。
 問題なのは……剣士としての自分にとって、だ。
 ある種反則に近いものがあるが……俺にとって最高クラスの、
 言わば切り札的存在な技。
 それが使えない事は、大きな戦力ダウンに繋がる。
 そして、その事に少なからず焦りや苛立ちを覚えている自分。
 俺は……。
「俺は、指導者失格なのかもしれません」
 何ともなしに出た言葉だった。
 美沙斗さんが驚いたような顔でこっちを見る。
「最近……いや、あの夏の日以来、美由希を鍛える事より自分を鍛える事に
 重点をおこうとしている瞬間が、どうしても出てくるんです」
 剣士として圧倒された事……美由希が怪我を負わせられたのに結局何も
 できなかった事……そして、結果的に美由希に助けられる格好になった事。
 それが、そんな自分が許せずにいた。
「剣士としての成長も完成も望めない身体なのもわかってるんです。
 だけど、どうしても割りきれなくて……」
「ふふ……」
 意外な事に。
 美沙斗さんは、面白そうに微笑んだ。
「そんな事で悩んでたのか。そういう所は少し兄さんとは違うんだな」
「そんな事……ですか?」
「君はまだ若いんだ。ましてや男。さらには御神の剣士。自分の強さに
 対する欲求がない方がおかしいだろう。それを気に病む必要はない」
「ですが、指導者としては……」
「恭也」
 諌める様に、労わる様に、美沙斗さんは俺の名を呼んだ。
「私がこのような生き方をしている以上、御神流の伝承者は君一人だ。
 責任を押しつけてしまっているという点に関しては非常に申し訳なく
 思っている」
「そんな事は……!」
「ただ……私は」
 美沙斗さんは一瞬躊躇の色を見せた。言うべきか言わざるべきか、
 迷っているような。 
「……私は、あのテロ事件で御神は滅びたと思っている」
「!」
 にわかには信じられない言動だ。いや……おそらく本心ではない。
「だから、君はその事に縛られる必要はない。好きな通りにすればいい。
 美由希を一人前に育てる事が君の長年の本願だとしても、
 それの為に自分を押し潰すのは……よくない。そんな事をしても
 喜ばれないのは、君だって知っているだろう?」
「……」
「自分を鍛えたいなら鍛えればいい。なにより、君が強くなれば
 美由希にとってもプラスになるのだから」
 そうなら、もしそうなら……それで納得できる。
 けど……。
 さっきの美沙斗さんの言葉の所為か、とーさんの顔が浮かんで来た。
 とーさんなら……どうするだろうか。
「君は君だ。君が納得できる結論を出せばいい」
 俺の考えを見透かしたかのように、美沙斗さんは柔らかく微笑んで
 そう言ってくれた。
 その時。俺の携帯がなった。
 ディスプレイを見ると……月村?
 俺は美沙斗さんに目で断りを入れて、通話のボタンを押した。
「……もしもし」
「あ、高町くん?」
「こんな時間にどうした? 何かあったのか?」
「いや、別に何にも。明日はクリスマスだねーって思って」
 それが俺に電話する事となんの因果関係があるのかは
 謎だが……気にすまい。
「明日は家に来る事になってたっけ」
「もちろん! 那美はさざなみ寮と掛け持ちだって」
「大変だな……」
「全く……ずっと向こうにいればいいのに」
「ん?」
「ああ、いや何でもないよ、うん」
 その後、他愛のない話を数分ほど続けて、
「じゃ、明日ねー♪」
 月村は電話を切った。
「ふぅ……」
「恋人?」
 美沙斗さんは興味深げに聞いてきた。珍しい。
「話してる時楽しそうだったから……」
「いや……友達ですよ。美里さんもあった事ある筈ですけど、
 月村からです」
「ああ、あの髪の長い娘か。君とお似合いだったな」
「そうですか……?」
「後もう一人……那美さんだったかな? どっちが親戚に
 なるのか……ふふ」
「美沙斗さん……」
 意外とゴシップ好きなのか、無理しておちょくっているのか……。
「……時に、美由希にはそういう……いい人はいないのかな?」
「……へっ?」 
 どうやらそのどっちでもなくて、この事を聞く為の前振りだったらしい。
 やはり美由希の事はいろいろと気になるんだろう。当たり前だが。
「えっと……」
 俺は知っている限りの事を話した。
「そうか……」
 残念さよりホッとした色合いが強い表情で美沙斗さんははにかんだ。
「ところで、さっきの話だが……神速の事だけど」
「あ、はい」
「いろいろ考えてみたが、もしかしたら君は……一つ先の領域に
 踏み込んだのかもしれない」
「一つ先……?」
「まあこれは私自身経験のない世界だから口で説明してもあまり
 意味がないけど……もし膝に酷く負担がかかるままなら、
 使用は控えた方が無難だと思う」
「はあ……」
 今一つ煮え切らない答えだったが、この人がそう言うんなら仕方ない。
 他に頼れる人もいない事だしな。
 ……その後、仕事が残っていると言う美沙斗さんと別れて、
「ただいま……」
 俺は家路へとついた。

12月24日(日)
  海鳴市藤見町 高町家
    PM10:30


「メリークリスマス!」
 ぱん! ぱん!
 翠屋組も帰宅し全員集合した後、予定通りパーティーが開かれた。
「勇兄も誘えばよかったかな?」
「勇悟さんは恋人と過ごしてるんちゃうかー?」
「あれ? 赤星くん恋人いたの?」
 かーさんが俺に聞いてくる。
「知らん」
「……あんたたち親友じゃなかったっけ?」
「親友でも知らない事はいくらでもある」
「そういうものなの……?」
 男の友情は女には理解できないらしい。
「みゆき……いっぱい飲む」
「ありがと、久遠」
 久遠が美由希にお酌している……。
「な、フィアッセ。何か歌ってー」
「いいよ。何がいいかな?」
 その隣ではカラオケセットを用意してきたなのはがフィアッセに
 リクエストしていた。
「この料理美味しー! 何て言うの?」
「タコの中華風マリネですー」
「こっちのも美味しいですよ」
「あ、それ俺が作ったやつ。アボカドとマグロのわさび醤油和え」
 レンと晶のクリスマス料理も好評のようだ。
「ラララ……ララララ……ララ……♪」
 笑い声と綺麗な歌声にに包まれて。
 賑やかな時間が過ぎていく……。

  【PM11:45】


「あの……恭也さん」
 結局ほとんどこっちにいた神咲さんが話し掛けてきた。
「ん? なに?」
「こ、これ……」
 恥らいつつ綺麗に包装された袋を俺に差し出してくる。
 まさか……プレゼント?
「え、でも……」
「貰ってくださいっ」
 真摯な視線を送ってこられた。
「じゃ、じゃあ……」
 取り敢えず、受け取る。
「……」
 視線の温度は変わらず熱いままだ。開けろ、という事なのか。
 ちょっと躊躇したが、開けてみる事にした。
「これは……レッグウォーマー?」
「はい!」
 それも、膝の上まで伸びるタイプの物だ。
「……これはありがたい……けど、俺、お返しするものを何も
 用意してない……」
「いいんですよー。そんな事」
 とは言うものの……そうだ。
「それじゃ、明日……」
「えっ……?」
「あーっ!!」
 何かお返しするから付き合って、と言おうとした瞬間月村が
 素っ頓狂な声で割り込んできた。
「それ、もしかしてクリスマスプレゼント!?」
「え、えっと……」
 神咲さんは狼狽気味。
「なーみー!? あれだけ抜け駆けはなしねって言ってたでしょう!?」
「あうう……そんなつもりは……」
 何だかよくわからないが、神咲さんは月村から説教を受けていた。
「すーっ……」
 ふとソファーを見ると、美由希となのは、そして久遠が三人
 仲良く眠っていた。
 美由希の顔がやけに赤い。随分シャンパンを飲んだ様だ。
「しょうがないな……」
 毛布でもを被せてやろうと立ち上がったその瞬間。

≪ドクン!≫

「!?」
 心臓が跳ねた。
 視界が揺れたような錯覚を覚えるほどの……殺気!
 覚えがある……これは、この主は。
「美由希!」
「うーん……恭ちゃん、そんなの食べちゃ死んじゃうよむにゃむにゃ……」
 ……駄目だ。この殺気に気がつかないほど泥酔している。
 いや、その方がいいのかもしれないな。
 などと思いつつ、俺は急いで自分の部屋へ向かった。
「あ、師匠。何かつまみいります? 作りますよ……あれ」
 途中で晶とすれ違った気がしたが、今は気にしてる余裕がない。
 戦闘服に着替えて、愛刀・八景を手に取って。
 俺は、外に出た。

 殺気のした場所は庭……道場の方だ。
「……何者だ。出て来い」 
 その方向へ向けて誰何する。
 現れたのは……。
「くっくっく……お前さんか」
 予想通り、あの時の男だった。
 美由希によって負わされた傷痕が右目の瞼の上にくっきりと残っている。
「あの時は世話になったなあ……おかげで視力が落ちちまったよ」
「あれは正当防衛だろう。それの逆恨みでここに来たのか?」
「くっくっ……おめでたいな、お前は」
 嫌な予感がした。
 目の前にいるこの男の素性……もしや……。
「『龍』を知ってるよな? 裏ではバリバリ名の通ったテロ組織だ」
 勿論知っている。御神宗家をテロによって殲滅させた連中。
 美沙斗さんがその生涯を投げ打ってまで追っていた組織。
「……貴様、『龍』の一員なのか……?」
「さて、どうだかな。それよりお前の妹はどこにいる?
 再会の挨拶をしなきゃな」
 男は右目の傷に手を添えた。
 その手の指の隙間から見えた目の光に狂喜が宿っているのが
 はっきりと伺える。
 どうやら、目的は一つじゃないようだ。
 どちらにせよ……。
「美由希には会わせん」
 俺のやるべき事は一つだ。
 俺は八景の鯉口を瞬時に切る。
「ほう、やる気かい。怪我人の分際で」
 気付かれていたか……だが。
「それがどうした?」
「戦闘能力もコンディションも遥かに俺の方が上だぜ。まあどうせ
 見逃す気もないけどな」
 男は口元を歪ませ、舌なめずりした。
「あれ以来傷が疼いて仕方ねえんだ。お前を殺しただけじゃ収まらねえよ。
 この傷をつけたあのアマを犯して殺して、そうだな……この家女ばっか
 だしな。気配でわかるぜ。そいつら全員犯っちまおう。くっく、
 栄養ドリンク買ってこねーとなあ」
 あからさまな挑発。それでも感情を乱された。
「黙れ」
「おやあ、怒っちゃいましたかあ? どうせほとんどの奴をお前がもう
 いただいちまってんだろ? まあいいけどよ。俺は優しいからな。
 中古でも構わ……」
≪ビュオッ!≫
「!?」
 俺の放ったくないが男の頬を僅かに切り裂いて虚空へと飛んでいく。
 当てるつもりで投げたのだが……さすがに反応が速い。
「ヤロウ……」
「ここは貴様のような下衆が居ていい場所じゃない。早急に立ち去れ、
 と言いたい所だが……どうせ聞かないだろう。だから……」
 俺は構えをとって、殺気を込めた目で男を睨んだ。
「ここで……討つ!」
「うらあああああ!」
≪ギイイイイイン!!≫
 夜の帳に火花が映える。
「お……?」
「ぐ……!」
 この前は押されっぱなしだったが、今度は堪える事が出来た。
「ほうほう。修行の後が伺えるね」
 男は余裕綽々の態度。まだまだ底は見せていない、という事なのか。
「おおあっ!」
≪ギン!≫≪ギン!≫≪ギン!≫
 上下打ち分けつつ敵のバランスを崩そうと足払いなども交えて
 攻撃する。が……。
「ひゅうっ! やるねえ」
 全く通用しない。
 く……まだこれほどの差があるのか……。
「いやあ、中々よかったよ今の攻撃。スリルあった。おかげで……」
 虚ろな目に狂気が宿る。正常な人には決して灯らない、暗澹とした光。
「興奮してきたぜ……!」
「!」

【忍‘s View】

 あれ……?
 いつの間にか高町くんがいなくなっていた。
 さっきまでこの部屋にいたのに……。
「はっ! まさか那美と……!?」
「私が何か……?」
 声は背後からだった。
「いやいや、何でもないよ、何でも」
 どうやら最悪の展開だけは免れた様だ。
 ……それにしても那美。あんなぽやーっとした顔してからに抜け駆けとは……油断できないったらありゃしない。
「?」
 那美はやはりぽやーっとした顔で私を不思議そうに見ている。
 ……可愛いんだ、これが。
 私にはない魅力を持っている。
 やはりうかうかしてられないという事か。
 よし! 決めた!
 私は決意を胸にスクッと立ち上がった。
 そしておもむろに歩き出す。
「あれ、どちらに?」
「ちょっとね」
 ……先に抜け駆けしたのはそっちだからね。
 などというメッセージを込めて那美を見やったが……。
「?」
 やっぱりぽやーっとしていた。
 ま、まあいいや。
 それより、高町くんを探さないと。
 胸に秘めた想いを高めつつ、廊下に出た。
「あ、忍さん」
 む、晶か。
「高町くん知らない?」
「あ、師匠ならさっきすれ違いましたけど」
「どこに行ったかは?」
「さあ、そこまでは。風にでも当りに行ったのかも」
「ふむ……」
 その線で探してみようか。
 私は晶に軽く礼を言って、庭へと向かった。

「……っ」
「……粘るね、全く」
 鮮血が全身の皮膚を染める。
 致命打こそどうにか貰わずにいるものの、一方的に切りつけられていた。
 虎切も薙旋も通用しない。すべて力と速さでねじ伏せられた。
「これだけ粘られるのは本当に久し振りだなあ。いい加減溜まったものが先走りしそうだぜ」
 男がゆらりと近付いて来る。
 くっ……。
「早くケリつけて女犯らねーと爆発しちまいそうだ。見ろよ。こんなに勃っちまってんぜ」
 男の下品な言葉に耳を貸す余裕も……ない。
 神速を使うか?
 でも、前のようにすぐ解けてしまった上に膝が悲鳴を上げてしまっては、本当にどうしようもなくなる。
「ハッ……ハッ……!」
 すぐそこまで男が接近してきた。
 荒い息遣いが、男の異常な興奮……おそらくは性欲を如実に現している。
 今ここで俺がやられたら……駄目だ。 それだけは、絶対にあってはいけない!
 どうする……? どうする?
 混迷しながら視線を泳がせる。
「……?」
 暗闇のすぐ向こうに何か動く影が見えた。
「高町くーん、どこー?」
 月村……!?
「来るな月村!!」
「へ……?」
 大声で怒鳴った時にはもう遅かった。
 砂漠でオアシスを見つけたような顔で……男は月村へ向けて駆け出した!
「ひゃははははははっ!」
「ちょっ、な、な……」
 狼狽える月村に現状を把握する余裕も逃げる時間もない。
 まずい!
「いやあああああああ!?」
「忍ーーーーーっ!!」
 どくん!
 自動的に神速が発動する。
 同時に、身体が勝手に地面を蹴っていた。
「ああああああああ!!」
 躍動感も風の抵抗も感じない。
 まるで、閃光にでもなったかのような感覚。
 周りの景色を確認する余裕すらないまま、俺は瞬時に男の背後まで来ていた。
「なっ!?」
 俺の接近に気付いた男が驚愕の声を上げる。
≪ドスッ!≫
「ぐあ……」
 勢いをそのままにぶつけた俺の肘が男の首を捕えた。
 そのまま、男は崩れた。
 終わった……のか?
「……」
 月村は放心状態だ。
 何が起こったのか未だ理解していない様子。無理もない事だが。
「恭ちゃん!」
 酔いが覚めたのか、美由希が駆け付けて来た。
 と同時に、
「ぐあっ……!」
 俺の気も抜けたのか、膝が地獄の痛みを訴えてきた。
「ちょっ……高町くん!?」
「恭ちゃん!?」
 心配顔で駆け寄ってくる月村と美由希を諌めようと軽く手を
 上げ……られないまま、俺は意識を失った……。



12月25日(火)
  海鳴市 海鳴大学病院 病室
    PM3:35 


 気がついたら病院のベッドの上だった。
 目に飛びこんでくる人工の光が少し痛かったが、それ以外は特に
 問題はなかった。
「両腕全体の重度な炎症、両足の筋肉繊維の断裂、切り傷18箇所、
 その内数針縫う大怪我が6箇所……」
「明らかな重症患者なんですけどね……」
「そうか?」
 レンと晶は苦笑いを浮かべていた。

「監視役……?」
 見舞いに来てくれた美沙斗さんが言うには、
「『龍』はどうも私たち御神を根絶やしにしたいらしい……復讐を
 恐れているというのもあるみたいだ。それで、私以外に御神の血が
 生きている事を知った奴等は君と美由希を監視していたようだ」
 監視されていたのか……その気配は全く感じなかったな。
「奴は『龍』の一員なんですか?」
「いや……あの男は私たちと同じ穴のムジナだ。『龍』も人手不足
 らしくて、御神の者を相手に気配を悟られずに監視し続ける人材と
 なると中々該当者がいないようだ」
「雇用エージェント……か」
「奴は我々の間でも結構な有名人だよ。俗に言う『服役暗殺者』だ。
 クスリで筋力を増加させ、戦闘能力を飛躍的に上げる。とても監視役
 なんて務まるタマじゃないが、その強さは元々並々ならぬものがあった
 らしい。確かどこぞの流派から追放された天才且つ異端児……だったか」
「……なるほど」
 監視役の癖に美由希を襲ったり悪戯に殺気を放ったりしたのはクスリ
 による精神の不安定さが原因だったのか。
「すまない……私がもっと早くに気付いて警戒をしてれば、君に怪我
 させずに済んだのだが……」
 美沙斗さんはそう言って苦い顔をしていたが……。
「いえ、いい経験でしたから」
 俺がそう答えると、ちょっとだけ笑った。
「それにしても、服役暗殺者相手に勝つとは……恐れ入った。
 私でも多分無理だ」
「そうなんですか?」
「以前君が仕留めた男とは別のそれと殺り合った事があるが、
 神速すら通用しなかった。異常なスピードでついて来られたよ」
「……」
 あの時、俺は神速であの男を討った。
 あれはじゃあ、ただの神速じゃなかったのか……?
「……君は、或いは御神流の歴史の中でも一番の才能を秘めている
 のかもしれないな……」
「そんな事はないと思います。少なくとも、父さんには遠く及びませんし」
「ふふ……君はその兄さんの血を誰より色濃く受け継いでいるんだ。
 遠く及ばない訳がない」
「そう……でしょうか……」
 現時点で、俺は決して優秀な剣士ではない。
 未だ治る事のない膝。その事による経験の不足。
 けど……。
「君は……きっと今よりもっと強くなるよ……誰よりも強く」
 美沙斗さんのその言葉。
 信じたい、と思った。

12月28日(金)
  海鳴市 海鳴大学病院 病室
    PM8:40 


 退院前夜。
≪コンコン≫
「どうぞ」
「失礼しまーす」
 面接時間はもう過ぎているにも拘らず……月村がやって来た。
「月村……面会時間はとうに」
「かたい事言わない。高町くん人気者だからこんな時間じゃないと
 二人っきりになれないんだから」
 二人きりになる必然性はないと思うのだが……。
「あ、これお見舞いね」
 やたら豪華な果物セットを無造作に置いて、月村は椅子ではなく
 ベッドの上に腰掛けてきた。
「あのね……あの時パニくってたから何がなんだかわからなかったん
 だけど……高町くん、私の事守ってくれたんだよね?」
「いや、あれは……厳密に言うと、こっちの事情に巻き込みそうに
 なったのをどうにか阻止した、という事に過ぎないのだが……」
「でも、守ってくれたんだよね?」
「……」
 何かを訴えてくるような目。
 どう答えればいいのか……。
「いいから、そういう事にして、ね?」
「あ、ああ……」
 何やらよくわからないが、そういう事にしておいた。
「それじゃ、コホン……お礼をするよ」
「……?」
 スッ、と月村が静かに近付いて来て……。
「んっ……」
「……!」
 俺の唇を軽くついばんだ。
「えへへ……」
 はにかむ様に月村は笑う。
「月村……」
「あー、それとね、あの時私の事『忍』って呼んだよね?」
「呼んだ……っけ?」
 記憶にあるような、ないような……。
「だから……これからはもうその呼び名以外では返事しないから
 そのつもりで」
「そ、それは……」
「拒否は駄目。恭也の方からそう呼んだんだからね」
 すでに向こうも名前呼びになっていた。
「ふふ……これで那美を一歩リード♪」
「ん? 何か言ったか?」
「いやいや何でも。それじゃ私、もう帰るね。明日退院なんだよね?」
「ああ」
「OK。それじゃーねー」
 つ……忍は上機嫌で部屋を出て行った。
「……」
 俺はただ、呆然とそれを見送った……。

12月31日(月)
  海鳴市藤見町 高町家
    PM1:45


 年の瀬。
 皆それぞれおせち料理の準備や大掃除やらで大忙しだ。
 俺はというと……。
「恭也は怪我人なんだから大人しくしてなさいね」
 というかーさん他住民一同の総意に基づいて、一人縁側で
 お茶などすすっている。
 そこに。
「暇してるようだね……」
 美沙斗さんがやって来た。
 上司から『お正月くらいはゆっくりしていいよ』という事を
 言われたらしく、現在この家に寝泊まりしてたりする。
「隣、いいかい?」
「ええ」
 二人してボーっと庭を眺める。
「……結論は出た?」
「……そうですね……結論、と言うにはまだ幼いものかもしれないです
 けど、一応」
「そう……」
 美沙斗さんは穏やかに、優しい笑みを浮かべる。
 その顔は……やっぱり親子なんだなと思わせるほど、美由希に似ていた。
「あれ? こんな所にいた」
「あ、恭也ー」
 それぞれ別の所から同時に、美由希と忍の声がした。
「美沙斗さん」
「ん……?」
「俺……もう少しだけ、強くなる努力、やってみようと思います」
「……うん……」
 強くなりたい。強くありたい。
「ねー恭也、三が日終わったら二人でどっか遊び行かない?」
「ああっ! 忍さん、抜け駆けは……」
「あら那美、まだいたの? さざなみ寮に顔出さなくていいのかしら? 
 お姉さんがお見えになってるんでしょ」
「あうう……でもそれを言うなら忍さんだって、さくらさんが屋敷で
 待ってる筈では?」
「うっ……ヤブヘビ」
 大切なものを……大切な人たちを守れるよう。
 そして……。
「恭ちゃんが最近さらに強くなっちゃったから仕合がきついんだよー」
「師範代が弟子に負けちゃ示しがつかんからな」
「あはは……私が恭ちゃんに勝つのはまだまだ先だよ」
「一生負ける気などないが?」
「あう〜」
「ふふ……」
 微笑む美沙斗さんを横目に美由希を軽く小突いて、俺は空を覗いた。
 多分、その向こうにいるあの人。
 いつの日か追いつき、追い越すため……。

 俺は、また歩き出す事にした―――――


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