アリス。
また、闇がおそってくる。
夜は嫌い。今の私にとっては苦痛でしかない闘いの時間だから。
みんな――私やマリアが眠った頃を見計らってふすまが開けられる。
そして、その隙間から、欲望という名の闇が入ってくる。
もちろん私は眠ってなんかいない。
「おやぁ?まだ寝ていないのかい。いけないね、子供は寝る時間だよ」
「眠るから出て行って」
「いやいや、眠るまで側で見ていてあげるよ。
なんと言っても私は君達の保護者だからねぇ……くくくっ」
薄汚い笑みを口元に張り付かせて男が言った。本っ当に薄汚い。
『保護者』という言葉を使えば私とマリアが抵抗できなくなるのを
知っていて使っているのだから。
「勝手にすればいいわ。私はまだ眠くないの」
もちろん嘘。
この家に引き取られてからというもの、安心して眠ったことなんて無い。
少しでも気を抜いたら直ぐに深い眠りについてしまうことはわかっていた。
だから、気を抜かない。
飢えた狼の目の前で眠ったらどうなるかなんて、想像するまでもないことだもの。
私だけだったら何とかできるかも知れない。
でも、私の傍らで安堵の眠りについてるマリアはどうなる?
冗談じゃないわ。
私はお母さんに約束したんだもの、マリアを守るって。
数時間―――今の私にとっては永遠に等しい時間なのだけれど、我慢比べの後に、
男は「ちっ」と舌打ちを残して、私達にあてがわれた寝室をあとにする。
それでも私は、男が再び戻ってくることがないように
警戒を解かずに暫くの間、睡魔と闘い続けなければならない。
これが、いつもの私の夜の過ごし方だった。
夜なんて嫌い…………。
雨の夜、いつもと同じように男がふすまを開けた。
当然のように私も起きていた。
だけどいつもと違っていたのは、男から漂ってくるお酒の匂い。
私は、直感からいつもにも増して危険がせまっているのを察した。
でも、だからといって何か成す術があるわけでもない。
できることと言えば、せめて男を必要以上に刺激しないよう心がけるくらいだわ。
「おい、……寝ろよ」
「……まだ眠くないの」
いつものやりとりだけれども、それでも少し声のトーンを下げて
相手のテンションを落とそうと必死だった。……のに、
「ガキのくせにいつまで起きていやがる……やせ我慢もいい加減にしろよ」
「別に我慢なんてしていないわ」
つい反射的に返してしまった。しまった、と思った。
いつもだったら問題のない程度だけれど、今夜はまずい。そう思った刹那。
「口ごたえするな!」
男のややヒステリックな声が聞こえたと同時に、私の右の頬に痛みが走った。
瞬間、本当に一瞬だったと思うけれど、私の意識がとぎれてしまったらしい。
気が付いたときには男に組み敷かれていて、身動きがとれなくなっていた。
私のおなかの上に大きな体を乗せて、左手だけで私の両手首を抑え、
右手で私の口を塞いでいた。
男は、私の顔に自分の顔を近づけて、低い声で言った。
「いい気になるなよ……。まったく、しつけがなっちゃいねえな。
俺が直々にしつけ直してやるから感謝しろよ」
こうなってしまっては私だって、我慢して男の顔色を窺っている必要はない。
口を抑えられたままだけれど、逆に男に罵り返すことにした。
「しつけがなっていないのは、あなたの方じゃないかしら!?
いい年して、やっていいことと悪いことの区別もつかないなんて最低だわ」
酒気を帯びてただでさえ赤かった男の顔が、ますます赤くなっていくのがわかった。
いい気味、と思う反面、どうやってこの局面を切り抜ければいいのか、
男が正気を失っているのと同様に、私にも冷静な思考力はあまり残っていないみたい。
取敢えずは動かせる足をばたつかせて見たけれど、
私の倍以上ある男の体を押しのけるなんて、出来るはずも無かった。
「暴れるんじゃない……お前、頭だけはいいんだから
そんなことしても無駄だってことくらい、わかってるだろう?」
さらに、まるで勝ち誇ったような笑みを浮かべて。
「聞き分け良くしてれば、悪いようにしないからさ……」
悪いようにしない、ですって?
あなたのしようとしていること自体が最悪中の最悪だって言うのに!!
信じられない。
そんなことも解からないなんて。
そして、そんなことも解からない奴に、手も足も出せない状況にされるなんて!!
悔しかった。
涙がこぼれそうになった。
でも、こんな奴の前で泣くなんて嫌。
私は、私を抑え付けてにやついている男の顔を下からにらみ返した。
「……まだそんな目をしていやがるのか。
本当にお仕置きされなきゃ、自分の立場ってものがわからないみたいだな」
そして、まだ少し痺れのようなものが残る私の頬にむかって
男の平手が飛んでくるのが見えた……。
男は心底卑劣だった。
三度、四度と私を平手で打ちつけた後で、
それでも私が屈服しないのを見て取ると、こう耳打ちしてきた。
「どうしてもその反抗的な態度を改めないって言うんだったら、いいぜ。
でもなぁ、だったらその時には俺が何をするかわかるか?」
くくくっ……と、下品に笑って続けた。
「お前の両手両足を縛って、猿轡を噛ませて、逃げることも騒ぐことも
出来なくしてからなぁ、お前が一番大事にしてるものから壊してやる」
私が大事にしているもの……?
まさか……
「わかったか?そうだよ。そっちでぐっすりおねんねのお姫様だよ。
お前と違って、素直に言う事聞きそうだしな……ひっひっひっ」
「卑怯者……っ」
私は………………………抗うことをやめた。
男は、乱暴に私の身体を撫でまわしてきた。
パジャマの上を捲り上げて、まだ膨らんでもいない私の胸を揉みほぐそうとした。
大人の男と女が何をするのか、私だって少しは解かっているつもり。
もしかしたらこの男は、こうすれば私に快感をもたらすことが出来ると
勘違いしているのかも知れない。
そう考えると、男の行為はすごく滑稽に思えたのだけれど、
でも、そんなことされたって、私にはただ痛いだけだった。
「ぺったんこなおっぱいだなぁ……んん?」
無抵抗になった私の顔をのぞきこんで男が言った。
余計なお世話だわ。
「俺がいっぱい揉んで大きくしてやるから安心しろよ。
これも教育の一環ってやつだな」
わざと私が苛立つような言葉を選んで口に出しているのはわかっている。
わかっているけれど、それでもむかつく!
だというのに、今の私にできることといったら、むかついているのを
男に悟られないように感情を表に出さないことだけだった。
「なんだ、だんまりかよ」
つまらなそうに舌打ちをすると、男は私の胸を弄る手に力を込めた。
「く……っ」
思わず声をあげてしまった。男が私の乳首を捻りあげたからだった。
私が苦痛の声を上げたことで男は、にやついた顔を更に歪ませて笑った。
「うひっひっひっ……」
耳障りな笑い声が室内に響く。また、涙がこぼれそうになった。
悔しかった。
悔しかった。
悔しかった。
男の間抜けた顔も、何も出来ない自分自身も。
「おやおや、痛かったかい。ごめんねぇ、でも、アリスが悪いんだよ。
もっと素直にしてれば、おじさんだって優しくしてあげるんだから……いいね」
そう言って男は、私に顔を近づけて、滲み出した涙を舌ですくった。
うう……気持ちわるい。
どうしようもない嫌悪感が私の中に渦巻いて、我慢できずに男を視界から消す為に
私は顔をそむけた。
そしてまた、「ぱぁん」という炸裂音と共に私の頬が痛みを伝えてきた……。
なぜだろうか。
すでに私は、私の体がただの道具のように思えてきていた。
私にとっては私の意志を具現化するための道具。
といっても、今はちっとも思い通りにならないけれど。
そして、この男にとっては自分の欲望を吐き出すためだけの道具といったところね。
だから、痛み、なんてどうでもいいことに思えてしまった。
私がそんなことを考えている間にも、男は行為をエスカレートさせてくる。
マリアの存在を盾にとり、私が一切抵抗をやめたことを確信した今は、
男は自由に両手を使って私の身体をもてあそぶことができた。
私のパジャマのズボンを膝のあたりまで下げて、下着の上から私の股間をなぞる。
反射的にぴくんっ、と身体を震わせてしまったけれど、
別に気持ちいいわけでも何でもない。
だというのに、男は何を勘違いしたのか更に指先をとがらせて、
窪みの上のほうにある、ちょっとだけ敏感なところを刺激してきた。
私は、その男の指の刺激ではなくて、下着との摩擦でむず痒くなってきてしまった。
「おやぁ?」
案の定、男は下品た笑いを含んだ口調で私を辱めようとしてきた。
「なんだ?ガキのくせに気持ちよくなったのか?」
……本当にばかだわ、こいつ。
「どれどれ、どうなってるのかなぁ」
男が私のパンツをおろそうとして、腰を上げさせるためにぺちぺちと
軽く私のおしりを叩いてきた。
どうでもよくなってしまった私は、男が促すままにおしりをあげた。
唯一どうでもよくなかった事と言えば、私にも油断があったのかもしれないけれど
こんな日に限って、いかにも子供っぽい木綿のパンツを着けていたことだわ。
男が私の股間に顔を埋めて、小さい肉の割れ目に舌を伸ばす。
ぴちゃ、ぴちゃ、とおそらくわざと音を立てて舐めまわしていた。
時折、そこに添えた指に力を加えて、割れ目を左右に拡げようとするのがわかった。
私の性器なんていくら掻き分けたって、そんなに拡がるわけがない。
なにが楽しいのかしら。
それでも男は嬉々として、私の股間を唾液でべとべとになるまで舐めまわし続けた。
男の舌が少し深く侵入することがあって、圧迫感が気持ち悪いこともあるけど、
一度どうでもいいと割り切ってしまったせいもあってか、
それ以外の感情は最早、沸いてこなくなっていた。
私が我慢すればいい。
夜が明けるのを待てばいい。
マリアを守れればいい。
大事なことは、ただそれだけだった。
男は、私の身体を持ち上げて、今度は四つん這いの体勢になるように指示して来た。
言われるままに私は肘を地面につけて、お尻を突き出すようなポーズを取った。
すると男は、お尻の両側の肉を開いて、そこ……お尻の穴にまで舌を伸ばしてきた。
……変態!
そこは、性器ですら無い排泄のための器官。
そんなところにまで興味を示すなんて、信じられない!!
「うう……っ」
せっかく割り切ったはずなのに、
またどうしようもない嫌悪感が込み上げてきてしまった。
男はかまわず、私のお尻の穴に、尖らせた舌を捻じ込もうとしていた。
「や……あぅ!」
ほんの一センチか二センチ程度だと思うけれど、腸の中に異物を差し込まれる
今までに経験の無い違和感のせいで、声を抑えることができなかった。
その時、ふすまが開いた。
「あんたたち!何してるの!!!」
女の金切り声が響いた。
「あ……っ、あ、い、いや、その……こ、これは」
私を組み敷いていた男が慌てて私から離れた。
私は、瞬間的に思った。もうここにはいられない。
それからはほとんど無意識に近い行動だったかもしれない。
男を突き飛ばしてから寝ているマリアを起こして、こんな時のために準備してあった、
身の回りのものを詰め込んだ鞄を抱えて、家を飛び出した。
家の奥からは奇声とか怒声とかが聞こえてくるけれど、もう関係ない。
降りしきる雨の中、私はマリアの手を引いて無我夢中で走っていた。
マリアは、特別文句を言うでもなく私に引かれるままに付いてきた。
暗闇も雨も気にならなかった。
だって、昨日までの絶望的な暗闇と比べたら、何も恐くなかったから。
もっと早くこうすべきだったわね……。
空が白んじてきた頃、雨はやんでいた。
どこまで歩いてきたのかわからないけれど、
目の前に、どうやら今は使われていないらしい煤けた教会が見えた。
気持ちも落ち着いてきて眠くなっていたし、マリアだって、濡れたままに
しておくわけにはいかなかったので、今日はここで休むことにした。
これからどうしようかな。
もうあの家には戻れない。他に頼れる親戚なんて無い。
はぁ……ため息しかでないわ。
でも、マリアのためにも、私がしっかりしなくっちゃ。
とりあえず、今は眠りたい……。
……だけど、ここはどこかしら。
この町に教会なんて憶えがないのだけれど……。 おわり。