総合トップSS一覧SS No.007-046
作品名 作者名 カップリング 作品発表日 作品保管日
無題 ハッサム氏 リオン×リリス 2009/01/09 2009/02/11

 リオン・マグナスは酷く憤慨していた。
 空は澄み渡り、陽光が程好く降り注ぐ。海沿いに潮風が吹き、磯の香りが鼻腔をくすぐる。
 その天気の中で、彼の機嫌は稲妻が降り注いでいた。
 というのも、彼の近くで土を掘り返している一人の女性に、あちらこちらと振り回されているからだった。
「すいませーん、ありましたか?」
「いや、見つからないが」
「そうですか。もうちょっと南かもしれませんね」
 彼女の名はリリス・エルロン。大陸最北部の村、リーネに住む少女だった。
 リオンは、リーネから大きく緯度を離したダリルシェイドという都市の住民であり、大陸すら違う。
 普通なら、生涯かかわりを持たないであろう二人だったが、行動を共にしてかれこれ六時間が経過していた。
「くそ! 何で僕がにんじんなんかを!」
 リオンはぶつぶつ文句を漏らしながら、手袋を土で汚しつつ地面を掘る。
「なかなか見つかりませんね、根気よく探しましょう坊ちゃん」
 リオンの持つ喋る剣――ソーディアンに投影されている人格シャルティエは、労いの言葉をかける。
 しかし、彼の疲れは全く癒えず、むしろ重苦しい疲れで気持ちが曇っていった。

 リオンという少年は、まだ16歳であった。
 中性的な顔つきをしていて、美少女と間違われてもおかしくない外見。
 奏でる声は凛々しさを転化させたような声で、聞くものを魅了する。
 生家は大企業、剣の腕前は客員剣士として王家に仕えることが許されるほどだ。
 彼の人気は、ダリルシェイドでは年齢を重ねるごとにうなぎ登り。
 しかし、彼はプライドが高く、ややわがままで強引なところがあり、他人に弱みを見せることが大嫌いな人間でもあったので、
 初対面の相手にはとっつきにくい印象を持たせることが常であった。
 その彼に全く物怖じせず、会話でも態度でもイニシアティブを殆ど取らせない――リリス・エルロンとはそういう女性であった。
 二人の出会いは最悪と言ってもよいものだった。
 リオンは王の命令を遂行する途中、リーネよりはるか南にあるノイシュタットという街にいた。
 ある目的のため、一人外に出てそのままリーネ付近まで来た。
 森を歩いていたとき、リリスが(リオンを悪人と勘違いして)襲い掛かってきた。
 リオンは、自分の身を守った代わりに彼女のことを痛めつけてしまった。
 正当防衛が成立するとはいえ、へたり込んでしまった彼女を森に放置などできず、やむなくリーネの村まで連れて行った。
 リリスは、リーネから出ていた理由を彼に説明した。村の南に生えているという伝説のにんじんを探しにいっていたのだ。
 その最中、リオンと戦ってしまったのだった。
 リオンは、自分の目的を果たすまでなら手伝ってやってもいい、といって手伝うことにした。
 しかし、彼はすぐにこれがろくでもない同行だと分かった。
「坊ちゃん、顔色が悪いですけど、どうかしましたか?」
 シャルティエの声にも耳を傾けず、リオンは心の中で思った。
(一体なんだあの女は? たかが村人のくせに、お玉みたいな道具を使って魔物を一蹴する力は、どこから出てくるんだ?
ひょっとしたら、ソーディアン使いよりも実力は上かもしれない。それに、料理の腕はすごいものがあった。
僕もそれなりに美食に舌は慣れているつもりだが、それでも腕前も認めざるを得ない。
だが、あの性格まで認めるつもりはない! 僕はただアイスキャンディー屋を探していただけだ。
それに、伝説だろうと市販品だろうと、にんじんなんて僕は鍋よりもゴミ箱に入れるぐらい嫌いだ!
何で探さなければならないんだ!)
 心の中で、ストレス解消も兼ねて叫んだ。彼の怒りも無理はない。
 にんじんを探している間にも魔物は襲ってくる。その間に、傷も治りきらない彼女を庇いつつ迎撃しなければならないのだ。
 彼女は逐一お礼を言ってくるが、それでは抜けないほど疲労はたまる。
 そのうえ伝説という名にふさわしく、にんじんはなかなか見つからない。
 場所の手掛かりは「リーネから南」だそうだが、1キロ離れていても10キロ離れていても同じく南と呼ぶのだから、
 それだけの情報で見つけるなどもはや偉業と呼んでもよかった。

 時間は刻々と過ぎていき、11時のオヤツ時に始めた探索は、夕食の準備をする時間になっていた。
 夕陽で海が茜色に照らされているとき、ついに二人は地名もないような深い山の谷間で、伝説のにんじんに近づいていた。
「に〜んじんに〜んじん」
 にんじんの唄を口ずさむリリスの横で、リオンは心身共に疲れていた。嫌いな物のためになぜここまで、と下を向いていた。
 ふと顔を見上げ、辺りを俯瞰すると、彼の視界のすぐ先にはノイシュタットがあった。
 拠点とする場所が近いというのに、近づくことができない。
 リオンは、にんじんを探すというくだらない目的のために身を費やしている自分が、ついに我慢できなくなった。
 リリスの方を振り向き、険を荒でた。
「おい、ご機嫌に唄っているところすまないが、一つだけ言っておくことがある。
お前が探しているにんじんだが、僕はにんじんとピーマンが大きら」「あ、アレです! 来てください!」
 言いかけのリオンを放って置いて、リリスは一人で先に行ってしまった。
 リオンは拳を強く握り、歯をぎりりと強く噛んだ。平民相手に、これほど主導権を取れない状況はいまだかつてなかった。
 父親にでさえ、ある程度の発言権があるのだが、彼女の前ではそのような事実も空しくなる。
「あの子の前じゃ、坊ちゃんも形無しですね!」
 シャルティエの声は妙に弾んでいた。
「うるさい! 静かにしていろシャル!」
 足音にも怒りを宿らせながら、リリスの方向へと走った。

 リリスがにんじんを掘り出し、土をぱっぱと払っている姿を見て、リオンは踵を返した。
 ノイシュタットの方角を見ると、ぽっぽっと家々に電気が点き始めている。
 長い間森の中で動いていたため気付かなかったが、既に日の入りの時間となっていたようだ。
「坊ちゃん、夜は魔物が活発化します。できるだけ動き回るのはやめておきましょう!」
「そうするか。結局、ここまでの道のりでアイスキャンディー屋は見つからなかったな。
やっぱりノイシュタットにあったのかもしれない。しかし、人目がある中で買うのは勇気がいるな」
 リオンはノイシュタットを見ながら、足をそちらへと進めていた。彼はもうノイシュタットに帰る気でいた。
 リリスとの付き合いは、伝説のにんじんを見つけるまで。彼女が怖いから帰れない、とでも言ったのなら、
 ノイシュタットの宿屋の宿泊費でも払ってやれば、傷つけた分もチャラになるだろうとリオンは考えていた。
 彼女の実力なら、帰ることぐらい容易だろう。だが、彼の予想は最初の一歩から崩された。
 きっかけは、リリスの悲鳴だった。
 リリスはすぐにシャルティエを構え、悲鳴がした方へと走った。
 足を止めたとき、リオンの目には、うさぎの顔とカンガルーの身体が合体したような姿の魔物が映っていた。
 気を失ったリリスを腹の袋にしまいこもうとしている。
「にんじんを守るものがうさぎとはな……そこらに生えている普通のにんじんを守っていればよかったものを」
 リオンは前傾体勢で走り出し、幻影を残しつつ剣を振りぬき、魔物を怯ませた。
 すれ違いざまにリリスを救出すると、彼女を木の影に隠した。
 そこが魔物の死角になっていることを予想しつつ、今度は一直線に魔物へと向かっていく。
 魔物は腹の袋から、黒いうさぎのような影を出してリオンを叩き潰そうとしたが、難なく避け、再度斬りつけた。
 そして、相手がよろめいているうちにシャルティエの力を借りて昌術を唱えていた。
 間もなく、彼の手には大樹の枝を思わせる巨大な黒槍が握られ、禍々しく蠢いていた。
「デモンズランスッ!」
 叫びつつ、黒い炎に燃え上がる槍を投げつけた。魔物は腹の袋から出たうさぎの影で顔を庇い、ガードをした。
 しかし、リオンの放った槍は、強固なガードを貫いて、風圧と共に魔物をはるか遠くへ吹き飛ばした。
 爆風が周囲の枝葉をざわめかせ、木の葉が舞い飛ぶ。地面にはしばし軽い地震のような衝撃が残った。
 魔物がいた場所には、貨幣がいくらか残っているだけであった。

 リオンは警戒しつつ、リリスに駆け寄った。
 彼女が寄り掛かっていた木は、リオンの昌術から彼女を守っていた。
 しかし、既に歩くこともままならない重傷で、危険な状態であった。回復するまで戦闘は不可能だ。
「大丈夫か?」
「ちょっと……危険かも」
 弱々しい声で、首は俯いたままリオンの顔も見ていない。肩と腹部が呼吸のたびに大きく上下する。
 リオンはやむなく小休止。少しでも疲労の回復になることを考えて、料理を作った。
 彼の家には執事やメイドが何人もいて、一人で料理などほとんどしたことがない。不安であったが、何とか体裁は繕えた。
 今は味など二の次三の次、とりあえずリリスの気を休め、疲労を回復させることが一番だった。
 お茶漬けを作ったつもりだったが、ただ白湯にご飯を入れただけのように見えた。
 味見したときも、あまりいい出来ではないと思い、そこらの木にぶちまけてやろうかと思っていた。
 しかし、リリスが物欲しそうな顔をしているため、失敗作と言ってもいいそのお茶漬けを、ゆっくりと食べさせた。
 リリスは力なく口を動かした。疲れているからか、なんとも言いがたい味なのか、
 まずいけどせっかく作ってくれたからムゲにはできないと思ったかは分からないが、何も言わない。
 無言はかえって二人に重苦しい雰囲気を与える。
 リオンはその中で、彼女の姿を今一度見ていた。
 しばらくの間、地面と魔物しか捉えていなかった目は、リリスのことを見ると楔を打たれたように止まった。
 リリスの服装は決して格好をつけたものではない。
 手縫いと思われる衣装が、エプロンドレスの下に見えるもので、露出などないに等しい。
 しかし、それでも彼女の魅力は十分リオンにも分かった。何のことはない、彼女は才色兼備なだけではなく、美人であった。
 長い金髪はリボンで束ねられ、頭の後ろで風に吹かれてそよそよとなびき、
 青くパッチリと開いた瞳が顔のバランスを綺麗に形作る。料理を咥えている口は小さく、唇は控え目に色めいていた。
 リリスは料理に集中していたため、リオンが見ていることにしばらく気付かなかった。
 しかし、おもむろにリオンの方を向くと、目線はぱっちりと合った。
 リオンはわざとらしいほど急に視線を逸らしたが、リリスは全く気にすることなく、リオンの方を見続けていた。

 リリスが料理を食べ終わると、リオンはふんと言うと、立ち上がってリーネの方角へと足を向けた。
「お前があの魔物に危険な目にあわされたのは、警戒を怠った僕にも比がある。
これ以上危険な目に遭うとなると、僕も目覚めが悪い。そういうわけだ、リーネまで送っていく」
 リオンの提案に、リリスは何も言わない。
「どうした? 返事ぐらいしたらどうだ?」
 催促をしても、リリスは何も言わない。振り向いて彼女を見ると、頷いているようだったが、何も喋らない。
 業を煮やした彼は、リリスの腕を掴むと、無理矢理立たせた。細い体は軽く、簡単に立たせることができた。
 リリスは腰折ることなく立つことを継続できた。彼女は、なぜか笑顔であった。
 立ち上がった拍子に、口が小さく開いていた。
「無事なようだな」
 リオンは疲労回復のグミを取り出すと、彼女の口に押し込んだ。
「それを食べ終えたら出発だ。疲労はもう取れているはずだからな」
「あ、あの!」
 リオンは背を向けたまま返事をした。
「何だ? 言いたいことがあるなら早く言え」
「ありがとうございました。さっき、本当に意識が遠のいて、少しの間記憶がなかったんです。
貴方に助けてもらわなかったら、私は……。
それに、最初に貴方と会ったとき、私が勘違いして襲ったこと、重ねてお詫びします」
「そんなこと、いちいち気にしていない。頭を下げている暇があったら、足を動かせ!」
 リオンの鬼のような態度。しかしリリスは少しも気にしない。
「そうですね、では、リーネの村までお願いします。そろそろ夜行性の魔物が出てくるから、急ぎましょう」
 リリスは急に笑顔になると、足取り軽やかにリオンを通り越して行った。疲労は回復したようだ。
 急いでいるため金髪を束ねているリボンの蝶足がぴょんぴょんと撥ねる。それを獲物と勘違いした魔物が森の中から出てきた。
 彼女は一人で戦う気満々で構えていたが、リオンは忙しくなることが優に想像できた。
「どこまでも手のかかる女だっ!」
「でも、どこか憎めませんね」
 シャルティエが小言を挟むと、リオンはシャルティエを思いっきり手荒に扱った。

 リーネへの帰路は、行き以上に長く感じた。
 途中襲いかかってくる魔物を一匹一匹倒していったことだが、済んだことを悔やんでいても仕方がない。
 日は完全に落ち、風は刃のように鋭く体を通り過ぎていく。ほとんどの人は家に帰り、外にいる人は疎らとなっていた。
 リオンは彼女を送ったら、すぐにノイシュタットへ帰る予定であった。
 しかし、踵を返した途端、リリスがお玉を襟に引っ掛けて制止してきた。
「おい、何の真似だ?」
 リオンはお玉を襟から話すとリリスを睨んだ。
 彼女は涼しい顔をしてリオンの腕を掴むと、強引に引っ張って村の中を案内していった。
 パン屋を見上げ、畑を通り過ぎ、坂を登って大きな屋敷を通り越し、そこから右へ進む……途中でリオンが腹を立てた。
「いい加減にしろ! 僕はお前を送るためにここに来たんだ。観光をしに来たんじゃない!」
 リオンの声は村中に響き、外出している少ない村人の視線を集めた。
 彼女がしょんぼりと顔を俯けると、リオンはまずいことをしたように顔を横へそらした。
 視線の先では広々とした牧草地帯が広がっていた。線を引くように羊がメーメーと声をあげて宿舎へと帰っていく。
 ダリルシェイドにはない光景に、リオンは興味を持って見つめていた。
 その隙に、リリスは再び腕を引っ張って、彼を自宅へと連れて行った。
 扉を開け、「土足でいいですよ」と声をかけたところで、ようやくリオンは手が自由になった。
「……これ以上、僕に何をしろというんだ?」
「是非、美味しいご飯を食べていってください! せめてもの恩返しです」
 リリスは百万ガルドの笑顔を見せた。リオンはバツが悪いようにため息をついた。
「あいにくだな。そんな時間は僕にはない。宝探し(にんじん)に付き合っておいて今更だが、僕は急ぎの用なんだ。
恩を感じているのなら、このまま僕を帰らせてくれないか?」
 とリオンが身の上話を聞かせたところで、シャルティエが口を開いた。
「坊ちゃん、お言葉に甘えましょう!
慣れない土地を暗闇の中動き回るのは危険ですし、今日の坊ちゃんは戦いっぱなしじゃないですか。
少しぐらい羽を伸ばしてもバチは当たりませんよ」
 シャルティエの言葉にも一里あった。リオンは決して体力には優れていない。
 一日中の戦闘により、リオンの意志とは逆に体は悲鳴をあげていた。

 とはいえ、ここまで来て急に意見を引っ繰り返すのは、彼の意地が簡単には許さない。
「その、家族にも迷惑がかかるだろう? そういうところに邪魔することは」
「家族のことなら心配いりません! おじいちゃんは度量が広いですし、お兄ちゃんは家出中です。
ですから、三人で食卓を囲むのって久し振りなんです。腕によりをかけて作りますから、たんと召し上がってください。
それと、もう一つ引き止めたい理由があったんですよ」
 リリスは背を向けて、台所でなにやら作業をしていた。何かを掻き混ぜているような音が聞こえる。
 ものの数分、リオンは居間に突っ立っていた。
(どうする……ああいうことを言った手前、ここには居づらい。
しかし、体力の限界と意識していれば、確かに既に筋肉痛の徴候は見られる。
……その上、あの女の料理の腕は絶品で、おかわりがほしいぐらいだ)
 リオンがくだらない意地で困っていると、リリスが手の平ほどの容器に何かを入れて戻ってきた。
「貴方、アイスキャンディーを食べたいって言っていましたね。だから私、作ってみたんです」
 容器の中には、中途半端に固まった白い液体が入っていた。まだ泡が立っていて、作ったばかりという感じがする。
 しかし、見た目とは裏腹にバニラのいい匂いがした。
 アイスキャンディーが液体ではないことは、辞書を引くまでもなく明らかなことだったが、指摘する前に彼女は続けた。
「これを数時間かけて冷やせばいいって聞きました。この辺りの夜は冷えますから、朝までには固まっていると思います。
今日はここに泊まっていってください。ちゃんと寝床はありますから」
「アイスキャンディー……作れるのか?」
「たぶん……で、では、ご飯を作ってきますね」
 リリスはウインクすると、台所の方へ走っていった。
 リオンは、足を玄関の方へ向けたが、思い悩んだ。
 ちらっと外を見ると、空に蓋がされたように真っ暗だった。
 確かに、この暗さの中を歩き回るのは危険だ。ましてや体力回復の当てもない。
「止むを得ないな。今日のところは、身を休めるとするか」
「おおーっ、坊ちゃんが自論を曲げるなんて! 頭の上に岩でも振ってきたらどうしよう!」
「シャル、お喋りが過ぎるぞ」
 リオンとシャルティエが小声で話していると、一家の主と思しき年寄りが「ただいまぁ」という声と共に入ってきた。
 見知らぬ客がいるというのに、「お客さんかい?」と一言言うと、それきりだった。
 うら若い孫娘と見知らぬ男が二人きり、状況が状況なのだからもう少し不審に思え、
 といいたいところであったが、これがリーネの普通の習慣なのだろう。
 黙ってシャルティエの刀身を眺めた。しばらく手入れができなかったため、大分汚れていた。
「坊ちゃんが年上でもない人のいう事を聞くなんて、珍しいですよね」
 シャルティエは感心するように言った。
「仕方がないだろ、僕が死んだら誰があいつらの監視をするんだ」
「でも、それを抜きにしてもマリアン以外の言うことを素直に聞くなんて、新鮮な光景ですよ」
「はぁ……シャル、少し黙っていてくれないか」
 それきり、二人は口を閉ざした。

 黙々とシャルティエを磨いていると、次第にいい匂いが居間に立ち込めてきた。
 リリスが「できました」といいながら、お盆に乗せた料理を運んでくる。シチューだった。
 底の浅い容器で、具が頭を半分ほど出した状態。匂いと外見に食欲をそそられる。しかし、リオンはギョッと目を見開いた。
「おい、にんじんが入っているが、まさか?」
「あ、これは伝説のにんじんではありませんよ。うちの畑で取れたにんじんです」
「聞きそびれていたのなら、もう一度言ってやる。僕は、にんじんとピーマンが嫌いだ! だから、そういうのは御免だ」
 ずっと大人ぶっていた彼の、子供っぽい態度。リリスは可愛らしい彼の好き嫌いを知ると、くすっと笑った。
「では、残した分は私が食べますから」
「そうか……なら助かるんだが」
「でも、こっちはどうしましょう?」
 と、リリスはお盆に乗せて運ぶ途中のサラダを前に出した。それにはにんじんとピーマンとレタスと海草が乗っていた。
 食材の比率が合っていない。リオンが嫌いなものを除くと、毛を刈った羊のように量が香ばしいものとなってしまう。
「それは、さすがに困るな」
「う〜ん」リリスは人差し指を顎につけて悩んでいた。突然、電球が光ったようにリリスは表情を明るくした。
「では、貴方の好みにあうものをもう一品作りますね。ちょっと時間がかかりますけど」
「そこまでしなくてもいい」
 とリオンが制止してももう遅い。彼女はお盆をテーブルに置いたまま、すぐに台所へと向かっていた。
 間もなく、まな板に何か大きなものが乗せられた。
 無関係のようにテーブルに置かれていた料理は、しっとりとした湯気を立ち上らせ、芳香を漂わせている。
 リリスの祖父はサラダに箸を伸ばすと、ぱくぱくとつまみ食いを始めた。
 次第に箸に勢いがついていき、つまみ食いではなくなって、完全に本食いとなっていた。
 リオンは料理の前で立ち往生をしていた。リリスが恩人のために張り切って作ったため、量は相当なもの。
 自分の胃ではぎりぎり食べきれるかどうか、というところだ。
 その上、もう一品リリスは料理を作っているので、それを食べる分も考えなければならない。
 食べ物を残してはいけません、と常々言われているため、残すこともできなかった。
 箸を掴んでテーブルの前に座っても、にんじんとピーマンが邪魔をして踏ん切りがつかない。
「ぼっちゃぁ〜ん、はやく食べましょうよ、見ていてつらいでしょう〜?」
「我慢してでも、にんじんを食べればよかったよ」
 リオンは気の進まないまま、夜食に取り組んだ。
 味はさすが、というもので、リオンの不安はすぐに味に誤魔化されていった(にんじんとピーマンは残したが)。
 食も進み、手が止まらない。テーブルに並んでいる分を食べ終えたとき、案の定彼の胃は苦しみを訴えていた。
 腹の底が盛り上がるような苦しさに、リオンの手は完全に止まり、追加分を入れる隙間はなかった。
 リオンは少しでも腹に隙間ができることを祈って席を立つと、野外を眺めた。
(立っているうちに、少しでも腹が空いてくれるといいが)
「おーい少年、リリスの料理ができるには時間がかかるだろうから、先に風呂に入ったらどうだ? 沸いたばかりでいい湯だぞ」
「風呂?」
 確かに、料理が来るまでの暇潰しにはなる。それに、今日一日の汗も流すことができる。
 風呂に入ると、なぜか腹に隙間ができることを実体験で知っていた。
 リオンは二つ返事をすると、居間から扉一枚を隔てた風呂場に向かって行った。

 シャルティエを壁に立てかけると、湯船の中で身体を伸ばした。とことんたまっていた疲れを癒すようにくつろぐ。
 何度か腹をさわり、その度に隙間ができた気がして、リオンは先のことが明るく思えた――そのとき、視線を感じた。
 それは窓がある方、すなわち外からだった。どうやら男で、覗き魔のようだ。
 男は窓越しにリオンに気付くと、中指をたてて唾を地面に吐いた。
「ピコハン!」
 シャルティエを掴むと、自分の背丈半分ほどのピコハンマーを具現化して、相手の頭上に落とした。
 ポップな音がなり、カエルがつぶれたような声を聞くと、再びリオンは浴槽で体を伸ばした。
 昌術の分の疲れも取り、やや眺めとなった入浴を終えた。
 居間へ戻ってきたリオンを迎えたのは、リリスだった。その手には、タライのような巨大な容器に、魚が一匹入っていた。
「これは何だ?」
「マンボウです。全体はもっと大きいんですけど」
 身は白身で、淡白な味が期待できる。変に油っこいものでなくてよかった。
「というわけで、賞味してください」
 しかし、それは、とても一人の食卓とは思えなかった。闘技場のチャンピオンでさえおなか一杯になるようなシロモノだ。
 リオンは追加させた上に残す、などという独裁者のような酷いことはできず、箸を掴んだ。やけに箸の動きが遅かった。

 さすがに、リリスと祖父が手伝ったのでタライ丸ごと、というわけではなかった。
 しかし、それでもリオンの胃袋は悲鳴をあげ、断りをしてからもう一度風呂に入り、僅かでも苦しさを和らげた。
 余裕が出てくると、リオンは食後の運動と称して外に出た。
 冷たい風が心地よく、辺りの小動物が小さく声を出して、静寂と絡まって耳に優しく届く。
 リオンは胃が楽になるまで暇でしょうがなかった。
 羊を飼っていることを思い出すと、ちょっと見てみたくなって、家の裏に足を進めた。
 と、その途中に先ほどの覗き男が、頭上にひよこをピヨピヨさせて(イメージ)倒れていた。
「坊ちゃん、この男どうします?」
「罪を償わせる。といっても、この辺りに裁判所はなさそうだ。権力者のところにでも連れて行けばいいだろう」
「じゃあ村長さんですね! でも、村長の家はどこにあるんでしょう?」
「罪人に聞くさ。シャル、ちょっと物騒なことに使わせてもらうぞ」
 リオンはシャルティエを構えると、刃の横で男の肩を軽く叩いた。男は気がつくと、ふらふらと起き上がった。
「おいお前、これから僕の言うとおりにするんだ」
 リオンがシャルティエを喉元に突きつけると、男は男性らしからぬ高い声をあげて絶叫し、そのまま失神、倒れこんだ。
 平和な村で育った男に、お目覚めの剣先は刺激が強すぎたようだ。
「ちっ、根性のないやつめ!」
「どうします坊ちゃん、目覚めるのを待ちますか?」
「起こしたあと、また眠られては困る。仕方がない、あの女か老人に聞くさ」
 リオンはシャルティエを腰に差して、方向を変えた。そのとき、彼はとんでもないものを見た。
 風呂場で、リリスが今まさに湯船に浸かろうとしていた。
 リオンの視線が彼女の上半身に釘付けになると、リリスの目線も彼に止まった。
 目が合うと、意識が飛んだように頭が真っ白になった。一瞬の停滞が、除夜の鐘のように長いものに感じられる。
 はっと意識が戻り体が自由になると、すぐに倒れている男の襟首を掴んで、逃げるように立ち去った。
 逃げても苦難は続く。頭の中では今の図が影送りのようにしばらく残っていた。
 直視してしまったことの気まずさとあわさって、リオンは頭を茹だるように熱くさせた。

 振り払うように、急ぎ足で村長の家に入った(正確には、場所を聞こうとして入った家が、たまたま村長の家だった)。
 呆気に取られている村長に、リオンは事の説明をすると、村長は深く頷いた。お礼の言葉を受けるよりも先に立ち去った。
 出て行ったはいいが、どこに行けばいいのか分からない。
 どう考えてもこっちに非があるわけで、いくら彼女が恩を感じているとしても許容範囲を超えている、と考えるのが普通。
 そもそも、料理のもてなしを受けた以上、今でもまだ恩という親切引換券は有効なのだろうか?
 焦った拍子で腹部の苦しみは紛れていたが、新たな苦しみのせいで頭も体もまともな状態からは程遠い。
 村の中を意味もなくさまよっていると、リリスが彼を迎えに来た。格好はラフで、エプロンドレスはつけていない。
 風呂を浴びる前に慌てて出てきた、という印象を受ける。
 彼女はリオンに駆け寄ると、お辞儀をした。
「あの人、前々から困っていたんですけど、あなたが解決してくれたんですね」
 リオンは意識して目を背けた。
「礼などいらん。お前が知っているということは、あの男は常習犯のようだな。
こんな田舎なら、顔さえ分かればすぐに捕まえられようものだろ?」
「たまたま通り過ぎただけって場合もありますから」
 リオンは傷が痛んだ気がした。どうやらリーネにはリーネの掟があるようだ。
「現行犯で捕まえないといけないんです(一応自首もありますけど)。
でも、そのときの私は何も着ていませんから、その、恥ずかしくて。
こんな簡単に解決しちゃうなんて……どうやったのかは分かりませんけど、ありがとうございました
「礼などいらんと言っているだろ。それよりも何の用だ? わざわざ礼をいいに出てきたんじゃないだろ?」
「お礼を言いにきました!」
「……」リオンの口から言葉がでなくなった。
 風呂に入った、食事もすませた、後は寝るだけという状態なのに、かえって疲労がたまっている気がした。
 リリスは彼の心情などお構いなしに、彼の腕を引っ張って家へと連れ戻った。

 困ったことはいくつ重なっても消えるものではない。
 既に祖父は自分の寝床で寝息をふかし、ワンルームかと思える広さの家には彼とリリスしか居ないようなものだった。
 リオンは何もする気が起きず、はぁとため息をついていた。
 何の目的でこの村に来たのかも忘れ、心身ともに疲れた体をソファにもたげるのみだった。
 傍らの暖炉の熱が、ぽかぽかと体を温める。気が緩んで、うつらうつらとしていた。
 気がついたときには隣にリリスが座っていた。
 ランプの光に照らされた姿は朱を帯び、彼とそれほど年は変わらないはずが妙に大人っぽく見えた。
 リリスは手を後ろに置いて、何かを隠すようにしていた。
「あの、これですけど」
 リオンの前に、皿に盛られた液体のようなものを出した。出したときに、ぷるぷるっと震えていた。
 彼は首をかしげた。
「これは?」
「アイスキャンディー……違いますか?」
「これはゼリーだ、アイスキャンディーとは全くの別物だ」
 リオンは目眩みがした。ゼリーぐらい、実家で食べたことがある。リオンが食べたいのはアイスキャンディーである。
 料理の腕がプロ級である彼女が作ったのだから、きっとこのゼリーは相当美味いのだろう。だが、それも今では食べる気がしない。
 語気を荒でる気力も沸かない。
 支えていたものがプツンと切れたように、リオンはリリスとは逆の方向に体を横たわらせた。
 リリスは腰を下ろしたまま、彼の顔を覗き観る。
「おやすみですか?」
「ああ、寝る……ゼリーは明日食べるから、今日はとりあえず寝かせてくれ。疲れたんだ」
「あの、ソファで横にならなくても、上にベッドがあります。二階建てベッドですから、好きな方を」
「ここでいい。お前がいつも通り使え」
 リオンはシャルティエをつかめる位置に置いて、目を瞑った。
 腹部の苦しさはこの頃にはほとんど紛れ、目に焼きついていた先ほどの図は次第に薄れていく。
 意識は、さして時間をおかずに暗い闇へ落ちていった。

 日付が変わった頃、リオンは何かの音で目を覚ました。
 ネズミの喧嘩のような、普通の人は見向きもしない音であったが、それなりに警戒しているため敏感にも反応した。
 自分の周りは完全な闇、薄気味悪さを通り越してかえって清々しささえ感じる。
 ただ、自分から離れたところには小さな光があり、寝ぼけ眼を凝らしてそちらを見た。場所的には、そこは風呂場のようだ。
「まさか、またあの女か……? できればそうではないことを祈っておくか」
 シャルティエを掴んだ。リオンが耳を立てると、水関連の音はしないようだった。
 ここでしていたら、とっとと眠る予定だったが、そうではないと分かるとほっとして扉を開けた。
 リリスが後ろを向いて、何かをやっていた。
「どうかしたのか?」
 リリスは彼に気付くと、何かを隠した。
「お、おはようございます!」
「……そんな時間じゃないだろ」リオンの返事とほぼ同時に、シャルティエが目を覚ました。
「坊ちゃん、何かありましたか?」
「いや、何でも無さそうだ。眠っていていい」と、寝たりなかったのか、すぐにスイッチを切った。
 シャルティエを風呂場の端に立てかけると、再度聞いた。
「こんな時間に、こんなところで、何をしているんだ?」
 彼女にずいっと詰め寄ると、急にあわてた彼女は何かを隠した。珍しく緊張した様子を見せていた。
「ア、アイスキャンディーの作り方を近所の人から聞いてきて、作り方をメモしていたところですけど」
「レシピか。なんでこんな場所で書く?」
「部屋の中で電気をつけると、起こしちゃうかもしれませんから。ここなら光は目立ちません」
「メモぐらい聞いたときに取れ」
 リオンは嘘は言ってなさそうだと判断した。
 睡眠が浅いことを思い出すと、みっともない姿を見せないうちに風呂場を出て行こうと背を向けた
 ――出て行く前に、リリスが衣服の端を掴んで止めた。
「あの、いかないでください。もうちょっとでできそうですから!」
 リリスが制止のため立ち上がると、彼女の後ろに隠していたノートが出た。
 それは、アイスキャンディーが冷えていく工程だった。
 何時間冷やすとこうなる、というのを凝り性にも事細かに記していたのだった。
「悪いが、明日にしてくれ」
 リオンは腹部を撫でながら言った。まだ前日の料理を消化しきれていない。
 そのうえ夜中で目が覚めたばかりとあっては食欲も湧かない。
 しかし、リリスがただで退くわけがない。
 リオンの言葉を柳に風にして、風呂場の扉を開いて外に手を伸ばし、透明な袋に入っている細長い棒を取り出した。
 窓から侵入してくる夜風は冷凍庫のように寒い。
 この寒さの中で、とりあえず固形と言える形にはできあがっていた。
 もっとも、それは市場で売っている固形物とはかけ離れた、べとべとな状態での固形だったが。
「ほら、きちんと形になっています。ちょっと溶けそうですけど。あとバニラ味しか作れなかったのが残念ですね」
 リリスは固まった部分を両手に乗せ、リオンの方へ棒を向けた。
 その棒は、アイスキャンディーの棒といって思い浮かべる楕円形の細長い棒ではなく、焼き鳥にさすような鋭く尖った串だ。
 支える力に乏しく、今にもアイスキャンディーが溶けて落ちそうであった。
 リオンはやや躊躇しながら受け取ると、口元に運んだ。
 リリスの視線が強烈だった。食べる瞬間を逃さまいと、シャッターチャンスを待つように凝視する。
「はぁ」ため息をついて食べるのをやめ、出したキャンディーを袋へと戻した。

「どうして戻すんですか?」
「一日中これのために動き回ったんだ。今みたいに胃がむかむかして、食欲がなくて、寒くて、機嫌が悪いときに食べたくない!」
 彼自身にもよく分からない理由を述べると、リリスはしょんぼりと小さくなり、俯いた。
 押し付けがましい彼女だが、断られると無理強いはしなかった。
「恩を返したかったのに……」
「恩だと? 妙なことを言うな。恩なら一宿一飯で既に返している」
「でも、私が貴方から受けた恩は一つだけじゃないから、全部返さないと。つぎにいつ貴方に会えるか分かりませんし」
 リオンは、彼女の立派な志にただただため息をついた。
「お前、恩をあだで返すとかそういう発想はないのか?」
「ないです」
「はぁ……分かった。食べるよ……食べるからもう恩の押し付けはやめてくれ」
 リオンは憮然とした表情でアイスキャンディーの袋を取り払った。
(どうしても、この場で食べる運命にあるようだな……こんな気分のときに食べたくはなかったんだがな)
 リオンは怒りを露わにしていたが、普段から怒ったような表情であったため、リリスは感情の変化に気付かなかった。
 ひんやりとするアイスキャンディーと、リオンは口元へ運んだ
 ――アイスキャンディーが彼の口元を離れていき、ボタッと音を立てて風呂の床に落ちた。
 そのまま模様の溝に沿って、排水溝へとバニラが流れていく。
 固まりきっていない状態で、長時間持ちっぱなし、そのうえ棒が支える力に乏しいということが絡まった、当然の結果だった。
 最初の意思表示通り食べないで済んだわけだが、いざ食べられなくなると物悲しい。
 最初に渡されたときに素直に食べていればよかった、と軽く後悔しそうになった。
 リリスは融解したアイスキャンディーを勿体無さそうに眺めて、しくしくと言った。
「食べるの、早かったみたい……です」
「だから言っただろ、明日にしてくれ、とな」
 残念なのは実はリオンも同じだが、リリスという女性の前で弱い姿を見せるのは、
 彼のプライドが許さず、ついついきつく当たっていた。
 ただ、同時にえもいえぬ罪悪感が湧き上がってきたことも事実。口調をやや優しくした。
「明日食べるから、今日はもう寝るんだ」
「はい……まず、疲れをとって、朝ごはんの仕込みをしてから寝ます」
 どこまでも家庭的なリリスに、リオンは頭がくらっとした。
「勝手にしろ!」
 夜に似つかわしくない大声を(らしくなく)放つと、リオンは扉を開けて居間へ戻った。

(律儀すぎるのも考えものだ……思いが純粋な分だけ余計に。
とにかく、もう寝なければ日中に支障をきたすかもしれないな)
 リオンはソファに身をもたげ、目を閉じた。そのとき、シャルティエを風呂場に置きっぱなしにしたことに気付いた。
(何と言う凡ミスだ! しかし、これで生じる弊害といえば、寝るのが少し遅れるだけだ)と自分で自分を慰めた。
 リオンは再び風呂場の扉を開いた。
 油断していた彼は、耳を扉につけることを忘れていた。
 リリスが、湯を浴びていた。
 リオンとリリスの視線ががっしり合い、そのまま固まった。
 突然の事態は、事故にあったように感覚にずれを起こした。心臓の音が牛歩並みに遅く感じる。
「す、すまない!」
 リオンは急いでシャルティエを掴み、風呂場から出て行った。
 居間へ来たというのに、心臓の鼓動は少しも鎮まらない。内側から食い破らんばかりに高まり、眠気を内から吹き飛ばしてしまった。
 毛布をかぶり、視界を真っ暗にしても眠気がない。ごろんと横になってもなおギンギンと目が覚める。
 この調子では、寝る頃には朝日が昇ってしまう。
 リリスという美少女の全裸を見る――普通の男なら、これが生涯に一度あるかないかの行幸に等しいが、リオンには苦にしかならない。
 彼は心に決めた女性が居て、そのためにも他の女性は眼中に入れないと決めているのだ。
 だから、今の光景もそれを害するウイルスのようなもので、必死に駆除しようと煩悶していた。
 彼が嫌な時間を過ごしてから数分後、扉が開いてランプの明かりが差した。リリスが彼の近くに寄る。
 彼は寝たふりを決めて、嘘の寝息をすうすうと立てていたが、リリスは小さく笑うと「バレていますよ」と耳元で囁いた。
 リオンは嫌な気分で目を開けた。
 腰の辺りでしゃがみ込んでいるリリスは、バスタオル一枚だった。
 肩の部分は完全に露出し、肌には水滴が拭き取りきれず残っている。
 髪の毛はいつものテール髪ではなく、リボンを解いて腰まで伸ばしていた。
 ほんのりと朱を帯びた身体が、暗闇の中で更に艶やかさを増してリオンの視界に入る。
 リオンは無理に視線を変え、彼女の姿を見ないようにした。
「その……覗いたことは謝る。ノックを忘れたことも謝る。
だが、睡眠時間ぐらいは取らせてくれたって構わないだろう」
「貴方の睡眠を助けに来ました」
「馬鹿かっ! 論理が合わない。静かな場所で寝ている方が会話するよりもずっと睡眠を促すだろう?
第一、お前に話しかけられ、僕が身を起こした時点で今までに溜めた眠気は吹き飛んだ。これが睡眠の邪魔でなくて何なんだ?
それに、そのはしたない格好は何だ?」
 リオンの理路整然とした考えは、しかしリリスには全く聞き入れられない。
「それは置いといて。
兄に、こうすれば眠くなるって教えてもらっていました」
 リリスは手を伸ばすと、彼の股間を撫で始めた。
 驚きのあまりシャルティエに手を伸ばしかけたが、彼女の手の動きは止むことなく、ズボンの上から彼のものを軽く掴んだ。
 きゅうと弱い力で握られ、それが害にならないと体が分かっているためか、拒むという命令をすぐにはしなかった。
 リリスの手の動きは、猫をなでるそれに似た動きで、かつ繊細で程好い力の入れ具合であった。
 彼は苦しそうな声を出し、ついにリリスの手を止めようとしたが、彼女からもたらされる快感で抑制の力が入らなかった。
 リオンはこういうことにはあまり興味を持たないようにしていたが、やはり溜まるものは溜まる。
 時々生理現象として仕方がなしに自慰行為をした。
 その頻度は低く、数週間前に王の命令を受けて旅に出てからは一度もしていない。
 溜まったものを放出するには絶好の機会であったためか、体は素直に性感を受け入れていった。

 凛々とズボンの中で膨らんだものを見て、リリスははぁと声をもらしていた。
「お兄ちゃんのよりも小さくて、かわいいかも」
「なっ! 貴様、こういうことに慣れているのか!?」
「あら、女の人にそういうこと聞きますぅ?」
(くそっ! 何てやりにくい女だ! 会話すらしたがらない奴の方がまだマシだ!)
 などと思っているうちに、彼女の手がズボンを膝まで下ろし、露出したものを両手で包み込み、軽く握ってこしこしと触った。
(もう少しきつく握った方が……いかん! このままだと女のペースに呑まれる!)
 リオンは欲を振り払い、腕力を振り絞って彼女の身体を押し離した!
 手加減できず、彼女は床に頭をぶつけ、そのままぺたりと倒れこんだ。
 リオンはズボンをあげつつ、彼女のことを見て心配になった。
 倒れこんだきり、ぴくりとも動かなかったからだ。
「おい、大丈夫か?」
 いきなり性行為に及ぶというリリスの行動にも非はあるが、この状況はまずい。
 祖父が目を覚ますことを考え、彼が不安になっているとき、リリスは呻くように声を出した。
「い……たい、です」
「無事なようだな。これに懲りたら、僕に変なちょっかいを出すのはこれきりにしろ」
「あの、お願い聞いてくれませんか?」
「何だ?」
 リリスは風呂場の上部にある階段の方を指差した。
「あそこに、私が普段使っているベッドがあるんです。そこに連れて行ってくれませんか? 立つのが億劫でして」
「……ま、僕にも非があるからな。いいだろう。(人のいいことだ)」
 野蛮な行為に出たことを負い目としているリオンは、珍しく素直になった。
 背中におぶって運ぶことにしたが、そうしてみるとリオンは驚いた。
 彼女の身体はとても軽かった。
 空のリュックサックを背負っているような、あるいはこの女に羽があって自ら浮いているかのような軽さ。
 見た目より軽いといってしまえばそれまでだが、運ぶことが苦にならない。
 バスタオル一枚という姿を想像する暇もなく、階段を登りきった。
 ベッドは二階建て。リリスがどちらに寝るのかは分からないので、リオンは下のベッドに彼女を降ろそうと、背を向けた。
「おい、着いたぞ。さっさと降りろ」
 といっても、リリスは返事をしない。振り返ってみると、目を瞑っていた。
 運んでいる間に眠ってしまったのか、揺すっても中々目を開かない。
「眠っているのか?」
 リオンは不安になり、彼女に顔を近づけた。
 それが運のつき――リリスは目をパチッと開くと、リオンの腹部に手を回して自分の方へ引っ張った。
 むしろ、力の入れ具合から考えて引きずり込んだ、という方が正しい。
 布団の中に押し込まれたリオンは、視界が急に真っ暗になった。顔に柔らかな何かがあたって、呼吸困難になった。
 ジタバタともがいて脱出し、目を開いた。
「お前、恥ずかしくないのか?」
 ごたごたでリリスからバスタオルが肌蹴て、全裸となっていた。
 彼の質問に頷きも横振りもせずに、俯いているだけだった。
 手で胸を隠し、足は閉じられている。恥ずかしがっているということは分かった。
 リオンは手を伸ばすと、彼女のうなじを指先で軽くなでた。
「僕が女性の興味のない世間知らずのお坊ちゃんだ、とでも思っているのか?」
 リリスは俯いたままだった。
「もういい……ここまでコケにされたのは初めてだ。
男に対してそういう行動を取るという事がどういうことになるのか。
……いくらこういう場所に住んでいるといっても分かるだろう。
このまま、自分の身体に何もないまま朝日を迎えられると思うな」
「思って、いませんよ」
「いい度胸だ……」
 リオンは布団をどかすと、彼女の身体を自分の方へと引き寄せた。

 膨らみかけの胸に手を伸ばすと、手を柔肌に埋めることなく軽く覆った。
 磨くように手を上下に動かし、緩やかにウェーブを作る。
 着衣の上からではよく分からず、不可抗力で覗いたときも確認はしなかったが、既に十分大きく育っている。
 まだまだ成長途中だが、男性を誘惑するには十分な大きさで、その峰も美しい曲線を描いている。
 外側を二度三度となでると、軽く指を胸に埋めた。
 リオンは胸に埋めた指を一度戻し、同じところをもう一度突いた。
「ん……う、んん」
 リリスの呼気が荒くなってくると、指を胸全体を掴むように広げ、円を描くようにこねた。
 彼女は、唇を噛み締めて声を堪えるようにしていた。リオンには、過去の体験から疑問が浮いていた。
(この程度の愛撫で感じたのか? それとも、敏感なのか? 案外、慣れていないのかもな)
 あれこれ考えたが、「まあいい」で締め括った。
 撫でながら、指の移動ルートを変え、桃色の乳輪を指の腹でかすめた。
 胸の膨らみの柔らかさとは微妙に違う、ややこしのある固さのそれを、中央の突起に触れないように注意しながら、丸く動いた。
 指を乗せただけで胸に埋まり、乳輪を僅かにこねた形の歪みが、視覚的にもリオンの胸を熱くさせる。
 反対側の胸も同じように指の腹を押し付けると、従順にふにゃりと形を変えた。
 胸と胸の谷間の向こうで、リリスが唇を噛んで声を押し堪えている姿には、リオンもさすがに胸を高鳴らせた。
 リオンは手を休めることなく、同じ行為を繰り返す。
 決して突起には触れず、焦らしつつも身体の表面がじわじわと熱くなる
 ――そんな快感をもたらし続けていると、次第にリリスは足を摺り寄せてきた。
 ぎゅうとリオンの右脚を足で挟み込み、彼に僅かに痛みを与えた。
 血の巡りが悪くなり痺れてくるが、構わず胸のいじりを続けた。
 先ほどのようにただ弄るのではなく、やや大きめに指を広げて覆いかぶさり、そのまま五指を膨らみの中にふりゅんと埋めた。
 指は抵抗をほとんど感じずに、肋骨まで簡単に届いた。
 胸全体の感触が一度に彼の手に通じ、洪水のように体に流れ込んでいった。
 これにはリオンも目眩みのようなものを起こした。
「ひゃっ! はぁ、んん!」
 リリスはもっと素直に反応し、しばらく閉じていた唇が開いた。
 声を我慢しきれず、熱い吐息と共に外へと出ていく。
 彼女の性感の高まりに比例して、リオンの足を挟む力も我慢の矛先として強まっていた。
 胸の包み込むような感触とは違った意味で、目眩みを起こしかけた。
 足がうっ血してしまいかねず、溜まらずリオンは大声を出した。
「おい、僕の足を離せっ!」
「?……あ、はいっ!」
 リリスは声も届かなかったのか、反応が遅れた。命令に従い、足をがちがちとした動きで開いた。
「ご、ごめんなさい!」
 随分苦しそうな顔で、前日一度も見たことのない表情であった。
 リオンは、そのときの彼女の顔を見て、なぜか切なくなった。似た表情は、どこかで見た気がするのだが、中々思い出せない。
(どこで見たんだ?)
 彼が考え込んでいるとき、視線に気づいたリリスは、無理に作ったような笑顔を向けた。
「続けて、いいですよ」
「あ、ああ……」
 戸惑いつつリオンは返事をすると、開いた股へ手を忍ばせた。
 それまでの胸と趣向を変え、真っ先に、女性の最も大切なところに触れて、指を押し込んだ――リオンは急に指を引き抜いた!

「お前……まさか」
 ……言いかけた言葉を、リオンは噛み殺した。その質問が、彼女には耐え難い恥辱なことであると同時に、
(眠れない男に、性器をいじれば眠くなるなどという意味不明な解決方法を提案するような女が、そんなわけない)
 と考えがめぐった。
 リオンがそんなことを考えている間も、彼女は手を口元で軽く握ってきょとんとしていた。
「まさか、何でしょうか?」
 不思議そうに、眼を開いてリオンを見つめた。
 宝石のような青い眼は深い美しさを持ち、リオンも彼女の方へと顔を近づけていった。
 二人の距離はとても近くなり、キスができそうな距離だった。彼ははっとして顔を離した。
「なんでもない!」
「そうですか……もし私の態度で気を悪くしたら、ごめんなさい」
 リオンの語気を荒立てた言葉に、リリスは意味も分からず謝った。
 リオンは自分の方が怒られてしかるべきなのだったが、彼女の従順な姿に言葉も出なくなった。
「お前だけ裸というのもな……」リオンは服を脱ぐと、ベッドの外へと投げた。細身で引き締まった身体が外に出た。
 リリスは華奢な彼の身体と、まだ赤みの消えきらない真新しい傷の数々に、罪悪感が出てきた。
「昨日できた傷ですね」
 リリスは舌を出すと、傷をなめ始めた。
「やめろ!」
 すぐにリオンは怒号を飛ばす――リリスは怯み、舌を小さく出したまま止まった。
「す、すみません。痛そうだったので、ほっとけなくて」
 リリスの謝罪の後、夜露の雫が伝うような静けさになって、二人は口を閉じたきり黙っていた。

 静寂を破ったのはリオンだった。
「僕が怒ることで嫌な気分になるなら、今のうちにやめた方がいい。
僕はこういう性格で、急に変えるということはできないから」
 リリスは首を横に振って拒否を明らかにした。
「十分承知の上ですよ」
「そうか。ならもう何も言うまい」
 足の痛みがあらかた取れたところで、リオンは行為を再開した。
 胸に手を片方置き、その手を下へと滑らした。
 膨らみを強引にひしゃげつつ進み、へその横を通って、汗ばんだ腰の部分へ。そこから内腿を軽くなでた。
 卵の表面のようにすべすべとした肌をしっかりと覚え、風呂あがりから残る湿り気にいざなわれて下へと向かう。
 鬱蒼と茂る金色の毛に守られた膣に、指先が触れる距離まで降り、閉じられた陰唇を中指でくすぐった。
 ぴちっと閉じられていた膣口は僅かに広がり、それを好機と指を少し推し進める。
 彼女は体をビクッと震わせて、我慢するように体を捩じった。
 彼女の身体の動きに合わせながら、大陰唇と小陰唇の浅い溝を、人指し指でつーと辿る。
「んぅ〜!」
 リリスは、愛撫を一人では我慢できなくなり、リオンを自分の方へと引き寄せた。
 リオンは彼女の思うままに体を横たわらせる。彼女の熱い呼吸が頬にかかった。

 睫毛が触れるほど近い彼女の顔を、あらためて眺めた。
 彼の好みではないが、間違いなく美人。嫁の貰い手には生涯困らないだろう――そんなことを性行為中に考えても意味がない。
 と、彼は膣に埋めている指を、第二関節まで押し込み、指の腹が小さく襞に触れると、その場所で止めた。
 そのとき、彼女の感じ方と膣内の濡れ方に違和感があることに気付いた。
 彼女の呼吸や態度を見る限りは、間違いなく感じているようだが、膣の湿り気は普通の女性のそれに比べて少ない。
 リオンは、身を起こしてリリスを見下ろす形になると、一旦彼女の胸に手を伸ばした。ただし、すぐには動かさない。
 下半身に伸ばしている手を、膣に入れたまま根元まで押し込んだ。
「はあっあ!」
 リリスが悲鳴を漏らすと、リオンは胸につけている手を動かし、一度視線を胸に固めた。
 リリスは胸に神経を集中させていた。今までの行動を体感的に考え、次は胸に来ると思っていた
 ――実は、これは胸以外のところをおろそかにさせるための、リオンのフェイント。
 実際の彼の狙いは、膣口の上部にある突起で、リリスが目を瞑っているうちに口をその付近に寄せていた。
 それまでふれなかった突起を、唇で軽くつまんだ。こりこりと捩じり、かぶっている皮と芽の間に舌を入れ、軽く擦った
 ――その途端、リリスは彼女のものとは思えないほど大きな嬌声を出した!
 リオンは咄嗟にクリトリスから口を離し、布団を自分達に被せて防音とした。
 驚きのあまり、膣に入れていた手も第一関節まで引いていた。
「す、すみません、びっくりしちゃって」
「これからは驚かないように気をつけるんだな……こんなことで驚いていたら、これから先お前は意識を失うかもしれないぞ」
 リオンは注意のつもりでいったが、リリスはくすっと笑った。
「そうかもしれませんね。でも、私だってすぐにはそうならないように努力しますよ」
 前向きに捉えた彼女の姿に、リオンは仲間の一人を思い出した。
(なんでこんなときに、あの馬鹿を思い出すんだ。……そういえば、あいつも金髪だったな。
この女、家出した兄がいるといっていたな……まさかな)
 リオンは彼女の快感が冷めきらぬうちにと、再度胸へ手を伸ばした。
 心臓の音が、胸を通して聞こえている。その膨らみを、彼の手は力を込めて歪なものへと変える。
 今までのように押し潰すだけではなく、乳輪の中心に立つ乳首を剣だこで摘み、それから柔らかい膨らみに指を押し込んだ。
 幾層も重なった剣だこに挟まれた乳首は、ブラの内側がこすれるものとは異質の快感を与え、彼女に堪えがたい性感を与えた。
 膣内にある彼の指は、彼女の湿り気が増すのを確実に捕らえていた。
(一応感じているな……先ほどの声もあるし、不感症というわけではなさそうだな)
 リオンは、目線を下半身から胸へと動かし、顔もその動きに従う。膨らみに顔をもたれて、その感触を耳と頬で感じていた。
 が、おもむろに動くと、突起を口に含んだ。
「あっえ、っええ!」
 リリスは感じるというよりも、驚いている様子。突然の事態に口をむっと閉じた。
 リオンは口に含んだ拍子に、乳首と舌が触れ合っていて、それをチャンスとしてそのまま舌を動かした。
 勃起しきっていない乳首は、ころころ舌の上で転がり、乳輪もそれにあわせて形を楕円に変える。
「んん、んーんっ、んーっ!」
 リリスは彼の頭を掴み、自分の方へと引き寄せていた。

 リオンは素直にその動きに従い、彼女の方に動くが、舌は乳首から離さない。
 手で触れている方もあわせて、同時に二つの刺激を彼女に伝わらせた。
 リオンは意識して、両方が単純な動きにならないように、そして頭と手が同じ動きをしないようにしていたので、
 別々の息も恩に嬲られるような刺激をうけたリリスは、みるみるうちに膣内を潤わせていった。
 次第に愛液のとろみが目立ち、押し込んだ指を動かすと、何もないよりもはるかにスムーズに動いた。
 愛液が潤滑油の役割を持つと、リオンの指も停滞を破り、動き始めた。
 膣口から少し奥、少し出っ張った襞を指の腹でさわり、指を膣内ごと捩じって反対側の襞も触れる。
 これから先の準備運動とでも言うように、指は前後に動き出し、愛液と指が鳴らす音を静かに、卑猥に響かせる。
「はっ、ああ! あ、きゃあっ、や、はぁん! あんっ、あんんっ!」
 リリスは短い間隔で声を出し、リオンの顔をますます自分の方へ強く押しつけた。
 リオンはなおも胸から口を離さず、母乳を吸うようにちゅうちゅうと口をすぼめ、吸いながらやっと乳首を離した。
 口を離すと同時に、胸をいじっていたもう片方の手も動きをやめ、膣口の方も静かになった。
「はぁはぁはぁ……はぁはぁはぁ……」
 リリスは落ち着かない呼吸を繰り返した。
「おい、女」
 リオンの呼びかけにも、リリスはすぐには反応できなかった。
 しばらく待ち、頭の痺れが取れ、朦朧としていた意識がハッキリしてくるとようやく返事をした。
「はは、はい! 何ですか!?」
「今までの僕の行為で、一番気持ちよかったのは何だ? 言ってみろ?」
「え、ええっ!」
「どうした? 僕に色々迷惑をかけておいて、今更言えないとでも言うのか?
お前がどこを感じるのかが分からないと今後動きにくいだろう。
それに、これだけやっているのにどこも微塵も感じないとでもいうのなら、今日の行為全てが無駄になるのと同じじゃないか」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 リリスは彼の言葉の整理をしているのか、時間をかけて悩んでいた。
 リオンの質問は、彼にとっては大真面目。全て彼の心の中から出たもので、本当に彼が思っていたことであった。
 一方、リリスは彼がこんなことを聞いてくるとは思いもせず、そのうえ答えにくい質問であった。
 悩むことなく、思うままに答えればいいのだが、上手く頭が働かず、
 加えて羞恥心まで邪魔しているとなると、リリスの口は鉛よりも重くなっていた。
 しかし、徐々に快感に目覚め始めている彼女は、体の芯で燻っている要求を拒むことができず、ようやく答えた。
「あ、あそこの……おまめが一番……」
「ああ、あれか」
 リオンは確認を兼ねて、すぐに行為を再開した。

 いきなり言われたところにがっつかず、膣に入れる指を一本増やし、中指と人指し指を押し込んだ。
 それから顔を彼女の股に近づけ、口を開くと膣口の上部の突起を口に含んだ。
「んん、ん……はぅ……うん」
 ちゅうと軽く口をつけると、唾液で濡らした。そして、連動するように膣へ押し込んだ指を左右に動かす。
 滑りをよくするための愛液をたっぷりと塗りたくり、甚振るように襞肉を弾いてこねると、リリスは顔をよじって唇を固く噛んだ。
 突起を舌で弾いても、またすぐに戻り、直後にもう一度弾く。
 何度も繰り返される行動に、突起はすぐに肥大化し、包皮から露出した。
 膣口に押し込んでいる指によって高まったリリスの快感は、
 愛液のそれまで以上の滲みとなって顕著に現れ、甘水のような粘り気を持つようになった。
「は、ふあっ……ん、んむむ、んー!」
 リオンの愛撫を、リリスは口を閉じて我慢しようとしていた。これではせっかくの愛撫の感度も半減してしまう。
 腹部に力が入るのは我慢の証拠で、リオンはすぐに気付いた。
「どうした? せっかく一番気持ちいい場所を愛撫しているのに、我慢するのか?」
「だ、だってぇ……自分でここが気持ちいいって言ったところなんて、恥ずかしいし」
「今更だな。お前の嬌声など先ほど聞いた。今更我慢したところで、何の意味も無いだろう」
「で、でもぉ」
「それでも我慢したいのなら、勝手にすればいい。
言っておくが、僕が今後二度とお前とこういうことはしないかもしれないんだからな。
後になって後悔するのはお前だけだ。もっとも、どれほど後悔なのか、僕には分からないがな」
 と言うと、リオンは再び下半身に顔を向けた。膣口から指を引き抜くと、愛液がとろりと垂れてきた。
 リオンは口を小さく開くと、しゃぶるようにリリスの膣口を舐め始めた。
「ひゃっああ!」
 リリスは仰け反って大声を出した。先ほどのリオンの言葉で吹っ切れたのか、
 あるいは我慢の鎖さえも引き千切れるような、凄まじい快感だったのかは分からないが、体は素直に感じたままに反応した。
 リオンはきゅうと縮む膣口を、舌の拙い力で広げるように押し、やや強引にリリスの膣内を舐め回した。
 膣はきゅうぅと縮まり、痙攣するように動いた。舌の届く範囲をあらかたなめ終えると、最後に突起の芽に軽いキスをした。

 リリスは呆然としていた。
 体のどこの部分も積極的に動かすことができず、胸に置いた手で心臓の音を感じる。それだけであった。
 リオンは彼女の身体に手を置き、なでるように動かす。
 感じさせるよりも、一度身体に帯びた熱を逃がさまいとするため、と言った方が正しいほど、優しい動きだった。
 次第にリリスの意識もはっきりしてきたのか、リオンを見つめた。そのときの彼女は、今までになく艶やかな表情であった。
「あの、一ついいですか?」
「何だ?」
 リリスは一瞬躊躇し、目を逸らした。
「私、初めてなので……できれば、優しくしてほしいんですけど」
「お前……処女だったのか」
「え、分かりませんでした?」
(やっぱりか……)
 リオンは、何となくそれを察していたが、いざ当たっていると困ったものだった。
 相手が処女と分かると、急に心労が溜まって、罪悪感にも似たものが湧き上がってくる。
「おい、いいのか? 僕のような見ず知らずの男が初めての相手で」
 リリスは、くすっと笑った。
「いいんですよ。嫌だったら、無理にでも断っていますし」
「何故僕でいいんだ? 処女性を大事にしていないのか?」
「大事ですよ。でも、貴方にだったらいいんです。
言葉では説明しにくいですけど、最初に私のことを助けてくれたこととか、
にんじんを掘った後の魔物から守ってくれたときとか、覗きを捕まえてくれたこととか。
……何となく、貴方の優しさに触れることができて、いいなって思ったんです。
昨日今日の仲ですけど、私の初めての相手でも、貴方なら後悔しないって思ったんです。
なぁんて、自己中心ですね。あとで叱ってください!」
 そのときの彼女の表情は、本当は怖がっているが、それでも相手を不安にさせないように自分を押し殺しているという顔だった。
 安心させようとしている顔なのに、無理して作っているものだから、かえってすぐにバレる。
 リオンはそれを見たとき、少し前のことを思い出した。
(そうか。どこかで見たことがあると思っていた表情だったが、我慢していたときの表情か……)
 瞬間、リオンの脳裏に浮かんだのは、性行為の序盤で彼女が締め付けていた足をゆっくりと開いたとき。
 そして、にんじんを掘り返して、魔物を追い払ったあとの休憩時間明けであった。
 あのとき、彼女を無理矢理立たせると、彼女はよろめくこともなく平然としていた。
 だからリオンは、大丈夫と判断して、暗くなっていたこともあって急ごうとした。
 しかし、それはとんだ誤解だった。顔や態度を平然とさせていたのは、ただの演技。
 かろうじて立っているだけで、本当は倒れかねない危険な状態であったのだ。
 そうとも知らず、安易に無事と判断して、結果的には無事だったものの、実際は危険極まりなかった彼女を歩かせた
 ――リオンは珍しく、心から謝りたくなった。
 今もそうだ。明るさは彼女の演技。
 破瓜の恐怖の中で、彼女はわざとらしいほど明るく振る舞っている。
「ああ……何度でも叱ってやるさ……あとでな」
「私の初めての相手になることは、嫌ですか?」
「別に、い、嫌じゃない」
 言い終わったとき、リオンは自問自答を繰り返した。
(僕は何を言っているんだ? 嫌じゃない、だと!? 確かに彼女に対して悪い事をした、と思ったのは確かだが、
だからといって貞操を破っていいわけではないはずだ! 何で翻したんだ!?)
「い、今のは」
 言いかけの彼の口を、リリスが唇で塞いだ。
 ちゅぱっと音を立てて離した。
 リオンは驚いて顔を赤くしていたが、リリスはにこにこと、照れ顔を笑顔で彩っている。
「初めてのキス……夢見ていたものと、ちょっぴり違いますね。
レモン味って聞いていましたけど、どっちかと言うとライムのようで」
「そんなこと知るか! 第一、僕の了解を得ずに勝手なことをするな!」
「あら? 私に対しての愛撫は、貴方が自分でやったことがほとんどですよ?」
「(くぅ……痛いところを)。お前、恩返ししたかったんじゃないのか?」
「それはそれです。だって、眠気を促すことは恩返しになりますけど、この行為は貴方が勝手にやったことです。
恩返しの対象にはなりません! でも、甘んじて受け入れますよ」
 やはりリリスの表情は、どこか作ったものであったが、笑顔を崩さなかった。
 リオンはがっくりと首を垂らした。
(やっぱり……この女は苦手だ)

「それはそれとして」項垂れたリオンの耳元で、リリスはパチンと手を叩いた。音がリオンの気分の落ち込みを断ち切った。
「不束者のおぼこですが、どうかお願いします」
「……わかった。その、お前に対して謝らなければならないこともいくつかあるようだ。
でも僕はそういうのは大嫌いだ。だから、態度で示す……可能な範囲で優しくする、それでいいか?」
「ご自由に」
 リオンの言葉を受けると、リリスは仰向けになって、リオンと手の平を合わせた。
 二人の手、特にリリスの手は顕著に汗でじとっとしていた。
 作った表情も消えていた。リオンは、もう引き下がらない、と決心していた。

 リオンの眼下には、彼女の裸体が広がっている。
 挿入するというときに今更ながら彼女の美しさを確認していた。
 顔に限らず、体も美しかった。
 乳房は左右対称で形は凛と整っている。肌は普段雪のように白いが、今は桜のように色めいている。
 顔は間違いなく美人と呼ぶことができ、伸びた髪の毛との兼ね合いが、大人と子供両方の美しさを兼ね備えている。
 外見的なことに加えて、料理の腕前は抜群の二文字。家事なら何でも器用にこなすのだろう。その上戦闘ではリオンも一目置く。
 人を褒めるのはあまり得意ではないリオンだが、彼女について褒めるところは暇がない。
 とんでもなく優秀な女性。そんな彼女の初体験の相手、生涯一かもしれぬ妙なプレッシャーがかかっていた。
(神の眼奪還に比べれば、大したことないはずなのにな)
 リオンは思いつつ、どこかにこの緊張の心地よさを感じていた。
「痛かったら素直に言え。僕は乱暴する趣味はないからな」
「はい。でも、優しくしてくれるって言ってくれましたから、きっと大丈夫です」
 言葉とは裏腹の不安が、リオンには伝わっていた。
 繋げている手は汗ばんでいるし、肩もがたがたと震えている。
 声も昼間のそれと比べれば微かに上擦っているし、まばたきの回数がやけに多い。
 大陰唇に指を押し付け、少し開かせた。
 桜色の肌の奥から、愛液の雫に紛れて、薔薇を思わせる折り重なった性器が僅かに覗いた。
 開いて間もなく、愛液がとろとろと伝ってくる姿はたまらなく扇情的に映る。
(ここからどうするべきか……)
 女性の初体験とは、失恋以上にその後の恋愛に影響を与える、と聞いたものだったが、いざそうなると手を出しにくい。
 ダイヤモンドの研磨工にでもなった気分で、どう手を付けたらいいのか見当もつかなかった。
 しかし、あまり待たせると彼女の不安がますます肥大化することは目に見えていた。
 現に、彼女の握力は時間が経つごとに次第に強まっている。
 硬直した時間はそれほど長くないはずだが、その間に流れる空気は普段のものとは別物、
 リリスは恐怖を感じてからか、股を無意識のうちに閉じ始めた。

「やりたいのかやめたいのか、どっちだ?」
 リオンは身を起こして息を吐くと、横たわる彼女の身体に重なるように前のめった。
「いいか、僕がお前の初体験の相手になるからといって、同じ家に住むことや、生涯を共に費やす、といった行動は期待しない方がいい。
僕はダリルシェイドの出身で、あっちに家もあるし、僕の帰りを待っている人も大勢いる。
だから、お前と一緒に過ごすことはできない。分かったな?」
「そういうの、これからってときに言わないでください。悲しくなっちゃいます」
 と、彼女は手を眼の周りに寄せて、今にも泣き出しそうにしていた。いや、泣き始めている、嗚咽を漏らしていた。
 リオンが「まずいっ」と思ったとき、彼女は目を開いた。涙の形跡は見当たらない。演技だった。
「なんて言ってみたりして♪」
「お前っ!」
「ごめんなさい! だって、貴方も苦しそうに見えて……ちょっと驚かせば、気が晴れるかなって」
「僕が、苦しそうだと?……気のせいだ。気遣いは素直に受け取るが、今後しなくていいからな」
「はい。それと、おじいちゃんが、貴方はあっちの方では有名人だっていうから、とてもリーネなんかにいられないって言っていました」
「分かっていたのに、いいのか?」
「いいんです。この村の人は、夫にしか体を許さないから、貴方と体を繋げたのをばれたら、私は白い目で見られると思います。
結果だけをとったら、あまりいいことはないんです。でも、今日一日ぐらいは夢を見たいんです。
周りから蔑まれても、自分のしたいことをする――そういうときって、いつか来ると思いますから」
 リオンは、その言葉を今日のどの時よりも集中して聞いた。まるで、自分の将来を暗示しているような気がして。
(まさかな……これ以上考えるのはよそう。先のことなんか分かりはしない。変なことに気をとられたままだと、彼女がかわいそうだ)
 リオンはフッと笑うと、彼女の前髪を上に軽く払った。
「そういう立派な覚悟があるなら、それを何年経っても忘れるな」
「あ! 立派って、褒めてくれましたね」
 リオンはバツが悪そうに顔を背けた。
 リリスは、そっとリオンの背中に片手を回してきた。言葉には出さないが、その行動には万感の思いが込められていた。
 彼はその事を悟り、深呼吸すると、止まって久しい腰を進めた。
 すぐに、何かに当たっていることが彼にはっきりと伝わった。
 押し返してくるような感触、それが何であるか考えるまでもない。眼下のリリスは、苦しそうに唇を噛んでいた。
 堪える彼女に、リオンは腰の速度を落とすことしかできなかった。
 しかし、リリスはリオンの行動をむげにするように、背中に回した手で彼の体を自分の方へと引き寄せた。
 結果、それが腰を動かすのと同じく、彼女自身に激痛を負わすことになった。
「我慢しなくて、いいですよ。痛いことぐらい、予想、してまし……た、から」
 彼女の瞳は、涙で濡れていた。演技ではない、本当の涙だった。
 震えの止まない腰を動かし、リオンを中へ入れようとしていた。
 リリスの中に進めば進むほど膣内の熱さは高まり、それだけを求めたいという、
 理性から離れた欲望が湧き出てきたのを感じた。リオンはそんなものは吐き捨てた。
 無理に推し進めることはなく、少しずつ、ぶつぶつという感触を感じ取らなくなるほど優しく腰を進めた。
 リリスは精一杯頭をあげて、リオンの頬にキスをした。
 それは、我慢しなくていいといってもなお、自分に優しくしてくれたリオンへの感謝の証だった。
 リオンは、頬に唇を添えたままの彼女の顔を両手で掴み、引き離した。
「場所などどうでもいいから、とにかくキスすればいい、とでも思っているようだな。
冗談じゃない、僕はそんな節操のないものは嫌いだ」
 彼の方から、唇を重ねた。ライムのような味が伝わってきた。
 そうしたまま、二人は繋げた手の平を、爪が相手の甲に刺さるほど強く、熱く握った。
 その直後、彼女の身体から力が抜け、緊張とともにあった震えが消えた。
 リリスは、くてっと腕をシーツの上にもたげた。

「あぅ……やっぱり痛いんですね」
「……すまない。もっと優しくできる方法があったかもしれなかったのに」
「謝らなくていいですよ。貴方は謝るのが大嫌いみたいですから。それに、貴方らしくないですし」
 リリスは、涙を流しても笑うことはやめなかった。
「僕らしくない、か。ふふ、確かにそうだな」
 リオンもまた小さく笑った。リリスも痛みの中で笑顔を絶やさなかった。
 一昨日まで顔も知らなかった相手との性交に、どちらも不思議なほど幸せを感じていた。
「ちょっと失礼」
 リリスは彼の頬をふにっと挟むと、狙いを定めて、唇にキスをした。
 チュッと口を離すと、それ以上離れずに言葉を続けた。
「あの、そろそろ動いていいですよ。私の中に入ってくるとき、動きたいのを我慢していたんでしょう?
分かりますよ、あのときの貴方は、すごい顔していましたもん」
「なっ! 僕はそんな浅ましい欲望なんか」
「嘘つきは泥棒の始まりです。
動いてください。私、もっと感じたいです」
 リオンが必死で否定しようとすると、リリスは軽く肯定した。
(こういう奴に言葉を並べても無駄か……)
 リオンは認めたがらなかったが、彼は膣から感じた熱の中に、思いのまま性器を動かしたかった。
 強い意志で堪えていたが、彼女が望んでいると分かると、もう彼に制止は効かなかった。
 ゆっくりと、彼の腰が前後に動き始めた。愛液に混じり、破瓜の血が零れていくのを二人は気付いたが、止まらなかった。
「はぁ……あったかい。それに、とっても気持ちよくて。い、痛みがまぎれて……」
 性感の声をあげるリリス、リオンもそれに近い感想だった。
 今まで、これほど気持ちいいと感じたことはなかったかもしれない。
 上手く働かない頭でも、自分にとって利となることはなかなか忘れない。

 膣の痛みが治まってきているということを盲目的に信じたリオンは、やや強引に腰を動かし始めた。
「少し、激しくいくぞ」
「ええ……はぁっ、わ、わかりま、した!」
 彼女の返事を聞くと、腰を力いっぱい押し付けた、間もなく、愛液と膣肉が彼のものを覆いこむ。体を衣服で纏うのとは全く別
 ――羊水の中で浮かぶ赤子のような、完全な安心感を持ち、
 自分はただその仲で与えられるものを享受して、本懐を遂げるそのときを待てばそれでいいという、
 全てを任せれば万事が解決する、というような、生命の遺伝子に脈々と受け継がれている掟のようなものが、思考を過ぎていった。
 彼女もまた同じようなものを感じたのだろうか、呼吸は激しくなり、リオンの身体にしがみ突いて自分の身を力いっぱい寄せた。
 リオンも嫌がることなく素直にそれを受けた。
 可能な限り奥まで押し込み、そこで彼らは腰を蠕動させ、動きは少なくとも感じられる快楽を保った。
 しかし、それも束の間、二人はすぐに小さな動きで得られる快感を望まなくなり、
 増大した欲で、意識ごと薙ぎ払う津波の如き快感を欲しがっていた。
 逸早くそれを察したリオンは、彼女から上半身を離して起き上がると、足を抱え上げて自分の肩に置いた。
 一度腰を引いて、雁首が抜ける寸前まで引く
 ――彼女の恍惚の表情が不安へと変わっていくのを見計らって、一気に押し込んだ!
 途端に、二人の背中に快感が走った。
 濁流、あるいは雷光が意思も追いつかないうちに通り抜け、余韻のみを体に残す、そういう類のものだった
 それまでの乳房を弄くったり、キスをするという性行為の全てが否定されるような、圧倒的存在感を持った快感。
 たった一突きで、二人を完全にとりこにしていた。
「いまの、いい……いいです……」
「わかって、いるさ」
 すぐに、リオンは同じことを繰り返した。
 リリスは股間を大開にしているというのに恥じることはなく、むしろよがって彼からの快感の享受を好んでいるようだった。
 次第に彼女もその快感を自分で精製する術を身につけていた。
 彼のものを膣だけの締め付けから、腰の動きを加えたものへと発展させていた。
 その結果、処女の膣内というだけで普通よりも強い締め付けであったものが、輪をかけて強烈なものとなり、
 密着する面積が増したことによって喘ぎ声を際限なく漏らした。
「あ、あぁっ熱い、あついです、焦げちゃう。こげて、もう……ぅう」
「はぁっ、す、すごいっ、締め付けるっ! くぅ!」
 お互いの名前も知らないのに、自分達の身体の状態を素直に伝え合った。
 やがて形容する言葉も出しつくしたとき、丁度リオンに限界が訪れた。
「で……るっ!」
 リリスはそれを受け、融けかかっていた意識を再び体に戻した。
「中に、中にください……貴方の赤ちゃんを」
 僅かな理性を振り絞ったように、呂律よく言った。
 リオンもそれに答え、最後の一突きをすると、彼女の最奥に潜り込んだ。
 そのときの彼女の震えは、今までのものとは違っていた。仰け反り方も、喘ぎ声も、抱擁する力も。
 リオンの背中に彼女の爪が食い込んでも、リオンは痛みよりも心地よさが心中を駆け抜けた。
 彼もまた彼女をきつく抱き閉め、自分に引き寄せた。
 抱き合ったまま二人は幾度となく口付けを交わし、お互いの舌を絡ませたまま、果てた。

 リオンは射精を終えるとものを引き抜き、息を荒立てたまま彼女を見下ろしていた。
 引き抜いたそれは既に固さを失って、精液と愛液でしっとりと濡れていた。
 ティッシュが手に届く範囲にあったものの、余韻が体を痺れさせ、頭を働かせることができない。
 何が最善で何が最悪なのかも区別できそうになく、時間が解決してくれるような気がして、それを待つように沈黙していた。

 それからしばらく。腰が疲労を訴えてくる頃になり、リオンはようやく体を動かすことができるようになった。
 ティッシュに手を伸ばすと、途中でリリスが声をかけてきた。
「あの、お願いしていいですか?」
「何だ?」
 リリスはてへっとはにかんだ。
「また会いに来てください。一度でいいですから、いつまでも待っています」
「もう一度?……考えておくが、僕は王国客員剣士という身分だ。領内から出ることもままならない。期待はするな」
 そっけない彼の態度に、リリスは微笑みを崩さなかった。
「完全に否定しないなんて、やっぱり優しいですね」
「ふん。どうとでも捉えるがいいさ」
 リオンはティッシュを取り、自分と彼女の性器に残る混ざり合った液体を拭き始めた。
 拭いても拭いても、精液と愛液、破瓜の血が混ざり合ったものが奥から出てくる。
 拭き始める前はほとんど出てこなかったくせに、際限がないようにどろどろと。
 リオンは拭き取ったティッシュを股から離し、もう一枚ティッシュを出して軽く拭き取った。
「これぐらいでいいか?」
「は、はい」
 リリスは足を崩したまま体を起こし、足の間のシーツに手を置き、顔を赤くした。
「そ、それじゃあ、今日は疲れたので、私は先に寝させてもらいますね。
あ、ベッドは私のを使っても、兄のを使っても構いませんから!」
 リリスはそういうと、彼が横になるスペースを広げて布団をかぶった。
 先ほどの興奮が嘘のように、すぐに寝息を立て始めた。
 その寝顔はやはり美しく、ほっと心を和ませる。リオンも数秒間、我を忘れて彼女の寝顔を眺めた。
 うつらと頭が重みで沈んだ――その間意識がなく、眠っていた。
 強風の中、一本足で立つようなつらさに、リオンは寝る決意をした。
 リリスの隣に開いたスペースから目を背け、床に足を下ろした。
「さすがに、隣で寝るのはやめとくか」
 リオンは服を着ると、ハシゴを登った。途中、くしゃみが出た。

 翌日、彼は体がだるいうちに目を覚ました。外は薄暗く、夜と言ってもいい。
 何時か気になって辺りを見渡すと、部屋に小さな明かりが灯っていた。
 ランプの小さな光が、瞼を貫通して眼球を刺激し、暗闇よりも何倍も早く目を覚まさせていた。
 軽く上体を起こし、枕に付着した髪の毛をしばし見つめた後、身だしなみを整えてベッドを降りた。
 下のベッドには既に彼女の姿はなく、二人の情事を見守ったタオルやシーツがなくなっていた。
 リオンは昨日のことを思い出し、やや顔を赤らめたが、すぐに何事もなかったように態度を取り繕った。
 平然としたふりのまま階段を降りていくと、風呂場の扉が急に開いてリリスが体を出した。
「あ、おはようございます」
 リリスはリオンに気付くと、頭を下げた。高く元気のある大きな声は、彼の睡眠を一度に吹き飛ばした。
「ああ……朝早くから走り回るとはご苦労だな」
「毎日やっていますから、そんなに苦じゃありませんよ。
兄を起こす方がよっぽど大変です。フライパンをお玉でカンカン叩いて、やっと起きるんですから」
「近所迷惑だな。外に簀(す)巻きにして放っておいたらどうだ?」
 リリスはふふっと笑った。
「お心遣いありがとうございます。
でも、兄の目覚ましが村全体の目覚ましになっているみたいですから、今更やめられないんですよ」
 彼女は昨日と変わらない元気はつらつな表情を見せたまま、リオンを横切った。
 彼女は洗濯物の入っているかごを抱えており、その中にはシーツやタオルが入っていた。
 リオンはつい彼女の後姿から目をそらした。同時に眠気が込み上げる。
 ソファに座り、睡眠補充のうたた寝していると、「坊ちゃん!」急にシャルティエの声が響いた。
 深夜置きっぱなしにしていたのを、彼はこのときになって思いだした。
「シャル、すまない。お前を忘れるなんて、僕はどうかしているな」
 いつもより妙に気の優しいリオンに、シャルティエは疑問符を浮かべた。

「坊ちゃん、どうしたんですか? まだ外が暗いのに清々しい顔をして」
「別に、どうもしない」
 彼は思うままに答えた。シャルティエはリオンの表情を見て、何か考えているように一度黙った。
「教えてくださいよ〜。僕は部屋が明るくなるまでずぅ〜っと眠っていたんですから、その間のことが分からないんです。
坊ちゃんの姿がなくてびっくりしたんですよぉ。大声で呼んでも、全然反応なくてぇ」
「疲労が溜まっていたという事だろう。無理もない、昨日は色々あったからな」
「そうですけどぉ、僕のことを忘れるなんてぇ〜坊ちゃんもひどぉいですよぉ〜。なにか見返りがほしいんですぅ〜」
「分かった分かった。あとでクリームつけて磨くから、その喋り方をやめてくれ」
「うっひゃあ! ありがとうございます、坊ちゃん!」
 リオンはシャルティエを静かにさせると、眠気を飛ばすように背筋を伸ばし、背もたれに体を預けて外を眺めた。
 羊の群れが牧羊犬に追われている上で、空が青々としてきた。
 太陽が雲の隙間から現れ、徐々に部屋の中を光で照らしてくる。窓の形が、影となって床に映る。
 リオンが景色に気をとられていると、入り口の扉が開き、リリスが入ってきた。
 彼女は部屋の中を見渡すと、ランプのガラスをあけて、ふっと息を吹きかけて炎を消した。
 リオンは何気なく彼女の姿を見ていると、洗濯かごがなくなり、代わりに細長い袋を持ってきていることに気付いた。
 彼の気付きとほぼ同時に、リリスは彼に駆け寄って、それを彼の前に出した。
 それは昨日彼が食べることのできなかった、手作りのアイスキャンディーだった。
「落ちないうちに、召し上がれ」
「いただくよ」
 リオンは悩むことなく受け取り、袋を開いた。
 食べる前に、アイスキャンディーを少し眺めた。
 雲色とは違う、やや黄色がかった白。象牙のような高級感が感じられ、食べるのが勿体無いほど美しい。
 リオンは、一口噛んだ。シャクッといい音がして、アイスは口の中ですぐに解けた。
 口の中にひんやりとした風味が広がり、睡眠とは違う心地よさに気が楽になる。
「美味いな」
 彼の素直な一言に、彼女は嬉しそうに頷いた。
「朝ごはんの準備をしますね。昨日仕込みしていないから、ちょっと時間がかかっちゃいますけど」
 リリスがテール髪をぱたぱたと動かして台所へ走っていく。リオンは後姿に言った。
「にんじんとピーマンはよけてくれ。それから、昨日のような大盛りもダメだ」
「わかりました!」
 台所で、すぐに水の流れる音がして、トントンとリズムよく包丁を叩く音が聞こえた。
 リオンは溶けないうちに、アイスキャンディーをもう一口噛んだ。
 味わうために喋らなくなった彼に、シャルティエが声をかけた。
「坊ちゃん、アイスキャンディーの味はどうですか? 僕は食べられませんから、せめて感想をお願いします!」
 リオンは考えることなく、率直に言った。
「最高に美味いよ」
 ぼそっとしたリオンの呟きが聞こえたのか、リリスはにこっと笑って彼の方を見た。
 リオンは急に恥ずかしくなり、目を背けた。それでもなお、リリスはにこにこ笑みを浮かべながら彼のことを見ていた。
(しまった……わざとらしかったか)
 背けた側から、リオンの顔は妙に赤くなっていた。


 18年後、リオンは仮面を被りジューダスと名を変え、何の因果か再びこの村へやってきた。
 見覚えのある建物、畑、池、羊の群れ……代わり映えしないこの村の姿を、懐かしそうに見回った。
 彼が初めてリーネに来たと思っていた仲間は、あちこち見渡す彼の姿にやや不思議そうだった。
 が、彼は何も答えることなく、鼻で笑って相手にしなかった。
 何も変わらないと思っていたが、スタンまんじゅうというものがひっそりとこの村の名物となっていた。
「へぇ〜、ここってスタンの出身地だったんですね!」
 シャルティエがははぁと頷いて声を出した。
 村の端にあるあの家も変わらない。扉を開けると、久しい彼女が出迎えた。
 ジューダスは仮面を被っているから正体はばれないと思っていたが、それでもつい顔を背けていた。
 彼女は既に結婚もしており、子供もいると聞いた。ついでに、リリスはスタンの妹だということも。
 18年という月日の中で彼女がどう変わったのか? あれからこの村はどうなったのか?
 聞きたいことは山ほどあったが、聞くに聞けなかった。
 そのまま、この日は泊まることになった。彼は嫌がったが、宿屋がない以上は仕方がない。
 仮面を付けた上、更に顔を壁に押し付け、寝苦しい状態で日を跨いだ。
(何だ?)
 夜中に、何かの音で目が覚めた。周りを見るが、仲間は全員熟睡していて、目を覚ます様子はない。
 彼は懐かしさに駆られ、外に出てみた。


 コイの騒ぐ池のほとりに、彼女がいた。
 少々とうが立っているが、美人という誉れ高い称号はこの女性から離れることはないようだ。
「こんな夜中に出歩くなんて、怪しいですよ?」
 ジューダスに気付くと、彼の方を見た。
 可愛らしかった笑顔は、18年という月日のうちに、落ち着きある大人の微笑へと変わっていた。
 これはこれで悪くない、とジューダスは受け入れると、リリスの隣に腰を下ろした。
「お前こそ何をしている?」
 視線の先のリリスは、古びたノートに何かを書き記していた。
「ここって、風が当たるから家の周りで一番冷えるんです。
それを利用して、アイスキャンディーを作っていて、冷え具合を確認しています」
「アイスキャンディーか……懐かしいな。ノイシュタットで売っていたものだろう?」
「よく知っていますね。
昔、この村に来たお客さんのために作ったんですけど、その人はけっこう気に入ったみたいで、
それから彼がいつこっちに来ても歓迎できるように、定期的に作っているんです」
 リリスの指差す方向には、三つのアイスキャンディーがあった。どれも既に固まり、食べごろだった。
「一度も来てくれなくて、18年も経っちゃいましたけどね」
「来ない奴をいつまで待つつもりだ?」
 憎まれ口を叩きつつ、リオンはまだ約束を覚えている彼女を健気に思った。
(彼女は、僕のことに気付いているのだろうか?
普通に考えれば、僕も彼女と同様に年を取ったと思うはずだ。
当時と変わらない僕の姿を見て、似ているとは思うかもしれないが、同じ姿の人間がいるとは)
 考え事している彼に、リリスはずいっと顔を近づけた。
「このアイスキャンディー、昔は作っているうちによく無くなったんですよ。
獣か何かかな? って思っていたら、うちの娘が食べていたんです」
「娘?……そうか、結婚したんだったな。
妙な質問だが、一つ聞きたい。その娘の父親とは誰なんだ? その……お前の夫なのか?」
「はい、そうですよ」
(僕がその父親、という線は消えたな)
 安心したらいいのか、それとも一度は身を繋げた女が誰かの配偶者となったということを残念、と思えばいいのか。
 あれこれ考えていると、リリスが池の波紋を見つめながら声をかけてきた。
「娘は、父親に会ったことがないんです」
「出稼ぎか?」
「いいえ、夭折したと聞きました」
「……すまない。変なことを聞いてしまったな」
 配偶者が死んだことを喋らすなど、人の道から外れたような質問。
 当然、彼女の怒りが予想できたが、リリスは怒ることはなかった。
 むしろ、笑顔を絶やさない。
「いいですよ、どんなことを聞かれても」
「よくない! 僕自身が、そんな質問をしたことが許せないんだ!」
 彼は自分の意思が何よりも大事、とでも言わんばかりに声を晴らした。
 しかし、リリスの笑顔はなおも変わらない。その笑顔が、彼には気に障った。
「何がおかしい!」
「おかしいんじゃないです。嬉しいんです……貴方が来るの、ずっと待っていました」

 リリスは、彼が反応するよりも前に、隠し持っていたお玉でジューダスの仮面の正中線を強く叩いた。
 甲高い音が響くと、仮面は割れ、彼の素顔を露わになった。
「何をっ!」
 リリスは、強烈に睨みを効かせるジューダスの顔をまじまじと見た。
「やっぱり、あの時の人ですね。おじいちゃんからお名前教えてもらいましたよ」
「なっ、ち、違う! 僕はリオンじゃない! 僕は……僕はジューダスだ!」
「あら? どうして私が一日だけ身を繋げた人の名前を知っているんですか?
確かに私はおじいちゃんからリオンさんのことを聞きましたけど、貴方にはそのことを教えていませんでしたよ?」
「そ、それは……」
 彼は上手い言い訳を探したが、見つからない。
 こういうときに限って、肯定の言葉ばかりが頭の中に浮かんでくるものであった。
 いっそのこと、無言を通していた方がいいかもしれない、と思ったときだった。
「リムル、出てきていいよ」
 苦悩している彼を放って置いて、リリスは家の裏側に声を投げかけた。
 よそよそと、彼女と同じく金髪の女性が出てきた。
 若いときのリリスに瓜二つだが、やや細身で脆そうであり、束ねた髪はどこかクールな印象を持たす。
「母さんから聞いたけど……貴方が、父さん?」
 リムルの開口一番に、彼は一瞬目を背けた。
「僕はただの旅の者だ! お前の父親なんかではない!
……第一、お前の父親はこの女の婚約者だろう! 僕は結婚なんかしていない!」
「え?」
 リムルは、笑顔のままの母を見た。


「母さんの結婚って、村伝説(都市伝説みたいなもの)よね? 男避けのための嘘だって」
「そうよ」あっさり言った。
「お前……さっきのは嘘か!?」
 リオンはぎりっと歯を鳴らした。
 恐ろしいほどの怒りを込めて彼女を睨むが、リリスは全く動じない。
 隣にいるリムルも同じく、風でなびく金髪をさっと後ろに払った。
「じゃあ、この人が父さんでいいのね」
 リムルは正直な眼で見た。彼女は見たところ17かそこら。
 妊娠期間を考えれば、彼がリオンとしてここに来たときと時期が合う。
 困惑している彼に追い討ちをかけるように、リムルは一枚の紙を出して、彼に渡した。
 走り書きしているような字で何か書かれているが、ぼろぼろでよく読み取れない。
「何だこれは?」
 リムルのことをすごい剣幕で睨むが、彼女は憎たらしいほど涼しい顔をして見つめ返す。
 ふてぶてしい態度を他人にやられると、どれだけ腹が立つのかをジューダスは歯軋りとともに知った。
「髪の毛が一致する、ってことを示す鑑定書」
「一致するだと!? どこがだ、僕とお前の髪は、全然似ていないじゃないか!」
 ……言い終わってからリオンは気付いた。前例があるということに。
 同じく金髪の父親と黒髪の母親との間に生まれた子は、母親の黒髪など全く引き継がずに金一色だった。
(金髪は劣勢遺伝子のはずなんだが……)
 科学的にも証明されてしまった。こうなってしまっては、さすがに観念した。
 正確には、認めていないがこれ以上否定すればリムルが不憫だ、という思いがあった。
(ふん……都合よく思って報われるなら、勝手に思え)
 心の中で嘲りつつも、リムルに向ける目が甥に向けるものと同じ、優しさを孕んだものになってしまうことを止められなかった。
「どうやら、お前たちの言う通りらしいな。いいさ、お前たちと談笑するのも悪くないかもしれない」
 リオンはふと、空を眺めた、深夜ゆえに青空はとうに消えている。
 しかし、ガラス片を撒いたような満天の星々は、青空よりも輝々としていた。
 ダリルシェイドでも見たことのない美しい光景に、顔が笑う。
 もしも、自分達を覗いている星があるのなら、真っ二つに斬ってやらないとな、とシャルティエを強く握った。
「坊ちゃあ〜ん、パパになった感想はどうですか?」
 シャルティエが久し振りに声を出した。
 衝動的に、シャルティエを力いっぱい池の方へと投げ飛ばした。
 怒りで息が荒くなっている彼に、リリスは何ら怖れることなくアイスキャンディーを渡してきた。
「はい、落ちないうちに食べてください」
 振り返ると、リムルは既に口をつけている。誰に似たものやら、一心不乱にシャクシャク音を立てている。
 彼は、少しの間懐かしげに眺めていたが、バニラの雫が垂れ始めてくると、急いで口に入れた。

 18年経っても、味は最高だった。


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