ラウンド・ミッドナイト |
「どうやら年貢の納め時らしいなあ、テナルディエの旦那ぁ?」 言うなり、目の前の男は芝居がかった仕草で、ナイフを持った手を竦めてみせた。 左目に眼帯をしたその男は、どこからみても街のごろつきと言った風体である。 彼女は暗闇に目を凝らし、自分たちを取り囲んでいる男達を観察した。 だが、どれも似たようなものだった。取り立ててどうと言うこともない。どこの町にでもいそうな、ただの人相の悪いごろつき連中。 「・・・誰なのさ、こいつら」 彼女は傍らにいる夫に小声で問うた。 あの宿屋で2度3度会っているならば顔くらい分かるはずだが、顔に見覚えのある人間は一人もいなかった。 問われた夫は大きく舌打ちをすると、うんざりした顔でうめく。 「まあ、昔ちょっとな」 「は!『ちょっと』で済むと思ったら大間違いだぜ、狸野郎が!」 夫の言葉が気に障ったのか、眼帯の男は苛立たしげにびゅん、とナイフで空を切った。 それを合図に、夫婦を取り囲んだ男達がじりじりと近付いて来る。 距離が狭まるにつれ、彼らの持つ刃物や鈍器が嫌でも視界に入ってくる。無意味に凶悪な形状のそれらが月光を受けて煌めくのを見て、彼女は顔を引きつらせながら叫んだ。 「な、何なのさ!?全然訳が分からないよ―――」 「分からなくて結構だ、俺達はあんたの亭主に用があるんだよ。命が惜しけりゃ、かみさんは失せな」 「え・・・」 思わず、彼女は夫に目を向ける。 夫はいつものように、斜に構えた態度で皮肉気に笑ったようだった―――のだが。 その笑いの中に何かを感じ、彼女はさっと青ざめた。 搾り出すような夫の低い呟きが、やけに大きく耳に響く。 「・・・こりゃあ、どうしようもねえや」 雲が途切れ、彼の表情が月明かりに晒された。 その顔に浮かんでいたのは紛れもない―――諦めの色だった。 「へえ、さすがに観念したってわけか?」 ヒュウ、と眼帯の男は面白そうに口笛を鳴らした。 一拍置いて、周りの男達から発せられた嘲りの混じった笑い声が、夜の闇を揺らした。彼らは構えていた武器を下ろし、嘲笑と共に夫婦をはやし立てた。獲物が抵抗をする気力を無くした以上、もはやこれ以上は余興に過ぎないのだろう。 彼女は、指先が白くなるほど服の裾をきつく握り締めていた。唇を噛みながら、俯いていた。 不意に、その指先を何かが柔らかく包む。 ―――温かく、大きな手。 弾かれたように彼女が顔を上げると、苦笑を浮かべた夫が目の前に立っていた。如才ないこの男には不釣合いな、どこか寂しげな笑い。 「・・・仕方ねえんだよ。確かにこれは俺一人の問題だ」 「何言ってんだい、あんた!」 真っ青な顔で、彼女は夫に食い下がる。 寒さを訴える胸の内を誤魔化すかのように、彼女はことさら大きな声を出した。 「なに神妙な顔してんだい!そんなの、あんたらしくないよ!」 「お前・・・」 「何があっても諦めないしぶとさがあんたの良い所じゃない!最後まで、諦めちゃだめだよ・・・!」 彼女は震える指で、夫の肩に縋り付いた。 彼は何かを言おうとしたのか、口を開きかけ―――小さくかぶりを振って、妻の手を包み込むようにそっと自分の手を重ねた。 途端、人通りの途絶えた夜道に、笑い声が響く。 「はっはぁ!こりゃあいい!」 眼帯の男が、さも面白い見世物を目の当たりにしたかのように笑っていた。 周囲を煽るように両腕を大きく広げ、 「こいつは泣かせるじゃねえか!これぞ麗しき夫婦愛ってやつ―――」 「―――ということで私は逃げるから。あとは頑張れ。じゃ」 何の前触れもなく。 びし、と片手を軽く挙げて、彼女は颯爽と回れ右をした。 唖然とする眼帯の男の方へ歩いて行き、 「ちょっと、ぼさっと突っ立ってないでそこどきなよ。邪魔だねえ全く」 そのままぶつくさと男達を押し退けて、彼女は何事も無かったかのようにその場から退散しようとする。 その時、 「やっぱりかクソババアー!!」 罵声と共に、夫が妻の背中目掛けて全力で飛び蹴りを浴びせた。 完全に不意をつかれたのだろう。彼女はまともにつんのめり、かなりの勢いで前方の壁に激突した。 周囲の人間―――要するに、夫以外の全員―――が思わず固唾を呑んで見守っていると、彼女はやおら立ち上がり、そのまま猛烈な勢いで夫に食って掛かった。 「痛いじゃないのさ!いきなり飛び蹴りたあ一体どういう了見だい!?」 「うるせえババア!思いきり潔く見捨ててんじゃねえよ!」 「だってあたしにゃ関係ないんだろ!?あんたさっき逃げろって言ったじゃないの!」 「言ってねえ!確かに無関係だが身代わりヨロシクって言いかけたんだよ!」 「阿呆かこのボンクラ!何であんたのミスの尻拭いをしなきゃならないってんだい!?」 「だからって一人で悠々と逃げるか!?絶好調に馬鹿かてめえ!」 夫婦はそのまま胸倉を掴み合って嵐のごとく激しい口論を始める。 いきなり始まった見苦しい夫婦喧嘩に心底呆れたという面持ちで、眼帯の男が顔をしかめてみせた。 「あーもー、ゴチャゴチャうるせえな。何なら、夫婦仲良くあの世に―――」 ごっ。 唐突に。言いかけた男の顔面に、人の拳ほどある石がめり込んだ。 『・・・!?』 声も無く倒れる男に仲間達が気を取られた次の瞬間。 「ぎゃっ!」 「ぐえっ!」 いつの間にか夫妻が隠し持った石が、更に2人の男に直撃した。 たちまち広がる混乱に紛れて、夫妻はその場から弾丸のような速さで逃げ出した。 脇目も降らず疾走しながら、彼女は息の続く限り夫を罵倒する。 「何だこれ!何だこの事態!?何でいちいち人を巻き込むんだいこのボンクラがああ!!」 「うるせー!ゴチャゴチャ抜かしてねえで走りやがれ!!」 「偉そうにぬかすな!ああくそ、騒ぐだけ騒いで一銭の得にもなりゃしない―――」 「ああ。そうでもねえぜ」 思い出したように、彼は妻に何かを放り投げた。 彼女は走りながら慌ててそれを受け止めると、ぱちくりと目を瞬かせた。 銀時計だ。多少古びてはいるが、作りの良さそうな逸品である。 「え?どうしたのさ、これ」 「さっきすれ違いざまに、奴らのポケットから掠め取った」 「はあ!?」 「チャンスってのはよう、案外どこにでも転がってるもんだぜえ」 この金でパリ行くぞ、パリ!んでもって貴族になっちゃる! ケケケ、と夫の無邪気な笑い声が真夜中の裏通りに響く。その声を聞くうちに―――彼女は不意に、自分の我慢がいつの間にか限界を突破していることに気が付いた。 彼女は後ろを振り返った。一本道の向こうにも人影はない。追っ手は完全に撒けたようだ。 となれば、やるべきことは一つしかない。彼女は即座に決断した。 ―――蹴るか。 走る速度をわずかに遅らせて、夫の背中に照準を合わせる。 にやり、と実に魅力的な笑みを浮かべると、彼女は軽く助走をつけて走り出した。 |
| (終わり) |
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フェイクの世界に生きる極道夫婦で推して参りたいと思うわけであります。 原作の夫>妻という上下関係もグッとくるのですが、ミュージカルで見た夫=妻という完全対等な夫婦にズギュンされたので、こんなん出来ました。 見た目はラブラブな場面でも、腹の中ではものすげえ罵り合いが展開されているようなテナ夫妻を夢見ています。どこまでが演技でどこまでが本音か全く分からない虚々実々な極道夫妻とか、夢は広がる一方ですよ! |