10:自慢にならない人間関係







「そこまでだ!犯罪者ども!」

夜の帳に包まれた裏通りの一角に、朗々と声が響き渡る。

「逆らう奴は容赦するな!一人残らず逮捕しろ!」

それが合図だった。
間髪入れず、待機していた十数人の警官が一斉に袋小路へとなだれ込む。

『な、何だ!?』
『警察だと!?ふざけんな!』
『畜生!どこで嗅ぎつけやがった!』

逃げ出そうとする者、ナイフを手に切り結ぼうとする者、ひたすら混乱して何事かを喚き散らす者。
仕事の最中に起きた事態に、その場にいた男達―――パリの裏社会には掃いて捨てるほどいる、単なるごろつき連中―――は、恐慌状態に陥った。
武装した警官達は、彼らとはひどく対照的だった。陣形を乱すことなく、訓練された見事な手際で瞬く間に強盗団を取り押さえたのだった。



「よし、これで全員だな。連れて行け!」

手錠をかけられた悪漢達が、何人もの警官によって次々と連行されて行く。
その様子を、被害者らしき2人の若者が呆然と見ていた。
彼らは横転した馬車の脇に立ち竦んでいた。被害者と思われる人物はその2人だけで、辺りに御者らしき人間の姿もない。強盗団が現れた際、馬車を捨てて真っ先に逃げ出したのだろうか。

と、先程から大声で指示を出していた警官が、ゆっくりと彼らに歩み寄った。
頬に引き攣れた古傷のある、大柄な男である。鋭利な刃物を思わせる鋭い眼、静かな威圧感。数多の風雪を凌いで来たと思われる精悍な顔は、現場の警察官という仕事の苛烈さを物語っていた。
彼の強い眼光にさらされ、被害者の若者たちの目に微かな緊張の色がともる。
当の警官は、そんな彼らの反応に少し驚いたようだった。彼は一瞬目を瞬かせたが、ふと、厳しく引き結ばれた口元をやわらげた。

「もう大丈夫です」

身を硬くする被害者たちを安心させるように、彼は深みのある声音で語りかけた。
そして、彼はいかつい手をゆったりと差し伸べ―――

「お怪我はありませんか?愚民ども」

ばた。
何の前触れもなく。何かが地面に激突する音がして、頬傷の警官は後ろを振り向いた。
彼は地面に突っ伏した一人の警官を認め、不思議そうに首をかしげる。

「・・・うむ?どうかしましたかジャベール警部。そんな何もない所で豪快に蹴っつまづいて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・いや」

どこか疲労した声で、地べたの警官―――ジャベール警部が答えてくる。

「ああっ!分かりましたよ、警部殿!」

すると、近くにいた別の警官が我が意を得たりと手を叩いた。

「さてはパリの地底から鳴り響く正義の鼓動に、うっかり足を取られましたね!」
「ほう、正義をその身で感じ取るとは・・・警部殿はパリ市警の鑑ですなあ。ねたましい!」
「渋!ジャベール警部、渋っ!私も見習わなくては!」

さすがだなあ警部殿、と周囲がなごやかな雰囲気に包まれる中、ジャベール警部は何とか身を起こした。倒れた時に打ったのだろうか、鈍い痛みを訴える頭に手をやり、彼はぐっと眉間に皺を寄せる。

パリ。世界に冠たる、光の都。
この大都市の治安維持という重責を担い、一種独特の雰囲気を醸し出すパリ市警は、その膨大な仕事量とともに、どこか破綻した性格の持ち主が勢揃いしていることでも有名だった。
元々そういう類の人間が多いのか、それとも大小遠近昼夜を問わず発生する職務に忙殺されているうちに、人として重要な何かが壊れていったのかは分からない。どちらにしろ、第一線で働く警官達は、揃ってアクの強い人間ばかりだった。
かといって、全部が全部この濃ゆい雰囲気になじめる人間ばかりではない。どこの世界にも、必ず例外は存在する。
生来適応能力に乏しく、柔軟性のかけらも無いジャベール警部は、無論その『なじめない』一人であった。



「さて。また一つ悪を葬り去った所で、署に凱旋しようじゃないか諸君!」
「・・・あ、あの、刑事さん」

唐突に、被害者の青年の片方―――黒いチョッキの若者が、頬傷の警官を呼び止めた。

「あの、僕、えーと、」

まだ気が動転しているのか、彼は言葉を捜すように口を開けては意味の無い音を発している。

「あ、あの、えー、うーん?」
「あーもーマリウス、お前ちょっと黙ってろ」
「え、でも、クール―――」

黒いチョッキの若者の言葉を待たず、彼の隣にいた青年がすたすたと警官の前に進み出た。
着ている洋服やその物腰が、青年の育ちの良さを物語っている。

「ありがとうございました。お陰で助かりました」
「いえ、礼には及びません」

やや挙動不審気味な若者達を気にするでもなく、頬傷の警官は変わらず穏やかな口調で、

「我々は警察です。すなわち―――地味で無害な一般人どもの味方ですから」
「・・・何でだろう。さっきからものすごく小馬鹿にされてるような気がするんですけど」
「いかに雑草とて、根っこの先のそのまた先くらいの正義はあるのです。だから胸張って生きてていいですよ!」
「ああそっか。分かった。てめえ不必要に上から目線なんだよなこの野郎・・・!」
「ははは、地味な虫どもの心のこもった応援、胸に染みます!」

一方的になごやかに、一方的に険悪な―――つまりは、清々しいほどに噛み合っていない会話を展開していた頬傷の警官は、ふと何かに気が付いたように後ろを振り返った。
先程と同じ位置に目をとめ、彼はまたもや首をかしげる。

「おや?どうしましたジャベール警部、そんな所で頭を抱えてしゃがみ込んで」

と、別の警官がジャベール警部を見やり、はっと息を飲んで目をキラキラと輝かせた。

「さては!荒れた路地裏に息づく小花の健気さに、正義の息吹を見つけましたね警部殿!」
「どんな小さな正義も見逃さない・・・パリ市警たるもの、かく在るべきですなあ。ねたましい!」
「うおお渋っ!渋いです警部殿ーっ!」
「・・・・・・・・・・・・」

嵐のように巻き起こる同僚達の拍手喝采。
それらに対してジャベール警部が出来たことは、しゃがみ込んだまま無言で落ち込むことだけだった。
そんな彼の様子を見て、『ふ、不言実行!?渋っ!』『あれこそ背中で語る正義!』『ねたましいい!』だのとさらに喝采の声が強まり、ジャベール警部はますます心が荒んでくるのを感じていた。

「おいこら!俺たちを無視してんじゃねえよ!」
「あれ?まだいたのですか民間人ども」
「て・め・え・・・・・・・・!!」

ジャベール警部は地面を見つめながら、背中越しの喧騒を感じていた。
背後から高らかに鳴り響いているのは、聞くに堪えない不協和音。おそらく同僚達と先程の被害者が、またもや険悪な和やかさを醸し出しているのだろう。振り向いて確認する気にもならないが。
何とはなしに、世の理不尽さを感じながら―――ジャベール警部は、いまだ鈍く痛む頭にそっと手を添えたのだった。






(終わり)


…別に警察に対して特別な怨みがあるわけじゃないんですが(笑)ただ、ジャベは人生の全てにおいて人間関係が上手くいってないといいなあ、と思うのであります。
そうそう、微妙なラインの武力紛争とかが起きると、軍隊と警察がいがみ合いを始めるのはありがちですが、六月暴動のときはどうだったのでしょうか。そこら辺の軍隊VS警察の鞘当てを妄想すると楽しいです。
(2007.10・30)













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