思わぬ発見 |
(・・・どうしたものか) バルジャンは軽く考え込んだ。 手には、1本のテーブルの足が握られている。 彼の前には、食事用に使っているテーブルがあった。支えを1本失って、完全に傾いてはいるが。 所々ペンキが剥がれたそのテーブルは、彼がこの町に住み着いたときに中古で購入した物である。 もともと足の根元が不安定だったので、だいぶ安かった。当時は財布にあまり余裕が無かったので、良い買い物だったと満足したのを覚えている。 その後もまあ、足元の欠陥については、まるで気にしない訳ではなかった。 だが、食卓などそうそう移動させるものでもなし、たいていは食事を乗せるだけの―――上によじ登って激しくダンスを踊るような奇特な趣味でも持たない限り―――静かな場所である。 無論、彼にとってもそうだった。だから、すっかり記憶の底に沈んでいた。 そうして何事も無く数年が経ったのだが、つい先程とうとう取れてしまった。 バルジャンは傾いたテーブルを見ながら、軽く溜息を付いた。 新しい物を購入しても特に問題は無い。金には困っていないし、もちろん置く場所もあるのだから。 だが、この町で暮らすのと同じ日数を過ごしてきたこの家具には、それなりの愛着もある。 このまま廃棄処分にするのは、どうも気が乗らない――― (ああ、そうだ) 彼はふと何かを思いついた。 取れた足の根元を顔に近付ける。見てみると、釘は根元からきれいに外れていた。釘が外れた際に、木が割れた様子も無い。 バルジャンは口元を綻ばせた。ここを新たに釘か何かで固定してしまえば、まだまだ使えそうだ。 そうと分かれば、と彼は早速行動を開始した。 わずかに埃の積もった工具箱を部屋の奥から引っぱり出してくる。 埃を払い、工具箱を開けて釘と木槌を取り出した。久しく使っていないせいか、錆びた鉄の臭いが鼻に付く。 彼は取れたテーブルの足を元の位置にあて、左手で釘を固定する。 もう片方の手に木槌を握り、釘の頭を試しに叩いてみた。 コンコン。乾いた音が響く。 どことない違和感を感じて、彼は微かに眉根を寄せた。木の筋に当たっているのか、なかなか釘が中に進まない。 今度は、少し強めに打ってみる。が、一向に釘は進まなかった。 バルジャンは少し考えて―――木槌を握った方の腕を大きく振りかぶった。 そのまま、釘の頭めがけて振り下ろす。 がつ、と鈍い音がして釘は木の中にだいぶ沈んだ。 彼は満足そうに頷く。 もう一度。先程より、やや勢い良く振りかぶろうとして――― 「―――市長殿」 「・・・!?」 背筋が、凍った。 一瞬にして恐怖に肺が引きつり、呼吸が止まる。 息を詰めたまま。バルジャンはこの場から逃げ出したい衝動を、必死で抑えつけた。 この声は。およそ人の体温を感じさせない、この無機質な声は。 忘れようもない。忘れたくても忘れられない。 (ジャベール・・・!) 彼は単なる警察官の一人だった。少なくとも、町に住んでいる大多数の人々にとってみれば。 先月この町に赴任したばかりの、警察の人間。彼らにとって見れば、それだけの存在だ。特別な意味など無い。 小耳に挟んだ話によれば、彼は早くも犯罪を生業とする者たちには警戒されているらしい。 だが、ただそれだけのことだろう。厄介で、注意すべき警察官の一人。大した意味は無い。 しかし、自分は。 自分にとってのこの男の存在は、それこそこの町の誰とも全く意味合いが違った。 ジャベールが赴任してからもう1ヶ月になるが、いまだに慣れない。いや、この先も慣れることなどないのだろう。 この声を聞くたび、体が硬直して動けなくなる。 足が竦む。まるで、首の後ろに鋭い刃物の切っ先を突きつけられているような。 背後の気配をうそ寒く感じながら、バルジャンはそっと呼吸を整えた。整えなければ、とても後ろを振り返れない。 こちらが怪しげな素振りを少しでも見せれば、たちまち正体を見抜かれてしまうだろう。あの冷たい、人の奥底を監視するような昏い眼光に。 出来るだけ自然に振舞うのだ。そう、出来るだけ――― 失敗は許されない。自分に強く言い聞かせ、バルジャンは意を決して振り向いた。 そこには案の定、彼の思い描いていた人物―――ジャベールがいた。 彼はひっそりと、部屋から廊下へと続く扉の真正面で。 まるで、床の一部のように。 ―――気絶して、倒れ臥していた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・え」 たっぷり数秒間。 バルジャンは唖然としてその場に佇んだ。目の前に広がる光景が全く把握できない。 と、ジャベールの近くに、見慣れた木槌が落ちているのを見つけた。 「あ」 自分の手を見る。先程まで握っていた木槌の姿が無かった。 バルジャンは呆けながらもどこか冷静に、事態を分析した。 どうやら先程声を掛けられたときに、驚いて手からすっぽ抜けたらしい。その木槌が、見事にジャベールに直撃したという訳か。 そうこうしている間に、ジャベールがよろよろと頭を起こした。 バルジャンは幾分慌てて―――皆に人望のある、善良な市長だったらするであろう行動を―――心配そうな顔で警部に近付き、その場に屈んで声を掛けてみせた。 「大丈夫かね?・・・いつからここに?」 ジャベールは見るからに意識朦朧としていた。良く見ると、視点が定まっていない。 頭頂部を軽く抑えているところを見ると、木槌は彼の頭に直撃したのだろう。 「な、何度か、玄関先で、お呼びしたのですが・・・」 「ああ、全然気付かなかったよ。すまない」 「こちら、で、物音がしたものですから」 「うむ、ここで作業をしていたんだ」 朦朧としながらも、ジャベールは質問に答えてくる。 報告義務は、警察官にとって最も誠実な職務の一つである――― 頭の隅でそんな言葉を思い出しながら、バルジャンは倒れたままの警部を見下ろした。 「そうしたら、そ・・・」 「そ?」 「空飛ぶ、鈍器が・・・」 言い残すなり、ジャベールはばたりと倒れ込んだ。どうやら気力が尽きたらしい。 バルジャンはぽかんと口を開けた。 気を失ったジャベールと、彼の傍らに転がる木槌をぼんやりと見比べる。 何となく、思いつく。ひょっとするとこの男、ものすごく運が悪いのではなかろうか。 (・・・そういえば、どことなく幸の薄そうな顔だな) 彼は覗き込むように、気絶したジャベールをしげしげと観察してみた。 痛打した箇所が痛むのだろうか。血の気の引いた顔に、苦悶の表情を浮かべている。 (うん、やはり幸の薄そうな顔だ) やけに笑い出したいような気分に駆られながら、バルジャンは口元を緩めた。 とりあえず、手当てをしてやるか。 彼はジャベールを担ぎ上げると、どこか軽い足取りで部屋を後にした。 |
| (終わり) |
|
バルジャン、ジャベをなめ始めるの巻。 ありていに言えば、何だか性格を見切ってしまったというか。「ああ何だ、こいつ天然か」と(笑) てゆうかバルも幸薄い幸薄いってわりかし失礼な奴ですが。まあうちのバルは基本が善人で、わりかし失礼で、わりかし腹黒くって、わりかし抑えがきかないタイプの人です。まあね、人間だもの。 そういや昔、「いんげんだもの」っていう相田みつをのパロディ本がありましたね。表紙にでっかいいんげんが描かれてるやつ。本気で余談ですが。 |