花と彼女と伊達男






『素敵よね、白い花って』

彼女の視線の先には、窓の向こうに置かれた花瓶と水差し。
花瓶の中で凛と咲く花の明るさが、鉛色のカーテンを微かに照らしていた。

自分の目からすると、取り立てて見るほどでもない光景だった。
あんな道端に咲いていそうなみすぼらしい花よりも、高価で、より効果的に自分を飾り立ててくれる物など、パリの都には数え切れないほどあるのだから。
だが、エポニーヌは依然として、古ぼけた民家の窓から視線を動かそうとしなかった。
風が吹き抜ける。寒さをわずかに含んだ、夕暮れの風。
寒くないのか。モンパルナスは彼女に声をかけてみた。
彼女はわずかに首を振ったが、果たして自分の声が届いたのかは大いに疑問である。
彼は軽く溜息をついた。

『ほんと、素敵だわ。・・・だって―――』

言いかけて、彼女は初めて自分の存在に気付いたように、はたと言葉を途切れさせた。
一瞬の沈黙の後―――彼女の泥で薄汚れた顔に、照れくさそうな笑みが浮かぶ。
やはり、あんな貧乏臭い花には興味を持てそうにもない。
だが、薔薇色に染まった彼女の頬は、とても綺麗だと思った。






「―――やる」
「はあ!?」

白いマーガレットが2・3本束ねられ、古新聞紙に包まれた―――小さな花束を押し付けられた相手は、予想通り素っ頓狂な声を上げた。

「何だその間抜け面。せっかく買ってきてやったのに、嬉しくないのかよ」
「ええ?まあ嬉しいけど。いやでも、あんたが?あたしに?うーん…」

すっかり混乱しているようだ。エポニーヌは眉間に力を込め、盛んに首をかしげていた。
彼女はもう一度目をぱちくりと瞬かせると、幾分声をひそめ、

「・・・どういう風の吹き回し?」
「べ、別に。気の迷いってやつだ」
「ふうん」

こちらの言い分を気にする風でもなく、エポニーヌは意外にあっさりと納得した。
実際、嬉しかったのだろう。彼女は花束を珍しそうに眺め、上機嫌で語りかけてくる。

「ねえねえ、こんなのどうかしら?」

と、モンパルナスの黒い上着のポケットに、細身の花束をすっと差し込んだ。

「わあ、やっぱり似合う」
「そ、そうかな」
「ええ、とっても。黒い服に白い花って、やっぱり素敵な組み合わせだわ」

―――あの人、喜んでくれるかしら。

その小さな呟きを、彼は聞き逃さなかった。
そして、うっとりと何かを思い出しているような彼女の顔を見た瞬間ー――モンパルナスは息を止めた。

黒い服に・・・・・・『あの人』、だと?
反射的に、彼はエポニーヌから花束を引ったくる。

「―――やっぱやらねえ」
「ええ!?何よそれ!」
「うるせー!気が変わったんだよ!」

半ばヤケ気味に叫ぶと、モンパルナスはあさっての方向へ走り出した。

「ちょっとあんた―――ああもう、何だってのよ!ケチっ!」





「あーくそっ!ふっざけんじゃねえぞ、あの色ボケ女っ!!」

彼が手に持ったナイフを振るうたび、両脇の古びた壁に細長い傷が生じた。
ちょうど建物の間に挟まれた細い裏道を、モンパルナスは憤然と歩いていた。
特に目的地はない。だが、このまま大人しく隠れ家に帰るのも腹立たしい。

「な・に・が、『あの人』だあっ!?」

怒りに任せて、彼は足元に散らばったゴミを蹴り上げる。
彼はふと立ち止まった。もう片方の手に握られた先程の花束を苦々しく見やる。

『・・・喜んでくれるかしら―――?』

瞬時に浮かんだのは、彼女の幸せそうな微笑み。
思わず彼は、力任せに花束を地面へと叩きつけようとしたが、

「あれ、モンパルナス。こんな所で何してんだい?」
「・・・あ」

彼は動きを止めた。道の向こうから、顔なじみの女がこちらへ向かってくる。
モンパルナスは露骨に顔をしかめた。何とも間が悪いことだ。
彼女は単なる顔なじみというか・・・今まさに彼が荒れている元凶の母親だったりする。
何に使うのかは見当もつかないが―――彼女は錆びたバケツや鉄クズを両腕一杯に抱え、地面のゴミを蹴散らしながら、細い道を悪戦苦闘しつつも進んでくる。

「ちょっと、道を空けとくれよ。こうも荷物が多いと、ろくに身動きも出来やしない・・・」

ぶつぶつと文句を漏らす彼女をちらりとみて、モンパルナスは黙って脇に寄った。
何となく、目線を逸らす。エポニーヌと同じ色をした彼女の目を見る気にはなれなかった。
と、すれ違いざまに、彼女はモンパルナスの手元に目を留めた。

「あら、綺麗な花だねえ」
「・・・やる」

言うなり、モンパルナスは一方的に彼女の持っていたバケツの中へ花を放り込む。
そのまま彼は早足で歩き出した。

「・・・へ?どういう事だい?」

怪訝そうな彼女の声を背後に、モンパルナスはひたすら歩を進めた。
無性に腹が立つ。彼は手に持ったナイフを苛立たしげに一閃した。
と、背後から妙にしみじみとした呟きが聞こえてくる。

「――― うーん、さてはあれか。熟女の魅力にイチコロってやつかねえ」

ぶ。
吹いたついでに、ナイフが彼の右手からするりと抜け落ちた。

「やべ・・・っ」

咄嗟に手を伸ばす間も無く。
手から離れたナイフは、曲線を描いて落下し―――モンパルナスの足先からわずか数ミリ外れた地面に深々と突き刺さった。

「うおおぅ!!?」

驚いて飛び退った拍子に、左右の建物から突き出した角材に思いきり頭を痛打する。

「ご・・・・・・・・っ!!?」

モンパルナスは頭を抱えてその場にうずくまった。
大したダメージでもないが、地味に痛い。
ふと、嫌な予感がした。
痛みをこらえて、恐る恐る顔を上げる。
悪い予感というものは、例外なく的中するものらしい。細道の向こうの方に、あっけに取られた様子の例の母親の姿が見えた。
たった今起こった、間の抜けた一人漫才の一部始終をまんまと見られていたようだ。
彼女は心底不思議そうな顔をして、こちらを眺めている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何やってんだいあんた」
「・・・て、め・・・、・・・〜〜その花返せクソババア!!」
「はあ?何でまた・・・」
「うるせー!誰がお前らなんかにやるかああ!!!」

涙すら浮かべたモンパルナスの叫び声が、狭い裏道に響き渡った。







(終わり)


エポは小指の先すらもパルナスの淡い恋心に気付いてないといいなあ!
あまりにも若者達が甘酸っぱいので、母親投入。いや甘酸っぱくなくてもきっと出張ってきたよ間違いない。
相変わらずのテナ妻好きです。(2007.2.12)















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