星降る夜の因縁対決








狭い路地を抜けると、急に視界が開けた。
月の光のまばゆさに、裏路地街の暗闇に慣れた目が一瞬眩む。
特に驚きはしない。昨日も一昨日もその前も、同じ道を通ったのだから。
路地の出口の目と鼻の先には、小さな公園がある。
ジャベールは歩く速度を落とさず、そのまま公園に入って行った。

静寂の中、石畳の道に響く自分の靴音がやけに大きく感じられる。
思ったとおりと言うべきか。公園の中には、まるで人の気配がしなかった。
こんな真夜中の公園に子供達の無邪気な遊び声など望むべくもなく、凍死覚悟で音楽を奏でる気紛れな虫もそうそういるわけもない。
自然、辺りはひっそりと静まり返っていた。
その静けさに、自分の職務が介入する余地は無いと感じたのだろう。彼はそっと白い息を吐いた。

夜の見回りは、嫌いではない。
特に、見も凍るような寒さのこんな冬の夜は。
肌を刺すような寒さは、必ずしも長時間の見回りに適した季候ではない。
だが、何者も存在することを拒むような鋭い冷気は、いっそ潔さすら感じる。

歩みをやや遅めて空を仰ぐ。冴え冴えとした夜空には、星が瞬いていた。
冬空は、心なしか星が鮮明に見える。そういった学問には興味が無いので、何故だかは知らないが。

(・・・変わらんな)

どこから空を見上げようが、星は変わらない。
世は移り、人は変われども、星は依然としてそこに存在し、夜空を微かな光で照らし続ける。

(俺はこの光を頼りに歩くだけだ。これまでも―――この先も)

己のことしか見えていない愚か者達は、夜の闇を恐れ、周囲を篝火で照らす。
だが火を熾すことでより一層闇の深さを知り、それが更なる恐れを生む。
そして結局、足元をすくわれるのだ。

ふと、か細い光が線条を描くのが目に入った。
それまで軽く思索にふけっていたジャベールは、多少の驚きと共に我に返った。
改めて夜空を見上げる。漆黒の空に、一条の光の線が流れて行く。
その光は、一瞬で消え去った。と、間髪をおかず次々と星が線を描いて行く。
その荘厳な景色に、彼は思わず歩みを止めた。

そのまま、考えること数秒間。
ジャベールは首を巡らせた。周囲には依然として人の姿は無い。
彼はおもむろに、コートの裾を払ってその場に膝を付いた。
振り仰いだ空には、満天の星。
その姿を脳裏に焼きつけ、ジャベールは静かに瞼を下ろした。
自分は闇など恐れない。愚かな臆病者達のように、篝火一つを抱えて、闇の前で恐れも立ち止まりもしない。
―――星の下を歩むのだ。迷い無く。
胸の前でゆっくりと十字を切ると、彼は夜空に向かって祈りを捧げた。



瞬間、微かな人の気配を感じた。
ジャベールは反射的に足に力を入れ、跳ね上げるように体を起こした。
鋭く舌打ちをして暗闇の中の気配を探る。
彼は目だけを周囲に巡らせ、ある一点で目線を止めた。その場所―――彼の立っている位置から、ちょうど木の陰に隠れている一角―――に、古ぼけたベンチが置かれてあった。
そこに、何者かが座っている。

(・・・何者だ)

昼間はそこそこの賑わいを見せるこの町とて、日が沈めば決して治安が良いわけではない。
まして、この近くにある裏路地は街灯も少なく、人目を避けたい人間が通るにはうってつけの道だ。
裏路地街の乞食共か。色町の屑どもか。それとも、夜盗や追い剥ぎの類か。
どちらにしろ、こんな夜更けに出歩くのはまともな人間ではないだろう。

と、同時に、ジャベールは体のどこかで薄ら寒い感覚を覚えていた。
まさか。
まさか、先程の祈りの場面を見られてはいるまいな。
悪人共がその名を聞いただけで震え上がるこの自分が、星に向かってお祈りしていたなどと。

(・・・悪党共の物笑いの種だ!有り得ん!)

「動くな。何者だ」

ジャベールは内心の動揺を必死で押し隠し、敵意を込めた鋭い声を投げかけた。
いつものように、相手の出方を伺いながらじりじりと間合いを詰める。
いきなり声を掛けられた当の不審者は、ひどく驚いている様子だった。
逃げるような素振りは見せない。だが、それだけで安心するような浅慮はしない。
ジャベールは懐の警棒に手を伸ばす。手に馴染んだ感覚が、心を鎮めて行くのが分かる。
彼はなおも警棒を握ったまま相手に近付き―――その不審者の姿を見て、軽く目を見開いた。

「―――マドレーヌ市長・・・?」

この暗がりでは、顔の判別は難しい。
だが、目の前の人物は間違いなくこの町の市長その人だった。

「・・・市長殿、失礼致しました」

ジャベールが踵を揃えて敬礼をすると、マドレーヌ市長は微かな苦笑を漏らした。

「いや、君も大変だな。こんな寒い夜に見回りなどと」
「は。職務ですので」

市長の労いの言葉に対し、ジャベールは生真面目そうに敬礼を返す。

「しかし市長殿。このような夜更けに護衛も付けず、一体何を?」

言外に、自分の無用心さを指摘されたと思ったのだろうか。市長はますます苦笑の色を濃くした。
そのまま軽くベンチの背にもたれて、空を振り仰ぐ。

「すまない。窓から見た星が綺麗だったので、つい出てきてしまった」
「・・・・・」

自分もほんの先程まで同じことを思っていたのだが、あえて同意はしない。中途半端な相槌を打って権力者に媚を売るような真似も、職務中に無駄話をするつもりも無かった。

「しかし、夜の公園も良いものだな。静けさの深みが違う」

白い息を吐きながら、市長はゆったりとこちらに笑いかけてくる。
微かに広がる居心地の悪さを、ジャベールはそれとなく視線を逸らすことで誤魔化した。
そういった好意的な笑みを向けられることには、あまり慣れていない。それに、どうもこの市長は誰に対しても不自然なほど自然で―――苦手な部類の人間だ。

「それに何と言っても―――世にも珍しい物を見てしまったしな」

瞬時に。
さっ、と体温が下がった。
冷たいものが背筋に走る。ジャベールは思わずコートの裾を握り締めた。
マドレーヌ市長の穏やかな態度は変わらない。
が。
このまま話を進めてはいけない気がする。
何やら触れられたくない話題の臭いを感じる。ものすごく感じる。
ジャベールは瞬時に判断した。一刻も早くこの場から立ち去るべきだ。

「で、では、私は職務に戻ります。失礼」

胸騒ぎを必死で鎮め、半ば一方的に会話を打ち切る。
踵を鳴らして敬礼し、180度方向転換をしようとしたその時―――

「君も案外ロマンチストなのだな」

楽しげな市長の声が、やけに大きく耳に響いた。

「まさかあのジャベール警部がロマンチックにも星に祈りを捧げるなんて・・・・・・何を寝ているんだ。地べたは冷えるだろう」

反転し損ねて地面に倒れ臥す警部を見下ろし、マドレーヌ市長は相変わらず穏やかに笑っている。
ただし、その笑みはどこか甚だしく楽しげで―――見る人が見れば分かるかもしれない、不自然すぎる満面の笑顔であったが。
そして、市長は地面に転がったままのジャベールに手を差し伸べた。

「さあ、掴まりたまえ」
「・・・・お、恐れ入りま・・・」
「やはり星の見えない日は元気が出ないのかね、ロマンチスト・ジャベール?」

ごす。
結構深刻な音を立てて、ジャベールは顔から地面に落ちた。
そんな警部に、やはり溢れんばかりの満面の笑みで、市長は再び手を差し出す。

「どうしたのかね?星は掴めないが私の手は掴めるだろう、ロマンチック警部?」
「ぐ・・・っ、し、市長殿、」
「合言葉はロマンと星と正義と星とロマンとロマンかね、ジャベール・ザ・ロマンチック警部?」
「うがあああああああ!!!」

ついに何かが切れたのか、ジャベールは頭を抱えて地べたで悶絶した。
そんな警部を、マドレーヌ市長は穏やかな様子で見守っている。
木の隙間からこぼれる月明かりに照らされたその笑みは、見る人でなくとも分かる―――すごぶる晴れやかな笑みだった。






(終わり)



ギャグですいません。とりあえず、バルジャン1勝。ささやかにリベンジです。
そもそも、お星さまに向かってやけに堂々とお祈りするジャベールを見て「やっぱり人に見られると恥ずかしいのだろうか」と思った次第でして。
こんジャベとか、燃える闘魂なジャベだったら逆に「俺は毎日星に祈っている!」とか胸を張って公言するのでしょうか。いろんな意味で悪人達の恐怖の対象。それはそれで愉快ですが(笑)













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