墓標に踊る宴会乞食







祈ることを忘れてから、どれほどの年月が過ぎたのだろうか。
自分の力に絶望して神に縋りつく人々を遠くから指差して爆笑するような人生を送っていれば、自分ではない何かに祈りを捧げるなど、酔狂以外の何物でもなかった。
まして、死んだ人間に祈りを捧げるなど、とても正気の沙汰ではない。
そう、思っていた。
少なくとも、昨日までは。



――― 墓なんぞ、生きてる奴らの自己満足の塊さ。
彼女の夫はそう言って皮肉気に笑ったし、彼女自身もまた彼の言葉を否定はしなかった。
分かっている。これは自分の自己満足だ。まして遺体の埋まっていない墓標に祈るこの姿は、傍から見ればさぞ滑稽に映ることだろう。
全くもって、滑稽な姿だ。自覚はしていた。だが、目の前のこれは娘の墓なのだと思うと、不思議と涙が止まらなかった。

一陣の風が吹き抜けると、墓標に掛けられた小さな花飾りがさらさらとそよいだ。花びらが数枚、風に乗って彼方へ舞い上がる。
彼女が立っている小高い丘の向こうには、緑の草原が広がっていた。花びらは微かな色を残し、そのまま眼下の草原の緑に吸い込まれて行く。
静かだった。晴れ渡った空は広く高く、やるせないほど青かった。

彼女はわずかに目を細めた。一瞬だけ、故郷の景色が重なって見えた。随分昔に捨てた、あの故郷の色彩。
あそこを飛び出してから、辛く苦しい事は数え切れないほどあったが、結局一度も帰ろうとは思わなかった。愛しいとも懐かしいとも似つかない独特の感情で覆われた、自分の故郷―――

「いつまでやってんだよ。そろそろ行くぞクソババア」

唐突に、しかも無遠慮に割り込んできた声に、故郷の景色が一瞬で掻き消える。
感情を追憶に残したまま、半ば呆然と振り返る。そこには、長年連れ添ってきた彼女の夫が、つまらなそうに立っていた。
どこからか拾って来たのだろう。細い木の枝を片手に持ち、指揮棒さながら気ままに振り回している。

彼は退屈そうにこちらを――― 正確には、彼女の後ろにある墓標を―――見やり、大きなあくびをした。いかにも面倒くさげなその姿に、彼女は一瞬眉をしかめる。が、次の瞬間、彼女は小さく息を吐いた。

(・・・ま、仕方ないけどさ)

乗り気でない夫を無理矢理連れてきたのは自分なのだ。そうでもなければ、彼がこんな所へ来るはずがない。死体の埋葬品すら埋まっていない墓など、彼にとって何の価値も無いのだから。

墓標の前に跪く彼女を胡散臭げに見て、彼は心底呆れたように口を開く。

「焼きが回ったかクソババア。死んだ奴に何してやったって、何の得にもなりゃしねえだろうが」
「うるさいねえ。あたしゃあんたと違って、まだ人間なのさ。・・・時々、無駄な事だってするよ」

彼女は手にしたハンカチで涙を拭い、ついでに鼻水を盛大に擦りつけ、僅かな苛立ちを込めて、夫に投げ付けてやる。
そうだ。自分はこの男とは違う。実の娘が死んだというのに、顔色一つ変えずにいる人でなしとは違うのだ。

彼は自分の服に付いたハンカチを本気で嫌そうにつまみながら、口元を吊り上げた。彼女が最も良く見慣れている、どこか皮肉げな笑い。

「何言ってやがる、俺だって人間さぁ。でなけりゃ、この腹の音は何だってんだ」

怪物だって腹くらい減るだろうよ。彼女は喉元まで出た言葉をぐいと押し込めた。娘の墓標を目の前にして、空虚な口論をする気分にはなれなかった。
それに、きっと何を言っても仕方がない。いつだってこの男は本心を明かさないのだから。言葉を尽くして皮肉を飾るくせに、本当のことは何一つとして語らないのだから。
語る言葉が見つからず、彼女はつい押し黙る。と、彼女の夫は大袈裟に溜息をついてみせた。

「お前なあ、立ち止まってる暇あんのかよ。人生長かねえだろが。歩け歩け」

言い放つと、手に持った枝を無造作に墓標の前へ投げ捨てた。そのままくるりと背を向けて、彼はゆったりと丘を下っていく。

「・・・これからどうすんのさ」

彼女はぽつりと呟く。特に話しかけたつもりはなかったが、彼女の夫は歩いたまま、手にしたバッグを掲げてみせた。人の頭ほどの大きさもあるそのバッグは、容量の限界まで中身を詰め込んでいるためか、今にも張り裂けんばかりに変形していた。

「とりあえず、この間の殺し合いで元手は取った。こいつを利用してのし上がるのさ」
「死体から奪った金で、偉くなろうってのかい」
「優しいだろ?貴族なんぞ、生きてる奴から金を搾り取ってふんぞり返る寄生虫揃いだからな」
「そりゃそうだけど。・・・それでもわたしら、天国にゃ行けない気がするのは何でだろうね」
「ふん、上等じゃねえか。天国の門に入れねえってんなら、素直に地獄へ行ってやる―――」

――― そしたら地獄の門番騙くらかして、天国の門の裏口にでも案内してもらうかね。

ぎゃっはっは。
これ以上なく楽しげに、彼の笑い声が辺りに響く。
思わず彼女は絶句した。この男、楽天的にも程がある。どうしてこう疑いもなく、物事を自分の良い方に良い方に考えられるのか。
ぎゃーっはっは。
笑い声が大きくなった。まるで、こちらの唖然とした顔を面白がっているようだ。
いや待てよ。相手は背を向けて丘を下っているので、当然こちらの表情は見えないはずだが。

彼女は思わず小さく舌打ちをした。つまりは、お見通しということなのだろう。
夫婦になって数十年の長きに渡る歳月は、お世辞にも理想的な生活とは言えなかったが、そこに何の理解も絆も生まなかったという訳でもなく。
はあ、と彼女は深く長い息を吐いた。

(・・・のし上がるんなら、その下品な笑い方をどうにかおしよ)

振り返ると、先ほど夫の投げ捨てた枝が、墓標の前に落ちていた。
その様子は、彼女にどことなく奇妙な印象を与えた。それは、まるで―――墓前に供えられているかのような。
僅かな違和感と共にその枝を見て、彼女はふと目をとめた。
先程までは、ただの枝だと思っていたのだが。
細い枝の先の部分に。

小さな――― 白い花が咲いている。

首をめぐらせる。夫は相変わらず、ゆるい坂道をゆったりと下っていた。
そんな彼の背中を、彼女はどこかぼんやりと見つめた。

(・・・もしかして、弔いのつもりかね)

考えかけたが、彼女はかぶりを振ってそれを打ち消す。考えても仕方が無い。
あの男のことだ。単に、拾った枝に興味が無くなって投げ捨てたのかもしれないし、もしかしたらそうでないのかもしれない。
本心などどこにも無いのかもしれないし、どちらも本心なのかもしれない。
何より、いくら問うた所で、彼は本当のことを話さない。だから考えたところで仕方がないのだ。

髪が風に揺れるのを感じながら、彼女は何となく思った。
自分はまた、この場所へ来ることはあるのだろうか。
答えを探して視線を巡らせ――― 丘を下る夫の背中が再び目に入り、つい苦笑を漏らした。

(どうなんだろうね。さっぱり分からないや)

二度と来ないかもしれないし、もしかしたら明日また来ることになるかもしれない。
彼女は小さく笑った。我ながら無計画なことだ。
こう見えても、若い時分はもう少し慎重さとか計画性とか、そういったものを持っていたのだが。あの男と所帯を持ってからというもの、年を取るごとに大雑把に、場当たり的になっているような気がする。

(まあでも、悪いことじゃないんだ。たぶんね)

場当たり的でも構わないのだ。
何があるのか分からないのが、人生というものだから。

「そろそろ行くよ。―――じゃあね」

彼女は娘の墓標をひと撫ですると、彼の後を小走りに追った。









(終わり)



なにげに大好きです、テナ夫妻。あの生命力の強さにはホント憧れますよ!
エポの死に対するこの二人のスタンスにも、かなり妄想入っているのですが(笑)。
悲しいっちゃ悲しいけど、それをずーっと引きずるわけでもなし、きれいさっぱり忘れるわけでもなし。ほんの時々思い出して、さらに時々しんみりする、という。
こんな『したりしなかったり』具合が実に人間くさいと。ぼんやりと。ああぼんやりと思うわけでありました。












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