静寂が広がる大聖堂の中、1人の少年は跪き女神に祈る。その後姿を
2人は黙ってみていた。
エミリア・エスコリアル。かつて大陸の中心地であったこの国は、何千年と
続く歴史の跡が未だに色濃く残っている。この大聖堂も
1000年以上も改築を繰り返したとはいえ、原型は十分に留めている。
今から遙か1万年前。この世界を救った救世主たちの1人にエミリア神もいた。
たった5人で今の国の元を作り上げたと言うお伽話の登場人物の1人で、
人々に恵みを与える能力を持っていた。
「……」
黙祷を続けるクリアを止めようとしない。いや、できないのだ。隣でラインが
剣に耳打ちする。
「王子はやっぱり王女のこと――。」
普段よりもずっと声を小さくしているのに、この静けさのせいで聞こえそうで怖い。
「願っているんだろうな……。その他にも色々ありそうな気はするが。」
「ま、その色々の中身はどうでもいいだけどさ。王子って……神様信じてるのか?」
ラインは神は、いない、と取り合えず思っている。エミリアも神として人々に崇められているが、
元が人間でその事については事細かく文献に記載している。エミリア・エスコリアルの
教科書にも実際その事は掲載されている。
「アイツは神を信じているよ。……俺が見たところだとな。」
毎朝5分程黙礼し、日々神に感謝していると言う剣。
「そうなのか?俺はてっきり神なんて信じてないと思ってたぜ。」
「どうしてそう見えた。」
「神は全ての者に慈悲を与えるだろ?王子は貰ったか?神の慈悲と呼ばれる恩恵を。」
俗世から隔離されたところで、事実独りぼっちで生活していく。剣やミルキィが
いなければどうなっていたことか。
「何が言いたい。」
「エミリア様は神様だろ?でも元は人間だ。古書にも書かれている。全員に慈悲を与えることができるわけじゃない。」
「ラインさん。神様を否定しちゃいけませんよ。」
やけに間延びした声が返ってくる。
「王子……聞いていたんですか?」
「うん。ラインさん。神様が全員に慈悲を与えたらどうなると思う?」
「えっ、どうなるって……。」
「ある種平等の世界になっちゃいますよ〜。」
ある平等の世界。それは手の長さや足の太さ、喋り方や境遇、顔立ち、そして性別までもが
平たくて等しい世界。ラインと剣のはクリアの発言に何も言えなかった。


大聖堂から出て、暫く3人はベンチに座り、辺りを見ていた。屋台が多く出回り、近くにある
テーブルに座って食べる物もいれば、歩き食いをしている者もいる。
クリアは物珍しそうにアイスクリーム屋を見ると、チラっと剣のほうを一瞬だけ見る。
「どうかしたのか?」
剣の声に期待と欲望を抑え、いつもの口調で話す。
「えっ、気付いていたんだ。」
「欲しいのだろう?」
「えっ……そ、そこまで。」
ごく自然そうにリアクションを見せても、剣に買いたいな視線を浴びせたのは本当のことである。
ワガママが言えないわけではないが、何処か躊躇いがクリアにはあるのだ。
「王子、手を出してください。」
「えっと……こう?」
右手をラインの前に出す。ズボンのポケットを探り、クリアの手のひらに置く。
「これで足りるでしょう。」
「いいの?」
「ええ。視線がずっと浴びせられるのよりはましですよ。あ、俺の分もいいですか?」
「はい、いいですよ。それで……何味がいいですか?」
うーんと暫く考えると、王子の選んだ味なら何でも、とクリアに判断を委ねる。クリアは
随分と困ったような顔を見せたがはい、と一言言うと屋台の元へ向う。
その様子をラインは面白そうに眺め、剣はラインに軽蔑ともいえる視線を送る。
シスターの後ろにクリアは並び、一度剣達のほうに振り返る。
ラインは無責任にもクリアに軽く手を振り微笑。クリアは愛想笑いを見せると、
ラインたちにまた背を向ける。
「180E(エミリア)です。ありがとうございました。」
お金の単位もエミリアとは――よくコインを見ているとエミリア神がコインに彫られている。
まじまじとコインの裏表を見ていると、屋台から女性の可愛らしい笑い声が聞こえた。
「そんなに珍しい?」
「あ――い、いえ。その――」
言葉が詰まる。言えない、まさか生まれて初めてこのコインを見る、だなんて――。
クリアは何を言えば分からなくなり、思わず口を閉ざし、話す言葉を失い、そのまま
1人赤面していた。
「古都国とレインボー王国は違うのよね。コインが。」
「えっ……?」
「古都国はエミリア様のお仲間であった永徳様の槍をモチーフとしたコイン。レインボー王国は
マグナム様なの。」
女性の髪がふわりと風によって靡く。顔立ちが特別綺麗、と言うわけではないのだが笑顔が
とても愛らしいとクリアは思う。その笑顔が一瞬ミルキィに見えて――ただ呆然と見ていた。
「ああっ、ごめんなさいねっ。つまらなかったでしょ?」
クリアは慌てて言葉を探して声に出す。
「いえ、そんな事ない、です。寧ろ楽しかったですよ。」
「そう?」
「そうです。」
女性はまた笑顔に戻り、ご注文は?と愛想のよい笑顔をクリアに見せた。
「1つが上からバニラ・チョコ・抹茶のトリプルアイス。1つがチョコミントとりんごのダブルを
下さい。」
慣れた手つきで女性はコーンにアイスを次々と乗せる。
「お値段は450Eです――ありがとう。」
クリアは金を透明の台の上に置き、背中を女性に見せると、またベンチのほうに戻ってゆく。
聞こえるのは女性の声。
「ありがとうございました。また来てね〜。」
手を肩の辺りで振り、また客の相手を始める。
「うっわ……。」
慎重に慎重に、と自分の心に言う。流石にアイスを乗せすぎたのか足元が覚束ない。
手も少し震えているようだ。
ラインと剣はまた睨みあいをしている。多分クリアのことについて色々なのだが――
(2人とも口喧嘩しないでよ……)
本人は相変わらず無自覚のようだ。
「おっと。」
右に持つ三段アイスがぐらり、と落ちそうになる。クリアは慌てて体制を整えた。
今度は左に持つアイスが随分と重く感じる。クリアはバランスを取りながらゆっくりと
歩く。
周りが段々とざわつき始めた。
「僕の様子を見て笑ってるんだ……。」
ポツリとクリアは呟く。だが笑いはクリアのほうに向いているとも取れるし、向いていないとも
取れる。
「早く戻らないと……。」
剣がくないを出し、ラインが大剣を鞘から出し睨みあい。武力行使には及んでほしくない。
クリアは2人の元へ向かう。
更に笑い声が大きくなる。後ろから図太い声と、女性の声。
(さっきの女の人……ううん。それより少し低めかな――)
段々と物音が聞こえてくる。
「坊主。」
「はい?」
横から男がクリアに声をかける。
「そんなに鈍いと踏み潰されるぞー。」
注意をしているのだが、相手は面白さを隠しきれていない。
「えっ?何のことですか……?」
「後ろ後ろ。」
クリアは後ろを向くと、白鳩が次々と空へ舞う。
「後1時間ちょっとは休ませろイリーヤ!」
「何が後1時間だよこの下手糞召喚師。」
「俺は格闘家だ!」
段々と男女の声が大きくなって、クリアのほうに向う。
「は、早くどうにかしないと!」
「坊主、俺は残念ながら用事なのでじゃっ。」
男は颯爽と近くにあった馬車に乗ると、何処かへ行ってしまった。クリアはただ呆然として
もう一度後ろを向く。
「ひぃっ!もう此処まで来て――」
後ろを向いた瞬間、右足からバランスが崩れる。
「へっ?」
「マオン!前!人、人――……。」
マオンと呼ぶ女性の声を聞こえていないのか、男は大きな足音を立ててクリアに
突進してくる。バランスを崩しそうな上、男が自分のほうに向っていく。
絶体絶命、こんな無様な死に方は絶対にしたくない。
だがクリアのバランスは大きく崩れ、頭を打ち付けそうになる。
ギャラリーは騒然とし、喧嘩をおっぱじめようとしていた2人もそれに気付く。
「クリア!」
「王子!」
慌てて2人は駆け出す。だが――時既に遅し。
「あ………あ、あの。」
クリアの頭を手のひらで受け止め、間一髪で彼を救った。傍から見れば男が男を
襲っているようにも取れなくはない。
2段アイスのほうは地面にべっちょりと落ちている。もう一方のアイスは、クリアの服や顔に
こちらはべっとりと付いてしまう。
「――大丈夫、か?」
「あ……うん。大丈夫……。」
「ならいいんだ。」
悪ぃ、とその場から離れようと手を放すが
「ぐえっ。」
襟首を掴まれ、後ろから圧倒的な凍てつく声と視線がマオンに当たる。
「イリーヤ……それにお前はライン=カークランド!」
「よぉ、マオン。久しぶりだな。」
声は嬉しそうなのだが、無理矢理作った笑顔に翳りが見える。剣はクリアに駆け寄り
「大丈夫か?」
とクリアの横にしゃがむ。
「何とかね……体を打ち付けることはなかったけど、アイスが――」
クリアはハンカチを出すも、それもアイスのせいで随分と汚れていた。
「これを使え。」
「あ……ありがとうって抱き起こさなくていいよ!」
ハンカチで大急ぎで拭き、ラインの後ろに隠れる。
「クリア……。」
拒否されたことが少し悲しい剣。イリーヤはクリアという言葉を聞き、クリアに
目線を移す。
「クリア?あなたがまさか……クリア=レインボー王子?」
「どうして僕の事を……?」
イリーヤはすぐさま自分の名刺を取り出す。
「私はイリーヤ=ボイス。手紙はもらいました。この子は王子マオン。」
「この子って俺はお前と同い年なんだぞ!?」
えっとクリアは目を丸くした。
「同い年……?」
「ああ、成長は止まってるけどな。」
「そんな事はどうでもいいでしょ?とにかく――あなたが王子なら話が早い。今すぐ城まで同行して
くれない?」
「いいでしょう。」
剣がクリアの背後から話しかける。
「丁度俺もあなたに用事がありました。マグナム国王から手紙を渡そうと思って。」
「ああ――例の手紙ね。ここじゃ……厄介だね。」
イリーヤは話す。各国の市民はマグナムにもう1人王子がいることを知らない。マグナムが
緘口令を出したからだ。
「今、あなたの存在が分かると王族の名誉が傷つけられる。マグナム王はそれを恐れているのよ。
勿論、あなたにも批判と同情の矛先が突き刺さる。それに――レインボー王国の名誉が傷つくことは、
私たちも恐れているの。」
「どうしてですか?」
「市民からの改革要請が来るわ。下手をしたら革命が起り、内乱。王国側も私たちに召集を
命じる。エミリア・エスコリアルはレインボー王国よりも力はないし、発言力も比べるとなれば低いわ。
世界規模では高いけどね……。最悪、王族は殺され民主国、若しくは革命者がトップに立つ。
それだけは何としてもやめてほしいわ。」
イリーヤは一息つく。
「仮にそれが起っても、援助がなかったら無理ね。いくら革命者と言えども、完全に統治するまでには
遙かな時間と費用を要する。それに、王族は事実上の者。でも革命者は同じ位の人間なんだよ。
絶対的な力を持っていないものに国が治められるわけがない。」
「はぁ〜……すごいですね。イリーヤさん。」
「そんなわけないけど……。」
「イリーヤは凄いんだぜ!かつて学校にいたときテスト、ほとんど満点だったんだ。」
「それに比べてあんたは追試赤点ばっかりだったけどね。」
嫌味を効かせて行くよとマオンの腕を引っ張る。マオンはそれにつられ、イリーヤに
引き摺られて行く。イリーヤは踵を返し、3人を手招きする。
「王子、城についたらシャワールーム貸すね。」
「いいんですか?」
「だって王子、アイスでベトベトだよ?」
服には色とりどりのアイスがぶちまけられている。
「あ、そっか。」

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