ウェルカム・パーティ 1 栃木のあるモーターショップ。そこが東堂塾生の集合場所だ。 陽が山の陰に隠れようとしているのを横目で見ながら、大輝はそこに向かった。 ショップの駐車場に車を止めると、珍しい人影があった。 舘智幸。 もともと伝説と謳われていたその男は、プロの道に入ったことでさらに塾生の憧れの存在となっていた。 「トモさん」 「よお、大輝か」 背中から声をかけた大輝を振り返り、智幸は軽く手を挙げた。愛想があるとは決して言えないが、それでも付き合いが長い大輝にとっては彼が自分との再会を喜んでいることが読み取れた。 「久ぶりですね。どうしたんスか?」 「それはこっちの台詞だ。お前らまた何かやったのか?」 「え?」 「いきなり携帯に電話かかって来た。酒井から。ちょうどこっちに帰って来ててな。今すぐ来てくれってよ」 「はぁ…。実はオレもなんスよ。今日は定例の日じゃねぇのに」 「お前もか。何かあったかな」 話をしながら二人は店に向かった。 ところが、店のガラスのドアには『CLOSED』の文字が掛かっている。店内には明かりも付いていない。 互いに顔を見合わせ、試しにドアを押した。すると、どうやら鍵はかかっていなかったらしく、ドアはすんなりと開いた。来客を知らせるカウベルがやかましく鳴り響いた。 一階フロアには人影は無く、タイヤや部品が転がっているだけだった。 いつもは社長とそれから知り合いが一人くらいは居る場所だが、今日は寒々とした雰囲気を放っている。 階段の方に明かりが見えた。二階から漏れてくるようだった。 二階には事務所がある。 事務所にはエアコンの他に社長が持ち込んだストーブがあって、給湯室もある。 おまけに身体を伸ばせる程のソファも置いてあり、仮眠するのには丁度良い場所だった。 大体の塾生はこの店に来ると、くつろぐ為に二階へ上がるのが常だった。 「トモさん。早かったですね。大輝も一緒か」 階段の上から声をかけたのは酒井だった。智幸と大輝を呼び出した男だ。人当たりの良い笑顔を浮かべながら智幸たちに上がるように促した。 「何かあったのか」 階段を昇りきると、そこには見慣れた顔が五つあった。塾のOBが三人と現役生が一人とそして、酒井。 「よぉ、トモ。元気そうじゃねぇか」 OBの一人が声をかける。確か佐伯という名前だ。現役時代からジムに通っていて、智幸も何回か一緒にどうだと誘われたことがあった。体格だけは良い男だった。 「悪りぃな。お前が帰って来てるっていうから、つい会いたくてよ」 ニヤニヤしながら声をかけてきたのは、鎌田という男だ。この男はニヤニヤと締まらない顔をしている記憶しかない。その隣にいるのは林田。この男はトラックの運転手をやっていると聞いたことがある。鎌田も林田も、佐伯とつるんで居る事が多かった。 OBを見回して、最後に現役生と目が合った。軽く会釈したのは田原という名で、社長が可愛がっている新人の一人だった。智幸はまだ2回しか会った事がなかったが、目の色素が薄く綺麗な茶色をしていたので覚えていた。 (OBが酒井に電話させたのか…。) 智幸は露骨に顔をしかめた。あまり見たい顔では無かった。 大輝にも状況が呑みこめた。OBたちがまた我侭を言い出したのだと。塾を出てからも、彼らは何かと干渉したがる。それはいつもの事だった。 けれど、それなら智幸だけを呼び出せばいい。大輝は何の為に自分は呼ばれたのかまだ理解出来ずに居た。 「あんまり現役を困らせないでやってくださいよ、先輩方」 智幸は溜め息混じりに言った。 すると佐伯は口元にニヤリ、と嫌な笑いを浮かべて言った。 「困らせる?とんでもねぇ。だって…」 智幸の隣に居た酒井が、いきなり智幸に鳩尾に拳を食らわせる。 「ゥ…ッ!」 不意打ちの衝撃に智幸は腹を押さえて倒れ込んだ。 その智幸の髪を佐伯が掴んで上を向かせた。 「俺たちはこれからセンパイとして、コウハイに楽しいことを教えてやるんだからな」 大輝は状況が把握できないまま立ち尽くしていた。 智幸の周りにOBたちと酒井たちが集まり、智幸の手足を押さえつけた。 「トモさんに何するんですか!?」 大輝は混乱しながらも、場の異常な空気を読み取った。 「はっ。何するかって?トモは解ってるみたいだぜ?俺らの時期の塾生だからなぁ?」 林田は組み敷いた智幸を見下ろしながら言った。 「!」 智幸は何かに気づいたよう眉を寄せる。 「どういうコトですか…トモさん…」 それに答えたのは智幸ではなく佐伯だった。 「いまの現役は知らねぇようだが、俺たちの頃の東堂塾には通過儀礼があったんだよ」 「通過儀礼…?」 「それはなぁ、」 もったいぶる佐伯の言葉を続けたのは酒井だった。 「『歓迎会』だよ」 「歓迎会?」 佐伯は不敵な笑みを浮かべた。 「新入生を喜ばせてやろうってセンパイからの心温まる配慮だ」 「そんなの、今だって・・・」 「今の歓迎会なんてただの飲み会じゃねぇか。俺たちのころは、もっと楽しいイベントがあったんだよ」 「そう。センパイがコウハイになめられないようにする為の、な」 OBたちはクツクツと笑っている。 (なんだよ、気持ち悪いな・・・) 大輝は、苛つきながらOBの言葉を待った。 「ま、早い話乱交だよな、あれは」 「俺たちは新入生を味見していいことになってた」 「味見って・・・」 「可愛いケツにぶち込んで悦ばせてやるんだよ」 男たちはまた下品に笑い出した。 大輝はその笑い声に強い嫌悪を感じていた。 「なんスか、それ。ふざけるの止めてくださいよ」 「オマエは知ってるよなぁ、トモ」 大輝言葉に釣られて智幸の方を見た。 一瞬、大輝と目が合ったが、智幸の瞳は忌々しそうに逸らされた。 「トモさん…?まさかこいつらの言ってること…」 智幸の様子を見て、大輝は息が詰まりそうになる。 (本当なんですか?) そんなこと簡単に信じることなどできなかった。信じたくなかった。大輝は自分に言い聞かせるように言った。 「そんなこと、聞いた事無い。デタラメもいいとこだ。いい加減にしてください」 「あたりまえだ、それはコイツ」 佐伯は智幸の顎を掴んで上を向かせ、唇をペロリ、と舐めた。 「っ!」 智幸は咄嗟に顔を背けた。 「トモが止めてくれちゃったんだよなぁ。社長と取り引きをして」 「取り引き?」 「コイツは社長にチクりやがった」 智幸の腕を押さえつけている鎌田が言った。 「もちろん、俺たちが何をしてたかを社長が知らないわけねぇのにな。黙認だったんだよ。けど、トモは社長の”お気に入り”だったからな。社長は俺たちに止めさせることを口実に、トモを愛人にしたってわけだ。なぁ?トモ?」 智幸は目を逸らしたままだった。 あんなことはあってはいけなかった。速く走りたいと思って入塾してくる若者に最初に与えられるものが屈辱だなんて。 「そう、トモは”お気に入り”。歓迎会以来、こいつに手ぇ出そうとした奴は塾から追放されてるんだ」 「俺らはラッキーだったよなぁ。あの歓迎会に居た塾生だけだぜ、プロレーサー舘智幸に楽しませてもらったのは」 そう言うとOB達は、さも楽しそうに声を出して笑った。 「まったく」 酒井が口を開いた。 「余計なコトしてくれましたよ、トモさん。そんな楽しい歓迎会を消してしまうなんて」 大輝は酒井の言葉が信じられなかった。 「おまえもそう思うだろ?大輝」 いきなり話の矛先を向けられて、大輝は困惑しながらも酒井を睨みつけた。 「酒井さんマジで言ってるんスか?冗談でしょ」 吐き捨てるように大輝は言った。どうやら佐伯達の言ってることは本当らしい。智幸の顔を見れば認めざるを得なかった。大輝は目の前にいる男たちのバカバカしさに怒りを覚えていた。 「…大輝、お前ならわかると思ってたんだけどな。見込み違いだったか」 酒井は氷のような瞳をして大輝を見つめた。 「帰れ」 もう一度、酒井が大輝に向かって宣告した。 「帰れよ、大輝」 大輝は酒井を思い切り睨みつける。 「帰ろう、トモさん」 「おっと。勘違いすんなよ。帰るのはお前だけだぜ」 「トモと再会を楽しませてくれよ」 大輝は智幸に近づこうとしたが、酒井が前に立ちはだかった。 瞬間、左頬に強い衝撃を受けた。 「…いいんスか?オレ、このことみんな言いますよ」 佐伯は笑って言った。 「はっ!言えよ。誰も信じないぜ。さっきのお前みたいに。OBと現役の言葉、どっちを信じるべきか、それくらいあいつらにもわかってるはずだ」 大輝はぐっと拳を握った。 どちらの言葉を信じるべきか。それが事実で無くとも。 東堂塾では上下関係は絶対で、とくにOBには逆らってはいけない暗黙のルールがあった。逆らえば、もう栃木の峠では走れなくなるかもしれない。 酒井がもう一つ大輝の顔に拳を食らわせると、バランスを崩しその場に倒れ込んだ。 唇の端に熱い痛みを感じた。切れてしまったようで、そこから血が滲んでくるのがわかった。 (ちくしょー…、情けねぇ、) 酒井は大輝の腕をぐい、と掴むと、無理やり引っ張りながら階段を下りて行った。 「これで楽しめるなぁ、トモ」 「大輝のやつ、もったいないことしたなぁ」 彼らの楽しそうな声とは裏腹に、フロアには緊迫した雰囲気が漂っている。 「俺さぁ、忘れられなかったんだよね。トモのアノ顔」 「あー、分かる分かる!こいつプライド高いからさ、そういう奴が突っ込まれて耐えてんのとか堪んねぇよなぁ」 「なぁ、トモ。社長にはどうやって可愛がってもらってたんだ?まだ続いてるのか?」 智幸はただ黙って歯を食いしばって耐えるしかなかった。卑猥に笑うこの雄たちの声を聞かないように。 「あの歓迎会、やっぱりヨかったよなぁ?」 「車大好きですって感じの18・9の野郎はさ、アレで男知る奴も多くて。ほとんどが」 「ヴァージン!!」 「ははははっ!!」 三人の男が下品に笑う。こいつらと仲間に、当時の塾生は犯されてた。自分もその中の一人であることが忌々しかった。 こいつらにすればただの暇つぶしに過ぎなかったのかもしれない。けれど、耐え切れずに塾を辞めた者も多かった。ただ、純粋に走りたいだけだったのに。 「さて、楽しませてもらうぜ?」 男達の目が智幸に集中する。 智幸は嫌な汗が頬を伝っていくのを感じた。 |