君がくれたお菓子


ドアを開けると、ふっと食欲をそそる匂いがした。

キッチンを覗くと、そこには涼介が居た。
鍋の様子を見ながら、サラダを盛り付けているところだった。
「あれ、今日アニキが作ってるのか?珍しいな」

涼介は、啓介の顔を見て言った。
「今日は特別だからな。早く手洗って来いよ」
「ん、」

啓介はリビングのソファの上にバッグを放り投げると、そのままバスルームの方へ足を向けた。
手を洗っているときに、は、と自分が習慣ついていることに気づく。
帰ってきたらうがい、食事の前には手洗い。
高橋家のルールだった。
(アニキもな、手洗ってこいなんて・・・まだ俺のこと子供扱いだよな)

さっきの匂いからして今日のメニューはクリームシチュー。
啓介は涼介の作る料理はどれも好きだった。中でも特にクリームシチューは絶品で、好物だった。
母親のシチューの味とも違い、涼介のオリジナルなのだ。

リビングに戻ると、もうダイニングテーブルに料理が並んでいた。
テーブルのひとつの角を使うようにして、料理は二人分。
真ん中には普段は見慣れないものが立っていた。
「何、今日ロウソク使うの?」
久しぶりに見るロウソク立てを小突きながら、啓介は訊いた。
クリスマスとか、誰かの誕生日のときに出してくるものだ。
5本のロウソクを立てられるもので、中世のどこかの城で使われていたものだそうだ。今は霞んでしまっているが、 昔は美しい金色をしていたのだろうと思われた。
高橋家にあるこういったものは、細かい演出が好きな母が趣味で集めているのだ。

「たまにはいいかと思って出してみたんだ」
「ふうん」

「ワインとシャンパン、どっちにする?」
「え、アルコール?」
「せっかく俺がシチュー作ったんだぜ?今日は俺の演出で食べてもらうぜ」
啓介はアルコールに強くなかった。飲めない程ではないが、アルコールで顔が火照る感覚に慣れなくて、率先して飲みたいとも思わなかった。
でも今日は、兄が何故か演出に凝っているようなので どちらか選ばなければならないだろう。
シャンパンなら何とか飲めそうだと思い、
啓介は少し考えて、シャンパン、と答えた。

ロウソクに火を付けて、リビングの明かりを消した。
涼介は自分にシャンパンを注いでくれた。
兄が何を考えているのかわからなくて、少し顔を覗き見る。 ロウソクの明かりで照らされた横顔はとてもキレイで、睫毛が頬に影を落としていた。視線に気づいた兄が、何だ、と言ったので啓介は笑ってこまかした。

「乾杯」
軽くグラスが音をたてる。
啓介はシャンパンを一口飲んだ。
「!」
いつもよりも明らかにアルコールが強い。
「アニキ、これ・・・」
「ああ、シャンパン無かったから白ワインにしたんだ。悪いな」
(〜〜〜!早く言ってくれよ・・・)
ワインの味がまだ解らないようで、美味しいとは思えなかった。

気を取り直してシチューを頂くことにした。
「!・・・うめぇ」
その声に涼介は、当たり前だ、と返した。
シチューも美味しい、付け合せのパンも美味しい。
このパンは、埼玉の小さなパン屋で作られたものだ。
兄が前にふらっと買ってきてから、母が気に入ってよく買いに行くようになったのだ。

自分の兄ながら、いろいろとマメな人だと思う。
女の好むような店とか、プレゼントとか、何気なく把握しているところが素晴らしいと感心する。
誇示するような感じでは無いので、また嫌味でない。
そして、涼介は全てが画になる。
スプーンを口に運ぶ仕草も、時折目を伏せた顔も。


涼介の顔を見ながら、そんな事を考えていたら目が合ってしまった。啓介は慌てて目をそらした。
(今、不自然だったよな・・・)
啓介は照れ隠しにぐぐっとワインを飲み干した。

「なー、これ隠し味に何使ってるんだ?」
啓介はシチューをすくいながら訊いた。
啓介も多少は料理をする。
両親が忙しく働いているので、兄弟2人の食卓は珍しくない。 いつも用意してくれる兄の負担を少しでも軽くしようと思って、 料理をするようになった。

「隠し味は・・・言えないな」
「なんでだよー」
啓介は拗ねながら涼介の顔を覗き込んだ。
「いいだろ、教えてくれたって。誰に言うわけでもねーし」
「ホラ、お前飲めよ、1本開けたんだから」
涼介は啓介がやっと空けたグラスにまたワインを注いだ。
「う・・・」
啓介は、うまくはぐらかされたようだ。
「いいから、今日は付き合えよ」
「アニキ、何かあったのか?」
涼介は答えずに、口元をふっと緩ませた。

それから、今日学校で居眠りしてたら教授に小突かれたことや、 昼に食べたランチの味がイマイチだったこと、先週提出したレポートが再提出と返されたことなどを話していた。
啓介は一方的に話をしながら、シチューをおかわりし、慣れないワインも思いのほか進んだ。
「そういえばさ、ここんとこケンタが学校に毎日迎えに来るんだぜ。それで峠に連れてかれてさ。アイツ、頑張ってんだぜ。俺教えるのあんまりうまくねーからさ、アニキ、今度見てやってくれよ」
「そうか、わかった」

「なー・・・アニキも何か話せよ」
啓介は酒の勢いからか、自分が饒舌になっていることに気づいた。
「啓介の話を聞くのが好きなんだ」
兄は穏やかに返してくる。
「・・・」
自分が話すのを止めると、くらっと眩暈がした。
ワインボトルに目をやると、もう空になっていた。

(やべ、飲みすぎたかも)
「啓介、平気か?」
啓介は頷いた。
「俺、アニキとこうやってちゃんと話するの久しぶりだからさ・・・、なんか気持ちよくなって、ベラベラ喋ってばっかだ・・・。ボトルも空だし。・・・アニキも何か話してよ」
自分でも何言っているのか解らなくなってきた。

「そうだなー・・・じゃぁ隠し味、教えてやるよ」
「シチューの?」
「そうだ」
「え、何?」
啓介は少しふらつく頭を覚醒させようとして左右に振った。
そして涼介の顔を覗き込んだ。
ふいに顔を上げた涼介と視線が重なった。
「隠し味は、ひとつだけ挙げるなら・・・」

涼介の顔がだんだん近づいてくるのがわかる。
でも、避けられない。

目の前に涼介の顔が来て、唇が重なった。

(なんだこれ?柔らかい・・・)

涼介は微笑んで言った。
「アイジョウ」

(愛情?)

「アニ・・・」
アニキ、そう言おうとしたとき、再び啓介の口は涼介のそれによって塞がれていた。

(どうしよう、俺、アニキとキスしてる・・・本当に?)
啓介は頭の中でぼんやり考えていた。
(どうしよう、どうしよう)
そして、目を瞑って、涼介の唇の感触に集中した。

(どうしよう、すっごい気持ちいい)

「啓介、今日、なんの日か知ってるか?」
「今日・・・?」
(今日は、10月31日だから・・・)
(・・・)
もしかして、街で飾り付けられていたあれだろうか。
魔女やカボチャのオレンジと黒の飾りが付いているのを、商店街やらデパートやら、そこら中で見た気がする。
「・・・ハロウィン?」

「そうだ」
涼介はニヤりと口元で笑うと、
ふっと、テーブルの上のロウソクを吹き消した。

「あ、アニキ?真っ暗・・・」
そのとき、誰かの、いや、兄の息を自分の首筋に感じた。

「お菓子くれないと、イタズラするぞ」
「お、お菓子?」
(アニキ、急に何を言い出すんだ・・・)

「ここにあるの、貰っていいか?」
「え?」

すると、また唇に柔らかい感触がした。
今度はさっきと違って、暖かい湿ったものが、啓介の口を開こうとしていた。
啓介は促されるがままに口を開いて、入ってこようとするものを受け入れた。
唇を甘噛みされて、離れてはまた塞がれて。ゆっくりと、何度も何度も繰り返された。

ふいに、唇が開放された。
けれども兄の気配はすぐ目の前に感じる。
コツン、と額と額が当たった。

兄が笑いを堪えているらしいのが額から伝わってきた。
「今更、ハロウィンもねーよなぁ」

「あ、アニキ・・・」
確かに、20を過ぎた男同士で、ハロウィンなどと言っているのは変かもしれない。

「お菓子だけ、なんて、子供じゃねーんだからなぁ?」

「?」

「啓介、こっちおいで」
涼介は啓介の手を取ると、暗闇の中をリビングの方へ歩いていった。
ソファに啓介を座らせると、涼介は楽しそうに言った。

「イタズラしないと、物足りないだろ?」

啓介は、涼介の手が自分のシャツの中に入り込んでくるのを感じた。
涼介の指は、胸の突起に絡まり、甘く愛撫を始めた。
「っ、アニキ!」

今度は、首筋。
暗闇の中で、涼介の影が近くなるのがわかった。
涼介は啓介の首に唇を当て、軽く噛んだ。
啓介は涼介の息がくすぐったくて、くすくす笑いながら言った。
「ドラキュラ・・・」
「ん?血ィ吸って欲しいか?」
涼介は啓介の肌にキスの雨を降らせる。

「啓介、ドラキュラの誕生、知ってるか?」
涼介は指で啓介の乳首を転がしながら、穏やかな声で訊いた。
「っ、何・・・?」
啓介は涼介の与える刺激に慣れようとするのがやっとだった。

「昔、一人の男と一人の少年が出会った。男は少年を見て、一目で恋に落ちた。それから二人は愛し合うようになるまでに時間はかからなかった」
涼介は、眠れない子供を寝かしつける話のように、啓介に話を聞かせる。 しかし、寝かしつけたい筈の子供の身体を、涼介は愛撫し続けていた。

「ところがある日、少年は流行病にかかった。男は一生懸命少年を看病したが、少年は死んでしまった。その後、少年の死を悲しんだ男は、少年の遺体を貪り食ったんだ。それが始まりだ」
啓介は、愛撫に耐えながら黙って聞いていた。
涼介はポツリと呟いた。
「・・・男は、少年を自分の中に閉じ込めておきたかったのかもな」

「アニキ・・・」
「俺も、お前が死んだらドラキュラになるかもしれないぜ、啓介」
涼介は啓介の瞼にひとつキスを落とす。
「俺、アニキが俺以外の人の血飲むのやだよ」
啓介の言葉に、涼介は笑った。
「お前以外のヤツの血を吸うくらいなら、飢えて死ぬよ」
啓介の唇に人差し指を当てて涼介は言った。

「安心しろ。ハロウィンの夜には、お菓子あげときゃモンスターは帰るんだぜ」

それから、ひとつやさしいキスをした。


Trick or Treat?




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