当然のことながら、僕たちは裁かれることになる。
バリウラスの人々を帰すべく、アクシュラと交渉を始めてくれただけ、兄様は寛大だったと言えるだろう。皇帝に反逆したのだ、首謀者の1人と見なされる僕には、それなりの罰が下されるだろうと、僕は静かに待っていた。
それから数日が過ぎて、僕は、生きて北のナーガル地方へと流されることに決まった。
僕は、生かされていることを素直には喜べなかった。僕のために命を落とした人があんなにもいるのに、僕だけ生きていていいのだろうか、と。
それに、「どんなに辛くても迎えにいくまで諦めずに待て」という、あの言葉。あの言葉を信じるのなら兄様に、また会える。生きていれば迎えに来てくれる。でも。
僕は生きていれば、兄様の邪魔になる。だから、あの時片付けようと思ったのではないか?
けれど、生きていたいと思った。兄様にもう一度会いたい。あの言葉を信じたい。
だから、どんなに辛くても兄様を待ち続けようと思った。
それから、更に一年が過ぎて。
僕は荒れ果てたナーガルの大地で植物を育てていた。
僕はナーガルの領主の屋敷に部屋をもらって住んでいた。もう皇族ではない、ただの下働きの1人として扱われる。僕は、今ではアリューシャではなくアルと呼ばれている。僕の所在は極秘とされていた。
人間、どんな場所で何が役に立つか分からないものだ。都では全く役に立たないと思われた植物学。そんなものを学ぶより戦術や政治を学べと父には散々言われたけれど、僕はその分野が好きだった。その知識がここに来て役立っている。
都では、サヴィーナ姉様がとうとう懐妊なさったらしい。兄様の喜びは、いかほどのものであっただろうかと、僕も複雑ながらも嬉しく思った。
それに伴う、恩赦。
皇籍を剥奪され国外追放となっていた父と母は、帝国に戻っても良いことになった。その時になって両親の存命を知った僕だから、今どこで何をしているのかなど、知らない。
そして、同じく皇籍を剥奪されて辺境に流されていた僕、アリューシャに関しては、皇籍復帰の上、都へ帰還することを許された。
しかし、それと同時に知らされるアリューシャの訃報。
僕は決して死んではいないのに、アリューシャはすでに死んでいたことを皇帝が確認したという情報が帝国中に流れた。
僕はもう一度兄様に会うことを諦めた。けれど、諦めずに待っていろ、と言われたことをどうしても忘れられなくて、今もまだ、兄様が迎えに来てくれることを夢見ながら植物を育てている。
都にいる時は土いじりなんかしたこともなかった。いつも綺麗に整えられていた爪には泥が入り込んでボロボロになっている。乾燥して滅多に雨の降らない土地だから水は貴重で、手を洗うことはおろか入浴も滅多にできない有様だった。おかげで、僕は常に泥臭い。
そんな僕を仮に兄様が見たら、一体どんな顔をするだろうか。
どんな扱いをされてもいい。もう一度会えれば。
「アリューシャ」
今では、誰も呼ばない本名を、懐かしい声に呼ばれた。
僕は、俄かには信じがたく、恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、記憶と何ら変わらない、優しい微笑を浮かべた兄様。
「…陛下」
「迎えにきたよ」
夢でも見ているのかと思った。だって、あの時兄様は僕を見捨てたはず。でも、相変らず照りつける日差しは熱くて僕は泥臭い。夢とは、こんなにリアルな感覚を伴うものだろうか。
「おいで。アリューシャ」
手を差し伸べられて、覚束ない足取りでふらふらと兄様の元に向かう。まるで、甘いものに引き寄せられる蟻のようだと、我ながら思った。
すぐに、抱き締められてキスをされた。
「陛下」
「シュリ、だ」
「…シュリ兄様」
「私の甥のアリューシャは死んだ。お前は、視察に出向いた先で見付けて、気に入って側室に迎え入れる少年だ」
何を言われているのか分からなくて、僕は兄様の表情を伺う。
「それでいいのなら、都に戻ってきてくれ」
「にいさま」
「辛い思いをさせてすまなかった。だが、アリューシャが生きていると分かれば、またお前を担ぎ出して利用しようとする輩が現れないとも限らない。これからお前が平穏に暮らすためには、私の側に置いておくためには、こうやって、お前の存在を消すしかないと思った」
だから、兄様はあの時僕をあえて陰謀の渦中に放り込み、裁いたのだと僕はようやく理解した。
僕を、守るために。僕を側に置くために。
「でも、何度も後悔したよ。お前のことは常に報告させていたけれど…とても心配だった。土なんか触れたこともなかっただろう?それなのに、植物を育てているなんて、と怒鳴ったのも一度や二度の話ではない」
「でも、それは」
「知っているよ。ここは随分と潤いが増した。お前の功績だろう?」
そういって兄様は僕が作った畑を見て目を細めた。そこには、乾燥に強い花々が力強く咲き誇っている。
「ここで花が咲くところを初めて見たよ。頑張ったな」
こんなに泥だらけになって、と兄様は笑いながら僕の指先に口付けた。
「き、汚いです」
慌てて手を引こうと思っても僕の体は兄様の胸に抱きこまれている。しかも、優雅だけれど軍神と称えられる兄様に、ひ弱な僕が力で叶うわけもない。しっかりと握られた手はびくともしなくて、すぐに僕は抵抗を諦めることになった。
「随分日に焼けたね」
「はい。体も強くなって、体調を崩すことも少なくなりました」
「そう、それは良かった」
兄様はにっこりと目を細めた。僕も嬉しくて、つられて笑う。大好きな兄様の笑顔。
優しい笑顔。この笑顔が見たかった。この人に愛されたかった。だから、今、僕はとても幸せなのだけど。
「アリューシャ、私の後宮に入ってくれるか」
唐突に言われて、僕は赤面する。
「後宮なら、お前を側に置いて守ってやることができる。お前には不本意なことだろうけれど…私はもう、お前を危険な目には合わせたくない」
後宮という閉鎖された空間。皇帝の訪れをひたすら待つだけの日々。
それは、きっと退屈な日々だろうと思うけれど、兄様の側にいられることの魅力の方が勝った。
「愛してる、アリューシャ」
「兄様…」
僕は泣きながら兄様の胸に縋りついた。
「兄様、にいさま…」
「お前を抱きたい」
耳奥に吐息とともに吹き込まれた一言は、熱く僕の脳神経を冒した。だから、朦朧としながら僕は頷く。
僕を抱き締める兄様の腕に力が籠もった。
「お前が壊れるまで抱きたい」
「…っ」
「お前の気が狂って、私しか見えなくなるまで抱きたい」
「兄様…っ」
恥ずかしくなって逃げ出そうとすると、言葉をまたキスで奪われた。
「何度言えば分かる。私の名はシュリだ」
「だって、だって、兄様…」
「兄様と呼ぶたびにキスしてやろうか」
「あ、あ、…シュリ…」
「可愛い、アリューシャ。何より可愛い私の花だ」
長い長いキスに僕は翻弄され、ついには陥落する。体は自分の体とは思えないほど力が入らず、涙は止め処もなく溢れ続けていた。
「…シュリ」
「ん?」
「僕は、幸せになっていいのですか」
僕の問いに兄様は…シュリは苦笑する。
「それは、一体どういう意味だ」
「1年前のあの事件で、命を落とした人が何人もいます。それなのに、僕は生きて、その上に幸せになってもいいのでしょうか」
「ふ、ん…」
甘い甘い表情から、一転。すぅっ、とシュリの顔から表情が消えた。
あまりの豹変振りに僕は恐怖すら感じる。
僕個人に対してシュリがこういう顔をすることはなかったが、実際見慣れている。それは皇帝としてのシュリの顔。
「ならば、生きて償え」
「え…?」
「死んで償うのは容易いことだが、生きて償うのは難しい。お前にできる贖罪の方法を考えろ。それに…失った命の重さを、罪の重さを感じながら生き続けるのは、そう幸せなことではないと思うがな」
僕は、答える言葉を失った。
多分、それはシュリもそうなのだと、思ったから。
「…帰ろうか、アリューシャ」
答える言葉もないままに、僕はシュリに軽々と抱き上げられ、馬車に運ばれた。
その時になって僕は自分が泥臭いことに気が付いて離して欲しいと懇願したけれど、あっさりキスで黙殺された。
それから数日して、懐かしい都へ帰還。僕は、「視察に出かけた先で見付けた身分のない少年」ということになって、後宮の一室と皇帝の側室という身分を与えられた。その夜はシュリの言葉通り気が狂うほど愛され、可愛がられた。
僕が与えられた部屋は、花の間。花は、名もなき花を意味し、身分や後ろ盾のしっかりしない、後宮では低位の愛妾が入る部屋だ。僕は「花の方」と呼ばれるようになる。
皇帝の後宮に入れられ、身分のない愛妾として扱われるなど、元皇太子としては非常に不名誉なことであっただろう。けれど、シュリの側にいられるなら、僕はもう、何でもいいと思えた。
皇太子・アリューシャはもう死んだ。けれど、「僕」は生きて贖罪の方法を探している。
僕は、これからそうやって生きていく。シュリの側で、名もなき花として。
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