第4章



 リシェラはディアンが仕えてくれることを返事としてくれても微かな不安を感じていた。
 一時のきまぐれだったら、どうしよう。
 私の気持ちを弄んでいるだけだったら。
 そんな気持ちを悟られないように気をつけながら暫く過ごしていたと思う。
 それもただの杞憂に終ったのだけれど。
 あれから二月経っても、ディアンが臣下を止めて城を出て行く
 様子はなく、あの一ヶ月間よりもずっと打ち解けているのを感じている。
 リシェラもディアンにすっかり心を許していた。



 胸元にラインストーンが花模様に飾られた真白のドレスを身に着けたリシェラは
 裾を持ってくるりと一回転した。その瞬間、小さな風が巻き起こる。
 今日は、三日後に控えているリシェラのバースディパーティの為の
 服を買いに来たのだが、年に一度のことだからかリシェラはやけに気合が入っている様子で。
 歳相応の顔ではしゃぐリシェラにディアンの顔に笑みが浮かぶ。
「似合う?」
「ええ、とってもお似合いですよ」
 リシェラが春の陽だまりといわれるのがよく分かる。
 柔らかな陽射しの下で咲く花。
「よかった。ディアンにそう言ってもらえたら安心ね」
「安心ですか」
「あなたのセンスは抜群だもの」
「では、足元を飾るものをお見立てしましょうか。このドレスに合うようなものを」
「お願いするわ」
 リシェラが期待に瞳を輝かせているのを見てディアンも自然と瞳が緩んだ。
「そういえば、何故王宮仕えの服飾師に作らせなかったんです?」
「お母様は服飾師に作らせているけど私は、色々注文つけたりするの 苦手だし、お店で買ってるの。
ここはいつも通っている贔屓の店なのよ。
オーダーメイドじゃない 既成のものから似合うものを見つけるのも一興でしょ」
 店員は固唾を飲んでこちらを見守っている。
 普通なら庶民の店で一国の王女が買い物をしたりしないだろう。
「型破りですね」
「あら、誉め言葉と受け取るわよ」
「ご自由に」
 忍び笑いを隠すように口元に手をやる。
 あの時断ろうとしたことが嘘みたいに思えているディアンだ。
 こんなに楽しくて仕方ない日々は生まれて初めてだった。
 店内を散策していると、目立たぬ場所にひっそりと置かれた赤い靴を見つけた。
 靴と同じ色の箱の上に置かれている靴は人形が履くような可愛らしいものだ。
 何故こんな奥の目立たぬ場所に置かれているのかと疑問に思い、
 店員の方に視線をやれば、慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「アンティークのドールシューズです。もう世界に一品しか
ない貴重な物ということもあり大変高価なので中々買い手がつかず、
ずっと売れ残ってたのですが、王女様にお買い求め頂けるのを
待っていたのかもしれませんね、この靴は」
 店員が一気に捲くし立てた。
 ディアンは試着部屋のカーテンの前にいるリシェラの方に歩いていく。
「いかがですか?」
「素敵…………」
 ディアンが足元に置いた靴をリシェラはうっとりした顔で見下ろした。
 すぐに自分の履いていたブーツを脱いで足を通す。
「これでよろしいですね」
 畳みかけるのは、すでにリシェラが心を決めている
ことを知っているから確認の意味だ。
「ええ」
「ドレスにとっても似合ってると思います。我ながら自分の選択が間違ってなかったなって」
 誇らしげな気分でディアンは言う。
 リシェラは大きく頷いて、靴を脱ぐと箱の中にしまった。
「着替えてくるからちょっと待っててね」
 ご機嫌な様子でリシェラは試着室に入っていった。
 衣擦れの音が聞こえる。
 ディアンは、彼女が出てくるのを手持ち無沙汰で待っている。
「…………ディアン」
「何でしょう?」
「背中の留め具を止めてくれないかしら。届かないの」
 リシェラが、カーテンの隙間から顔を覗けた。
「は!?」
 ディアンは無恥な王女の要求に赤面した。
 大人びた礼儀正しい態度でも、彼は王女と歳も変らない少年なのだ。
 一気に顔が染まってしまうのもしょうがなかった。
「申し訳ないですが、ご自分でなさって下さい。
俺…………いや私は女性のメイドじゃないんですからね」
「どうしても上手くできないの」
 まだ食い下がってくるリシェラにディアンは頭を抱えた。
 離れた場所にいる店員に話しかける。
「女性の店員の方はいないですよね?」
「残念ながら、私一人で経営しているもので」
 うな垂れつつディアンは、リシェラのいる方へ向き直る。
「分かりました。そのままでいて下さい」
 ディアンは目を閉じてカーテンの中へ入る。
 気恥ずかしさだけではない。
 本来、無礼でやるべきことではないのだが、リシェラの要求を突っぱねられない。
 何だかんだ絆されていた。
 狭い試着室の中、リシェラの後ろに回り恐る恐る腕を回す。
 細い腕の上に自分の腕を重なると指先で金具を掴んだ。
 金具が引き上げられたのが分かるとほっと胸を撫で下ろした。
 カーテンを開けて後ろ手に慌てて閉めるとようやく瞳を開く。
 背を向けて佇んでいたディアンは呆けていたのか、
 いつの間にか目の前にいるリシェラにはっとした。
「そんなに見たくなかったんだ」
 どう反応すれば良いのかディアンは迷った。
 はたしてこの王女には羞恥心というものが備わっているのか。
 あと1年くらい経った頃は、無難な対応ができるようになっているのだろうか。
「ディアン、難しい顔してる」
「リシェラ様は人の顔を見るのが好きですね」
「うん、大好き」
 悪びれもせず言うリシェラはこのうえなく愛らしかった。
 靴の入った箱と、リシェラからドレスを受け取ると、
「さあ帰りましょう」
 ディアンは微笑んだ。
 店員に代金を支払って店の外に出る。
 リシェラは軽い足取りでディアンの先を行く。
「馬車使わないのはリシェラ様だけですよね」
 王族や貴族など身分の高い者達は馬車で移動するのが一般的だ。
「ディアンが来るまでは馬車でおでかけしてたわ。
あなたが来てから、そんなの勿体無いなって」
「光栄ですが楽しいですか」
 自分の発言にはっとした。何てことを言ったんだろう。
 弾む足取りのリシェラが立ち止まり振り返った。
 ディアンはバツが悪そうだ。
「楽しくないことはしないわ。あなたもでしょ」
「そうですね、いつの間にかリシェラ様のペースに呑まれてしまったみたいです」
「やっぱディアンってかわいくない」
 どちらともなく笑った。
 街まで片道三キロの道のりは、普段城から出ないお姫様からしたら
 きついのではないかと思うのだが、リシェラは全然平気そうだ。
 傾斜のあるきつい坂道をリシェラはすたすた登っていく。
「ディアン、遅ーい」
 明らかに面白がっている様子のりシェラにディアンは苦笑いするしかない。 
「そんなこと言えなくしてあげましょう」
 からかいを含んだ口調。
 孤独に生きてきたディアンにとってこんな風に他人と接する事ができるなんて思わなかった。
 王女にこんな口を聞いても許される特別の存在。城内であっても態度が悪いと怒られはしない。
 笑っているリシェラを見たら心底楽しそうなのが分かるのだ。
 主従関係でありながら友達のような兄と妹のような二人を皆微笑ましい眼差しで見ている。
「え…………ディアン? 」
 優しく掴まれた手に何故か胸が高鳴った。
 にこにこと笑うディアンはもう出会った日の彼とはまるで別人。
 重なる手に導かれるように坂を登る。
 決して無理に引っ張るのではなく、歩幅を測って。
 足というよりも体が軽くてスムーズに前に進む。
 ディアンは空いた方の手に靴とドレスの入った袋を
   持っているのだが、片手を差し伸べるくらい苦ではない。
「後でばてたら大変ですよ」
 不器用な言葉にリシェラは軽く笑う。
「ディアン、成長したわね」
「それを言うなら変ったじゃないんですか」
「うーん、あなたの場合は成長で合ってると思うわ」
 お喋りしながらだとスピードが落ちるのだが、もう城は目の前だ。
 急く事はないと二人とも思っている。
「リシェラ様に子供扱いされるのは不本意ですが」
「私が子供だとでも」
「…………いえ」
 ディアンは口を噤む。馬鹿な。
 リシェラを傷つけてしまう事柄をどうして、言える。
 嗚咽を噛み殺す声を偶然聞いて部屋を覗いてしまったあの夜。
 このまま何もできずに歯痒い思いをするしかないのだろうか。
「15の誕生日が来るというのにぬいぐるみを手離せないの」
「リシェラ様」
「眠る時、うさぎがいなくちゃ眠れない」
 ふいの告白にディアンは戸惑う。
 リシェラは苦しそうな声音で自嘲する笑みを浮かべる。
「ご一緒にはさすがに無理ですけど眠りにつくまで側にいますから」
 たどたどしい口調は躊躇いが混じっているから。
「いいの…………」
 こんな弱々しい声を聞いて誰が逆らえる。
 ディアンは重ねた手の平に力を込めた。
「はい」
 瞼を伏せて頷いた。
「ありがとう」
 ディアンがいてくれて本当に良かった。
 リシェラの唇からするりと零れた言葉に照れながら笑うディアン。
「行きましょ」
 門番が城門を開ける。
 庭園の間の石畳の道を歩けば城の入り口に辿り着く。
 入り口を守っている兵士がリシェラに一礼し、扉を開けた。
 飛び込んでくる豪奢なシャンデリアの灯り。
 毛足の長い絨毯の上は足音を吸い取ってしまう。
「お帰りなさいませ」
 廊下を行き交う使用人たちがリシェラに声をかける。
「ただいま」
 軽く手を振って歩くリシェラの後ろにディアン。
 リシェラがずんずん先を行くので自然と後ろを歩くのが身についたのだ。
 勢いについていけなかっただけのだが、誰に言われるでもなく身に付いたのは幸運かもしれない。
 リシェラが自室の扉を開けて中へ入るとその後にディアンも入る。
 ディアンはミニテーブルの椅子に座ったリシェラの隣に立ち、
「ドレスと靴は、後でクローゼットにでもしまって下さいね」
 袋を差し出す。
「うん」
 リシェラは靴とドレスの入った袋を膝に抱える。
「当日はエスコートしてね」
「ダンスですか」
「そうよ。あなたの服も用意するから一緒に踊ってね」
 上目遣いでリシェラはディアンを見つめる。
「私などがそのようなことをしていいのでしょうか。
近隣の王侯貴族が多数集まる席で王女を独占していたら反感買うじゃないですか
あなたと会えるのを楽しみに来られている方々の前で一臣下に過ぎない俺が」
「ディアンが相手じゃなきゃ踊らないしパーティーも意味がないわ。
だって私の誕生日なのよ、主役が楽しめなきゃ」
 リシェラの強情さはとっくに知っていたはずなのに、ディアンは、否を唱えてしまった。
 引け目を感じていた。貴族でもない自分は、ダンスなんて知らない踊れるはずもない。
「運動神経良いし身のこなしも綺麗なんだからダンスだって心配ないわ」
「また人を翻弄して」
 ディアンは破顔した。毎日、悪く言えば振り回されている。
「私が保証するから!」
「スマートにリードはできませんよ」
「妥協して私の足を踏まないでくれたらいいわ」
「…………努力します」
「緊張しないでね。かちこち固まるとみっともないから」
「期待を裏切らないようにします」
 顔を引き攣らせず普段通りの笑顔を心がけて、この我儘なお姫様のパートナーを務めよう。
 ディアンは心に誓い頭を垂れると、膝をついて手の甲に口づけた。
「リシェラ様のお相手をしっかり務めさせて頂きます」
 リシェラはふんわりと微笑んだ。
「うん」
 顔を上げたディアンに、
「チェスの勝負しよう。今度は負けないから」
 リシェラが、声を弾ませて言う。
「その前にお茶をお入れしましょう」
 リシェラはこっくりと頷いて膝の上に置いたままだった袋を床に置いた。
「フレーバーティー! オレンジね! 」
「了解しました」
 甘い香りが漂ってくる。
 ティータイムはリシェラの大好きな時間。
 ディアンが臣下になってからもっと大好きになった。
 お茶を入れてくれる使用人はいても、一緒に飲んでくれる人は
 一人もいなかったので、余計に今の小さな喜びを噛み締めているのだ。
 ティーポットとカップを載せたトレイを持ってきたディアンが、
 紅茶を入れてくれるのを嬉々とした眼差しで見ている。
「ありがと」
「いいえ」
 紅茶の注がれたカップは湯気が立っていて、口をつければ疲れが癒えていく気がした。
 リシェラが美味しそうにカップを口に運ぶのを見守り、ディアンも向かいの椅子に座る。
「パーティー楽しみね」
 バースディパーティーは明々後日。
 心の準備をしておこうとディアンは思った。


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