第16章
弱気にくじかれて逃げていては、彼女を守ることなどできやしない。
このままでは、まともに務めを果たせなくなる。
自分が冷静な方ではないことは自覚していた。
今度は、俺が応える番だ。
少し早めに、屋敷を出て城を目指した。
叩き起した形になる城門の衛士には申し訳なかったが。
激しく鳴り響く鼓動。
王女の部屋の扉の前に立つ彼の名はディアン。
長身に金髪碧眼の青年である。
気持ちを落ち着けようと息を吐き出す。
三回ほどのノックの後、扉は開かれた。
「こんなに朝早く申し訳ありません。どうしてもお伝えしたい用向きがありまして」
隠そうと俯いたのかもしれないが、赤く腫れた瞳をディアンは見逃さなかった。
じっと食い入るような視線にリシェラは顔を上げまぶたをこすろうと指を動かした。
扉を開け応対しているのにもかかわらず、未だリシェラは何も言わない。
上目遣いの仕草に、庇護欲が首をもたげる。
潤んだ大きな瞳は今にもこぼれそうだ。
ディアンは息をのみこんだ。
さりげなくリシェラの華奢な手をつかむ。
「ディアン」
「……愛しています」
辺りに人気がないのを確かめた上での大胆な行動だった。
ディアンが、さりげなく距離をつめると、扉が無造作に閉まった。
かちり、鍵のかかる音が響く。
どちらともなく腕を背中に回した。
ただ優しい抱擁。
朝日が差し込むカーテンに映るシルエットは紛れもなく、2人のものだ。
指先の震えに気がついたディアンは、抱きしめる腕に力をこめた。
「……私にもあなたを守れるのなら、あなたが傷つき瞳を曇らせている原因を知りたい。
教えてはいただけませんか? 」
思いを伝えるよりも、ずっと勇気が必要なことだが、ディアンは口にした。
「どうしても言わなければ駄目? 」
小首を傾げる仕草にぐっときた。
しょうがないですねと危うく言ってしまいそうだ。
だが、これからの為にも知らなければならなかった。
「話すことでリシェラさまの傷を広げてしまうのならば、それ以上の力で守ります。
自分の命に代えても守りたい。大切だから」
ディアンの思いが伝わったのかリシェラが、顔をあげた。
唇がわなわなと震えている。
強くディアンの袖口を掴んだ。
「あなたがどう思われるか考えたら、言えなかった……」
きゅっと唇を噛んで上を向く。その瞳にもう迷いはなかった。
ディアンは、リシェラの指に自分の指を絡めた。
リシェラは、自分の身に起こった出来事を語り始めた。
話が進むにつれてディアンの表情は険しくなっていった。
繋いでいない方の手を力いっぱい握りしめて冷静になろうと務めるが、努力は実を結ばなかった。
怯えた表情を見せたリシェラに、ようやく我に返りディアンは己を悔いた。
一番傷ついているのは誰かということを。
「申し訳ありません……俺はあの男が許せない。
王女に対しての不敬罪で罰せられるべきなのは当然として……、
それ以上にあなたを傷つけ苦しめたのは、贖うべき大罪だ」
「……ディアン、ザイスは、自分にとってマイナスにしかならないのに
あんなことをした。馬鹿だわ。
私はどんな屈辱を受けても屈したりしないもの。
今回のことであの人の性格を思い知ったわ。
……どうしようもなく悲しいけど」
「……貴族なのに品性を持ち合わせてない下衆だということですね」
リシェラが苦笑いする。
「きっとそれだけ、あなたを好きなんだ。
表現の仕方が完全に間違っているけれど」
ディアンは、不快だがザイスの気持ちがわかるのだ。
愛しいから独占したい。自由にしたいと
思う気持ちがゆがんだ方向に走ってしまっただけ。
手に取るように分かる分かるのは、
自分も道を間違ったら彼のようなことをしてしまうだろうから。
「……ディアン? 」
狂おしい瞳で見つめるディアンに、リシェラは戸惑った。
もうすぐ完全に朝が来る。城の中が賑やかな声が行き交う。
朝食に行くための着替えもしていない。
部屋着の姿だということに今更ながら気がついて、顔を真っ赤にした。
「かわいいですね……俺だっておかしくなりそうです」
「馬鹿っ」
「悪態ついてもかわいいんですから」
「もう。城門の前で待ってなさい! 」
「分かりました」
にやにやと笑う自分に妙な気分でディアンは部屋を出た。
すぐさま真顔に切り替えて歩き出す。
「ああ……もう信じられない」
リシェラの中でとめどない羞恥が襲う。
顔を両手で押さえても火照りがとれない。
以前、ドレスを着る際、ディアンに手を借りたことがあった
けれど……よくあんな破廉恥なふるまいをしたものだ。めまいがする。
彼を男性として意識してしまった現在では到底考えられない。
用意されたワンピースを受け取り、手を借りるのををやんわりと断りながら、
部屋の扉が閉まると着替え始める。
……男性の臣下以外ならやってもらってもいいのだが、
最近は専らは断っている。一人で身に着けられないわけでもない。
結果的にメイドの仕事を奪ってしまっているのは申し訳ないけれど。
たぶん、リシェラさまは何もさせて下さらないと嘆かれているだろう。
朝食が終わり、席を立ったリシェラは、王と王妃が並ぶ席に向かった。
「国王陛下と王妃陛下に大事なお話があります。 学園から戻った夕刻頃、お時間をいただけますか? 」
リシェラは硬い表情で頭を下げた。
国の最高位である存在の国王、並びに王妃に礼を払った態度である。
「公式のお話ならば、急すぎるのではないですか。
本日は謁見の申し入れが多く入っていますから。
親子として話を聞くのなら夜にでも時間を作れますが」
王妃セラはやんわり言った。
リシェラは顔から火が出そうだ。
「ごめんなさい、お母様。冷静じゃなかったわ。
では二人きりで内緒のお話をいたしましょう」
「夕食後に部屋にいらっしゃい」
母に話した後で父にも伝えようと考えた。
「リシェラさま」
突然呼びかけられて心臓がはねた。
今は、ディアンと帰城途中だ。
「ふ……えっ」
「ふえ……?」
「っ……」
真っ赤になった。
ディアンは口元を押さえている。
「かわいすぎ」
「もう真顔で言うんだから……社交辞令じゃないわよね」
「とんでもない」
手の平をディアンの胸に押しあてられて、戸惑う。彼の胸はひどく高鳴っていた。
リシェラの胸も激しく鼓動をかき鳴らしていた。
「取り繕っているなら、こんなにどきどきししませんよ?
あなたにはどれだけ威力を持つ剣でも太刀打ちできないのですから」
いつの間にか饒舌になっている気がする。
そんな甘い言葉をどうやって身につけたのかしら!?
戸惑いながらも冷静に考える。
恋しているからこその現象なのだろうけど、それにしても
自分の急激な変化にリシェラは驚く。
異性として意識すると彼が、以前とは別人に思えてくる。
こんなに綺麗な金髪と碧い瞳をしていたなんて!
それに、背が高い。ザイスとそう変わらないのではないか。
ぞっ。ザイスと比べたことにおぞましさを感じる。
あれこれ思考しながら食い入るように見ていると、後ろから抱き締められた。
胸がきゅんと疼いて、どきどきと高鳴った。
リシェラの腰に回された腕の力は強く、少しだけ動揺してしまう。
「何があってもあなたのことは俺が守るから」
素に戻った彼にどきりとする。
臣下としてではなく、ただのディアンとしてくれた言葉に、胸がいっぱいになる。
そろりと、抱きしめ返すと、息をつく気配がした。
「こうしていることも不敬罪にあたるんですよね」
「……雰囲気が壊れるじゃない」
むくれた顔でディアンの服の裾を指で掴む。
「すみません」
ふるふると首を振る。
自分からディアンの手を掴み、上目遣いで見つめる。
すっと瞳を細めたディアンが、手を握り返して、再び歩き出した。
城に戻り、夕食を終えた後王妃の部屋を訪ねた。
「リシェラです。王妃陛下」
「入りなさい」
開かれた扉の中へと入っていく。
母が命じると側に控えていた召使いは、頭を下げて部屋から出て行った。
人払いしてくれたのだ。
スカートのすそを持って頭を下げる。
椅子を勧められて腰を下ろすと、向かい合う視線に心臓が、うるさく鳴り始めた。
言いかけて止まる。
ディアンには、何とか言えたけれど、母に告げるのは勇気がいる。
胸元に手を当て深呼吸する。
視線を彷徨わせて、膝の上で手を握った。
「お母さま」
呼びかけると母が、まっすぐに見つめてきた。
急かさずにこちらを見守ってくれていたことにありがたく思う。
「この怪我のこと、何も聞かずにいてくれたお二人の優しさに感謝します」
父にも母にも怪我のことは尋ねられなかった。
その温かな気遣いがどうしようもなく嬉しい。
「私は、きっと話してくれるから待ってるつもりだったのよ。
陛下は、無理に聞き出したりはしたくなかったんじゃないかしら。
内心は気になって仕方がなくても。
怪我をしたのはあなたのせいじゃないのでしょう。
幼い頃ならともかく、今のリシェラが、転んでけがをするなんて考えられないもの」
きょとんと瞬きする。
「最近落ち着きも出て、とても女性らしくなったわ」
「そ、そうですか?」
「ええ」
柔らかく微笑まれて赤くなる。
今日も母は美しかった。
時折瞳の端に滲む孤独の影を隠すことができなくても尚美しい。
私はそんな彼女に似ているのだろうか。
「私の不注意なんです。一人で、庭園なんて
行って……」
唇を噛む。話すのは二度目だけど
そのたびに記憶が頭の中で再生される。
おぞましい時間が蘇る。憎い。それ以上に怖い。
「ゆっくりでいいのよ」
気づけば、向かい側に座っていたはずの母が、隣りで震える手を握ってくれていた。
「……あの人に無理矢理キスされたの」
肩が震える。
「あの人ってまさか……アルヴァン家の?」
こくりと頷くと、母に抱きついた。子供のように泣きじゃくっていた。
ディアンではないとすぐに理解したのだろう。
「遠い縁でもあの人と血が繋がっている事実が嫌」
ザイスは、父ー国王陛下ーの従兄アルヴァン公爵の子息。
親戚筋にあたる男だった。
いずれは、公爵位を継ぐことになるのだろう。
国王には兄弟がおらず、遠縁の親戚筋にあたるのが、ザイスの家。
年齢も近かかったために勝手に婚約を定められていた。
子供のように、膝に甘えるリシェラの頭を母セラは、そっと撫でる。
小さな頃でさえ、こんな風に甘えてきたことはなかった。
リシェラは、涙声で言葉を詰まらせながら悪夢の一部始終を母に語り始めた。
未だ癒えぬ傷跡が、生々しく姿を現していく。
「……なんてこと」
セラは、ため息ともつかぬ呟きを洩らした。
「よく話してくれたわ」
膝から顔を上げたリシェラは、両目から一筋の涙を零す母の姿を見た。
いつも毅然とした王妃の姿ばかり目に焼きついていたので、
母親らしい優しさに、余計に涙があふれた。
ディアンへの想いを自覚した今は、なりふり構わず相手を求める気持ちが、痛いほどよくわかるが、
もしあれも『恋』なら、決してきれいなだけのものではない。
「どれだけ危険な行動か分からないはずなかったのに……愚かな真似をしたものね」
セラは、顔を上げて、リシェラを見た。
「怖かったでしょう」
肩を抱かれて頬を寄せる。温かくて瞳を閉じてしまいたくなった。
「ん……でも、誰かを好きになる気持ちを失ったりはしないわ」
「強いわね」
そっと、背中を撫でてくる手に勇気づけられた。
「話したいことがたくさんあるわ……
恋を自覚したあなたに聞いてほしいの」
ふ、と顔を上げれば、切ないまなざしとぶつかった。
リシェラには計り知れない何かを乗り越えてきた顔だった。
立ちあがって窓辺へ向かう。バルコニーへ出ると城の中の景色が見渡せた。
遠くに城門も見える。
リシェラがセラの部屋から景色を見つめるのも初めてだった。
振り返ったリシェラは、椅子に座ったセラが立ちあがる姿に見とれた。
隙がないほど厳しく整った王妃ではない、
母親としての彼女は不器用だったけれど、
リシェラはそんな彼女の方がより好きだなと感じていた。
「お母さま、お父様には、言わないでほしいの」
隣りに立つ母に、告げる。
リシェラを溺愛する父が知ったら、彼を決して許しはしない。
身分を考慮しながらも、何らかの処罰を下すだろう。
自分の息子の事件をもみ消そうとする公爵と争うことになる。
身内での醜聞(スキャンダル)は、よろしくない。
「……嘘をつくことになってしまうけれど」
リシェラに、セラは微笑みかける。
理解してくれていると気づく。
「あなたはきっと素晴らしい女王になるでしょうね」
「え、……」
時々母の発言には戸惑ってしまう。
「今は学ぶべきことを学んで未来に備えなさい。
何ごとも楽しむことが肝要よ。
学園で分からないことがあったら聞いてね」
セラは、にっこり、笑った。
「お母様もご卒業されているのだものね……」
「幼馴染と一緒に通ったものよ。懐かしいわ」
遠い日々を思い出しているのか目を細めて空を眺めている。
「また聞かせてね」
「話したいことに含まれているもの。もちろんよ」
意味深な言葉にきょとんとする。
胸がうずうず騒ぎ出すのを止められなかった。
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