第13章


 自分はきっとあの二人を試しているのだと、ザイスは思う。
 最初から形だけの婚約のようなもの。
 受け入れてこの城で王女と出逢うことになったけれど。
 からかって遊んでいれば満足だったのに、
 何故だろう。無性に手に入れたくなった。
   焚きつけて恋に気づかせて、涼しい顔で横から掻っ攫うのも楽しそうではある。
 今の距離を保っている間は何も起きないだろう。
 純情な二人は見ていて面白いから、暫くは
 茶々を入れるだけにとどめてみることにしようか。
   王位を欲したことは一度もないが、
 王女の先にある至高の地位も同時に手に入るなら悪くない。
にやり。知らず、性質の悪い笑みが浮かんでいた。
 


 王女であるリシェラはともかく
 ディアンの身分では入学資格をもたない為、急遽、貴族と養子縁組を結ぶことになった。
 王女直属の臣下だが平民だ。
 学園に通うには貴族の身分が必要だった。
 強引なやり方はせず、ディアンの意志を考慮して
 慎重に決められた結果、トリコロール家と養子縁組を結ぶことになった。
 トリコロール伯爵は、国王から内々の打診があった際にも快諾していたが、  面会の席で改めてディアンを気に入りまたディアン自身も伯爵に好感を抱いた。
 学園入学資格と同時にディアンは、王女の騎士たるにふさわしい身分を手に入れた。
 王族と婚姻を結べるのも実は、伯爵家以上の家格が必要なのだが、王家側もそこまで考えたわけではない。
 これで名実共に王女に仕える騎士であると認められたのは確かだ。
「ディアン・トリコロール」
 ディアンはびくりと体を揺らして正面を見据える。
 冷静さを保とうしたのが上手く作用し、どうにか椅子から立ち上がることは抑えた。
「はい」
 妙齢の女性教師が、眼鏡の縁をいじっている。
 鎖つきの眼鏡が異常に似合っている。頭の片隅で呑気に思った。
 早くこの名前に慣れなければ。
 少なくとも学園に通う間は。
「……ではこのページを読みなさい」
「はい」
 歴史の授業の最中だったことをようやく思い出したディアンである。
 呆けていた自分を叱咤激する。
まだ3日目。最初が肝心じゃないか。
 自分の置かれている環境が劇的に変わって、  心が追いついてないのだ。
 まさか、自分が貴族の家に養子に入るとは。
 今日からトリコロール家に住むことになっている。
 伯爵は紳士で性格も穏やかな人物だ。 
 心配するようなことは何もないといえど、本当にいいのだろうか。
 ここまでしてもらって後で何かあったらと思わずにはいられない。
 どうも後ろ向きだ。仕方ない。平民の出なのだ。
 慣れるには時間がかかるのは当然だ。
 この戸惑いが顔に出てないことを切に願う。

 授業も終わり、クラスメイトも散り散りに帰り始め、ディアンもリシェラとともに校門に向かっていた。
 その途中、隣を歩くリシェラが、ふいに話しかけてきた。
「まだ緊張してるみたいね?」
 小首を傾げる姿は、罪なほどかわいい。
 きらきらと悪戯な瞳が輝いている。
「……慣れるのは大変そうです」
「送り迎えしてくれるだけでもかまわなかったのよ」
「一緒に通えるんですからそれぐらい頑張れます」
 にっこり。
 本心だったけれど、そんなに照れることだろうか。
 リシェラは本気で感激したのか頬を熟れたりんごのように染めている。
  「ありがとう」
 思わずぎゅっと手を握ってしまったら、ディアンは慌てて手を離した。
「送迎のみでは害虫は駆除できませんしね」
 どんな時でもあなたを守りたいのだと声の限り叫びたい。
「みんな礼儀作法もきっちり身につけてる貴族の子息よ?」
「身分なんて関係ありません。人間は時に自身の感情を抑えられないものなんです」
 ディアン自身も。
 立場を忘れ、感情で突き進む日がたまらなく怖い。
いつか訪れるに違いないからだ。
 自制心は強い方ではないと自覚している。
「そうね。分かる気がする。ザイスとか怖いもの」
 ディアンは苦笑した。
リシェラは決して鈍感ではない。
 ディアンは笑みを深めた。
「あの方は多分、経験豊富なんじゃないでしょうか」
 ぷっ。口に手を当てて笑い出したリシェラにディアンはわけがわからなかった。
 思ったことを言っただけなのに。
「あ、あの」
 すたすたと前を行くリシェラを慌てて追いかけて呼び止める。
「ディアンの口から聞くとおかしいわ」
 くるりと振り返った親愛なる王女は、悪びれることなく言った。
 羞恥に顔が真っ赤にそまる。
「私、これでも耳年増なの。メイドと兵士との恋とか日常的に聞くもの」
 初耳だ。また新たな王女の一面を垣間見た気がするディアンだった。
「ディアンは今日からトリコロール伯爵家に住むのよね」
「ええ、リシェラ様をお送りしたらすぐに屋敷に向かいます」
「今度遊びにいってもいい?」
「ははは。大丈夫でしょうけど伯爵にもお伝えしないといきなり
 押しかけたら驚いてしまいます」
「そうねえ。でも王城に近いからよかったわ」
「では、リシェラさま、明日の朝お迎えに上がります」
 ディアンがいちれいするとリシェラは小さく手を振った。
 坂を降りて東に進めば貴族の屋敷が何軒かある。
 それぞれ広大な敷地を有しているので一軒一軒は離れていた。
 その中でも一際目立たない場所にトリコロール伯爵邸はある。
 高い壁には蔓が蔦っていて、屋敷自体の歴史を感じさせた。
 立派な門構えだ。
 軽い音とともに開かれた門の先に小綺麗な庭が広がっていた。
 華美ではなく、地味でもない絶妙なバランスが保たれている。
 季節の花々が咲き乱れ、目を楽しませる中、プランターの縁に差し込まれたガラス瓶に気づく。
 ひどく古いがひびなどはない。青を光が反射している。
 あまりぶしつけに眺めるのも失礼かと、ディアンは玄関の扉を鳴らした。
 低いベルの音をききながら、出迎えを待つ。
 扉が開く。
 ゆっくりと視線を上向けると栗色の髪の紳士が立っていた。
 彼と合うのは二度目だ。
「いらっしゃい、待っていたよ」
「はい」
 促されて、中に入る。
 後に続いて歩き玄関からふたつ廊下を渡った扉の前で立ち止まった。
 白い毛皮のソファを勧められ、
「ごめん、紅茶しかないんだ。その代わり紅茶の種類は豊富だよ」
 目を細める姿に笑みを返す。
「紅茶は好きなので」
「よかった。じゃあゆっくりしてて。疲れたでしょう」
 普段も若々しいが、笑うと本当に若く見える。
「ありがとうございます」
 伯爵は開け放った扉から、廊下の奥に消えた。
 ふう。小さく息をつく。
 こっそり伸びなんかする。
 くつろぎすぎだ。
 思わず肩の力を抜いてしまったのは居心地がよすぎるからだ。
 昔の自分が出るくらいに。
「お待たせ」
 気づけばテーブルの上に、紅茶とビスケットが用意されていた。
 何種類ものフルーツジャムが添えられている。
「ビスケットは買ったものなんだけど、ジャムは一応手作りなんだよ。
果物も庭で栽培したものなんだ」
「マメでいらっしゃしゃるんですね」
 伯爵は照れくさそうに笑った。
「いやいや暇を持て余してるだけさ」
「食べてみて」
 ラズベリーもストロベリーもよかったが、マーマレードのジャムが特に合うように感じた。
「学園はどうだい?」
「慣れないです」
「大丈夫。直に慣れるさ。懐かしいな」
「母校なんですよね」
「そうだね。通ってたのは二十年近く昔だけど」
「身になる話ができるかはわからないけど、何でも聞いて」
「はい。その際は遠慮なく」
「今日はもうゆっくり休みなさい。君の部屋は二階の一番奥だ」
 初対面から、好印象を抱いたジャック・トリコロール伯爵。
 ずっと独身を通してきたかのは理由があるのだろうけれど。
 こんな大きな屋敷に使用人も置かずひとりでひっそりと暮らしている彼が気になったに過ぎない。
 翌朝、目覚めると漂う甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
 柔らかな寝台から、身を起こして目をこする。
 窓から差し込む光が頬を照らしていた。
 勢いよくカーテンを開け、窓も開ける。
 見渡せば、西に王城がある。
 離れた場所から見ても広大な城だ。
「……リシェラさま」
 言葉を発したのに気づき慌てて口元を押さえる。顔が熱かった。
 もしかしたら赤味を帯びているのかも。
 部屋に備えつけの容器に、水を注いで顔を洗った。勢いで水が、夜着に飛び散る。
「おはよう、ディアン。朝食の準備できてるから、着替えておいで」
 くすくす笑いながら、タオルを渡された。
 見られていた。
 いっそ開き直るしかないか。表情を改めて顔を伯爵の方に向ける。
「おはようございます」
 ふっと微笑み、
「僕も君くらいの頃があったんだよな」
 しばし遠くを見つめていた伯爵は何を思っていたのだろう。
 扉が閉じられていたので急いで着替えることにした。
朝食を終えて、玄関で見送られ王城へ向かった。
 伯爵も外出する予定がある。
 別れ際、苦笑じみた表情で
「できれば伯爵って呼ぶのはやめてもらえないかな?
そうだな、名前で呼んでくれないか」
 なんて言われた。
 名前で呼ぶのも気恥ずかしいが。
 共に暮らすのに伯爵はよそよそしいかな。
胸の中で独りごちながら歩く。
 メイドを従えてひとりたつ王女が見えた。
 こちらを見つけた眼差しは輝いていて、だんだんと姿が近づいてくるにつれ、
 その手に似つかわしくない物があるのに気づく。
 後ろで見送る面々は慌てた様子で、リシェラを追いかけようとしているが、
 当の本人は風のごとく駆けてこちらに向かってくる。
「おはよう、ディアン」
「おはようございます、リシェラさま」
「どう? よく眠れた?」
 横から見上げられ、とっさに言葉が浮かばなかった。
 あまりにも普通に聞こえたから違和感を覚えた。
 その華奢な手に剣を握ったまま。
「あの」
 きょとんとするリシェラの持つ物に視線を落とす。
「見間違えでなければ、私の剣ですよね」
「うん。護衛には必要だろうと帯刀許可が出たの。だから、はい」
 あっけらかんと言わないでほしい。
 差しだされた物を受けるとずしりと重みが伝わってくる。
「……ありがとうございます。
 ですが、あなたが直々に届けてくれるなんて思いませんでした」
 皮肉っぽく言ってしまう。
 無邪気に持ち運ぶ代物ではないのだ。
「変かしら」
「変というのではなく、危ないでしょう」
 険が混じってしまったのは仕方がない。
 慣れない者が持つと危険だ。
 リシェラは果物ナイフひとつ持ったことないはずだ。
 俯いてしまったリシェラにディアンは罪悪感を感じる。
「武器なのよね。分かってたのに分かってなかった。
 本当ならこんなものあなたに持たせたくないわ」
 どきっとした。
 ある意味殺し文句じゃないか。
「私もこれを使う機会がないことを祈ります。
 ありがとう、リシェラさま」
周囲に誰もいないのを確認して手の甲にキスをする。
 小さくて白い綺麗な手。穢れを知らずこれからもそうだろう。
 自分が、決して触れさせないと心に誓う。
 瞬間耳まで真っ赤に染めたリシェラにディアンは面食らう。
 親愛の情の証だ。なのに、何故。
 王女の反応に逆に意識してしまう。 
 手のひらを繋がれて逃げることはできない。
 後ろを歩くのが筋ではないのか。
「行きましょ」
 ぶんぶんと引っ張られ、前のめりになって歩を進める。
 照れているのだ。
それが分かってディアンは肩を震わせて笑った。
 自分の立ち直りの早さに呆れるけれど、彼女の一喜一憂に惑わされているのは事実。
 学園への道をゆっくりと歩きながら他愛もない会話は続く。
 貴族の子息達は馬車で通うのが通常なので、誰も他に歩いている者はいない。
 リシェラとディアンの二人は景色を見ながら通学を楽しんでいた。
「ああ、もう6月ね。薔薇が香る季節が来るわ」
「朝露を含んだ花は綺麗ですよね」
「一緒に摘みましょうお城の薔薇園で」
 こくりと頤を傾けると、リシェラは満足そうに笑った。
 初夏の風が爽やかに香る中、ディアンは瞳を細める。
 どうか、このままの時を。


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