貴方を守るのは私の務め。
雨が降っている。
今日は朝から、厚い雲に覆われ始め、激しい雨音が地面を叩くまで時間はかからなかった。
この季節の雨はことのほか冷たく寂しい。
珍しく故郷の空を思い出して眠れない夜を過ごしていたディアンの部屋を
ノックする音が聞こえ始めた。
この部屋に相応しくない高貴な身分の女性。
目の中に入れても痛くないほどに大切なその人の名は。
「どうぞ」
ドレスのすそを捌きながら入ってくるのは、この国の第一王女であり
第一王位継承者であるリシェラ王女だ。
臣下(しかも男)の部屋に行くなど咎められるのが普通だが、
彼女を止められる者はいないのだろう。
国王夫妻にも信頼されているディアンは王女と近しく接することを
許された特別な存在だった。
戦争から帰って来てからは騎士として彼女の為だけに剣を振るう身になった。
もっとも、剣を使う用途はないので、専らリシェラの世話係&話し相手なのだが。
側仕えのメイドよりも長く、一日を共に過ごしているかもしれない。
ディアン手製のお茶を何よりリシェラは好んでいた。
さすがに夜着のままこんな時間に私室より出られるはずもなく
面倒なのに、またドレスに着替えてまでディアンの元を訪れる。
廊下ではメイドが待たされているのに違いない。
リシェラは羽織っているショールを直しながら、ゆっくりとディアンの側に歩み寄った。
「呆れた顔してる」
「そりゃあそうですよ。非常識にも程がありますからね」
ディアンは苦笑いした。
この部屋は狭いが物も少なく片付いている。
時間を見つけては掃除をしている為小奇麗で過ごしやすい部屋だった。
粗末な椅子は、とてもではないが王女に勧められないが。
リシェラの私室からすれば半分以下の広さしかない
狭い場所でも
彼女は、楽しげに笑っている。
「そういえば、聞こうと思って聞きそびれてたのですが」
カップを差し出しながら、ディアンは口を開いた。
瞬きしてディアンを見上げ、リシェラは不思議そうに首をかしげた。
「何故時々この部屋にいらっしゃるんですか? しかもおやすみになる前に」
「ディアンにおやすみを言いたいからよ」
真顔で返ってきた答えにディアンは面食らった。
「え、もう聞きましたよ」
毎日、一日の始まりと終わりには挨拶を交わす。
ディアンがおはようございますとリシェラを起こせば
彼女もおはようと返し、眠る前にリシェラの部屋の前でも
扉の隙間から挨拶を交わす。
一度言っているのに、再び言う必要があるのだろうかと
ディアンは屁理屈さながらに思った。
「でも一度お部屋で言っているのに、また追いかけるように
お出でになるのは無駄……いえご足労をおかけしては申し訳ないです」
誤った表現を慌てて真顔で取り繕ったディアンにリシェラはお腹を抱えて笑う。
王女らしからぬ振る舞いでも、品を損なっていないのだ。
それに引き換え、無作法な所が未だに抜けきっていない。
ディアンは腹が立った。この性格は一生直らないのか。
「まったくかわいげないわ。ディアンらしくていいと思うけれど……。
あのね、私が好きでここに来ているんだからいいの。
会いたくて来ているんですもの」
「先ほどまで一緒だったのに、そんなに私の顔が見たいんですか?」
……きっとディアン自身もリシェラと会いたいのだが認めることはできなかった。
手が届かない至高の存在。
「ええ。だってあなたといると楽しいもの」
リシェラは笑みを浮かべた。
眩しいその表情には他意がなかった。
カーテン越しに月明かりが映っている。
「お手を取ってもよろしいですか」
ディアンは腰をかがめて腕を差し伸べた。
頷いた彼女の掌をそっと持ち上げる。
今はグローブを嵌めていない。
直接触れるのは初めてで奇妙に緊張した。
透けるように白くて頼りなさげな手だ。
気をつけなければ、折れてしまいそうで怖い。
繊細な指先に触れるディアンの手は震えていた。
すると、リシェラも手を握り返してきた。
やさしく触れた指先にめまいがする。
「リシェラさま」
ディアンはそっと掌に唇を触れる。
それすら罪なのではないかと思う。
懇願するように、時を止めて口づけた。
一度ちらりとリシェラを見上げて。
この瞳にはどんな想いが映っているのだろう。
わからない。わからなくていい。
薄く開かれた瞳が、きらきらと瞬いた。
(どうか、あなたを護る役目は私一人にお任せください。
私だけに貴方を護らせてほしいのです)
それだけ伝わればいい。
ディアンはリシェラの掌にキスをした。
切実な思いを込めて。
「……私を護るのはディアンしかいないわ」
ディアンははっと見開く。
言葉にしていないのに想いが伝わったかのような奇跡に
瞳が熱くなる。
「ありがとう。あなたは騎士の誓いをくれたのね」
今度はリシェラがディアンの掌に口づけをした。
驚いて固まってしまったディアンだったが、
この時を逃してはならないと感じて、リシェラの掌に頬を寄せた。
掌に唇を寄せてしまったこともあり、ほんの少し強気になっていた。
「我が敬愛するプリンセス・リシェラ」
ディアンは赤面する自分を自覚していた。
ずっとリシェラの傍に仕えて護りたい。
この位置だけは誰にも譲りたくなかった。
望みはたった一つ。
この想いは変わらないだろう。
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