「青がモテるのは今だって同じなのに今更だわ。
 病院で看護師さんや、患者さんにも人気なのが
 想像できるもの……」 
 震える背中が何かを訴えている。
 顔を見ずとも分かるようになったが、
 何が言いたいのかまでは到底分からない。
 別の人間なのだから、当然のことだけれども。
 シンクの水の音が止まった。
「……ごめん」
 思いきり気にしているようだ。
 不味かったか。
昔から客観的に受け止めているから別にどうってことはない。
 誰にどう思われようが、俺の心は乱れることはないのだから。
「唐突で呆気に取られただけだ」
 それも嘘ではない。
「……ん、私も色々驚いて」
 何があったのだろうか。
 気になって仕方がなくなってきた。
 歩幅が広いので、あっという間に彼女の背後を取ることができた。
 身長差でちょうど良い位置に彼女の肩がある。
 華奢な肩に顎を触れさせて、耳元で囁いた。
「教えてほしい」
「っ」
 振り返りたくても振り返れないのだろう。
 熱を帯びたように体を火照らせて。
 俯き加減になった彼女の長い髪が背中で揺れた。
「洗いざらい吐き出していい」
 息がかかるのだろう。
 沙矢の背筋と肩が粟立つ。
「……怒らないでね、絶対」
 声が、微妙に変化していた。
 先ほどの不安な調子ではなく、女っぽい雰囲気を醸し出している。
「言わない方がいいと思ったから黙っておくつもりだったの。
 お姉さまにも釘を刺されてたし」
 腰を拘束すると、ほんのり温かい。
 子供がいるからだろうか。
 お姉さま……か。
 すっかり懐柔されているではないか。
 哀れすぎて言葉も出ない。
「青ってあらゆる意味で経験豊富なんだね」
 ド天然め。
「まどろっこしいな。はっきりと言えよ」
「……ふう」
 息を吸い込んだ。
「青って金髪碧眼も似合うのね」
 一気に声の音量が大きくなった。
「は?」
「まさか、あれが青だなんて! 女性になっても違和感ないのね」
 えらく感心している様子だ。
 思い至る節があるのが我ながら痛い。
 腕を解放するとゆっくりと沙矢が振り向く。
「楽譜や、アルバムが収まっている棚がずらーって並んでいるお部屋で見つけてしまったのよ。
 もう手元にないのが今は惜しいくらいだわ。黒髪ロングバージョンも素敵だった」
 頬を高潮させている。
 どうやら興奮が蘇っている沙矢に、微笑み返す。
「沙矢、もう喋るな」  
 極めて静かな声を出した。
 近距離でなければ聞き取れなかったであろう。
「186センチの女だぞ」
「あ、でも青だから特別。スタイルいいし、モデルになれるわ」
 あっさりとのたまった沙矢に頭を抱える。
「写真は姉貴が持っているんだな」
 それ以外考えられない。
「……そうよ、お姉さまが大事に保管するって言ってらっしゃったわ」
「なるほど」
 横抱きにすれば、顔を真っ赤にして沙矢が暴れた。
「いきなり何」
「デザートを頂くとするか」
 ニヤリ。目だけで笑う。
 沙矢がきょとんとする。
 どうせ、本当に行動に移すとは思っていないのだろう。
 何のことかは理解してくれたようだが。
「ウィッグとカラーコンタクトは家にあるがどうする?」
「え、生で見せてくれるの」
 嬉々とした声と表情。単純だ。
 血迷ってもそんなこと起きるわけないのに。
「誰がするかよ。お前がやるんだよ」
「うわ、無理! 頭がイってる人に見えるだけだから!」
「案外似合うと思うがな」
「……楽しくないよ?」
「ご褒美をくれてやるよ。姉貴の物よりずっとマシな代物だ」
 女装よりはマシというレベルだが。
「何かしら。楽しみだわ」
 途端に沙矢の顔が綻んだ。
 お前に喜んでもらえるといいが。
 にっと口元を歪ませる。
「行こうか」
 沙矢は甘えるように腕を首筋に絡ませた。
 寝室のベッドに、愛しい女を降ろした。
「ちょっと待ってろ」
 言い渡すと頷いた沙矢が笑って俺を見送る。
『必要になるかもしれませんでしょう」
 悪ノリした操子さんが大事に保管していた。
 捨ててなかったら未だにあるはず。
 部屋を出ていくつかの扉を通り過ぎた所で一つのドアが目に入ってきた。
 扉を開けるとクローゼットが並んでいる異様な光景が目に飛び込んでくる。
 俺が子供の頃着ていた洋服が大事にしまわれている部屋だ。
 10畳くらいだろうか。
 衣服は定期的に洗濯やクリーニングをされているらしい。
 もう二度と使わないの物なのに、マメだなと思う。
 ここには、小物入れのチェストが存在した。
 ハローウィンの時の小物もここに収められている。
 ドレスとマントは別所にあるが。
 他にもお遊びに使われる品々が、綺麗に整頓されて収納されていた。
目的の物はどうやら見つかったらしい。
 チェストの三段目にはカラーコンタクトのケース。
 一段目には、包装に包まれたウィッグが入っていた。
 ためらいつつ、開けた二段目には件のご褒美。
 ウィッグは三種類あり、今回は巻き毛バージョンを使うことにした。 
 その内一つは短いしな。
 さっさと捨ててくれてよかったのにと思っていたけれど、
 まさかこんな機会が巡ってくるとは。
 次第に楽しくなってきて心が高揚する。
 色白の沙矢は、金髪もブルーアイも似合うだろう。
 彼女は純日本人だけれど、その肌のきめ細かさに、
 試してみたいといつ頃からか思っていた。
 また新鮮な喜びを与えてくれるのに違いない。 
 手にブロンドのウィッグと、カラーコンタクトのケースを持ち、
 部屋を出る。寝室まで戻ると、待ち侘びていた沙矢が、
 こちらに顔を向けた。期待に輝いた瞳。
 見上げてくる沙矢の唇に指を押し当てる。
   自分もベッドに上がると、沙矢の体に腕を回した。
 漂う甘い匂い。
 香水なんてつけていないのに、どうしてこんなに甘い香りを纏うのだろう。
 ウィッグを髪の上から被せて、顎を持ち上げる。
「目、開けて」
 ぱちぱちと大きな瞳を瞬きさせて、沙矢は目を見開いた。
 目の辺りに触れるのは緊張する。
 視神経を傷つけてはならないから目のあたりに触れるのは緊張する。
 瞼を慎重に押さえて、ケースから出したカラーコンタクトを目の中に装着した。
 そっと瞼を一度閉じさせて、もう一度開かせる。
 まさかこれ程までに似合うとは。
 ベッドに備え付けのチェストから、コンパクトミラーを取り出して
 沙矢の目の前に差し出した。
「これ、私!?」
「ああ、紛れもなく沙矢だ」
 よほど驚いているらしい。
 じっと鏡を見つめたまま動かない。
 ピンクベージュのルージュなので、妖艶さはないが、
 とても綺麗だった。いつもとは違う彼女が存在していた。
 見事に変貌した姿に、自分でも満足していた。
 この瞳に囚われ、動けなくなってしまいそうだ。
 カールされたブロンドが、さらさらと肩口を零れる。
 引き寄せられた引力で、彼女ごと倒れこむ。
 ブロンドの髪が、シーツの上に散らばった。
 沙矢が頬を朱に染めている。
 動揺しているのだろう。腕が無意識に彷徨っていた。
 髪を指に絡ませて口づける。
 おずおずと伸びてきた腕が俺の肩を掴んだ。
 仕掛けた遊びが、思わぬ方向に流れてしまっている。
 ある意味予測できたことではなかったか。
 風の向くままに流されてみたい。
「このまま着飾って、閉じ込めておきたくなる。
 人形のように見事な造詣だけれど、お前は生身の人間だ。
 籠の中の鳥でいてくれないからこそ俺は、心底囚われた」
「青……」
 息を飲んだ沙矢が、微かに唇を開く。
 物言いたげな唇は、いつにもなく誘っているように見えた。
 罪な女だ。何度俺にそう思わせたら気がすむんだ。
「知ってるか。Sexは、挿入がすべてじゃないんだ」
「な、何言ってるの!?」
 一気に顔を赤らめた沙矢が、慌てふためいた。
 くすっと笑ってやると、怯むから面白い。
「言ってること分かるだろう。俺と共に幾つもの夜を越えてきたお前になら」
 言った側から胸元に手を伸ばす。
 細い上に着痩せする性質の沙矢だったが、妊娠中もあって
 豊かな膨らみが存在を主張するのを隠せていなかった。
 指先を動かすと鼻から甘い声が抜ける。
「……やっ」
「女は、一度子供を産むと胸がそれ以上成長しなくなると言う。
 お前はどうなんだろうな。俺は沙矢なら今のままでも十分だと思うが、
 どうせなら、今の内に成長させておいた方が得じゃないか」
 最初の子供を産む前に。
「えっちね」
「どこが悪い」
 言いながら両手を忙しなく動かす。
 柔らかな弾力が強く手の平を押し返してくる。
 顔を覗き込めばとろけた顔で口元を押さえていた。
 衣服の上からの感触だけでは物足りなくなり、手を滑り込ませる。
 背中からホックを外せば、解放された膨らみがこぼれた。
「青が言った通り、私もこのままで十分だから」
「だから?」
「あまり刺激しないで! もっと触れてほしくなるじゃない」
 甲高く叫ばれた大胆な台詞に、薄笑いが浮かぶ。
「青が、私の事考えてくれてるのは嬉しいけれど」
「くっ。俺はただお前に触れたかっただけだ。
 その温もりに触れて、与えて欲しいと常に願っている男だぞ」
「いくらでも触って。私だってあなたに触れてほしいのは同じなのよ」
「いい加減にしろよその誘い受け」
 ウィッグを外すとばさりと音がした。
 黒髪に青い瞳の沙矢が、視界に映る。
 衣服の中で手の平を動かす。
 あたたかな肌が、冷たい手に心地よかった。
 頂を弄れば簡単に陥落する。
 腕の中で息を乱す沙矢にほくそ笑む。
 愛撫を続けている内に、シーツを掴み身もだえした。
 胸にしか触れていないというのに、恐ろしい感度だ。
 身をくねらせて反応する様は、妖しささえ醸し出しているのに
 可愛らしくもあるのは沙矢ゆえだろう。
 潤んだ眼差しに、身も心も疼いてどうにかなりそうだ。
 思わずパジャマの上着を脱がせてしまった。
 下着一枚になりながらも沙矢は焦点の合わない瞳で、ぼうっと宙を見ているだけだ。
 抱き上げて、キスを落す。
 抱えたまま、口づけを深くしていく。
「青、愛してる」
 うっとりと瞳を閉じた沙矢が、うわごとのように呟いた。
「俺も愛してる」
 魔法をかけるように囁くと沙矢は瞳を閉じた。
 吐息を立てるゆったりとしたリズム。
 あっという間に、沙矢は眠りの中に堕ちていった。
 額を押さえて、自嘲した俺は、元通り衣服を整えて布団をかけた。
「おやすみ……この続きは、暫くお預けだ」 
 自分に言い聞かせるようだった。
 空笑い、部屋に備え付けのバスルームへ向かった。
 衣服を脱いでシャワーを浴びる。
 頭を冷やさなければ。
 沙矢に言った方法で、抱くつもりだった。
 方法は一つじゃない。ソレだけに拘るのはガキだと本気で思う。
 ……、子供が生まれたら生まれたで、体調のことを考えると
 間隔をおかなければならないだろう。
 俺はあと何ヶ月も触れられないのを堪えられるか?
 愛しているから触れたいのだ。
 未だ他にも方法はあるが、それはやるつもりはなかった。
 自分だけ満たされるのは御免だ。
 いつかのあの夜の行為、もし沙矢が自らしてくれようとしても
 俺は、特にされたいとは思わなかった。
 間が差した場合は分からないけれど。
 髪を拭いて部屋に戻ると、肘の下に頭を敷いて眠る沙矢の姿があった。
「カラコンしたまま寝やがって」
 俺のせいだと分かりつつも呟いた。
 朝起きた時鏡を見て、一瞬、驚くんだろうな。
 ふっ。
 彼女の体に覆い被さり囁いた。
「おやすみ、沙矢」



「きゃーーっ」
 ベッドボードに置いてあったコンパクトミラーを覗くと黒髪に青い瞳の自分がいた。
 朝から悲鳴を上げるなんてはしたないけれど、
 だけど、自分の青い瞳に違和感を感じずにはいられない。
 意識せずとも出てしまった声なのよ。
 自分に言い訳しつつも、隣りの青に手の平を合わせる。
 ああ、そうだふわっとした気分になって、寝ちゃったんだ。
「ごめんなさい」
「いや」
 青は、くすくすと笑った。
 どこか楽しそうな彼。眠りを妨げられたのに嫌な顔一つしない。
 元からそんな人ではないけれど。
「黒髪に青目もいいな。暫くつけておくか」
「……そ、それは遠慮します」
「勿体無いな。ミステリアスな魅力で溢れてるのに」
「普段からミステリアスな人に言われても」
「今回はこれで終わりにしよう、素敵なゲームは」
 あっさりと言った青が、手を伸ばしてくる。
 目を開けたままじっとしていると、青がカラーコンタクトを外してくれて見慣れた自分の瞳に戻った。
「自分にお帰りって言いたい気分」
 しみじみと呟くと、
「変なヤツ」
 青はぷっと笑った。
「だって、やっぱりこの私がいいんだもの」
「だな。俺をがんじがらめにして離さないのはこの瞳だ」
 照れ笑いする私の額に額が、密着する。
「おはよう、沙矢」
「おはよう、青」
「ほら、ご褒美だ」
 青が、ひらひらと空中に飛ばした物を掴む。
 何て豪華なご褒美。
「ごめん、私が間違ってました。美女より貴公子の方がいいわ」
「……そ、そうか」
 金髪碧眼の青は、妖しさ全開で鼻血を吹きそうだった。
(ふ、普段とは違うからかな。別種の危険な香りが)
 堪えると、苦しくてまたシーツに倒れこむ。
「口を押さえてどうしたんだ。もうつわりは終った時期だろ」
「青が悪いのよ!」
 逆切れなんてみっともない。
「……悶えてないで起きろ。それともベッドから起きられなくして欲しいのか」
 がばっと身を起こして、
「着替えてくる」
 足早に寝室を後にした。



 あんなに可愛い反応が見られるのなら、出し惜しみしなければよかったか。
 ガラにもなく思った。
 沙矢の前ではプライドも何もかも突き崩されるから、末期だな。
 
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