sinfulrelations


あなたならかまわない


藤城家で暮らし始めて2週間。
私も段々この家での暮らしに慣れてきた。
会社も辞めたので家事をはりきろうと思ってたのに……。
何故だか毎日暇を持て余してる。
私がやろうとしたことは全部、操子さんや他の使用人の人達がやってしまう。
青が帰って来るまでの時間、退屈で死にそうだ。
マンションにいた頃は洗濯も料理も掃除も全部やっていた。
青もやってくれてたけど、それでもやることはあったのだ。
「これって我儘かしら……。でも退屈なのよ!」
自分用に用意された私室を飛び出した。
玄関ホールを歩いていた操子さんを呼び止める。
つい走っちゃったのを見られ、心配そうな表情をされた。
「沙矢さま……走ってはいけませんよ。転んだりでもしたらどうするんですか?」
「は、はい。ごめんなさい。分かってるんですけど。操子さん、何かやることありませんか?」
「何も。今が大事な時なんですから沙矢さまはごゆっくりなさってて下さい」
にっこり微笑む操子さん。
過保護過ぎな気がしないでもないけど、感謝で胸はいっぱいだった。
でも私、早くこの家のしきたりとか覚えたい。
「少しでも早く藤城の家のしきたりとか、色んなこと覚えたいですし、
料理だってそんなに凝った物作れないから、ご迷惑でなければ操子さんに教えて頂きたいんです」
「まあ。嬉しいことを」
操子さんは目元を細めている。
「分かりました。ですがくれぐれも無理はなさらないで下さいまし。
まだ安定期ではないんですからね。もしものことがあったら青さまに申し訳が立ちません」
「ありがとうございます。ええ、無理しませんけど、甘やかさないで下さいね」
いつまでも甘えてばかりじゃ駄目だもの。
「分かりましたわ」
「それでは、一緒にお掃除でもしましょう」
楽しそうな操子さんにつられて私は笑った。
「はい」
お祖母ちゃんくらいの年齢の操子さんは私の事を孫のように思ってくれているのだろうか。
ほんわかした気持ちで、操子さんの隣を歩く。
私のお祖母ちゃんは、高校の時に亡くなっていて、
だからこそ操子さんの事をお婆ちゃんみたいに思ってしまう部分があるのかもしれない。
「本当に嬉しいんですよ。沙矢さまのような方が青お坊ちゃまの奥様になられて……」
二階から掃除をしようという事になったのだが、
階段を上がる途中で立ち止まってふいに操子さんは語りだした。
「操子さん……」
幼い頃から青を見てきた操子さんの言葉は重い。
「あの方が変わられたのも沙矢さまがいらしたからなんですね」
「彼だけじゃなくて私も青と出会って変わったんです。
強くなったし、彼と出会っていなければ今の私の存在はきっとなかったと思います」
今の私はいなかったんじゃなくて、今の私の存在はなかった。
変な言い方だけどこれは真実だから。
「この家での暮らしには慣れました?」
「ええ。教えてもらわなければいけないことはまだまだあるんですけど、生活は慣れました。
青は勿論、お義父様もすごくお優しいし操子さんも使用人の人達も優しくしてくれて」
「沙矢さまだから皆に好かれるんですよ」
きょとんと首を傾げた私に操子さんは微笑む。
「この家に青様があなたを連れてお戻りになるのを隆さまや
私、ここで働いている者たち全員が待ってたんですよ」
嬉しくて、何か熱いものが胸に込み上げるのを感じた。
ポロリと頬を伝う雫。
「あらあら」
操子さんはハンカチを取り出し、そっと涙を拭いてくれる。
「最近前にもまして泣き上戸になっちゃったみたい……。
子供みたいで恥ずかしいです。もうすぐお母さんになるのに」
「どうぞそのままでいて下さいね」
部屋の数は結構あったけど掃除は苦じゃなかった。
毎日掃除をしているのか、ほとんど汚れはなかったのでそんなに時間もかからずに全部の部屋の掃除が終ったのだ。
「えーと次は何をすれば?」
訊ねると操子さんは、言った。
「お茶でも飲みましょうか。隆さまのお好きなお茶お教えしますわ」
「あ、はい」
ダイニングへと歩く途中、使用人の男性が頭を下げたので、
「こんにちは」
と頭を下げた。
 隣りで操子さんがくすくすと笑みを零していた。




沙矢、退屈してるだろうな。
色々厳しく仕込まれると思ってたろうし。
大事に扱われてそのまま大人しくするような女じゃないからな。
「青」
隣から声がかけられてはっとした。
俺は義兄と二人、藤城病院の廊下を歩いていた。
ここは一階のナースステーションの前だ。
「どうかしました?」
「さっきから何か考え事でもしてるの?」
「ええ、まあ」
「この空気もいいなと思いまして」
やはり俺は医師が天職なのだろう。
「さすが、次期病院長らしい発言だねえ」
嫌味ですかと口に出しはしなかったが苦笑いはせずにいられなかった。
「正直、嫌だったんですけどね。継ぐつもりで医学部に通ったものの
そのまま後を継ぐのに疑問を感じて、遠回りしたわけですが」
「他で頑張ってきたんじゃないか」
「そうですね」
「君らしいね。自分の意志を曲げられることを嫌う。
そしてレールの上を歩く楽な生き方を好まない。地に足をつけて歩いてる。
ただのお坊ちゃんじゃないなとは昔から思ってたが」
俺を小学生の頃から知っている人だから子供扱いされてもしょうがないな。
「義兄さんは姉と出会ったのは運命だといつか仰ってましたよね」
「ああ。良くも悪くも運命だろうな。医学部に通っている俺と、病院長の令嬢が出会ったのは」
「詳しいエピソードは別に良いですよ」
「乗ってくれても良いのに」
本気かどうか寂しそうな口調の義兄に翠とは似合いの風だなと思った。
「それはそうと沙矢ちゃん寂しがってるだろうから早く帰ってあげたら」
早いといっても既に8時だ。
「いつも遅くまで残ってますからね」
「分かってるなら早く帰りなさい」
有無を言わさぬ義兄に反論は適わない。
「青の気持ちも分かるよ。プレッシャーはただ事じゃないだろう」
義兄はポンと肩を叩いた。
「俺は青が期待を裏切るような奴じゃないって知ってるよ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて、俺は、その場を去った。
信頼されているのは分かるが、わざとよりプレッシャーをかけた。
俺がプレッシャーかけられるほどに力を発揮する性質だからだ。
白衣を脱いでシャツのポケットに手を突っ込む。
長年染み付いた癖に苦笑した。
ちょっと前まであったはずのシガーケースが姿を消していた。
煙草は沙矢の妊娠が分かった時点ですっぱり止めたのだ。
スラックスのポケットに手を入れると車のキーが金属音を立てた。
キーを手に握り、駐車場へと急ぐ。
病院を出て空を見上げれば、夜闇に星が浮かんでいた。



「お義父様、お帰りなさい」
足音をさせないよう気をつけて玄関へ向かうと青ではなくお義父様が立っていた。
スリッパを差し出すと、
「ただいま。我が家は君が来て花が咲いたようだよ」
お義父様は品良く笑った。
「青、まだ仕事ですか?」
「そろそろ帰ってくると思うよ。ほとんど時間差じゃないかな」
「時間差?」
そう言っている矢先再び玄関が開いた。
「戻りました……沙矢」
「お帰りなさいー青」
「……見覚えある車が前にいるなと思ったら、ずばりか」
わあ、うんざりした顔。
「いつ追い越されるかとひやひやしたよ」
「追い越し禁止の車線でそんなことするか」
青は呆れた口調で言った。
私はおろおろと二人を見比べている。
「夕食食べましょう、ね?」
にっこり笑って青にスリッパを差し出す。
二人の背中を追ってダイニングへと向かった。
給仕をしている操子さんの側に向かう。
青とお義父様はそれぞれの席についていた。
ちらりと二人の方を見れば、会話が始まったらしい。
玄関での憎まれ口の言い合いが嘘のように笑い合ってる。
微笑ましい光景に、私も笑顔になる。
「操子さん、二人とも仲良いんですね」
家族全員での夕食はハロウィン以来だ。
お義父様はいつも忙しくて帰りも日付変わる前だから。
実は無理なさってるのではとちょっと心配だったりする。
「喧嘩するほど仲が良いと申しますでしょ」
いい言葉だわ……。
私はしみじみ頷いていた。
お盆に載せて、運ぶ時、青と目が合った。
笑いもせずに真顔でこっちを見つめてる。
ドキドキしてお盆を引っくり返しそうになった。
かたかたと震えながらどうにかお盆から食器をテーブルに並べた。
「どうしたんだ? 大丈夫か? 」
「さっきからこっち見すぎよ」
「朝から見てなかったからその分見てるだけだ」
「……やめてよ、お義父様のいる側で」
青に耳打ちすれば、彼は邪笑した。
「別に気にすることでもないだろ」
「うん、気にしないでいいよ。見てて飽きないから」
青の性格は遺伝ね、絶対。
この二人似てるからぶつかり合うのよ。
「あのお義父様、変なこと言ってもいいですか?」
自分も席へ着くとお義父様の方に視線を向けた。
「なんだい?」
「私、家柄の良い所って、もっと厳しいのかなって思ってたんですけど、
意外とアバウトなんですね。普通のお家と変わらない。
操子さんと家事をやってても、別に特別違うところなくて」
そう言うとお義父様は爆笑した。真面目に言ったつもりなのに!
スープを口に運ぼうとして持ったスプーンを取り落としてる。
青は動じずに、食事を進めてる。私の性格把握してるからね。
「沙矢ちゃんって面白いねえ」
お義父様はくすくすと含み笑いをしてる。
「うちは一際変わってる家なんだよ。そろそろ気づいてるだろ?」
青は真面目な顔で言った。
「楽しい家庭ですくすくとこんなにもでかくなっちゃったんだよ、青は」
そこで茶化すんですね。
「ふふ、私、藤城のお家に住めて嬉しいです。
お義父様も操子さんも皆素敵な人達で大好きですから」
「そう」
お義父様は優しく微笑んでいる。
青はふっと笑った。
飲み物を口に運びながら、グラス越しに一瞬、青に視線を送ってから、
「でも普通の家とは違う部分も多いです。青のマンションで
慣れたはずだったんだけど、やっぱり驚きました」
再びお義父様を見つめた。お義父様の横では操子さんがグラスに飲み物を注いでいる。
「お前思いっきり素直な感想だな」
だ、だってそう思ったんだもん。
「これからも驚くこといっぱいかもしれないよ?」
「わあ楽しみ!」
声が高くなった私を見て、お父様はまた笑っていた。



「青、お疲れ様」
寝室のベッドの中、青の隣で、横顔を見てる。
「毎日聞いても飽きないな。お前のその言葉聞くだけで疲れが吹っ飛ぶよ」
クスッと笑って髪を撫でて、柔らかく抱き寄せられた。
包み込まれると温かくてじーんとする。
毛布も心地いいし青に抱きしめられると安心する。
毎日繰り返してるのに、何でこんなにも同じ気持ちでいられるのかな。
「これから寒くなるから、青のセーターと赤ちゃんの靴下でも縫おうと思って」
唐突だったかしら。
「楽しみにしてるよ」
青の視線に愛しさがこもる。
抱きしめる腕の力が強くなって、胸が高鳴った。
「沙矢が皆に好かれてて本当に良かった。
嫌われるとは思わなかったが、ここまで快く受け入れてもらえるなんて」
しみじみ呟く青。
「うん、皆すごく優しいの」
「お前なら構わないんだよ。皆そう思ってるはずだ」
沙矢じゃなければここまで好かれなかったろう」
「青、ありがとう。私、この家で頑張るわ。2週間前よりもその気持ち強いの」
この家での暮らしが積み重なっていくにつれて強くなる気持ち。
「ああ、一緒に頑張ろうな」
手を握り合って互いの顔を見つめた。
ずっと青の顔を見てたら、寝息が聞こえ始めた。
彼の寝顔は無防備で普段より幼さがある。
私の体を抱きしめた腕は離さないまま眠りに落ちた青。
「おやすみなさい」
青の言葉を聞けなかったけど。
耳元に囁いて、私も瞳を閉じた。



モドル ススム モクジ


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