Open the newgateー2ー



今日も包み込む腕の温かさに酔いしれていた。
後ろ髪引かれる想いがするも、瞳を開ける。
結局、昨日は何したんだっけ。
昼過ぎに目覚めて、二人で出かけて外食をして、
映画を見て、あっという間に夜が来たのだった。
そしてまた温もりを分け合いながら、眠った。
荒波に翻弄される時、彼が手を引いてくれることの
安心感は何物にも変え難い。
青は誰より激しく愛してくれる。
これからも甘い痛みを、共に感じ合おう。

クスリと微笑みかけた。
「今日は早いな」
その言葉の意味を想像するととても気恥ずかしいのに、
青は知って知らずかさらりと口にする。
「もう」
「今日は送っていこうか」
「でも、私の会社は、青の会社と逆方向でしょ。 悪いわ……」
「いいんだよ。折角早く起きたんだろ、さっさと
朝食を済ませて出よう」
「うん」
「その前に」
「?」
疑問符を浮かべるのと唇が重ねられたのは同時だった。
「……青」
キスする時や体を重ねる時、名を呼んでしまうのは、
相手をより強く感じたいからだ。
「続きはまた後日改めて」
唇を離し、抱きしめた青が囁いた。
「な、何いってるの!?」
「週末までお前を味わうのをお預けにするよ」
ニヤ。
「や、いやらしい!」
「お互い様だろう」
あくまでも冷静な青が腹立たしい。
本気で腹が立つわけではないけれど。
その後、私たちは手早く朝食を済ませてマンションを出た。
会社の前で降ろしてもらった私は、
「何かあったらすぐ呼べよ」
突然そんなことを言われた。
「あるわけないじゃない。心配しすぎよ」
笑ってしまう。
「心配なんだよ」
本当に自分を分かってない。
青は溜息をついたようだった。
「じゃ、絶対連絡するから必ず来てね」
「勿論」
小さく手を振り、青と別れ、歩きだす。
ちらりと視線をやると車が走り去る後ろ姿が見えた。

昼休み、食堂でお弁当を広げていた時、
肩をぽんと叩かれた。
こわごわ振り返る。
びくっと体を震わせてしまったかもしれない。
「部長……」
「隣座ってもいいかな」
柔和な笑みを刻み、部長は、そう言った。
私が返事しようと口を開く前に席に座っているのをみると
了承を得る為の問いかけではなく、単なる確認だったのが分かる。
「水無月さんは付き合っている人とかいるの?」
いきなり何この人……。
「います」
「だと思った。元々可愛かったけど、ここ一年程で凄い綺麗になったもんな。
何か色っぽくなったというか」
彼は私から一度も視線を外さない。
鋭く見据えながらこちらの様子を伺う。
「ありがとうございます。でも、一社員を贔屓目で見たら、不味くありませんか?
他の社員の方の目もありますし」
「贔屓目じゃなく、本心で言ってるんだよ?」
にこにこと微笑んで彼は、テーブルの下から、膝の上にある私の手を握る。
「そういう問題じゃないと思います」
ますます彼の手に力がこもる。
「立場を気にしてるんだよね。僕は君の上司で、
君は部下っていう」
「気にするのが普通でしょう」
それだけじゃないけどね。
だって青以外の人にそんなこと言われようが嬉しくないし。
「君の彼が羨ましいよ」
「え」
「好きな時に君と会えるんだから」
「部長こそ人気あるじゃないですか。狙ってる人多いの知ってますよ」
人づての噂で聞いただけだ。
仕事もできて、女の扱いも上手い。
どっかの誰かさんを思い出しそうになるが、誰かさんの場合は
本当は、全然プレイボーイでも女の扱いが上手いわけでもない。
不器用だけど純粋な男性。彼とは違う。
部長の毒牙にかかる女子社員は多いらしい。
私は当てはまらないけれど。
「嬉しいことだね。だけど本当に好きな人に
振り向いてもらえないと意味がない」
彼の瞳が、私を射抜く。
気づかぬ振りして、私は言を紡ぐ。
「辛いですね」
「水無月さん、今日の夜空いてるかな?」
「生憎、急いで帰らなければいけないので」
「彼は君の時間を拘束してるの?」
この人、おかしいこと言ってない!?
自分の都合の良い方に物事を歪めて捉えるタイプの人間だ。
「失礼します」
私は無礼にならぬよう、頭を下げて、席を立った。
それから、頭をさっと切り替え仕事に集中した。
仕事が終ると、すぐに帰り支度を整え、会社を出る。
ねっとりと絡みつくような部長の視線と言葉が頭から離れない。
一体、どうしてという想いが胸に浮かぶ。
特に尊敬はしてなかったが、それなりに信頼していた部長。
流れる噂は別として、話しやすさとか好きだったのに、
私のことをあんな風に見ていたなんて。
驚いた。
見つめる視線の鋭さが怖かった。

バスを待つ為に大通りに出た。
青へ電話をかけても今は仕事中だろう。
気にするほどのことでもないと思うし。
歩道を歩く、私の前でクラクションの音がした。
青?
嬉しくなって、私は車道を仰ぎ見る。
彼がここにいるわけがないのに。
車の持ち主が助手席のドアを開けた。
よく見知ったその顔は。
「部長」
「送ってあげようか?」
「結構です!」
「遠慮しないで。さあ」
腕が伸びて、無理矢理車に引きずり込まれた。
油断してしまった自分に腹が立つ。
「嫌……」
抗議の声などお構いなしに車は走り出す。
「どうしてこんなことするんですか」
最早疑問符ではない。
ぽつりと自分の想いを口にした。
「君が好きだからさ」
「私には付き合ってる人がいるんです。
それに、こういうやり方は人間としてどうかと思いますよ」
「人間って時に手段を選べない時があるものなんだよ、水無月沙矢さん?」
この人の言っていることが分からない。
「君、男と暮らしてるだろう?」
「どうしてそれを」
「君は社内でも目立つ存在なんだよ。君のことを知らない
社員はいないんじゃないかな。特に男性社員はね」
「ありえないでしょう」
「事実だよ。綺麗で可愛い水無月沙矢さん」
車を運転しながら、部長は口を動かすのをやめない。
「下ろしてください、今すぐ」
私に家の場所を聞く気などさらさらないようだし。
知られても困るが。
「彼から君を奪っちゃおうかな」
「そんなことできると思ってるんですか?」
何か起きても抵抗するだけだ。
青に連絡を取れば来てくれる。
「この状況でその余裕はすごいね」
感嘆した風に部長は言う。
「送って下さると言ったのは嘘ですか?」
「勿論送るよ、ただし僕の家だけどね」
ルームミラー越しに部長は笑った。
どうにかこの場を抜け出したい。
青に電話をかければいいことに何で気づかなかったんだろう。
自分のボケっぷりに嫌になる。
鞄を探り、表示された番号を押す。
1、2、3コール。
早く出て!
電源は切っていないのか、コール音が鳴っている。
「もしもし」
「青!」
ほっと安堵で胸を撫で下ろしたのは束の間。
強引に携帯が奪われ、ぷちっと電源を切られた。
取り上げた携帯を部長は、サイドポケットに放り込む。
車はいつの間にか停車してる。
赤信号だった。
「今のが彼かい?低くて甘い声だね」
にやりと笑う。
嫌悪がした。
私は内心パニックに陥る。怒りと動揺で我を忘れていた。
「返して下さい」
「こんなもの必要ないだろう」
「こんなことして良いと思ってるの!?」
「へえ、感情的な君も魅力的だ」
「人の話は真面目に聞いて!」
もう部長とか関係ない。
この人は既に私の侵してはならない領域を踏み荒らしている。
荒々しく車が走り出す。
何度か右折と左折を繰り返した後また直進する。
飛び降りてでも逃げなければと思うが、
抜かりなく窓もロックされてるから叶うはずもない。
「帰して……お願い」
虚しい呟き。
泣かないと言い聞かせていたのに涙が零れ始めた。
全て私が悪いんだわ。
早く青に電話かけていれば良かった。
暗く染まり始めた空を車窓から、見上げて溜息をつく。
ゆっくりと車が止まる。
大きな家の目の前で。
呆然としていると、助手席の扉が外から開かれる。
「お疲れ様、さあ行こうか、お姫様」
狂っている。
自分の肩が震えているのを認めた。
絶望的だった。



震える体を自ら、掻き抱きながら車を降りた。
部長が腕を差し伸べるのではなく、掴もうとしている。
私は一瞬だけ、視線をどこかに彷徨わせた。
携帯がないと困るけど、取り返せないのなら、仕方ない。
自分の失態なんだもの。自分で切り抜けなきゃ。
車の中にある携帯は忘れることにしてばっと駆け出す。
追い駆けてくる足音。
捕まったら終わりだ。
とにかくこの人から逃げられればいい。
後のことはそれから考えたらいいんだ。
「傷つくなあ。そんなに逃げなくても良いでしょ」
声はすぐ近くで聞こえた。
振り向くことはできない。
「どうして!」
嫌…………。 足が、縺れてしまう。
ガクンと体が傾ぐ。
馬鹿だ。
もう少しで逃げられたかもしれないのに。
そう考えた時私は既に、部長の腕の中だった。
転げそうになったところを抱えあげられたのだ。
「仕事で疲れてるのに、無理しちゃ駄目だよ。
ろくな事になんないんだからね」
ろくな事=部長に捕まること。
その先にある末路。
ぞっとした。
どうにもならないのが分かってても必死で抵抗する。
「可愛い。そそる姿だ」
意味深に微笑む部長。
「春日さん、きっと後で酷い目に会いますよ」 青によって。
「憎いこというね。何があるって言うんだい。
別に怖くないよ?彼が来てくれると本気で思ってるの?
場所が分からないのに来れるはずがない」
彼は自宅の方へ私を抱えて歩いている。
「必ず彼は私を助けに来てくれる」
絶対的な確信があった。
そして彼の手で部長は手痛い目に合うだろう。
あの人が手加減するはずがない。
私は口の端を緩く吊り上げた。
「そこまで期待されてる彼を見たいものだね。
果たして彼は僕の物になった君を愛せるだろうか」
勝ち誇った様子で部長が微笑んだ。
施錠された自宅の門を開ける。
広い庭には花が咲き乱れていた。
鼻につく芳香。
「綺麗だろう。5年かけてやっとここまでにしたんだ」
無視した方が楽だ。
「でも君の方が綺麗だね。僕にとって一番の華だ」
長細い指が、私の頭に伸びる。
髪を撫でられると、背筋が粟立った。
「震えてるのかい」
「そうか、じゃあ気持ちよくさせてあげる。すぐに震えもおさまるよ」
「!?」
ガーゼが口元に押し当てられた。
クラクラするような。
「ぞくっとするかな。これはね、気持ちよくなれるクスリなんだよ。
女性とベッドを共にする時なんかに使うね。 僕しか見えなくなるんだ」
「…………いや」
声が上手く出せない。
体が熱い。
こんなの普通じゃない。
「すぐにそんな言葉も出せなくなるよ。
声にならない喘ぎしか出せなくなる」
「早く聞きたいな。君のイイ声が」
ベッドの中で。
助けて、青!
涙の作用ではなく潤み始めた瞳を見て部長が満足気な顔をした。
「沙矢」
急に呼び方が変わった。
階段を殊更ゆっくりと昇る。
わざとらしく。
何にもできない無力な自分。
暗い家の中は、恐怖を煽られる。
まだ理性を保っているけど、もうそろそろ限界が近づいている。
「大丈夫だよ、優しくしてあげるからね」
春日部長は、私の耳元で囁いた。
ゾクリ。
彼の声が肌に触れただけでどうにかなりそう。
ピクンと体が小さく跳ねた。
クスクスと笑う声が、した?
分からない。
意識が融けて。
私は”私”ではなくなって行く。
「イイ顔だ。効いてくるのが早かったね」
寝室の扉を開けると花の香りがした。
腕の中でまどろむ彼女を抱きしめる。
細いのに、この上なく女を感じさせる体。
心地よい感触。
本当に、いつも沙矢を抱いている男が恨めしく憎らしい。
「だけど今は僕の腕の中にいるんだ」
疑いもなく、勝ち誇る。
だって彼はここを知らない。

ダブルベッドに沙矢を横たえる。
僅かに身じろぎし、僕をうっとりと見つめてくる彼女。
舌なめずりするのを止められない。
邪魔な衣服を脱がせてゆく。
一つ、一つ、ゆっくりと白いブラウスのボタンを外してゆく。
スカートの留め具を外し、上半身も下半身も下着姿のみにした。
「綺麗だ」
「これからじっくり愛してあげる」
もう聞こえないかな?
「………春日さん」
掠れかけた声。
「学って呼んで」
そう促し、耳朶に喰らいついた。
「学」
「沙矢」
耳朶に舌を這わせ、舐めあげる。
「やぁん」
「敏感なんだね」
清楚な君はこんな淫らな所を隠していたなんて。
もっとゆっくり愛したかったけど、待ちきれないね。
早く、欲しい。
君の全部が。
音を立てて、胸元を隠す下着を外し、
下腹部を覆う下着も素早く取り去り、床に投げ捨てた。
白い肌が露になる。
薄っすらと肌に浮かんでいる赤い鬱血が忌々しい。
「汚らわしい物は僕が消そう」
唇を割り、舌を絡ませる。
「あ……んっ」
ねっとりと口腔を侵す。
唾液が糸を引いている。
くちゃくちゃと淫靡な音がしてたまらない。
上着を脱いで白い裸身に覆い被さった。
沙矢の手を固く握る。
花ではない甘い香りが、した。

さっきの電話の切れ方は不自然だった。
側にいた誰かが受話器を奪い取ったか?
あんな悪戯するような女じゃない。
沙矢は用のない時はこっちがかけて欲しくても
かけないくらい電話に関しては気を使う。
「何があった!?」
独りごちて、車を降りる。
ここは彼女の会社だ。
もう誰もいないかもしれないが一応確認しなければ。
「どうかされたんですか?」
血相を変えて正面玄関を突っ切ろうとした時呼び止められた。
社員らしき女性が目の前にいた。
「人を探してるんですが」
「社内には誰もいませんよ。既に社員は退社してる時間ですから。
私は少し片付けなければいけない仕事があったので今帰るところなんです」
「そうなんですか」
「お役に立てなくてすみません。失礼しますね」
いや、まだ聞かねばならない。
帰宅しようとする女性社員の肩を掴む。
「水無月沙矢という社員を知ってますか?」
あまり大きくはない会社だ。知っていてもおかしくはない。
「水無月さん?ああ、春日部長のお気に入りの娘かしら」
「春日?」
「ええ、今日の昼間も食堂で彼女に言い寄ってたのを見ました」
すごい言い方をするなあ。
良いんだろうか。
「部長のことをそんな風に言うのおかしいと思ってるんですね。
一応上司ですけど、あの人の悪い噂は皆知ってることなので、
別に良いんですよ。あの人の耳に入っても開き直るでしょうし」
散々な言われようだな。
一体どんな上司だよ。
「もう一つだけ。春日の自宅知ってますか?」
沙矢に近寄る害虫など呼び捨てで結構だ。
「あ、ちょっと待って下さい」
と言うと彼女は携帯を取り出し、どこかへかけ始めた。
「あ、ありがとう」
すぐに電話は終ったらしい。
彼女は俺にメモを差し出す。
「ここです。後輩に電話して聞きました」
女には見境ないんだろうな。
家を知っているというのはそういう関係を持ったことがあるということだし。
「ありがとうございます」
「いえ。お役に立てて何よりですわ」
にっこり微笑んで彼女は立ち去った。
ほぼ確実に、その春日の所にいるな。
電話を奪いやがったのもあいつだ。
辻褄が合わさってゆく。 こんなに早く彼女の居場所を掴むことになるとは。
「分かりやすい男だ」
食堂などという人の集まる場所で、社員を誑かすのだから。
「今、迎えに行くからな」
無事でいてくれ。
そうであってくれないと歯止めがきかない。
まだ殺人なんてしたことないんだぞ。
俺は、車に飛び乗り、猛スピードで走り出した。
奪われてはならない大切な女が危険に晒されている。
春日への怒りと憎しみが膨れ上がろうとしていた。
沙矢、待っていろ!
煙草を咥え、ハンドルを切る。
ここからメモの場所までは20分いや、 10分で行けるだろう。
舐めた真似をしたこと後悔させてやるからな。

首筋に口づけを落す。
忌まわしい赤の上をなぞる。
「あ……ん」
乱れきった姿を曝け出し、首に腕を絡めてくる沙矢。
蕩けた表情はクスリにより快楽が深まっている証拠だ。
さっきから気になっていたその場所に小さく口づけると、 沙矢の体が大きく跳ねた。
「ここが一番感じるの?」
膨らみをやんわりと揉み、頂を指で挟んで口に含んだ。
「……はぁ……ん」
既に固くなっている頂を吸い上げ、荒々しく揉む。
「そんな目で見つめられて、甘い声を聞かせられちゃったら 我慢できなくなるよ」
彼はもっと時間をかけて愛撫を与えてくれるのかな。
相当すごい人だね。
こんな君を見て堪えてるんだ。立派だよ、彼は。
沙矢の唇にもう一度己のそれを重ね、舌を差し入れた。
「あぁ……」
唇を合わせ、膨らみを揉みしだくとびくんびくんと反応を返してくる。
そろそろいいかな。
ズボンを脱ぎ、下半身を覆う下着も取り去る。
「ねえ、沙矢、ピルを飲んでる?」
 あわよくばの期待で聞いてみると
「……飲んでるわ……どうして……?」
期待していた答えが返ってきた。
舌足らずの濡れた声で言いながら体を丸めた。
その甘くとろけた顔ときたら何とも言えない。
「いい子だね……やっぱり君は最高だよ、沙矢」
シーツを被り、より強く沙矢の体と密着する。
秘部に触れると、彼女は背を反らせた。
微かに漏れた声を見逃さない。本当に感じやすい女だ。
行きあたる事実に憎らしくなるが、奪えばいいのだ。
「大丈夫。痛くないよ」
その時だった。
背中に悪寒が走ったのは。
部屋に鍵はついていない……。
「何が痛くないんだ?」
長身の端正な顔をした男がそこには立っていた。
「……!!」
驚き、沙矢から離れ、シーツを引っ被った。
鋭い殺気を感じる。
「お前、幼稚園の時習わなかったのか?
人のものを盗んではいけませんってな」
冷たい目で笑い、男は近寄ってくる。
「どうしても手に入らない宝物を得るためには相応の代価が必要なんだぜ」
言ってる意味分かるよな?
うっすら笑う顔さえ魅惑的だから、性質が悪い。
「……意外に早く来たんだね」
「声、震えてるぞ」
どこまでも余裕の態度だ。
「僕は彼女の上司なんだけど?」
「それがどうかしたか?」
「僕に何かしたら、その分彼女にとっていいことないよ」
「小さい男だな」
「何だと」
「そうやって地位を傘に脅すしか能がない。
俺がそんなどうでもいいこと気にするものか」
鋭い眼差しが射抜いた。
「逆に逆手に取れるけど?
お前みたいなやつが管理職にいても困るよな」
哂ったように感じたが顔は笑っていない。
「解雇処分は怖いだろ?」
「そんなことできるものか」
「社員の間でお前、よく思われてないぞ。
知らないとしたらよほど幸せで可哀相な奴だな」
同情の視線を浴びせられた。つくづく嫌な男だ。
「社員にどう思われていようが僕が部長であることに変わりはない」
「お前の考えだから俺はどうこう言わないが同調もしたくはないな」
恥ずかしくて。
男は、つかつかと歩みよりシーツに埋もれた沙矢を
自分の着ていたスーツの上着で隠し、抱き上げた。
「ま、拝めただけでもありがたく思え」
颯爽と部屋から出て行こうとした男が、こちらを振り返った。
「おっと、俺としたことが忘れ物をするところだった」
にんまり笑って、こちらに近寄ってくる。
「何をする気!!」
しゅっと軽やかな音がして、 顔面に容赦ない拳が飛んできた。
1度、2度、3度。
それだけでは終らず。
最後に横から殴られた。
「金輪際、沙矢に近づくな。手を出すな。今度は命がないぞ」
不敵に笑い、男は部屋から出て行った。
「ははは、すごい男だよ、水無月さんの彼は」
彼女には、近づくべきじゃなかった。
あんな恐ろしい男が側にいるだなんて。

沙矢を後ろの座席に乗せ横たえると、上着を彼女の体にかける。
「ごめんな。もっと早く来てやれれば」
あんな卑しい男の手に触れさせることはなかった。
まあ幸い、すんでで救出できたようだが。
「今回のは、お前には非がほとんどないんだろうな。
あの男に隙を見せたとしたら、お仕置きが必要だがな」
「どうなんだ?」
「…………」
未だまどろみ続ける沙矢に問いかけるが何の反応もない。
えらいクスリかがされやがって。
こんな物使う奴の気が知れないぜ。
媚薬がないと女を夢中にさせられないのか。
かわいそうに。
俺は馬鹿上司こと春日を嘲った。
「ちゃんと夢を見させてやるからな、俺の手で」
家路を目指し、車を飛ばした。

穢れを早く浄化してやりたい。

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