Touch and go



「あの……考えておくから」
「期待して待ってる」
 青は顎をしゃくって、頷く。
一通り商品を眺めるために店内をめぐった後、お店を出た。
外のひんやりとした空気にぶるり、身を震わせたら、青が肩を抱いた。
 羽織る物をかけてくれるより、ずっと生々しい接触だ。
 青を見上げて、瞳を細める。
 会社が終わった後二人でドライブデート。
 これからは、こんな機会が何度でも訪れるんだ。
 一ヶ月前、お昼休みに待ち合わせたあの日のぎこちなさは、
 嘘のように消えようとしている。
 車に乗り込んだ時、青がさりげなく口を開いた。
「食べて帰ろうか? 」
「そうね! 」
声が弾んでしまう。
 折角仕事帰りにデートできたんだもの。
 ご飯も食べたかったのだ。
 青はくっと笑った。
 後部座席に置いていたひざ掛けを渡してくれた時、
 触れた指、絡む視線にドキンとした。
 体を傾けた青が、中々離れない。
「物欲しそうな目だな。キスと愛撫どっちが欲しいんだよ」
「ば……な、何!? 」
「さっきのじゃ全然足りなかったんだろ。
 まったくどれだけ貪欲なんだか」
 くすくすと笑われて赤面した。
 外を見てたらいきなり窓を閉められ、彼に激しく唇を奪われた。
 息もつけなかった。
 今も唇を舐めて獲物に狙いを定めているみたいだ。
 この車にカーテンなんてついてたんだ。
 驚いている瞬間にも彼の体が、覆い被さってくる。
「車出して出発しましょ」
「急がなくても、今の俺達には十分時間があるだろう」
 そういう意味じゃなくて。
「キスで俺をイカせることできたら、電話の詳細を教えてやるよ。
 気になってしょうがないよな? 」
 遮光カーテンのせいで、薄暗い車内の中、
 二つの瞳がぎらぎらと輝いていた。
 青ってば何言ってるの。
「青は疲れてないの? 車も運転してるじゃない」
「お前に仕事の疲れを癒してほしいんだ」
「ちょ、ちょっと待って」
 首筋から、香る匂いが感情を麻痺させる。
 仕事に行く前に香水はつけないし、煙草の匂いもほとんどしない。
 なのに、どうして、惑わせる香りがするの?
 青の匂いが混じって合わさってる。
 勝負なんて見えている。賭けには勝てない。
 私は彼と触れ合うことを自ら望んで、誘惑に乗るのだ。
 首筋に腕を絡めて抱きつく。
 静かな車内に衣擦れの音が響いた。
「おい、くっつき過ぎたらキスで終われなくなるぞ」
「っ……駄目」
 青から言ったくせに、私の腕を掴んで体を密着させるんだから困る。
 彼の体に繋ぎ止められたら逃れる術はない。
 髪を撫でる指の動きにふわふわと眠たくなる。
 自分の唇で彼の唇をなぞって、重ねる。
 このまま甘く優しいキスを続けていたい。
 啄ばんで、放すことを繰り返す。
 髪を撫で梳かす指の動きは止むことがなくて、
 彼は余裕をなくしていないことに気づく。
「ん……ふ……っ」
 自分から仕掛けたキス。
 たとえ、彼から先に受けた物じゃなくても鼻から抜ける息は同じだった。
 歯列を吸う。彼の舌に自分の舌を巻きつけて絡める。
 濡れた音が、煽る。
 賭けというより、本能に近い部分で彼にキスをしていた。
 青を満足させるどころか堕ちてしまったのは私。
 キスは相手から返らなくて私に任せている。
 くったりと体の力が抜けていく。
 乱れた吐息、煙る視界の中、背中を抱えられ耳元を食まれたのを感じた。
「っあ……」
 顎をつかまれ上向けられる。
「上出来だよ……これ以上煽られたらどうなるか分からなかった。
 嬉しかったよ。お前からのキス」
 彼からのお返しのキスは、ぎこちない私とは反対に情熱的で巧みだった。
 啼いて、背中に爪を立てる。
「続きは次の機会に」
 くす。青は淫らなゲームの幕引きをした。
 背中を撫でられながら、耳元で彼は囁きかける。
「姉だよ。
 携帯にかかってきたら面倒だから、家の電話しか教えてなかったんだが
 どうやら、義兄に聞いたようだ。
 滅多に会うことがなかったが、俺とお前の未来が繋がるなら
 無関係の人間でもないだろう」
 不用意に背中を撫でたり頭を撫でたりされて、
 眠くなってしまっていた私は、うとうとしながら
彼の言葉を聴いていた。
 青の声も眠りを引き寄せる力があるのだ。
 低くて甘い声は心地よくて、彼の声でぼんやりしてしまうことも多い。
「お姉さん、会いたいなあ」
 前髪を掻き分けて額にキス。甘酸っぱくて、きゅんとした。
「会える日まで仲良く過ごそうな。とりあえずは」
「カフェに着くまでお休み」
額に手のひらを翳されて、すっと視界に幕が下りる。
 どうしてこんなに簡単に眠りに落ちることができるの。
 仕事で疲れていた上、彼に翻弄されたからかもしれない。
 青が車の外から声を掛けてくれる声で目を覚ました。
 15分も経っていないとは思うけど、気まずい。
「おは、おはよう」
「おはよう」
 差し出された手のひらに掴まって車から降りる。
 この場所には昼間しか訪れた事がないからか、
 夜はまた違った雰囲気で、物珍しい気分で店内を見渡した。
 青が、どこかに電話を掛けていたが、私と目が合った瞬間には、通話は終わっていた。
 てきぱきと用件を済ませることができるんだ。
 仕事もずば抜けてできるんだろうと想像も容易い。
 私は、青を見る周囲の視線が気になったが、
 女の子のグループから熱いまなざしが、
 送られているのに頓着していないから、彼の側にいて不安にならなかった。
 店員の女性に渡されたメニューを眺めて、青に手渡す。
「青……バレンタインってたくさんチョコもらってきたんでしょ」
 ちらちら、と彼を上目遣いでうかがうと青は真顔で答えた。
「そんなこと、いちいち覚えてないな」
 水を吹き出しかけた。
 問題発言な気がしてならない。
「もらった後ってどうしてたの? 」
「適度な糖分の摂取は脳を活性化させるのに役立つが、
 過剰摂取は肌荒れや、脂肪の蓄積につながるからな」
 青は、ふう、とひとつ息をついた。
 間を置いた次の言葉が待ち遠しい。
 私は笑い出しそうになったが、何とか堪えていた。
 青は真面目に言っているのだ。笑うなんてとんでもない。
「一つか、二つ小さいのを食べて、家族にも分けたな。
 もらっておいて捨てるのは申し訳ないだろ。
 冷凍すれば日持ちするから保存食料としては申し分ないしな」
 もっともらしいことを言われ、曖昧に笑う。
「あはは」
 ちゃんと覚えているんじゃない。
 記憶力が良すぎる彼が忘れるわけないとは思ったのだが。
  「安心しろ。お前からもらえるチョコレートは、今から楽しみにしてるから」 
「期待に添えるか分からないけど頑張るわ」
「甘い媚薬を心行くまで堪能させてくれるんだろうな」
にやり。口元を歪めた青が、悪戯に手を握ってくる。
 擦り合わせるように指を絡める仕草に、ぎゅっと目を閉じた。
 前々から思ってたけど、公衆の面前でも平気なんだから!
見えてないから安心でもしているのかしら。
「チョコレートは媚薬って知ってるか? 」
 媚薬ってあの……あれよね?
「媚薬は何となく知ってるけど……チョコレートってそうなの? 」
「ちゃんと調べて勉強しておけよ」
「は、はい」
 青はさっきとは別人のように、表情を変えて、
 やってきた店員の女性にメニューを伝えた。
 すぐに平静に戻るのはすごいと思う。
 言葉の余韻が残っていた私は、伝える時に噛んでしまい、途中で言い直した。
 誰にも笑われなくてよかった。
 青が、メニュー言っただけなのに店員さんは、足元のバランスを崩しかけていた。
 何がどうなっているのだろう。
「ねえねえ」
「ちゃんとした日本語使え」
「つ、使ってるもの」
「青って幼稚園の時から同じ声なの? 」
「そんなわけないだろうが。中学になってから声変わりしてるよ。
 お前は変ってないんだろ。可愛くていいな? 」
「男の人じゃないから、声変わりはあんまり関係ないかな。
 でもね幼稚園の時より落ち着いたはずよ」
「当たり前だ」
 こつん、とおでこに拳が当てられる。
 子供扱いされている気がしてならないけど、
 嫌じゃなくて、彼なら受け入れられる。
 やがて、運ばれてきた料理を食べた後、帰路に着いた。
「ただいまー」
 誰もいない室内に向かい言う私に青が例の忍び笑いをする。
「部屋へ戻ってるから先に入浴して来いよ」
「はーい」
 声を弾ませて返事をした後、バスルームに向かう。
 何故か心が急いて、体と顔を洗うと、バスタブに浸かる時間もそこそこに入浴を済ませた。
 寝室に戻ると、ベッドの縁に座った青が何かの箱を持っている。
 とことこと近寄ると、そっと手に渡された。
 彼の眼差しに魅入られ、渡された箱に視線を戻す。
「あの……これ」
 化粧箱に入ったデザインウォッチ。
 文字盤の周りに薄いピンクの石が散りばめられていて、
 バンドの部分にもラインストーン状の同じ石が使われている。
「二日ほど早いけど誕生日プレゼント。
 時計は使えば使うほど腕に馴染んでくるんだけど、
 これは普段使いじゃないかな。二人でいる時は必ずつけろよ」
「ありがとう!」
「いや、つけてやるよ」
 素早く手首に嵌めてくれ、口づけられてぼうっとなる。
 私が見ていた腕時計を彼は贈ってくれたのだ。
「似合ってる。この時計のように二人の時間を刻もう」
「言葉にできないくらい嬉しい」
「じゃあ、態度で教えてくれよ」
 勢いよく抱きついたら、両腕が腰に回る。
「おめでとう。けど、お前はもう一つのプレゼントの方が待ち遠しいかな? 」
 悪戯に微笑まれた。
年末年始の休みが終わった最初の土曜日、大学病院で診察を受けた。
 検査の結果も聞いてきて、処方してもらったところだ。
 次の月経が来たら、その日から飲むようにと言われ、
 私は、忘れないようにピルケースに準備した。
「両方嬉しいわよ。あなたからもらえるものは、どんなものも特別なんだもの」
「嬉しいことを言ってくれる」
「本当にありがと、青!」
 青は、パジャマの上にシルクのガウンを纏っている。
触ると滑らかな感触だ。
 背中に指を滑らせて、さわり心地にうっとりしていたら、
「人を焚きつけるな。それとも望むならお応えしようか? 」
「け、結構です」
 そんなつもりは微塵もなかった。
 改めて向き直ると、ぽんぽんとシーツを叩かれた。
 青が指し示す隣に横たわると、布団をかぶせられる。
 二人同時に潜り込んで、肩まで布団を引き上げた。
 長い腕が伸びてきて頭を撫でる。
「また近い内に着物姿見せてくれよ。着付け手伝ってやるし」
 着付けもできるだなんて、青にできないことはないのでは。
「……一人で着るわ。お母さんから教えてもらったから」
 何となく抵抗感を感じた。
 青をそういう人に見てる私がいけないのかしら。
「別に何もしやしない」
「本当かしら……」
「気分次第かもしれないから、言う事は黙って聞いておけ」
 傲慢な唇が、私の唇を塞いで黙らせた。
 軽い触れ合いでも甘い眩暈が起きてしまう。
 潜り込んだ布団の中で手を繋いだ。
手首に重みを感じたけれど、今宵は外さずに眠りたい。
朝になったら、外して着替えるのだから。
「ありがとう……お休みなさい、青」
「愛してるよ、お休み」
 彼と眠りの中を漂っているのもいいけど、モーニングキスを受ける朝も恋しかった。
 




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