KARAKARA(1)



 菫子と俺は、通いなれた河原で、草が生い茂った坂を登っていた。
 子供っぽいことするなあと思いつつ、一緒になって
 手を繋いで登っている。
 階段を使えば早いのに、わざわざ足元が不安定な方を選んだ。
「ちょっとどきどきしたね」
「手をつないでたおかげで、落ちずにすんだな」
「別に、涼ちゃんがいなくても、一人で登れるもの。
 不本意だけど小さいから身軽なの」
「ちっさいもんなあ、菫子は」
 わしゃわしゃと髪をかきまぜたら、頬を膨らませて顔を赤らめた。
 顔に出るから分かりやすい。
「……人に言われると腹が立つわ」
「まあ気にすんなや」
「涼ちゃんは大きくていいわね。10センチううん、
5センチでいいから  分けてほしいくらいよ」
 恨めしそうな目つきさえ可愛らしい。自分では気づいてないんだろうが。
「やらんわ。悔しかったら牛乳飲んで大きくなったらええ」
「……牛乳なら飲んでるけど、効果、疑わしいわよ」
 思わず下を見てしまった。身長差のせいで
 その位置は、ちょうど視線を向けやすいのだ。
「別の所に栄養取られたんやな……」
「ちょっと、どこ見てるのよ。変態の汚名は剥がしてやらないからね」
 ぽかぽかと、腹部を殴られるが、痛くもかゆくもない。
 小さな虫が、止まっているのと変わらないほどの威力だ。
「……く」
 あかん。笑い転げそうや。菫子はほんま飽きない。
 今がチャンスだと感じた。
 無防備にくっついて、離れた後も、息が触れあう距離にいる。
 思い切って、腕を取ってみた。がっしりと掴む。
「何、どうしたの? 」
 正面から抱き締めることに成功する。
 小さいから簡単に包みこむことが、できてにやりとした。
 暴れず、大人しくしている様子に、内心安堵する。
 調子に乗って、髪をそっと撫でて匂いをかいでみたり、背中を擦ったりした。
「……りょ、涼ちゃん」
「ちょっとの間、こうしててもええ?」
「確認が遅い……」
 それでも菫子は、じっとしていた。抵抗もせず身をゆだねている。
 気のせいか、舌足らずの口調は、雰囲気に酔っているのか。
 手を引いて、一緒に芝生の上に座る。
 菫子は、俺にしがみつく格好で座り込んだ。流れに従うまま。
 頭を引き寄せて、胸に抱いた。
 隙だらけな様子に甘い誘惑が首をもたげた。
 くい、と菫子の顎を持ち上げて、顔を重ねる。
 薄くリップを塗った唇に、キスをした。
 柔らかくて、ずっと重ねたままでいたくなる。
 お互いの唇が濡れてきて、ようやく唇を離した。
 菫子は瞬きを繰り返し、やがて視線を上向けた。
 潤んだ眼差しが、心臓を派手に揺さぶる。
 いつも大きな瞳が、より丸く大きく見開かれていた。
(本気でヤバい。帰したくないとかほざいてしまいそうや)
 ……慌てて目覚め掛けた野性を弾き飛ばして平静を取り戻す。
思いあまったことをしたら友情さえ失ってしまう。
 菫子は時が止まったかのように動かない。ええ、どうした?
 目を開けたまま気を失うなんてと心配になったが杞憂だった。
 数秒後、息を吐き出した菫子の眼差しが強く俺を貫いた。
「……か、帰る」
 明らかに動揺した様子で、彼女は立ち上がった。
 一度振り返った時の菫子は、感情の行き場に困っているような顔をしていた。
「おう、気ぃつけて帰るんやで」
 もし送るのを申し出て下心を疑われたらと思えば、見送るしかできない。
 下心がないとは言いきれない自分が悲しかった。やましい感情はないつもりなのに。
 さっきのキスに後悔はない。
 きっと菫子も唐突で戸惑っていたのだ。
 そして、今にいたる。あれから、関係は変わることなく
 友達同士(あくまで菫子が主張している)のままだ。
 カフェで隣りに座った菫子は、ミルクティーを飲んでいた。
 ふうふう、と吹いているのが、何とも和む。
 今日こそは、一歩先へ行きたい。
 ここで決めなければ、男がすたる。
 恋人未満じゃなくて、本物の恋人同士になりたい。
 決意をこめて、隣りの小柄な少女を見つめた。
 出会った二年前より、いくらか大人っぽくなった気がする。
 強気に噛みついてくる童顔な小動物は、腹が立つくらい愛らしいのだ。
 子供みたいに笑うくせに、時折妙に大人っぽいのが、謎すぎだ。
「なあ、菫子」
 菫子は、きょとんと、まばたきした。
「なあに、涼ちゃん」
 真面目に話そうと思っていたが、不意に悪戯心がこみ上げてきた。
 ニヤりと口端を持ち上げてしまう。
「俺のこと、一目惚れだったんやろ? 」
 菫子は、飲んでいた紅茶を勢いよく吹き出した。
 あまりの過剰な反応につい吹き出してしまったが、
 テーブルの上のナプキンを数枚差し出して渡すと、こちらを睨みながら、奪い取った。
 慌てて取り繕ったが、遅かったらしく、彼女は、頬を膨らませて口元とテーブルを拭いた。
「……違うわ」
 完全否定だが、胡散臭さすぎて疑いは残る。
「ほんまに? 薫もあの日の菫子は間違いなく、俺に落ちとったって」
 溜息をついた菫子をじっと凝視する。
「確かに真っ赤な顔で意識しまくりだったな」
 菫子はぷるぷる拳を震わせている。殴られるのは別に構わんで。
「自意識過剰ね! なんでそんなに一目惚れにこだわるのよ」
「いや、いつ好きになったとかはっきり聞いてなかった気がして」
 一目ぼれ以外ないかと。
 つづけた言葉に、菫子は震える唇を開いた。
 何が来るか身構えた。
「最初見た時……かっこいいって思って……
まさか話しかけれると思わなかったから、ドキドキしただけ」
 そんなん言われたら男冥利に尽きるな。顔がにやけてしまうのも仕方がない。
「ふうん? 」
「……何度か顔合わせてる内にだんだんと惹かれて……ってな、何言わせるのよ」
 菫子は俺を鋭く睨みつけた。
 もじもじしながら、真っ赤にした顔をうつむけた。
「ふうん、じゃあ七夕の前は? 笹の木がマンションにあるって自慢してたあの日はもう好きになってた? 」
 まだそこまで親しくなかった頃だった気がする。
 ……大学一年の夏か。
 息を吐き出す気配に回想から、瞬時に覚める。
「……悲しいことに、もう大好きになってた! 」
 叫ぶ勢いで、言われて、きゅんとした。
 男でもそういうこともあるのだ。
 言わせてしまったが、満足感でいっぱいだ。
 じっと見つめているとみるみる内にうろたえてしまう。
「……な、なに? 」
「うん、やっぱりかわいい。誰にも渡したくないくらい好きやわ」
 素直に出てきた一言に、自分で納得する。
 この子を独り占めしたい。小さくて、いたずらな悪魔を。
 頬に手を当てて、ぼうっとしている菫子に止めをさす。
「友達にはキスせえへん」
「それを言えば私だって……」
「ぶっ。おでこにちゅうと唇にキスは全然ちゃうで」
 あれは一年ほど前、ベンチで、薫を待っていた
 俺の目の前に現れた菫子は、額にキスをくれた。
 ついからかって、返した方がいいかと聞いたが、あの頃は、
 まだ妹分にしか思っておらず、恋心なんて存在しなかった。
 あの時のキスと、この間の俺のキスは違う。
「それともキスしたの嫌やった? 菫子だってその気だったはずや。
 雰囲気に呑まれたのは確かやけど、そういうもんやろ。
 強引にしたつもりはないし、後悔は一つもしてない」
「……嫌なはずがない。だから嫌なのよ」
 良かった。同意の上だと信じていたものの、少々不安だった。
 シリアスな雰囲気に、場所を変えなければと思った。
 こんな公衆の見守る場では、とてもこの続きを話すことはできない。
「菫子、場所変えようか」
「え? 」
 きょとんと眼を瞠った菫子の腕をそっと取って、レジへと進む。
 手を引いて外へ出て、歩いていく。
 多少強引だが、こうでもしなければ、堂々廻りの状況に
 一石を投じることは不可能だ。
 振り切らずに、ついてきてくれているから、信じてくれているのだと思う。
 滅多なことはできない。勝負はこれから。
 バイクの後ろに乗せてヘルメットを渡す。
 頬を押しつけられた背中が、しっとりと熱い。
 泣いているのか。いじらしくて、どうしようもない。


 向かった先は、自分のマンション。
 地下駐車場にバイクを止めて、立ち尽くす菫子の手を繋ぐ。
 握り返される力は強くて、ほんのり心が温まった。
 エレベーターに乗って、目指す部屋の階で降りる。
 今更ながらだが、訊いておかねばとわざと明るい調子で問いかけた。
 緊張させては元も子もない。
「今ならまだ引き返せるけどどうする? 」
 ドアを凝視する菫子は、じっと考え込んでいるようだった。
「とりあえず寒いし入ろ。お茶でも入れるからじっくり本音を聞かせて」
 頷いた菫子を確認して、鍵を差し込む。
 握っていた手を離して、中へと誘導し、後ろ手に鍵を閉めた。
「どうぞ、お姫様、むさ苦しいところですがおくつろぎ下さい」
「むさ苦しくはないみたいだけど、殺風景ね。観葉植物くらい置いたら」
「うんうん、菫子はそれでなくちゃな」
 いつもの調子を取り戻していた。
「コーヒーでいい? ってそれしかないんやけどな」
 笑って、さりげなく尋ねる。
「砂糖とミルクがあればお願い」
「了解しました」
 引き戸を閉めて、台所へ入った。台所の向こうは玄関だ。
 二人分のカップを丁寧にテーブルの上に置く。
 両方ともコーヒーの粉を入れる。菫子の分には砂糖を入れ、ミルクを入れる。
 若干おおざっぱだが飲んだら同じだ。
 ジャーポットからお湯を注ぐと、コーヒーの香りが、漂ってくる。
 戸をあけて戻るとため息が聞こえた。
 テーブルにカップを置くと、間が悪かったのだろう菫子はびくっとしてしまった。
「お待ちどうさま」
 がしがしと髪をかき混ぜる。
 ここは、音楽で気持ちを伝えよう。うってつけなのがあるのだから。
 菫子から向かって正面に座り、ミニコンポを操作した。
「俺のお勧めでええ」
「うん」
『THE BORDER』だ。
 これは、既に結ばれている恋人同士が、次へのステップを踏み出そうと
 する歌なので正確には少し状況は違うと思う。
 ……この関係にピリオドを打つには相応しいと強く感じたからこれにした。
 背を向けて、口ずさんでいるが、今菫子はどんな顔をしているのだろう。
 曲が終って、向かい側を見れば、視線が絡んだ。
 『KARA KARA』にするべきかとも迷ったが、止めた。
 ストレートかつ情熱的に向かっていく感じなので、
 曲のままに攻め落とす展開を懸念したのだ。
「リクエストしていい? 」
「ええよ」
「YOU&I」
「おっけー! 」
 ノリノリで曲を掛けた。菫子の気持ちがこの曲に含まれているのだろう。
 菫子は曲に合わせてYOU&Iを歌った。
 時折、声が震えて、最後は嗚咽混じりだった。
「菫子……? 」
「……っ」
 頬に流れる滴が、膝へと落ちていく。
 溢れだして止まらない涙を止めるかのように目尻を擦る様子に、コートのポケットのハンカチを掴んだ。
 赤いまぶたが、痛々しい。頬も真っ赤に火照っている。
「ごめんね……涼ちゃん」
「ん? 」
「あなたの側にいたら、醜い所とか暴かれるのが怖かった。
 近づいていくほどに、可愛くないことも知られちゃうから、
 少し引いてしまってた。嫌われたくなかったの」
 泣きじゃくりながら菫子は、こみ上げる想いを言葉に代えた。
 愛しくて、何もかも投げ出して守ってやりたくなる。
「あほやな、俺が今更、菫子を嫌いになったりするわけないやん」
 きっぱりと告げると、菫子が涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげた。
 ハンカチを差し出すと、掴んで、乱暴に頬を拭い始める。
 見ていられなくなって、頬に溶けた涙を自らぬぐい去った。
「菫子が、可愛くなかったことなんて一度もないで」
 ふ、と柔らかなまなざしで、見つめた。
 

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