あれから、寝室の奥にある部屋で酒を飲んでいた。
ワインをグラスに注いで煽る。
 何度それを繰り返しただろうか。
 苦々しい気分でボトルを開けていく。
 いくら飲んでも酔えない体質のせいで、体が火照るのに対し頭は平静のままだ。
 逆に、さっきより今の方が冷静に物事を見つめられる気がした。
 口元を乱暴に拭って溜息をつく。
 何も教えないで、よくいえた物だ。
 傷ついた表情を見せたルシアは、消え入りそうに儚かった。
 まるで吹けば消える蝋燭の炎のようだった。
 何であんな言い方しかできないのだろう。
 人とまともに触れ合ったのも久々すぎて接し方を忘れていた。
 身近な存在といえば使い魔のホークスのみで。
 閉鎖された空間で、より『人間』から遠ざかっていたのだ。
「すべて自分が望んだことじゃないか」
 クッ。手の平で顔を覆う。
 覗いた口元は、吊り上がっていた。
 感情を押し殺し、生きてきた俺にとって、表面上にそれを出すことは
 苦手で傍目からは、何も動じていない風に見えるだろう。
 ましてやまだ一緒に過ごして間もないルシアに性質を理解しろと言うのが無理があったのだ。
 立ち上がっると幾分すっきりとした気分だった。
 寝室を通り、階段を上がる。
 魔方陣の部屋と寝室は地下2階にあり、地下一階に庭園がある。
 地下一階はほとんど庭園が占めているといっても過言ではない。
 庭園にあるふたつの扉の内一つはルシア用の私室として作り変えた。
恐らく部屋にいるのではないか。
 庭園は、夜になると花や草があることもあり不気味だ。
自分は平気だが、女が一人過ごす場所としては心許ない。
 夜は俺と過ごす事が多いので、部屋を使うこともあまりないだろうが、
 こんな時は、一人でゆっくり考えたいはずだ。
 開け放たれたままの空間は、未だ夜明けには早く薄暗い。
 ベンチにも、ブランコにもルシアの姿はなかった。
 やはりと考え、庭園の隅にある扉の一つを開けた。
「ルシア」
 シーツに人らしき塊がある。
 近づいて手で触れれば、ぴくりと体が動いた。
「知らないわ。あなたのことなんて。
 教えてもくれないのに分かるはずもないでしょう」
 意外にしっかりとした口調。
 声が返っても顔を見せてはくれない。
「悪かった」
 するりと出てきた言葉に内心驚いた。
「顔を見せろ、ルシア。見せないなら強硬手段に出るぞ」
 傲慢な物言いだと自覚しつつも、こういう風にしか振舞えないのだから仕方がない。
「好きにしてください」
 本気か? と問い返したくなった。
「そうさせてもらおう」
 シーツに手をかけた途端ルシアはむくりと起き上がった。
 鮮やかな青い瞳が、揺れている。
瞬きし、ベッドから降りようと足を下ろした時、
「……そこで止まる俺じゃないって知ってるだろう」
 ルシアの腰を抱いて引き寄せ、ベッドに押し倒した。
 じたばたと暴れているルシアに、
「活きがいいな」
 なんて嘯きながら、両手をシーツの上に置いてルシアの体を縫いとめる。
 半ば拘束されたルシアは、顔を赤らめて大きな瞳を泳がせた。
 横に向けかけた顔を無理矢理正面を向かせる。
「……顔を背けるな。俺を見ろ」
「玩具じゃないなんて嘘でしょう。
 玩具だから、いらなくなったら捨てられる。
 私があなたを想っててもあなたはそうじゃないから」
 はっと我に返ったルシアが自分の口元を押さえる。
 全身熟れた果実の如く真っ赤に染まっていた。
「知ってたさ。
 いくら俺でも自分に向けられる純粋な想いくらい感じ取れる。
 お前がくれる想いに、ひどく満たされていた。
 女なんて使い捨てがきくと思ってきた。飽きたらまた次を探せばいいと」
 ルシアが信じられないものでも見るような目で見つめてくる。
「だが、お前は違ったんだ  ……とっくに捕まってたよ。
 認めたくなかっただけだ」
 あろうことか、顔が朱に染まっている。
 ばつが悪い。
 さらりとルシアの髪を撫でる。
 伸びてきた腕を掴み、頬を捕らえた。
 視線がぶつかる。
 零れんばかりに見開かれた瞳は潤んでいた。
「不安だったんです。ずっと。
 私はいつか用済みになるんじゃないかって」
「すまない」
「ううん、もういいんです。
 ありがとう、クライヴ」
 ルシアの笑顔を見るとどうして心が温かくなるなるのだろうか。
「礼を言うのはこっちの方だ」
「こんなに素直なあなたを見るのは初めてです。 
 心にしっかり焼きつけておかなくちゃ」
 思えばこれ程純粋な気持ちで口づけたいと感じたのは初めてだった。
 覆い被さり、唇を近づけて、ゆっくりと触れ合わせる。
 唇を合わせるだけのキスなのに、果てなく感じた。
 間近で瞳を閉じている姿に胸が焦がされ、そそられた。
 抱きつくように背中に腕が回され自然と体の力が抜けた。
 引力で、縺れ合い抱き合ったままベッドの上で転がった。
 ルシアが上になり見下ろしている。
 交わる視線、相手の表情が伝わってくる。
「ルシア、お前のいた時代に戻れ」
 ルシアの頬を指先で捕らえて瞳に問いかける。
「クライヴ……」
「一度戻ってみて元の時代で生きるか、こちらに戻るか自分で考えてみろ」
 視界に映るルシアは瞳を揺らさず、ただ俺の話を聞いていた。
「……、どんな答えを私が選ぼうともクライヴは黙って受け入れるんでしょうね」
 淡々とした口調だった。感情を表に出さないよう努めている気がした。
「ああ」
「一度帰ることにします。私もそれが一番だと思うので」
「それがいい」
 ホッと息を吐くルシアが印象的だった。
「明日の朝、返還の術を行う。魔方陣の部屋に来てくれ」
「はい! 」
 元気のいい返事。
 すっかり普段のルシアに戻っていることに安堵した。
 その日は、別々に眠った。
 ルシアの為というより俺が、帰したくなくなり兼ねなかったのだ。

一度戻って考えた方が、いい気がした。
 クライヴの強引な言い方が許せなくて、平静そうに見えた
 彼を冷酷だと感じたりしたけれど、感情が表に出ないせいだった。
 人を召還したり元の場所に戻したり多大な精神エネルギーを消費するというから、
 大丈夫なのだろうかと不安もあったりした。
 優れた魔術師なのだから、疑うのは失礼かもしれないけれど、
 もし、またこちらに戻りたいと願った時、彼が私を召還できなかったら
 二度と会えないことになる。
 考えすぎの杞憂に終ってほしい。
 危うい雰囲気になったが、キスを何度か交わしただけで
 クライヴは何事もなかったように部屋を去っていった。
 少し寂しかったのはいうまでもない。
 一人の時間を与えてくれたのだろうな。
 不思議なことに今まで思い出すことさえしなかった。
いつの間にか心の大部分をクライヴが占めてしまっていて考える余裕もなかったのだ。
 17年間も育ち慣れ親しんできた世界より
 二月も過ごしていない日々の方が、私にとって大切になってきていた。
 短い時間で、クライヴへの想いは異常なほど強く根づき、
 故郷への憂いを遠ざけた。
 元々私の居場所はここじゃないと思い続けていたから、
 余計に、このクライヴがいる場所に愛着が沸いたのだ。
「けれど、私はあなたに依存してるわけじゃないから、
 ちゃんと離れても自分の意志で決断できることを見せるの」
 胸元をそっと押さえて瞳を閉じる。
「おやすみなさい、クライヴ」
 依存していないと自分では思っているつもりでも冷静な判断力にかけている部分が
 なかったとも言い切れない。離れて考えて見えてくるものがあるだろう。
 胸元のペンダントのクロスを握り締めて、眠りについた。
 愛しいあの人の夢が見られますように。


 ルシアは昨夜よりすっきりとした表情をしている。
 召還の魔方陣の部屋で、待ち合わせた俺とルシアはお互い顔を見合わせて頷いた。
「よく眠れたみたいだな」
「ええ、とっても」
「なら、良かった」
「一つ聞いてもいいですか、クライヴ」
「何だ」
「人を召還したり元の場所に戻すのってすごく精神を消耗するんでしょう。
 私がここに戻って来たいと願ってもあなたが呼べないなんてことありませんよね」
ルシアは一瞬、俯いて顔を上げた。
「ない……とは言いきれないだろうが、
 ルシアを召還した時も多少疲れたくらいですぐに回復したから今度も大丈夫じゃないか」
 咄嗟に言い直した。
元の時代に帰りたくないと  言われては元も子もない。
ルシアと俺には離れてみる時間が必要なのだ。
「曖昧ですね」
「つまりは大して、消耗しなかったということになるのか。
 出てきたのがルシアだしな」
「はっ……今聞き捨てならない言葉を聞いた気が」
「気にするな」
「まあいいです」
 しょうがないですね、許してあげますとでも言いたげな表情をした。
 ルシアの性格は、かなり理解していると思う。
「期限は一ヶ月だ。ここで過ごしたのと同じ時間考えれば
 自ずと自分が正しいと思う結論が出るだろう」
 こくりと頷くルシア。
「じゃあ、行って来い」
 背中に触って、耳元に聞こえないほどの低い声で囁いた。
 ルシアは、気づくことなく魔方陣の真ん中へと進んでいく。
「はい」
 魔法を唱え、剣を翳せば魔方陣が青く光り始めた。
 急速に生まれた青い光に包まれてルシアが微笑む。
「ルシア! 」
 そっと腕を伸ばした彼女が、俺の手の平に握らせたのはクロスのネックレス。
 ルシアは手を振って何かを呟いていた。
『大好き』
 ルシアは幻のように美しく姿を消した。
 魔方陣の前で膝をついた俺は気が抜けたのか、
 ふらりと眩暈を感じた。
 この程度で済んで良かった。
 人を召還した時点で命を落す物もいるのだ。
 人間を呼ぶというのはそれほど危険なのだ。
 ひとまず、無事に送れたことに安堵しよう。
 息を吐き出し、寝転がる。
 背中に冷たい床の感触を感じる。
 呼んでもいないのにやって来ていたホークスが、側に降り立ち鳴いた。
「お前と二人でいて寂しさを覚えたことなんてなかったのにな」
 顎を撫でてやると、苦笑いした……ように感じた。
 主人の言うことを理解し忠実に従う知性を備えた魔物。
「もし、ルシアがいなくなっても、又お前と二人きりの暮らしに戻るだけだ」
 作り笑いを浮べていた。
 心から笑えやしないから。
 もしもの時の為に、彼女に魔法をかけた。
 返還する際の魔法とは別の……切ない魔法。
 最後の手段だった。
最初にこの時代へ呼んだ者としての責任。
危惧しておくに越したことはないと思い、ルシアを召還したその日の時間に送り届けた。
 これで、彼女がいなくなっていた事実は歴史上に存在していないことになる。
 ルシアは時間が経過していないことに驚くだろうか。
「魔法が作用しないことを希うよ」
 自分の力量の無さのせいで彼女に悲しい思いをさせて傷つけたくはなかった。
 憎む術すら与えないなんて傲慢だとしても。
 握り締めていたクロスを首にかけた。
 不釣合いな代物を身につけた俺をホークスが笑った気がした。
 こんな物を残していくなんてルシアも同罪だ。



 目を覚ましたのはベッドの上だった。
 召還される日の朝もこうやって目覚めて、平凡な一日を終えるはずだったことを思い出す。
 起き上がると確かめるように、部屋を見回す。
 物の位置も以前と同じ。何も変ってない。
「本当に帰ってきたのね」
 暫く呆然と立ち尽くしていた。
 静かだ。 夜明けの白い光が部屋に差し込んでいる。
 窓を開け放って外を眺める。
 清涼な空気が、部屋に入ってくる。
 部屋を出て、家の扉を開けて外に出る。
 裸足のまま、神殿へと歩いていく。
途中にある泉で顔を洗う。
 これは、神の加護を受けているとされる聖水だ。
 一日の始まりはここで顔を洗い、神殿に向かう。
 私は顔を洗っただけで引き返すことなんて少なくなかったけれど。
 小さいが、歴史を感じさせる神殿に足を踏み入れる。
 ひんやりとした神殿独特の空気を体全体に感じながら歩を進める。
「おはようございます」
「おや、珍しいこともあるものですね」
「おはようございます、ルシア」
 神官である父が振り返った。
 祭壇の上からはお香の匂いがする。
「私の顔を見て感極まりましたか」
 はっとした私は、自分の目元に手で触れた。
 雫で濡れている。
 きっと懐かしかったのだ。
 どうやら私がいなくなってから時間は経ってないようで
 私がいなかった事実は存在していない。
 クライヴが、時間を設定して送ってくれたのだ。
どうにか普通に挨拶をすることができてほっとした。
「そんなことあるはずないですから」
 ぐいと涙を乱暴に拭う。
「どうせ珍しい早起きで眠たいのでしょう」
父のさり気なく容赦ない一言が飛んでくる。
「失礼な」
 こんなやり取りも久々で妙に嬉しかった。
 酷く懐かしいのは、時空を越えていたからね。
 向こうでは思い出しもしなかったのに単純なものだ。
 一ヶ月。
 それだけあれば、私にとって選択の時間は充分だ。
 


5.眠れない夜   7. 追憶の風

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