BLACK JACK
「、これからヒマ?……なんか、一緒に飲みたい気分なんだけど」
軽い調子で投げかけられた言葉に、私はひどく緊張した。
は、…女遊びが激しいことで有名なは、私のそんな心情を知るはずもなく綺麗な仕草で青になった信号を見やった。
よく似合う黒い服で街の灯りを受けながら、はいつの間にか私の歩調に合わせた速度で歩いている。
金曜の夜の帰り道。
偶然会ったにしては出来すぎた状況だと、頭の中の冷静な部分が忠告をよこす。
「…くん彼女に怒られるんじゃない?私なんかと飲みにいったら」
「大丈夫、俺いまフリーだから」
ていうか、寂しいからさ。がいてくれたらいいのに…なんてね。
そうつぶやくの、一瞬だけ感情がにじんだような声に危うく惑わされそうになる。
そんなのただの社交辞令だって分かりきっているのに。
の発言に気を取られて道を曲がり損ねたのを見抜かれたくなくて、私は通り沿いのコンビニへと視線をそらした。
噂には、聞いていた。
は狙った女を必ず堕とす魔性の男だって。
巧みな話術のせいなのか、洗練された動きに惑わされるのか。
他愛無い雑談を繰り広げていたはずの私の手が一体いつの指に絡めとられていたのかすら分からない。
気付いた頃には当たり前のように、恋人のごとく指を絡めあって歩いていた。
すっかり帰るべき方向からそれてしまったことに、きっともうは気付いているだろう。
流石、としか言いようの無いチョイス。
雰囲気のあるバーの手前で立ち止まって、が微笑む。
「あれ、もう店の前だね。…といると、時間の流れが速くて困る」
「お世辞なんかいらないわよ」
「え?本心じゃないとでも思ってるの?」
本心じゃないでしょう、と警告信号を発する頭の片隅を無視するように、の手に導かれた私の身体がバーへと吸い込まれていく。
だめよ、そう自分に言い聞かせようにもカクテル一杯だけなら、とか30分だけなら、とか都合の良い理由をつけては
私は確実に待ち受けるのほうへと流されている。
甘い声と絶妙な言葉に惑わされて絡めとられた私に、逃げるすべは無い。
流されれば流されるほど、本気の相手にはなれなくなるのに。
一晩限りの遊びとしてしか見てもらえないことは分かっているのに。
それでもになら委ねられる気がしてしまうのは、この男が人を魅了する方法を知り尽くしているせいだろう。
私だって…本心じゃ、ない。
カクテル1杯で酔ってしまったせいであって、誘惑に勝てなかったわけじゃない。
一度くらい日常からはみ出した冒険をしたっていいはず。
ほんの一晩だけの、夢なんだから…
「…」
「なあに」
耳元でささやく低音にぞくりとする。
身体の芯から溶かされそうな甘い声音を操って、が最後の攻勢に入ったのがなんとなく分かった。
…ここでかわせなければ、もう逃げ場は無い。
そう分かっているのに、痺れたような頭では「もう帰る」という選択肢がかすんで消えていく。
玩具にされるのは明白なのに。
「この後、どこ行きたい?」
「……」
少し歩けばホテル街だってことは、お互いこの近くに住んでいるのだから確かめるまでも無い。
分かっていて、たずねている。
肩にまわされていた片手が私の背中をそっとなぞって、熱を含んだ視線で至近距離から見下ろされて。
「どこでも、の好きなところに…」
私の陥落のサインに、が妖艶な笑みを浮かべた。
吐息の混じる甘い声と綺麗な指に導かれて、私が流れていく。
勝負あり、だね。
夜の色に抱かれた私の耳に、風が短く宣告を落として消えた。
大人の雰囲気ってなぜこう難しいんだろう。筆者が幼稚だからか?
呆気なく陥落する女の人が書きたかった。