些細な駆け引きのお話
何を緊張することがあるんだ。
私がガラにもなく必死でお菓子作りの練習をしたことなんて、はもう知ってるんだから。
落ち着けばいいのに。
少なくとも、「試作品」という名目でなら、が絶対に受け取ってくれるっていう保障があるんだから。
世の女の子達は、好きな人を思って作ったチョコレートを受け取ってもらえないかもしれないって言う不安要素も抱えてるんだ、
その点私は恵まれてるじゃないか。相手は完全に脈なしってわけじゃないんだから。
…なんて。
思いつく限りの安心材料を頭じゅうに並べ立てても、震える指が落ち着く気配は無い。
4時15分。
あと15分すると、あいつが…がここに来る。
本当に、できる限りの準備はしたつもりだ。
あいつが甘いもの食べられるかどうかだって確認したし、今彼女がいないらしいってことも3回くらいは確認した。
それに、私みたいなちっとも女らしくない奴からいきなり手作りのチョコなんて渡されて嫌がらないかだって確かめた。
と同じサークルの子に協力してもらって、ちょうどいいタイミングでの行きつけのスーパーに行ってわざわざ本人に遭遇したのだってそのためだ。
さすがに、本人から試作品を要求されるなんて思ってもいなかったけど、
そのおかげでスムーズにバレンタインに会う約束まで取り付けられた。
私にしては珍しく、女の子っぽい格好してるし、慣れないなりにチョコのラッピングも頑張ってみた。
ここまで準備しておいて、何がそんなに不安なんだろう。
あとは勇気を出すことだけだっていうのに。
「あー、もう…」
肝心のその勇気が出てくる気配がまったくしないまま、時間が近づいてくる。
「あれ、もう来てたの」
「……」
まさか。
あと7分ぐらいはあると思ってたのに、前触れもなく突然飛んでくる声。
悪いことしてるところを見つかったような気分で反射的に振り向くと、少し驚いたような表情でこっちに歩いてくるが目に入った。
たいした距離もないのに、その1歩ごとがとんでもなく長い時間に思える。
もう指先どころか体中冷たくなったような、そんな感じ。
どこか他の場所で時間つぶして、待ち合わせ時間ちょうどにここに来ればよかった、なんて今更すぎる後悔だとか
やっぱりメッセージカード書いておけばよかった、とか、いろんなことが頭の中で渦になる。
ああもう、準備なんて全然できてない!
固まる私の頭に、不意に大きくて温かい手がおりてきた。
「なんだよ、こんな可愛い格好しちゃって。気合入ってるねぇ。
…さて、じゃあ俺は約束の口止め料をいただいて、さっさと退散するかな」
ぽんぽんと優しく頭を撫でる手に、緊張が一瞬遠のいた気がした。
今だ、って頭の中の小さい私が全員で叫ぶ。
ちゃんと自分の口から告白したい。そのためにメッセージカードを添えずに持ってきたんだから。
がいまどんな表情をしてるのか見ないで済むように思い切り下を向いたまま、私は冷たくなった指で小さな包みをあいつの胸元に押し付ける。
「あの、ね!! 持って来たよ、チョコ。
だけどね、その…、それ、試作品じゃ、ないから!
試作品よこせって言われてたのに悪いけど、その、私さいしょから、
………に食べてほしくて作ったんだから!」
言うだけ言った。
冷え切ってたはずの身体がこんなに熱く感じるんだもん、きっと私の顔は真っ赤だ。
試作品じゃないって意味、だって気付くだろう。
とどめの一撃でもくらわせるような勢いで、私はをにらみつけて言い放った。
「ずっと好きだったんだよのこと!」
ああもう限界だ。
これ以上この場になんていられない。
こんな可愛くない私にこんな可愛くない告白されて、だってさぞ驚いてるだろう。
の表情が驚きじゃないものに変化するより先に、私は顔を背けて走り出した。
「!」
走り出した私にとっさには反応できなかったみたいで、の声が遠ざかっていく。
こんなひどい言い逃げはないよな、なんて自嘲しながらも、私は必死で動く足を止める気は無かった。
参ったよ、。
どんな作戦たてたって、には勝てない。
がそばにいるだけで私、こんなにおかしくなっちゃうんだもん。
なんか、泣けてくる。
たぶん叶わないって覚悟してたけど、幕切れさえ待てずに逃げ出しちゃうなんてさ。
私の意気地なし。
自転車置き場に逃げ込んだ私を、通りすがった女の子が驚いた顔で見ながら通り過ぎてった。
あれ、話が終わってない。もう1話続けます…