月夜の声






「お疲れ、くん!」
「おー、さんか。お疲れ。」


後ろから追いかけていって声をかけると、くんはニコニコしながら振り向いてくれた。
それで、タオルで覆った半乾きの私の髪をわしゃわしゃと撫でる。
部活の合宿がなければ、こんなふうにお風呂あがりの姿で出くわすことなんてないだろう。
そういう非日常があるから、合宿って楽しいんだと思う。
どうやらくんも私と同じ掃除担当だったらしくて、手には脱衣所に誰かが忘れていったらしいよれたTシャツが握られていた。


さんも掃除当番?面倒だよねーあれ、風呂場広いし忘れ物する奴いるし」
「ねー。うちも誰かがシャンプーと洗顔フォーム忘れてったみたい」


そういってポーチに入ったシャンプーのミニボトルをかざすと、くんが真似して忘れ物のTシャツをひらひらさせた。
都会からは離れた場所にある合宿場では、お風呂が宿泊棟と別のところにあるせいで行き帰りは外を歩かなきゃならない。
もちろん室外灯もついてるしこの季節なら寒くはないから問題があるわけじゃないんだけど。
なんとなく歩く速さをゆるめると、くんも自然と歩きがゆっくりになる。


「いやー、月が綺麗だ。」
「あ、ほんとだ。綺麗だね。」


のほほんとしたくんの声が、涼しい夜風にさらわれて揺れる。
私も一緒になって空を見上げたら、くんが言うとおり、綺麗な月がぽかんと浮かんでいた。
普段住んでる場所に比べて、この辺は空気が綺麗だからかもしれない。
街灯なんかなくても、月がじゅうぶんまぶしい気がした。


「この分だと満月はあさってくらいかな。」
「明後日かぁ、明後日の夜じゃ私たちもう帰っちゃってるね、惜しい」
「だねえ。折角だから風呂上りに満月見て和みたかったんだけどなぁ」


肩をすくめるくんは、普段部活の練習中に見かける姿よりもなんだか親しみやすい感じがする。
練習中は気を張ってるから当たり前かもしれないけど、部活仲間のこういうくつろいだ姿がみられるなんて、貴重な経験だ。
私も知らないうちに気分がほぐれていたのかもしれない、気がついたら前から気になってたことがふと口をついて出ていた。


「そういえばさ、くんってどうして私のことさん付けで呼ぶの?
 わりとみんな呼び捨てかちゃん付けな気がするんだけど。」
「え?」


別に、深い意味があって言ったわけじゃないんだけど。
普段そんなに親しく話す間柄ではないのは確かだけど、同じ学年なのにさん付けで呼ばれることって滅多に無いから。
敬語じゃないのにさん付け、っていうのがなんとなくもどかしいのかもしれない。
くんは首をかしげていた。


「そういや、なんでだろうねー。別に意識したつもりはないんだけど」
「そうなんだ、なんか名前にさん付けで呼ばれることあんまりなかったから」
「あ、もしかして嫌だった?」
「別に全然嫌じゃないよ。」


そう返事をした時、ふわっと風が通り過ぎた。
風につられるように顔を上げると、昇りかけの月が視界に入る。
これから満月になるはずの月が、まっすぐ私を見てるような気になる。
…だからきっと、私が不意にあんなことを言ったのも、月のせいだったに違いない。


「あ、でも」
「何?」
「名前、呼び捨てにしてもらえたらもっと嬉しいかなぁ。
 …ちょっと仲良くなった感じするでしょ?」


微笑みかけてみたら、くんの足が止まった。


合宿所のモデルは神奈川県某市のN沢。
名前変換小説の性質上部活の中身とかがぼやけてるのはご容赦を。

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