067:嵐
それは嵐が止むまでの、ほんのわずかに与えられた時間のお話。
「……こーれは、無理だったなぁ」
「そりゃ無理だって。…てか大丈夫?」
「なんとかねー…」
見渡す窓の外は、いっそ潔いくらいに大荒れ。
自転車置き場の木は大きい枝が折れかかってるし、自転車は当然だいぶ前からドミノ状態。
あっちこっちに果敢に暴風雨に挑んで散っていった傘の残骸とかが転がってる。
もちろん雨も風も止んでないし、うるさい雷もご健在という素敵な状況。
ちなみに電車も止まってるとかものすごい遅延だとかそういう噂だ。
「…風邪引くよ?」
「たしかにね…」
そして、果敢にもこの大嵐の中レインコートもなしに(傘一本で)徒歩25分の家まで帰ろうとした私は
学校の門までたどり着けないうちに傘の親骨が曲がるという致命傷を負ってすごすご教室まで引き返してきたところだ。
強風に荒らされた髪の毛をとりあえず邪魔だったからひとくくりにしてしまって。
濡れ鼠(本物のねずみなら溺れそうな酷い雨だけど)になった私にタオルを貸してくれた心優しい友人、は
私よりは多少賢いらしく、嵐が止むまで教室を出ないことに決めたそうだ。
嵐に完全に撃退された私も、それにならってしばらく教室でおとなしくしておくことを決めた。
…5時からの再放送のドラマ、見たかったんだけどな。
「ちゃん、髪の毛そのままにしたら風邪引くって。拭きなよ」
「あ、うん…」
すっかり体力を使い果たしてなんとなくぼんやりしていた私に、が忠告してくれる。
たしかにの言うとおり、充分水浸しになった私の身体は、そろそろ冷え始めていた。
一度は結んだ髪をもう一度解いて、借りたタオルでもそもそと拭いてみる。
思っていたよりもさらに濡れていた髪は、むしろ絞ったら水滴がぼたぼた落ちそうなぐらい重かった。
「…寒そう。」
「うん、寒くなってきた」
いくら気心の知れた友人とはいえ、目の前で盛大にくしゃみをするのはさすがにちょっと躊躇われる。
本気で身体が冷える前に、ととりあえず水浸しのブレザーを脱ぐ。
ワイシャツも湿って肌にはりついてるからちょっと透けてるけど、男の子に見せたくないような部分はベストが覆ってくれてるから別に気にならない。
が一瞬驚いたような表情をした。
「え?どうかした?」
「いや、寒いって言ってるのに脱ぐから何やってんのかと思ったんだけど、
考えてみたら当たり前だよね。それ濡れてるし」
「うん」
「…ジャージ着る?俺のでよければ」
「ありがとう」
運動部のと違って、私のジャージは体育のない日は学校にはない。
ほい、と無造作に渡されたジャージを素直にかぶろうとして、私は少し躊躇う。
「どうした?」
「あ、貸してもらえるのはありがたいんだけどさ、今着たら濡れちゃうよなーって。ワイシャツまでびしょびしょだし」
「え、気にしないでいいよ。
…あ、でもやっぱ駄目だわ。」
「?」
「ワイシャツ濡れてるんじゃ、ジャージ着ても冷えるよね。………しょうがない。」
「え?」
びしり、と稲妻が空にひびを入れた。
1秒かそこらの短い空白時間を置いて、ひどくうるさい雷鳴が私のやたらと高鳴る鼓動にシンクロする。
あまりにも動作がスムーズすぎて、が私を抱きしめて自分の体温で私を温めていることに気付くまでだいぶ時間がかかった。
肌に張り付く濡れたワイシャツから、じわじわと人の体温が伝わってくる。
「しばらくおとなしくしててね、ちゃん」
いつもどおりのはずのの声が妙に有無を言わせない強い何かを含んでいて、私はとりあえずうなずくことしかできなかった。
そうでなくても、この状況が示す意味をまともに考えたら、何か良く知らない怖いことが起こる気がして口なんて開けなかった。
ただの腕がじわっと温かくて。
再放送のドラマのこととか、折れそうな木のこととか、止まってるかもしれない電車のこともいつの間にかどうでもよくなっていて。
嵐が過ぎたら、どんな天気になるんだろう。
教室に閉じ込められた私にできるのは、ますます大きくなる雷鳴を数えながら不確かなこれからの天気を予想することぐらいだった。
現実にそんな展開になれば良いのに。…いや、やっぱり遠慮しておきたい。