097:走る



言われなくたって分かってる。
私の体力じゃ逃げ切ることなんか絶対できないって。
もう息はあがって苦しくて、気を抜いたらまっすぐ進めないくらい足がもたついてる。
だけど止まれない。
止まったら、つかまってしまうから。


「逃げれるわけないでしょ、昔陸上やってたんだから」
「…っ…」


どうしてそこからこんな事態になったのか、自分でも理解できない。
ただ、とりあえず私は全力で走って逃げていた。
大好きな先輩から。


「…まだ逃げる気?」
「逃げ、ますっ」
「そんな苦しそうなのに?」
「でも、逃げます…」
「あきらめてつかまれば楽なのに?」
「つかまり、ませんっ…」


グラウンドの横を抜けて、人通りの少ない裏門に向かって走る。
そろそろ沈んでしまいそうな弱々しい西日でさえまぶしくて邪魔に感じる。
振り返る余裕は無いけれど、声音で先輩が余裕なのはすぐ分かる。
私はといえば、もうこれ以上走ったら心臓がダメになってしまうんじゃないかってくらい疲弊してる。
裏門を抜ければ逃げ切れるかといえば、そんなことはまったく無い。
つまり状況は絶望的。
それでももつれる足で必死に逃げようとしているのは、もう半分惰性といってもいいような、意地ともいえるような、そんな曖昧な動機。
とにかく、先輩につかまっちゃいけないんだ。
もう原因さえどうでもよくなってしまった鬼ごっこの終止符は、意外にあっさり打たれた。


「さすがに学校の外まで女の子を追い回すのは嫌だからね、そろそろおしまいにしよう」
「!」
「はい、鬼ごっこはここまで。」
「…、先輩…」


苦しすぎて息のしかたがよくわからない。
もう酸欠に苦しむ以外なにもできない私の両肩は、さっと正面に回りこんだ先輩の両手でつかまれていた。
人気の無い裏門の少し手前で、私はあっけなく捕獲されてしまった。
かすかに息があがった程度で平然としている先輩からみたら、私はたぶん相当みっともないことになっているんだろう。
こんなときだけ、日ごろの運動不足が呪わしい。
少しずつ落ち着きつつあるものの、私の呼吸はまだとんでもなく早くて浅いし心拍だって馬鹿みたいにアップテンポを刻んでる。
あんまりにも苦しくて顔が上げられないもんだから、先輩がどんな表情をしてるのか私には分からなかった。
ただ、すっかり過熱してしまった身体を支えてくれている手が大きくて力強いことだけ感じる。
私がまともに呼吸できるようになるまで、話しかけるのを待ってくれてるんだろう。
ゆっくりまともな状態に向かって体中の熱がさめていくのを感じて、私はようやっと顔を上げた。
ああ、こんなみっともない顔見せたくなかったんだけどなぁ。
小さく苦笑をうかべた先輩が、夕日を正面から浴びて私を見下ろしていた。


「まったく…手のかかる奴。」
「だって…」
「そんなに見られたくなかったの?その紙切れ」
「……あっ…」


そうだった。
走ることに必死になりすぎて、八割がた忘れてたんだけど。
もともと私が先輩から逃げたのは、「それ」のせいだった。
親友のお姉さんに頼んで聞き出してもらった、先輩の誕生日と好きなお菓子を書いたメモ。
帰り道が近いってことしか接点のない私がもっと先輩に近づけるようにって、親友がこっそりかけあってくれたものだ。
そんなもの持ってるって先輩に知られたら、私の気持ちなんか完全にバレてしまう。
下手すれば、ストーカーみたい、って思われて嫌われるかもしれない。
そんなことを思っていたから、気が動転したんだ。
階段で余所見してて転んだ拍子に落としたそのメモを、目の前で先輩本人に拾い上げられて。
もう半分パニックだった私は、先輩の手からメモをひったくって走って逃げたんだ。

先輩が、穏やかな声音で声をかけてくれる。


「さすがに中身の詮索するほど俺も性格悪くないよ。だからもう逃げなくていいからね」
「…はい…いきなり逃げてすいませんでした…」
「驚いたけどね。大事なものだったら仕方ないよ」


寛大なフォローに胸が苦しくなる。
せっかく落し物を拾ってもらったのに、それをひったくって逃げ出すような私にまで、こんなに優しく接してくれるなんて。
すごく、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
罪悪感でうつむく私の肩から、そっと先輩の大きな手が離れていった。
すこしだけ、名残惜しい。


「あのさ、。」
「はい…」
「ひとつ聞いてもいい?」


降ってきた声にちらりと上目で様子を伺うと、先輩と目が合った。


「なんですか」


いつもどおりの表情で、でもどこか探りを入れているような雰囲気で先輩が私をじっと見ている。
先輩が私を見てくれているのは嬉しいはずなのに、なんだか少し居心地が悪かった。


「来週の土曜日、ヒマ?」
「え?」
がヒマだったら、買い物付き合ってもらおうかなーと思って。」
「え、でもその日…」
「忙しい?」
「いや、そんなことないんですけど…良いんですか?私なんかで」
「あ、うん。…たいした買い物じゃないんだけどさ」
「私でいいなら…行きますけど…」
「そっか!じゃあ集合時間とか決めたら連絡するわ。アドレス人から聞いといていいよね?うちのクラスと同じ部活のやつけっこういるし」
「あ、はい…」
「じゃ、また。俺学校戻るね、誰かさんのせいでまだ上履きだから。」
「え?あ…」


あっさりと踵を返していなくなってしまった先輩を呆然と見送る。
なんだかもう、頭が混乱する。
来週の土曜日に先輩とお出かけの約束を(わりと一方的に)取り付けられてしまった、だとか。
必要なことだけ言ってあっという間にいなくなってしまった先輩の態度だとか。
そういうものにいちいちビックリしていたのも事実だけど、それ以上に私の頭を揺さぶる「来週の土曜日」に約束をしたってこと。
あれだけ必死で守りぬいたメモに書かれてる日付がちょうど来週の土曜日だって…分かってたから。


「なんなんですか、もう…期待しちゃったらどうするんですか」


よし、帰りにお菓子作りの本と材料でも買ってみるか。
考えても答えの出なさそうな出来事をとりあえず置いといてそんなことを考える私は、案外現金な奴なのかもしれない。




うふふあははほーらつかまえてごらんなさーい、みたいな状況とでも言うべきでしょうか。違うか。

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