はじまらない恋のおはなし





「…へぇ、こんな色っぽい顔するんだ」
「……」
「みんな驚くだろうね、後輩から慕われるしっかり者の先輩が、俺みたいな男からキスされただけでこんなに感じてるなんて知ったら」
「やめ、て」
「何、もう息上がってるよ?そんなに気持ちいいんだ、俺のキス?」


 視界に入るのはただ、青くて暗い照明と勝ち誇ったような男の顔。
私とその男の唇を、つめたい糸がつないでいる。
酔いはもう、ほとんど醒めきっていた。
ベッドに沈んで体重をかけられているこの状況で、私は意外にも、きわめて冷静だった。
たしかにアルコールの残った長いキスの余韻で酸素が足りない。
だけど、それは私の思考を阻害するどころか冴えさせていたような気さえする。
アルコールに弱いくせに彼氏に黙ってサークルの飲み会に出かけた罰が当たったかな、なんて
心の奥で自嘲するくらいには私は落ち着いていたし、同時に諦めも抱いていた。

 服の上から身体をなぞられる。
私が逃げられない程度には体重をかけているのに、決して苦しいほどの重みは与えてこない。
ただのお調子者だと思っていた後輩の意外な「慣れ」がそんな所にのぞいて、組み敷かれたまま
それを真面目に観察している自分が間抜けだと思った。
だいたい、私の反応を楽しむために集中している男に対して逃げるそぶりなんて見せても
すぐに気付かれて今度こそ逃げる余地のないようにつかまえられるのが関の山だ。
逃げるならもっとが油断してから。
そのチャンスもなく堕とされてしまう可能性のほうがそれほど低くはない事を分かっていながら、私は黙っての手が遊ぶのを放っておいた。


先輩、見た目より胸あるね」
「…」
「やらかいし、敏感だし、俺の好み」


 いよいよ服の中に侵入してきたの手は、さっきあれだけ飲んで泥酔してたとは思えないほど冷たい。
もしかしたらあの泥酔状態は演技だったのかもしれないと思いながら、目を伏せた。
家が近いからって酔った後輩の送りを買って出たのがそもそもの間違いだったのだけれど、悔いても状況は変わらない。
全く流されていないなんて嘘をついたら、きっとすぐに見抜かれて、そこから崩されてしまうだろう。
抱かれてしまうことはともかく、心まで本気で奪われてしまったら、私はきっと立ち直れないだろう。
数時間の後に放り捨てられる運命だと分かっていて、私を性的対象としてしか見ていない男に心を奪われたりしたら。
恋人に合わせる顔が無いどころでは、すまない。
このまま愛をささやかれて抱かれてしまえば、好意を抱かずに済む保障がない程度には、私はを可愛がっていたから。
もしも今の彼と出会うのがあと1年遅かったら、なんて考えたことだって、ないとはいえない。
ほんの少し運命が違えば普通に恋をして、幸せな形でこのベッドに横たわっていたかもしれないのに。
私は恋人持ち、は身体目当て。
この「事故」は、どんな形になったとしても…決して、私とを幸せへと導いてくれることは無い。
だから、捨てばちとしか言いようが無いいい加減な言葉を、口元だけの笑いにのせてに投げつけるんだ。


「……っ」
「あれ、どうしたの急にそんな甘い声出しちゃって。…濡れた?」
「ん…」
「へぇ、俺に欲情した?」


 ああ、ごめんね。面倒な事を言って興をそいで。
ああ、ごめんね、大事な彼氏。こんないい加減で危機管理の甘い女で。
ああ、ごめんね、あたし…恋とは言えないまでも、仲良くしてた後輩との未来を、こんな形で断ち切って。

 の唇が離れたタイミングで、もう一度、無理やり笑みをつくった。
さあ、もう遊びはおしまいだ。


「ずっと好きだったの、…あたしにだったら抱かれてもいい。
 ゴムだってつけなくていい、そのまましようよ、…子供が出来たら結婚しよう、二人で大学辞めて働きながら一緒に育てるの。
 うちの親は認めてくれないだろうから、絶縁されるかもしれないけど、がいてくれるならそれでもいいや。
 それに大学中退じゃろくな仕事なんてつけないよね、そんなのわかってる。だから家とか車買うなんて贅沢言わない、
 アパート借りるだけでいいから、あたしとの子供で暮らすの…!
 もちろん結婚はすぐじゃなくてもいい。最初はやっぱり彼女だよね?今の彼氏とは明日にでも別れるからさ。
 おそろいの指輪、一緒に買いに行こうよ。デートもしたいし、たくさん電話したり、メールしたり…っ」
「……、先輩」


 さあ、突如として面倒で重い女に変貌した私に幻滅すればいいよ。

遊びなれたあなたにとって、これほど面倒な話もないでしょう?
さっさとベッドを降りて、帰れって言えばいい。もうこれから学校で会っても口をきかなくたっていい。
憎からず思うあなたとだからこそ、間違った道にこれ以上進みたくなかったんだ。
ごめんね、

 心の中の謝罪がうっかり溢れてこないように、唇を横に引き伸ばして張り付いた笑顔を続ける。
どんな無様な顔をさらしてたってかまうもんか。
仲良しだったに疎まれるくらい、…こんな流され方で始まって朝にはあえなく終わってしまう関係とくらべたら。
不安定に揺れるの目をじっと見ながら、私は追い討ちをかける。
服の中を探る手は、すでに止まっていた。


「どうしたの、?…いいんだよ、もっとたくさん触って。キスもして欲しい。気持ちよくなりたいんでしょ?
 そのためにあたしを連れてきたんでしょ?」


 ねえ、とせかした瞬間。
両肩と太ももにかかる重みがふっと軽くなった。


「…さすが、年上。
 俺みたいなガキじゃ、勝てる気しないよ。…参りました、先輩」


 ベッドにめり込みかけていた私の身体を引き起こす手は優しく、顔には苦笑い。
そして、いつものお調子者らしい、笑いを含んだ明るい声。
どうやら私の勝ちだったらしい。
好き勝手に乱された服を私が調えるまで待って、は私に向き直った。


「なんか、俺目が覚めましたよ」
「え?」
「あんなにリアルに細かいイメージさせてまで俺から逃げたがってる人無理やり抱いたりしたら、俺明らかに性犯罪者じゃないですか。
 しょっぴかれて退学ってコースは、俺的にアウトです」
じゃなくたってアウトでしょうが」
「たしかに。…あ、それに」
「ん?」
先輩の言ってることがあんまりリアルだったから」
「リアルだったから、なに?」
「……」
?」
 

 肩をすくめて言葉を途切れさせてしまったに、私は問いかけた。
さすがにドン引きです、みたいな内容を想定していた私は、直後、あっさり裏切られる。


「…ちょっと実現してみたくなっちゃったかな、なんて…」
「はぁ?」


 思わずこぼれる間抜けな声。
が何を考えているのかわからなくなりすぎて、もはや色事の余韻なんて欠片も無い。
うろたえたように視線をさまよわせると、事態が把握できずにベッドの上にへたりと座ったままの私。
とりあえず、大学辞めて働きに出たいの?と問いかけてみたらため息で返された。


「なんでそこだけピックアップするの」
「いや、一番現実味があるのって大学辞めるあたりかなぁ、って」
「違うって。…だからあ、」


 は明確に私から顔をそらした。
その首筋は、結局まだアルコールが抜けきっていなかったのか、心なしか赤い気がする。
襲われかけた身で冷静に相手を観察するのもおかしな話だけど。
表情を見せないまま、はいつもより早口にしゃべる。


「結婚して子供生んで一緒に暮らすとか、俺今まで考えたことなかったのに強制的にイメージさせた罪は重いと思うんだよ、うん。
 まあ、だから、…なんだ、ええと」
「…ん?」
「だから、…衝動とかじゃなくて、ちゃんと幸せにできたほうがいいでしょ?
 大学中退で親から祝われないで貧乏な共働き生活させるの決定じゃ、情けないし。」
「え、…いや、あの?」
さんと将来考えてみる気になっちゃった以上、こんななし崩しで抱けないよ、いくら俺でも。」


 障害だらけだからね、俺。
女遊びやめなきゃいけないし、さん彼氏いるし、…さっきの告白が嘘じゃなくなるくらい
さんに惚れてもらわなきゃいけないし…
 意味の分からない発言をどんどん付け足していくをぽかんと見ていると、お調子者は
ため息混じりに言葉を切って、赤い顔で私に向き直った。


「あー…先輩?
 分かりやすく言うと、俺、今先輩に惚れたから。
 で、今までさんざん遊んでた俺にそんなこと言われても信用できないだろうってのも分かってる。
 だいたい先輩彼氏持ちだし。
 …だから、とりあえず宣言だけさせてください、ってことで」
「宣言…?」
「そ。…
 いきなり彼氏と別れろなんて言わないし、今俺振り向いてもらえるほどの人間じゃないし。
 だから、俺これから頑張って人間性磨くんで、もしいつか俺のこと見てもいいな、って思ったら
 その時あらためて告白させてください…ってね」
…。」


 さて、酔いも覚めたし家の近くまで送りますよ。
…さっき悪い事したお詫びってことで。
そうつぶやいて立ち上がったが、つられて立ち上がる私の背中を支えた。
不確か過ぎて可能性とさえ呼べないような何かを抱えたまま、真夜中の家路を無言でと歩く。
遊びで手を出そうとしたに投げつけた嘘の告白が、まさか、の気をひいてしまうなんて。
世の中つくづく何が起こるかわからない。
だけど、…こんなにまっすぐ好意をぶつけてもらえるなんて、生まれて初めてで。
素直に、それを嬉しいと感じたから。
心の中だけで彼氏に謝って、の少し冷たくなった手を握った。



 大人の恋なんて、私にもあなたにもまだ早すぎる。
今だけで精一杯の未熟な私達だから、未来の約束なんてできるわけもない。
だけど、家に着くまでのこの短い時間は、嘘でもなんでもないから…


「じゃあね、。…明日からまた、普通のサークル仲間だけど」
「そうだね。…いつか、縁があったら…今日の続き、ね」
「馬鹿」
「うん、俺馬鹿だもん。…それじゃ。また明日」


 少しぎこちない会話を交わして、手を離した。
誰も知らない、夜中のお話。






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あれ?…進展しなかった…

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