084:ハニー
「なんていうかさぁ、堅いよね」
堅い、という単語が浮いて聞こえるほどにへにゃりとした芯のない声。
は普段から物腰が柔らかいということを差し引いてもなお、気の抜けた発声だと思った。
「ん?」
先に声の調子に意識を持っていかれたせいでのしゃべった内容を失念していたことに気付いて、
俺はどうとでも取れるような調子の相槌を打った。
聞いてなかったの、と怒られるかなあとぼんやり予想したけれど、の声の調子に非難はなかった。
「ああ、だから、世間一般にっていうか…うーん、なんだろね。
とにかく、みんな堅すぎなんだよ」
「…もうちょっと具体的に」
非難はされなかったものの、返された言葉はいろいろと欠落しすぎていて理解しがたい。
おそらくの脳内ではしっかり通っているはずの筋は、俺にはまったく見えてこない。
そう苦情を述べると、いすに座って甘そうなカフェオレをちまちま飲んでいたがふにゃりと体を起こした。
どうみてもくつろぎすぎだ。
砂糖とミルクと、ほんの少しのコーヒーの匂いがした。
「常々思うんだけどさ、どうして世間の人は愛情の安売りを嫌うんだろうね。
愛情に希少価値なんか求めたりする必要ないと思うんだけど。
たった一度きりの100%の愛情表現より、私は50%の愛情表現を毎日もらうほうがずっと嬉しいのに」
だっていくら渾身の愛をぶつけてもらっても、1度きりじゃ忘れちゃうよ。
小出しでいいからより多く愛されたいんだよね。
だって50%の愛情表現でも、3回されれば渾身の愛の1.5倍の愛を受け取れるんだよ。
そうのたまうはあいかわらずくだけすぎた様子で、緩んだ表情も変わらない。
紙パックから伸びた細いストローを、糖分過多のカフェオレが通行する。
さっきからが少し飲んでは口を離してふやけた発言をかまし、またストローに唇を戻すという作業を繰り返すせいで
カフェオレの減りは決して早くない。
俺は口を開いた。
「あのさ、それ、甘くない?」
「ん、甘いよ?」
「500mlは多すぎるんじゃない?飽きるでしょ」
「飽きないよ。
甘いのが好きなんです、私」
「毎日飲むの?」
「ん、別に毎日飲んでも苦じゃないよ」
そんなに甘いのがいいの、とダブルミーニングで問えば、無邪気にうん、という返事がよこされる。
一見、脱線してカフェオレの話になってしまったような雰囲気。
でも、違う。
これは、れっきとした、駆け引きなのだ。
「…でも、あんまり飲むと糖尿病になるぞ」
「それは困るかも」
「じゃあ、少し控えることだね」
「それも困る…甘いものがないのは嫌だ…」
猫なら困ったようににゃあと鳴くだろうな、という表情で俺を見つめる。
傍目にはきっと、非常にどうでもいい雑談に見えるだろう。
…もちろん、はじめからに告白する決意をして会いにきたのだから、人の目なんて存在しない場所にいるのだけれど。
「はさ、甘ければなんでもいいの?」
「わりとね。」
「…じゃあ、俺がカフェオレの代わりになるものあげたらそれで気が済む?」
「…たぶんね。」
「だったらの健康のために、協力してやらないといけないなぁ」
カフェオレの匂いが、柄にもなく緊張した俺をくすぐる。
がまだほのぼのとくつろいだ風を崩さないから、俺も普段どおりをやめない。
「。」
「なに?」
ぬけぬけと返事するすっとぼけた顔がなんだか腹立たしくて、俺はに近寄った。
…正統派な告白をするつもりだったけれど、少し驚かせてやりたくなった。
怒られたり断られたりするリスクを考えて、本当は避けようと思っていた選択肢だけど。
今なら「ぐずぐずはぐらかすお前が悪い」と開き直れそうな気がしたので、ためらいは消えた。
甘ったるいカフェオレの匂いが近づく。
「好き」
とりあえず、の唇を奪った。
「…」
「顔、真っ赤だよ」
潤んだ目でこっちを見上げるが思いのほか可愛かったので、俺は笑顔になった。
なんだ、ぜんぜん抵抗しないじゃないか。
「俺、彼女にはとことん甘いと思うけど。…どう?」
決定打をに言わせようとして見下ろすと、ためらうように視線をはずされた。
その唇(ついさっき俺が奪った)は、消え入りそうな小さな声をつむぐ。
「甘いの、好きだよ」
ひねくれた承諾の言葉は、いつものとぼけた芯のない声とは全く違う声音だった。
愛情の安売りを嫌うお堅い人々を正面切って批判したわりに、肝心のところで素直になれない。
近いうちに「甘いの」じゃなく俺に向けた「好き」を引きずり出してやろうと思いながら、
恥ずかしくなってうつむいているの頭を軽くなでた。
* * *
恋人をあらわす英単語で好きなのはLoverよりもSweetheart。
しかしなんかやらかしてしまった感もないではない。