#9 賢者には花束を、令嬢には約束を。 3(完)

「ふぅ」
誰もいないカフェテリアで、カイルはブラックのコーヒーを飲みながら、軽く息をつく。
(やっぱり、こういうのもいいものだな…)
穏やかな陽気の午後、終業には少しだけ早い時間。
彼はまた一人で、いつもは学校中の生徒たちで賑わっているカフェテリアを、独占していた。
例によってサボった訳ではない。今の彼には受ける授業が無かったからだ。
しかし、それも今日までの事。明日からはまた、これまでの仲間と共に同じ授業を受ける日々が始まる。
(だけど、みんなは一体、どう思うんだろう?)
そう考え、カイルは一人苦笑する。その時だった。
「向かい、よろしいかしら?」
「えっ、あ、はい。どうぞ…って、シャロンさんじゃないですか」
「………」
シャロンは彼の言葉を無視して、席に着く。今日は、その手には何も持っていなかった。
カイルは周りを見回す。まだ授業終了のベルは鳴っていない。カフェテリアにいるのはやはり彼と彼女の二人だけだった。

「…随分と、探しましたわ」
ゆっくりと、シャロンは口を開く。
「僕をですか?」
「えぇ」
「それは恐縮です」
「何故、合格を辞退しましたの?」
「これはまた、情報が早いですね…」
カイルはその日、自ら申し出て、賢者昇格試験の合格を取り消してもらっていた。
異例の事だったので教師一同は大変驚いたのだが、カイルは半ば強引にそれを通させた。
「アメリア先生が、真っ先に私の所へ確認に来られましたから」
「あはははは。仕方ないですね、あの先生にも」
どんっ!
シャロンはテーブルに握りこぶしを落とす。
「そんな事はどうでもよろしいわっ!」
「実は同感ですよ。ところでシャロンさんも、コーヒーはいかがですか?」
「結構です」
「そうですか」
「本当に、信じられませんわ…」
「僕なりの、決心ですから」
「え…?」
「もう少しだけ、今のみんなと一緒に勉強したかったんですよ。これまで色んな事を素通りにして来ちゃいましたから」
カイルはそこでコーヒーを一口だけ飲み込むと、カップを置く。
「だから、踏み出してみました」
「ですからって…」
「シャロンさんの言う通り。難しい事じゃありませんでしたよ。『テストで全て0点を取れば、結果は同じですよね』って言うだけで、認めてくれましたから」
「………」
シャロンは『開いた口が塞がらない』という言葉を、見事に実践していた。
実際は、カイルの言う通りなのだ。
マジックアカデミーにおいては、試験での成績が即その生徒の実績になるが、0点の場合だけは別で、実績がマイナスになってしまう。
そして賢者に上がりたてのカイルにとっては、マイナス=即降格を意味していた。
「とにかく、そういう訳ですから。明日からまた、よろしくお願いします」
「……はぁ」
シャロンは両肩を落とす。
「まさか、昨日私が言った事を、こういう形で示してくるとは思いもしませんでしたわ…」
「後戻りする事も、踏み出すという意味では同じなんですよね」
「そんな禅問答なんて、興味ありませんわ」
ぷいっと、シャロンは横を向いてしまう。
「…それなら、もっと分かりやすい形で、示してみましょうか」
「分かりやすい形?」
彼女は、眼だけをカイルに向き直す。
「はい。シャロンさん、僕と勝負しましょう」
「…なんですって?」
「勝負内容は、どちらがより良い成績で賢者になるか。そして負けた者は勝った者の言う事をなんでも一つ聞く。どうですか?」
「………」
「あ、今回は僕が提案者ですから、ルール変更などの決定権は全て僕にありますからね」
カイルは笑いながら言った。
「………ふふっ」
ただ黙って聴いていたシャロンだったが、やがてその口元を緩ませる。
「それはまた随分とストレートな形ね。ですけど、よろしくてよ。そういうのも嫌いではありませんわ」

ふと、これまでの二人が歩んできた道は、果たして恋愛と呼べるものだったのだろうか、とカイルは考える。
もしかしたら、違うのかも知れない。だけどその道は、今に繋がっている。それだけは、確かだ。
そう。これはきっと、エピローグから生まれる、一つの新たなプロローグ。

「ありがとうございます。それじゃ、約束ですよ」
だからカイルは告げた。ほんの少しの期待と、ありったけの希望を込めて。
「えぇ。どこからでも、いらっしゃい」
自信に満ちた声で言い放つと、シャロンは満面に微笑む。
それは、ずっとカイルの心を捕らえて放さないイメージを持つ、

花束のような、笑顔だった。


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