#8 賢者の過去、令嬢の思慕 3
「さぁ、入るがいい。ここならば落ち着いて話も出来るじゃろう」
「…失礼しますわ」
そこは、教員室と隣接している個人面談用の部屋。二人は例の喧騒から逃れる為に、邪魔の入らないその場所で話をする事にした。
「さて。それで、わしに訊きたいというのは何事かな?」
二人が椅子に腰を下ろすと、ロマノフが問い掛ける。
「はい。カイルさんの事に関して、ですわ」
「…ほぅ、しかし、そんな事をわしに訊いても仕方ないのではないかのう」
「彼には、家族がいません。ロマノフ先生はご存知ですね?」
シャロンは言う。鎌をかけたのだ。
「ふむ…」
ロマノフのシャロンを見る眼の色が変わる。
「私は、その事を彼から聞かされました。でも、詳しい事については、何も知りません」
彼女はそこで一度言葉を切り、
「お願いします。もし、何かをご存知でしたら、教えていただけませんか」
そして、嘆願した。
「むぅ…」
ロマノフは、ただじっとシャロンの顔を見ている。
「…それを」
暫らくの沈黙の後、彼は口を開く。
「お主は、それを知って、どうする?」
「………」
「確かにカイルは、親族を失っておる。しかし、それは過去の結果であって、お主が詳細を知った所で、どうこうする事ではあるまいて」
「………」
シャロンは、動かない。
「どうなんじゃ?」
ロマノフは、再び問う。
「愚問、ですわね」
「…なに?」
しかし、そんな問いかけを、彼女は一蹴した。
「ここで問うべきなのは、どうこうする、などという事ではありません。何故、それを知ろうとするのか、そこではありませんか?」
「ほぅ…」
「私は、あまり長い期間とは言えませんが、彼とはお互いの時間を共有してきましたわ」
そこまで話すと、シャロンは瞳を閉じる。
「そして、様々な事を知りました。彼の性格も、彼の考え方も、おぼろげですが、彼の抱えている過去も…」
「でも、その結果…先生もご存知のように、彼は自身の心を閉ざしてしまいました」
「………」
「だから、私は…」
チクリ、と心が痛む。シャロンは急に、そんな錯覚を感じた。
「…わたくしは…」
「分かった。もう、よい」
「え…」
シャロンは瞳を開く。
「お主の思うことは伝わった。だから、そんな泣きそうな顔などするな」
「そ、そんなっ、誰が泣いてなどっ!」
そう言いながらも、彼女はつい目元に指を添えてしまう。
「知りたいと言うのは、その、カイルが家族を失った時の事であったな」
「…えぇ、その通りですわ」
「ふぅ……まったく。あやつときたら、やはりまだ己の呪縛から逃れられては、おらぬか…」
ロマノフは、深いため息と共に言葉を発する。
「どういう…事かしら?」
「殺してなど、おらぬよ。あやつは誰もな」
そして、その詳細を、ゆっくりと語りだした。
「それでは、失礼いたしました」
シャロンは教員室を後にする。
「やれやれ…」
そんな彼女を見送りながら、ロマノフは自分の席に座る。
「先生、お疲れ様でした」
リディアが、そっと彼の机に湯のみを置いて、ねぎらう。
「おぉ、すまんの。しかしどうして。賢者となっても、人はやはり精進あるのみじゃな」
「はい?」
「いや、なんでもない。だが、それもまた、若さか…」
誰に言うでもなく呟くと、ロマノフはまるで子供の前途を見守る親のように、笑った。
「…納得、出来ないわ…」
そんな教員室の片隅で、不意に一人の女性教師が異議を唱える。
「ん? どしたのミランダせんせ」
アメリアが、それに反応したようだ。
「私の出番は、どこ? なんでこんな扱いになってるの?」
「そう言ってもねぇ…いいから、ちゃっちゃと全国大会用の問題、仕上げちゃってよね」
その女性の名はミランダ。主に学校行事開催時の運営を担当している。
全国大会というのは、各地にあるマジックアカデミー全校の生徒を対象とした試験のようなものだ。
「不公平だわっ。ねぇ、私の存在って、なに? 隠しキャラ?タイムリリース?解禁曲?ピアノ協奏曲第一番”蠍火(アンタレス)”!?」
「ミランダ先生…蠍火は、ワンモアエクストラ(出すのがとてもとても難しいボーナスステージ)だから、一応最初から遊べるからね」
マロンによる、無慈悲なフォローが入る。
「…うわーーーんっ!!」
ミランダは嘆く。しかし彼女の春は、そう遠くないはずだ。きっと。おそらく。
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