#7 賢者の異変、令嬢の危機 1
カイルは一人、公園の中を走っている。
彼は、困惑していた。
心の一部が、さっきからやけに高揚している。
左胸の鳴らすリズムが、どんどんスピードを増していく。
頭はまだ冷静さを保っている。それなのに、溢れてくる感情が抑えきれない。
(まさか…ここにきて『アレ』が…?!)
あの突然のアクシデントのせいだろうか。と、彼は考える。
確かに、あの一瞬、様々な情報が自身の中を駆け巡っていった。
しかし、今自分を突き動かしているものは、言うなれば闘争本能だ。
「駄目だ…流されるな…カイルッ!」
自分で自分を強く戒めながら、彼は落ち着ける場所を探していた。
カイルが『アレ』と呼び忌み嫌っている、突如として彼を襲う衝動。
それは、彼が家族を失ったあの日から、いつも前触れも無く訪れては、彼の精神を揺さぶるだけ揺さぶり、翻弄して去っていく。
その症状(仮に病気とするなら、だが)は、その時その時で多岐に渡り、時として激しい怒りを、時として深い悲しみを、また、時として理由の無い破壊欲求を、彼にもたらしてきた。
そして、『アレ』がカイルの中で暴れている間、彼はいつも自分の心に何重ものシェルターを張り、ひたすらじっと、それが消え去るまで耐えているのだった。
しかし、今のカイルは一人ではない。側には、彼が大切だと言える人が、いる。
だから、彼は半ば無理やりに理由をつけて、その場を離れようとしていた。
公園の中にある手洗い場へ、カイルはたどり着く。
「え…?」
思わず彼は呟く。そこには、傷ついた男たちが大勢たむろしていた。
彼らは、皆ユリにのされてしまった連中だったのだが、カイルがそれを知る筈も無い。
ドクンッ。
「っ!?」
その時、心臓が、より一層強い鼓動を打つ。
今度は、これまでの感情に加え、更に色濃い激情が、鎌首をもたげるように、現れてこようとしている。
(これは…『赤』だ。血のイメージを欲しているのかっ、自分は…)
「ううぅ……」
カイルは堪えきれず、膝を付き、うなだれるように顔を伏せる。
「ぁ? なんだこいつ?」
「おい、邪魔だよおまえ」
そこへ、ユリにのされた4組目の名も無き男達が、突然しゃがみこんだカイルをどかそうと、彼の肩へと手を伸ばす。
その手が、カイルに接触する寸前だった。
「…触るな」
そう言い放つと同時に、カイルは素早くその男の腕を取り、間接を極めるように捻り上げる。
「ぐあぁっ!?」
「お、おいっ」
突然の事に驚愕する男達。
どんっ。
カイルは、自分が掴んでいた男を、もう一方の男の方へ突き飛ばすようにして放すと、踵を返して、再び走りだす。
(手を出すな……手を、出すなっ!)
必死になって、自分にそう言い聞かせながら。
「本当にもう…あの能天気娘だけは…いつか、必ず報復してみせますからね…」
シャロンは憤慨しつつも、カイルを追っていた。
なんだかんだと言っても、彼の事が心配だったからだ。
もっとも、この時点ではまだ、そこまで大事では無いだろう、と思っていたのだが。
そんな時、前方から、そのカイルが駆けてくる。
「あら、もぅ……」
シャロンは声を掛けようとする。が、彼の形相を見て、思わず言葉を止めてしまう。
うっすらと汗を流しながら、まるで苦痛に耐えているような、そんな表情だったからだ。
「ッ!! シャロン……さん…」
カイルもまた、驚愕と共に彼女に気付き、立ち止まる。
「貴方……どうか、されましたの…?」
「ぃ、いえ…」
気遣うように顔を覗き込んでくるシャロンに、彼はつい、体ごとその顔を背けてしまう。
「なんでも、ありません…っ…から…」
「嘘ですわね。それが、なんともない人のされる顔かしら?」
シャロンはカイルの腕を掴み、前を向かせようとする。
「…いいから…僕に……構うなっ!」
「っ?!」
カイルは、強引にそれを振りほどくと、逃げ出すように、また走り出す。
怖い。怖い。彼女を傷つけるのが。彼女を失うのが。
そんな想いだけが、今の彼を動かしていた。
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